第2話:崩された現実(2)
部室の片付けが終わった頃には既に夕方になっていた。
沢崎と陽山は用事があるからと部室を出てから別れた。栞はまだ部活中。暇な僕は必然的に一人で帰ることになった。
人通りの多い場所に出ると下校する学生と何人かすれ違った。
その中で一人、僕のところに女の子が近寄って来る。
「あの、すみません。少しよろしいですか?」
少し控えめでそれでいて淡々と告げているみたいに訊かれた。その顔も冷え切ったように無表情だ。
女の子はサラリとしたショートカットに小柄で華奢な体。肩に届かない程度に切り揃えられた髪に皺が見えないくらい整った制服から几帳面さが伝わってくる。何故か両の袖が手を隠すほど長い。
制服とリボンの色から同じ高等部の二年生と判る。
僕に何のようだろう?
「私は月島朱莉と申します。永峰春幸様、お話ししたいことがあります」
初対面の少女に様付けされるなんて何だか不思議な気分だ。
「何?」
「単刀直入に言います。グリモワールを渡してください」
グリモワール? 僕の知っている限りでは魔導書や呪文集とか呼ばれているものだ。悪魔や天使を召喚する知識が秘められた書物だと聞くが、そんなものファンタジーの世界だけである。実物も存在するけど、魔法など使える筈がない。
それ以外に違う意味があるとすれば僕は知らないし、それに似たモノを受け取った記憶もない。
「えーっと、何かの間違いじゃない? 僕そんなもの知らないんだけど」
「誤魔化さないでください。今日あなたのマンションに不審な木箱が届いた筈です」
「あ・・・・・・」
心当たりがあった。木箱との中に潜んでたミライと名乗る少女。この子はそいつを捜しているのだ。やはり密入国がバレてたんじゃないか。でもどうして学生の彼女がミライを捜してるんだ・・・・・・? まあ、いいか。僕には関係ない。
しかし、ミライは家をすぐに出ていってしまった。小箱を開ける時呼べとか言ってたからもしかしたら家に戻ってきてるかも。
「それなら・・・・・・多分家に」
「わかりました。では今からお宅にお邪魔させてください」
「ちょ、今から!? 今すごく家散らかってるんだけど」
僕の部屋には密入国者が捨てていったゴミがまだ散乱しているのだ。正直そんな部屋を見られたくない。なんだか物を片付けられない人と思われてしまいそうだ。
「構いません。グリモワールを渡していただけるなら部屋には入りませんし、受け取ったらすぐにお暇します」
僕の気持ちを無視して素っ気なく言う。
「先に言っておきますが、あなたに拒否権はありません」
「え?」
「私が態々人気の多い場所を選んだのは騒ぎを起こしたくないからですよ」
この子は一体何を言ってるんだ? 騒ぎを起こしたくないなら尚更人気のない場所を選ぶべきだ。しかし、周囲には下校中の学生がまだたくさんいる。
「春幸様は周りを巻き込むようなやり方はお好きですか?」
「――――――!?」
彼女の右袖口から鈍色の刃が僕にしか見えない角度から見せつけるように伸びている。
これは脅しだ。僕がここで断れば僕以外の誰かをそのナイフで切りつけようというのだ。狂ってる。どうしてそこまでする必要があるんだ!?
僕の思考が一気に困惑するが、
「グリモワールのところまで案内してくれますよね?」
表情を変えずに朱莉がそう囁いてくる。
僕の回答はすぐに出た。
「なっ!?」
校門とは逆方向――――――人気がない場所へ向かって全力疾走した。以外な行動とでも思われたのだろか、朱莉が驚きの声を上げる。
だが、僕は唯の高校生である。冷たい視線なら突きつけられたことはあっても、ナイフなんて凶器を突きつけられたことなんて一度もないのだ。そんなヤツと一緒に家まで下校が出来るほど僕の度胸は据わっていない。
人の喧騒から逃れ、鳥や虫の鳴き声だけが聞こえる木々の間を走り抜ける。
修山学園は年々発展しているとはいえ、まだ開拓していない所はまだいっぱいある。幸いにも朱莉は僕を見失ったらしく、後ろを振り返っても彼女の姿はない。
このまま一気に山を下ろう。そんな安易な考えで進んでいると突然何かにぶつかった。正面全部を強く叩きつけられたような衝撃が襲う。
「な、なんだよこれっ!?」
ぶつけた鼻を押さえながら目の前に突如現れた黄色い壁を眺める。
おかしい。さっきまでこんなの無かった筈だぞ。
「逃げ足が速いですね、春幸様。でも、追いかけっこはもうお終いです」
壁の後ろから朱莉が飄然と姿を現した。撒いたと思っていたが、どうやら先回りされていたらしい。
「あなたが一生懸命走っている間、仲間に連絡してあなたのお宅を調べさせていただきました。報告によればグリモワールは発見されなかったそうです」
朱莉は相変わらず表情一つ変えずにナイフを構える。今にも飛び掛ってきそうだ。やっぱりアイツは帰ってきてなかったか。
「グリモワールはどこですか? 私も手荒な真似はしたくないので早く教えてください」
とてもそうは思っていない顔で言われても説得力がない。
「知らないよ。僕はアイツの居場所なんて・・・・・・」
「何の話をしているのですか? すぐに渡していただけるのなら今後一切あなたに関わらないことを約束します」
「だから本当に知らないんだって!!」
「くどい」
言葉と同時に朱莉のナイフの先端から青白い閃光が走る。それは僕の足元近くに直撃し、地面を抉る。
「次は当てます」
「うわあああああっ!」
僕は情けない悲鳴を上げる。そして先程のように背を向けて逃げる。冗談じゃない。あんなのが当たったら痛いじゃ済まないだろ!
僕は走りながら右眼に意識を集中させた。四年前に失った眼球の変わりに得た義眼。それに付いていた機能を使う。
一閃、更に一閃、と朱莉のナイフから出た閃光が僕が避けた直後にさっきまでいた場所に飛んでいく。
「どうして・・・・・・まさか共通義肢の機能!?」
聞き慣れない単語と共に朱莉が声を荒げる。
「契約儀式を行った様子なんてなかった筈なのに――――――《雷火》!」
何かを朱莉が叫んだと同時に僕は走る足を急停止させた。何故なら、このまま進めば――――――
バガンッ!! と僕が立っている三〇メートル前の地面をオレンジ色の閃光が貫いた。まるで雷のように轟音が鳴り響き、爆風の勢いで体のバランスを崩しそうになる。ぐらりとよろめきかけた僕は反射的に後ろを振り返る。
朱莉の頭上に青白い閃光が塊となって花火のようにバチバチとさせている。未だに空気に光の残像が残っていることから、さっきのレーザーのような閃光はあそこから発射されたのだろう。更に――――――
「なんだよ、あれ・・・・・・」
青白い閃光の塊が少しずつ広がり、やがてそこから黄色い壁が出現する。閃光が消える頃にはそこに金属の鎧に覆われた巨大な人型が仁王立ちしていた。屈強そうな鎧の腕は細い脚と不釣合いに部厚く、両肩にはアンテナみたいな棒が突き刺さっている。
さっき僕にぶつかったのはこいつの手だったのだ。
「・・・・・・巨人兵器。どうして軍用兵器がこんなところにあるんだよ!?」
巨人兵器は現代ではどの先進国も軍用として所持している人型兵器だ。もちろん日本も保有しているが一般の女子高生が持ち歩けるような代物ではない。第一、どうやってそんな巨大な物を隠していたんだ?
「最終通告です。春幸様、グリモワールを渡してください」
「そんなの――――――僕は持ってない」
「残念です。――――――《雷火》」
黄色い巨人の肩から青白い閃光が溢れる。それが頭上に集まり徐々に大きくなっていく。さっきのレーザーをもう一度撃つ気だ。
あの攻撃から逃れる術を僕は知らない。あんなのが直撃すれば体がバラバラになる。
僕は死ぬのか・・・・・・? 何も知らないまま、唯黙って殺されるのか?
――――――ふざけるな。
僕の中で世界に対する憎悪が膨れ上がる。
四年前の春に最愛の姉を失い、右目を失明し、入学した中等部では事故の怪我のせいで初等部から仲の良かった同級生も僕と関わろうとはしなかった。世界が憎くて、生きているのが辛くて、だからといって死ぬ度胸もなくて、毎日が絶望の日々だった。
それでも、沢崎や栞と出会って少しずつだか僕も変われた。友達も増えて今では毎日平穏な生活を過ごしている。それなのにあんまりじゃないか。僕が何をしたというのだ。僕は特別なことなど何も望んでいないのに。
助けてくれ、秋菜――――――
「え?」
僕の鞄から煙が溢れる。水に入れたドライアイスのように地面を這って出てくる。
その色は純粋な黒。
漆黒の煙は僕に集まり、陽炎のように包んでいく。不思議なことに怖いとは思わなかった。鞄から煙の元を取り出す。それは今朝ミライが置いていった小箱だった。
「グリモワール――――――やはり持ってましたか。《雷火》、もう充電はいいです。早くあれを開けるのを阻止しなさい!」
朱莉が少し焦ったように巨人に命令する。グリモワールはこれのことだったのか。どうしても僕にこれを開けさせたくないらしい。
だったら――――――
僕は箱を開けた。中身はねっとりとした深い深い闇。そこから腕が出現する。それは金属の鎧を纏った人型の腕。腕が完全に出る前に朱莉の巨人の電撃が僕を襲う。それを液体のような闇を帯びた漆黒の腕があっさり片手で弾く。
「そんなっ!?」
朱莉の顔が驚愕に歪む。
這い出た巨人は箱の中身と同じ闇色をしていた。漆黒の鎧の中で悪魔のような紅い目が覗いている。
漆黒の巨人は出てくるなり僕を護るように黄色い巨人と対峙する。
「《雷火》、もう下がって」
朱莉は深い溜息をつき、自分の巨人を下がらせる。黄色い巨人は空気に溶け込むようにして、まるでそこに最初からいなかったみたいに消える。
「春幸様。あなたは愚かな選択をしました。いつか後悔する日がくるでしょう。――――――それでは、失礼します」
朱莉は地面を蹴って隣の木に乗り移る。そして、木から木へと飛びながら去っていく。短いスカートが見えないギリギリのところで舞い上がってこんな状況でも思わず目がそっちにいってしまう。僕は朱莉の姿が見えなくなくなってもその場で呆然としていた。あんなにしつこく追い回したのに小箱を開けたらあっさりと退いてしまった。
僕は本日何回目になるか分からない深い溜息をつく。すると、後ろから人がいる気配がした。僕は慌てて構えながら振り返る。そこには和風と異国風を組み合わせたファッションをした少女――――――ミライが立っていた。
「よっ! 大変な目にあったね」
なんて軽々しく言ってくる。しかし、何故か彼女を見ているとすごく安心する。その安心感からか、脱力して地面に倒れるように腰を下ろした。
「見てたのなら助けろよ。お前のせいでひどい目にあったぞ」
「私のせい? 恨むなら自分のお兄さんにしてよね」
「はは」
呆れて何も言えない。確かに今回は兄貴のせいである。ホント、一体何がしたいんだあの男は。
「本当は助けたかったけど、見ておきたかったから」
少し遠慮するようにミライが呟く。
「何を?」
「君がどう選択するのかを」
選択。僕が箱を開けるかどうかのことだろうか。朱莉は後悔すると言っていたが、僕は後悔してない。何故なら生き残れた。箱を開けるのを拒んでいれば今こうしてミライと話すことも出来なかったかもしれない。
僕は知らなければならない。もう過去に――――――知らなかった時には戻れないから。
「話してくれる? あの巨人のこと。兄貴がどうして僕にあれを送ってきたのか」
夕日を背景に彼女は微笑んだ。