第25話:時を越えて(1)
冷たい感触が僕の意識を覚醒させた。
上半身がベトベトして気持ち悪い。おそらく寝汗をかいたのだろう。なんて言ったって、死んだ未来の自分と対談してきた夢など、悪夢としか言いようがない。どこのB級ホラー映画だよ。
起き上がろうと瞼を開ける。
すると、ベチョッと冷たい水が滲みた布が僕の視界を覆い隠す。すぐに布から水が漏れ、肌を伝って流れていく。
「な、なんだ!?」
僕は慌てて視界を塞いだ布を手で掴む。それだけで、水が垂れてきた。
布を退けると、驚いたように僕をのぞきこんでいる少女と目が合った。どことなくちんまりとして見える小柄で、少し癖のある亜麻色の髪が後ろで二つに分かれている。澄んだ瞳をぱちくりとさせてから口を開く。
「Are you all right(大丈夫)?」
「え!?」
少女の口から出てきたのは英語だった。日本人ではないことは見ただけも判るが、言葉まで異国のものが出てくるとは思ってもみなかった。日本語が話せないのだろうか?
「なの、えっと・・・・・・」
はっきり言って僕は英語が苦手だ。精々挨拶くらいが限界で、会話なんてとてもじゃないが出来ない。
僕がどうやって言葉を伝えようかと焦っていると、
「もしかして英語話せないの?」
流暢な日本語で少女は僕に問い掛けてくる。
「え・・・・・・あ、うん。日本語以外は無理なんです。すいません」
「別に謝ることじゃないの。ティエルだって英語と日本語しか話せないもん。それより、あなたのお名前教えて」
「僕は永峰春幸って言います」
「ティエル。ティエル・シンクレア。よろしく――――――なが、はる・・・・・・ながゆき!」
僕のフルネームが省略されてしまった。外国から見れば日本人の名前って覚えにくいもんな。日本語は達者なのに不思議なものだ。
「春幸です。言いにくかったら、ハルって呼び方でもいいですよ。僕の友人はそう呼んでいます」
そう言って沢崎や栞を思い出す。
最近色んなことが有り過ぎて、全く会ってないな。これが終わったらどこかに遊びに行くのも良いかもしれない。今は丁度夏休みだし。
「よろしく、ハル!」
子供のようにティエルは声を弾ます。
「それと、敬語きんしー!」
と身を乗り上げて言ってきた。
その提案には内心大賛成だった。自分より年下にしか見えないティエルに敬語を使うのは少々抵抗があったのだ。助けてもらったということもあって、馴れ馴れしく話すことが躊躇われたため、仕方なく敬語を使っていただけである。
「わかったよ、ティエル」
「うん!」
ひまわりのような笑顔でティエルは頷いた。
簡単な自己紹介が終わり、改めて周囲を見渡してみる。
僕のいる部屋はとても質素で、木製の机と今自分が使っている同じく木製のベットしか置いてなかった。電機はあるが、それもランプが剥き出しで、使い込まれたように古い型だった。今は電気ではなく、代わりに窓が全開にされていた。ボロ布を引っ掛けたような古いカーテンも隅に寄せられているため、太陽の光が直接部屋を明るく照らす。風は少し寒いくらいだが、そのお陰で部屋の中でもすごく暖かかった。
「そういえば、ここってどこなんだ?」
今更のように僕はティエルに尋ねた。
外を見ても見覚えのない景色だった。木々が広がっているからおそろく山の中なのだろう。山といえば修山学園しか思いつかないが、こんな景色が見える建物なんて僕は知らない。見たところ即席に作ったような部屋だから、ここは今は使われていない場所なのかもしれない。
「ここはウェールズのお山の中だよ」
「・・・・・・ウェールズ・・・・・・?」
「お山の名前までは分からないの」
「いや、山の名前は別にいいんだけど・・・・・・」
ティエルの言った名前を聞いて僕は愕然とした。
ウェールズといえば、ヨーロッパ北西部の島国であるイギリスじゃないか。同じ島国の日本でも場所も文化も全然違う。ティエルのことを疑うわけではないが、どうして僕がそんな場所にいるんだ?
「・・・・・・僕はどうしてこんなところにいるんだ」
思わず呟くと、
「それはティエルのセリフだよ」
と心配するようにティエルは言った。
どういう意味、と尋ねる前にティエルは僕の手を引っ張る。
「来て」
ティエルの言われるがままに僕はベットから降りて部屋を出た。
外は思ったよりも冷えていて、夏服の修山学園の制服では寒かった。
僕はティエルに案内されて裏口から外に出た。裏口の外には広い空間があり、物置のような倉庫や他にも色んなものが置かれていた。
そして、見渡すと干してある洗濯物が目に入った。男物から女物まで大きさから様々な服が干されている。当然その中には下着だって含まれる。僕は慌てて視線を逸らしてティエルについて行った。
家を半周くらいして、玄関らしき場所に着く頃には僕にもここがどういう建物なのか判った。
「教会?」
三角屋根の上に十字架が突き刺さった建物。あまり大きくないうえに、大分古くなった建物は小さな教会だった。
そして、その教会の入口近くに男が二人シャベルを持って何やら大きな穴を掘っていた。
「ユーサクおじさん。ハルが起きたよ」
「おおっ! そうか。ありがとう、ティエル」
そう言って、ユーサクと呼ばれたおじさんが駆け寄って来たティエルの頭を撫でる。ティエルも嬉しそうにそれを受け入れる。
おじさんはシャベルを地面に突き刺し、汗を首に掛けたタオルで拭いてから僕の方を向く。
「目が覚めましたか。どうですか、身体の調子は?」
「いえ、大丈夫です」
硬いベットで寝ていたせいで身体が少し痛い。それを除けば、体はなんともない。
「あの・・・・・・永峰春幸と言います。助けていただいてありがとうございます」
「私は蝦夷森優作です。わけあってここの子供たちと暮らしています」
手を差し出しながら優作さんは自己紹介する。
僕がその手を取ると、笑顔で強く握ってきた。わざとじゃないのは伝わってくるが、すごく痛い。服を着ていても判るくらいガッチリとした体格は見せ掛けだけではなさそうだ。
「それでこっちが――――――」
もう一人のシャベルを持った方を向く。
ダークブロンドの髪で僕と同じくらいの年齢の少年。背は僕よりも高く、一八〇センチは軽く越えてるんじゃないかと思うくらいの長身。僕のことなどどうでもいいようにそっぽを向いている。
「エディック。挨拶しないか」
「・・・・・・エディック・マンスフィールド」
ぶっきらぼうに名乗ると、エディックは作業を再開した。
優作さんが呆れたように息を吐いて、
「悪い子ではないですがね。どうも人見知りが激しくて」
苦笑しながら僕にそう言った。
「はあ・・・・・・」
それよりも彼らは一体何をやっているのだろう。
彼らの前には巨大な穴が空いていた。さっきは掘っているように見えたが、実際は埋めているようだった。
深さが一メートルほどもあるデコボコとした穴。その穴の形は奇妙だった。まるで人の四肢の型を取るかのように開いた大きな穴。それに僕は一つの可能性が思い浮かんだ。
巨大な足跡に、膝を突いたような痕跡。そして、それでも倒れずに体を支えるために叩き込んだ拳の跡とその余波。それが出来るのは――――――
「・・・・・・《月讀》・・・・・・」
僕は自分の巨兵魔器の名前を呟いた。
《素戔嗚》の暴走を止めるために《月讀》はボロボロの体で抵抗した。更にどういった原理かは解らないが、イギリスまで飛ばされた僕を助けてくれたのだ。そのお陰で僕は無傷でいられた。
そこで疑問が浮かび上がる。
「あの、蝦夷森さん」
「優作で結構です。蝦夷森って言いにくいでしょう」
「では、優作さん。僕以外に誰かいませんでしたか?」
《素戔嗚》の暴走に巻き込まれたのは僕だけではない。陽山や伊月さんだって近くにいたのだ。況してや、ミライは僕に抱えられていたのだから一緒にここに居てもおかしくない。
「いえ、ここに倒れていたのはあなただけですよ――――――と言っても、私自身が見たわけではないんですがね」
と優作さんは苦笑する。
「どういう意味です?」
「あなたを運んできたのはティエルなんです」
「ティエルが?」
驚いてティエルの方を見る。ティエルは褒めてもらったように微笑む。
身長が一四〇センチくらいしかない小柄なティエルが、彼女より二〇センチ以上もある僕を運んできたというのは想像も出来ない。体重だってあまり重い方でもないが、ティエルみたいな子供にとってはかなりきつい筈だ。
「ハル、お穴の中で寝てるをティエルが見つけたの。それで辛そうな顔してたからティエルが看病してたの」
こっちのことはお構いなしにティエルはその時の状況を語る。そして、濡れた布を顔に乗せていたのは看病だったのか、と僕は今更気づいた。
「その時は僕以外誰もいなかった?」
「ハル一人だけだよ」
「そう、なんだ・・・・・・」
ティエルの言葉に僕は気が滅入りそうになる。
こんな故郷から離れた言葉も通じない異国でどうやって日本に帰ればいいんだ。ティエルたちのように日本語が解る人に助けてもらったことが不幸中の幸いだった。それに、ここの教会のように人気のない場所に落ちたのも幸運と言うべきだろう。《月讀》が都会の街中に目の前のような穴を作るくらいの衝撃で出現すれば騒ぎだけでは済まない。下手をすれば国際問題――――――いや、僕自身が何らかの方法で抹殺されかねない。
「ティエル。そろそろ夕食の時間だから、カルアの手伝いをお願いしてもいいかな」
「うん!」
優作さんのお願いにティエルは元気に答えて教会の方へ駆けて行く。
「転んだりしないように気をつけるんだよ」
優作さんの声が聞こえないようにダッシュでティエルは教会の中に入って行ってしまった。
それに優作さんは苦笑し、僕の方へと向く。
「元気なのは良いんですが、危なっかしくて仕方ない」
「はは・・・・・・」
僕も苦笑で返す。子供とはそういうものだ。
優作さんは一回息を吐くと、
「春幸さん、折角なので少しよろしいですか?」
「あ、はい。いいですよ」
優作さんは開いた穴を一瞥して、
「これが何なのかを説明してもらいたい」
「それは・・・・・・」
僕は言うのを躊躇った。
巨兵魔器の存在を話すことは極力避けたいし、僕自身どうしてこうなったのか説明を求めたいくらい状況が解っていないのだ。証明する方法も全く持っていない。
言い迷っている僕に優作さんは優しく微笑む。
「春幸さん。何も私はあなたを責めているわけではありません。私たちはわけあってここで隠居しているので、こういったことをずっと放っておくわけにはいかないのです」
「言いたいことは解るんですが・・・・・・」
その説明が出来なくて困っているのだ。
言い渋っている僕に対して、エディックが小さく舌打ちする。
「めんどくせえな」
鬱陶しそうにエディックは呟いてから大剣の切っ先を僕に向ける。さっきまで何もなかった場所から突然それは現れた。
「神器使い!?」
僕は驚いて一歩後退る。
一メートル近くもある長さに幅の大きな刀身の剣。しかし、実際鉄の部分は六〇センチほどしか無く、幅も大剣と呼ぶには細過ぎる。残りの約四〇センチを占めるのは光の刃だ。雷が鉄の刀身を中心に固まったように、青白い光が鋭い刃と成って集まっている。光の刃があるため、その剣は大剣に見えてしまう。まるで、ゲームに出て来るCGの光束刀剣のようだ。
光を集めた剣を片手で構えてエディックが僕を睨む。
「どうせお前、アルマ・ミーレスの使い手だろ」
「アルマ・ミーレス?」
巨兵魔器じゃなくて?
「止めなさい、エディック。憶測でものを言うんじゃない」
優作さんがエディックを叱責する。
「でも・・・・・・」
「エディック!」
「・・・・・・わかったよ」
エディックが渋々と大剣をしまう。
いきなり神器を出されてびっくりしたが、同時に安堵する。これなら巨兵魔器についても話しても大丈夫だ。少なくとも黙っているよりは良い筈である。言うのも早い方がいい。
「僕は操魔師なんです」
突然の告白に優作さんもエディックも目を丸くする。
「これはまた珍しい・・・・・・」
「まだ生き残りがいたのか」
ほぼ同時に二人が口を開く。優作さんは本気で驚いているようで、エディックは逆に呆れているようだった。
二人の言っている意味がよく解らなかった。神器使いなら操魔師なんて当然知ってる筈なのに、まるで絶滅危惧種にでも遭遇したような反応をする。もしかして、この辺りには操魔師はいないのだろうか?
「・・・・・・その歳でよく生きていられましたね」
「どういう意味です?」
「え、十世戒教団に襲われなかったんですか?」
「いや、襲われましたけど・・・・・・」
襲われたからこそ僕はここにいるのだ。
それよりも、どうして僕が教団に襲われたことを知っているのか訊ねようとすると、
「一斉に魔器狩りが行われたではないですか。それで殆どの巨兵魔器が破壊されたと聞いています」
「魔器狩り?」
そんな魔女狩りみたいなニュアンスの出来事など聞いたことがない。
僕の反応に優作さんは不思議そうな顔をする。
「おや、ご存じないのですか? 五年前から大規模に行われて、今では巨兵魔器は全く見なくなりましたよ」
「逆に今はアルマ・ミーレスが増え始めたけどな」
皮肉気にエディックは呟く。
「アルマ・ミーレス・・・・・・?」
さっきも出てきた単語だが、一体何なんだ?
「ホントに知らないんだな。どこの田舎から来たんだよ」
「一応、日本からだけど・・・・・・」
僕の答えにエディックは訝しむ。
「日本? 渦中のど真ん中じゃねえか。なのにどうして俺たちより知らないんだよ」
「そんなこと言われても・・・・・・」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。少しずつ話して行きましょう」
柔和な笑みを浮かべて優作さんは宥めるように言う。
とりあえず僕はこれまでにあったことを話した。教祖の事、修山学園で起こった事、どういう経緯で僕がここに来たかという事。兄貴が未来の僕であるなどの未来に関する事実以外、全て説明した。
エディックは半信半疑な顔で僕を見ている。当然と言えば当然の反応だ。優作さんと言えば、何やら難しい顔で唸っている。
暫くして、
「春幸さん」
「は、はい」
妙に真剣な顔で優作さんは僕の名前を呼ぶ。
ティエルのような子供が懐くくらいだから良い人なのだろうが、眉間に皺を寄せている顔は若干怖い。今にも食って掛かって来そうだ。
「今は何月か分かりますか?」
「はい?」
あまりにも予想外な質問に僕は唖然とする。僕が言えたことではないが、いきなり何を言い出すんだ。
「八月ですけど」
「では、今年は西暦何年か分かりますか?」
全く意図が解らない。困惑したまま僕は質問に答える。
すると、また黙ってしまった。
そして再び間を置いて口を開く。
「春幸さん。驚かないで聞いてほしい」
「はい」
「あなたの言ったそれ、五年前の出来事です。それに今はもう一〇月になります」
「え・・・・・・」
優作さんの言葉に絶句する。そして、すぐ理解する。
《素戔嗚》の機能は時間跳躍だ。つまり、暴走して放出された力は必然的にそれになる。その攻撃を受けた僕が未来に飛んでいても不思議ではない。
「あなたが通っていたという修山学園も跡地が軍によって管理されています」
「跡地って・・・・・・」
「今は確か火山のように大穴が開いています。当時はミステリーだと世間で騒がれていましたのを今でも憶えてます。春幸さんの言う通りなら、その巨兵魔器の暴走で消えたと考えるべきですね」
つまり、あそこの場所ごとどこか別の場所に飛ばされたということになる――――――違う時間軸の世界に。
どこに飛ばされたのだろう。少なくとも今現在ではなさそうだ。修山学園が消えて大騒ぎになったのなら、再び出現すればもっと大きな騒動になる筈だ。なのに優作さんは知っているようには見えない。ということはまだ、この時間軸には現れていないのだ。
現れるとすれば、おそらく未来となるだろう。明日か、数分後か、それとも消滅した世界へか。それに陸地に出るとは限らない。もしかしたら、海の中に出現することも有り得る。ムー大陸などの伝説上の大陸と呼ばれているモノの一つが、過去に飛ばされた修山学園だったとしたら、あまり笑えない話だ。
修山学園はまだいい。
問題は陽山たちだ。陽山は神器を失い、ミライは《月讀》の受けた攻撃の衝撃で本調子ではない。伊月さんなら何とかやっているかもしれないが、やはり不安だ。例え無事でも、同じ時間に跳躍したとも限らない。次に出会った時は誰かが僕よりも年上であることだって有り得るのだ。実際に同級生の沢崎や栞は僕の年齢+五年の年を取って、今では大学に通っているか就職していることだろう。あれから五年も経っているから、もしかしたら僕は死んだことになっているのかもしれない。
そう思うと酷く憂鬱になる。
「まあ、今はそう難しくせずに今後にゆっくりと考えていきましょう。判らないことをいつまでも悩んでいても仕方ないですから」
柔らかな笑みで優作さんは僕の肩に大きな手を置く。
優作さんの言う通りだ。判らないことを悩んだところで解決には繋がらない。まずは――――――
「明日は丁度街に出るのでそこで何か情報を集めてみましょう。その手のことに詳しい知人がいるので頼んでみます」
僕の考えを読んだように優作さんは言う。
「ありがとうございます」
「いえ、買い物のついでですから。そんなに畏まらないでください」
本当に遠慮しないでというように言ってくれる。
「そうだ。もうそろそろ夕飯の時間なので中に入っていてください。私たちも片付けてから戻りますから」
気づけば太陽が既に隠れそうになっていた。この辺りはどうやら日の変わりが早いらしい。
「穴埋めだったら僕も手伝います。元々僕が開けたんですから」
「いえ、今日はもう暗くなってきたのでもうここで終わりです。明日、買い物に出ている時に私の代わりにお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。任せてください!」
「それではお願いします」
そう言うと優作さんは道具を片付け始める。
「道具片付けるの手伝います」
「いえ、ここは大丈夫です。手伝うなら中をお願いします。私もお腹が空いたので戻ってすぐに夕飯が食べれたら嬉しいです」
「はい。わかりました!」
僕は優作さんに軽く頭を下げて教会の中へと戻る。
人が二人ギリギリ並んで歩けるくらいの狭い廊下を歩いていると、料理を盛った大皿を両手と頭に抱えた長袖のチャイナ服を着た少女が角から現れた。
スリットの深い緑色のチャイナドレスを着ているが、下にはスパッツのような黒の短パンを穿いているため、下着が見えることはない。肌が若干日焼けのように黒く、髪の毛もまた黒色。アジア系の人だろうか、と思っていると少女は僕の方へやってきた。
「ハル君。丁度良かった」
頭に器用に皿を乗せながら少女は微笑む。
「はい、バンザイ!」
「バンザイ?」
何でいきなり万歳だと思いながらも少女と同じポーズをする。万歳というよりは力こぶを作るような形だ。
すると、少女はその手に持っていた皿を乗せる。二つの皿で両手が塞がり、
「はい。これ机まで運んで」
と、さも当たり前のように僕の頭の上に皿を乗せる。両手が軽くなって少女はそのまま元来た道に戻ろうとするが――――――
「ちょっと待て!」
「あ、ごめんごめん」
ちょろっと舌を出して少女は振り返る。
こんな状況で置いてかれるのは困る。器用に運べる人間なら未だしも、まともに動けない人間は端から見ればマヌケなヤツにしか見えない。早く解放してくれないと頭から皿が落ちる。
「あたし、カルア。カルア・アッシュレム。よろしくね、ハル君」
「え、あ・・・・・・うん。よろしく」
「それじゃ、料理運んでおいてね」
そう言ってさっさと行ってしまった。
僕は暫くこのポーズで廊下に佇んでいた。
結果的に一個ずつ料理を運んでいたティエルに助けられた。
料理を居間らしき場所の机に運び、並べていく。
一個だけどこからか持ってきたような椅子が僕の席なのだろう。優作さんとエディックが戻ってくるのを僕とティエル、カルアの三人が先に席に着いて待つ。
「なんか、豪華だね」
並べられた料理を見て僕は呟いた。
机の上には見たことのない料理から知っている料理が机にたくさん並べられている。中でも肉料理が目立ち、特に驚いたのは一人一人の前に皿に盛られた米。更にその横には何故かナイフやフォークと一緒に箸が置かれている。
「イギリスの主食ってご飯だったっけ?」
「そもそも決まった主食ってのがあんまりないかな。ヨークシャー・プディングとかはローストビーフとよく一緒に食べられたりするけど、今では色んな国の料理が輸入されてるからお米やパスタを食べる家庭だって珍しくないし」
「そうなんだ」
日本でも多文化の料理が広まっているから、今では食卓に日本料理のみが出される家庭の方が珍しい。他国でもそれは同じのようだ。
「特におじさんは日本人だから主食にお米ってのがいいみたい。おじさんが料理作ると絶対お米に合うものばっかだし。ハル君も主食はお米じゃないとダメ?」
「そうでもないけど・・・・・・二、三日に一回は食べたいかな」
「日本人ってやっぱりそうなんだ」
なんか日本人は米がないとダメなイメージがついているようだ。まあ、否定はしないが。
「おお! これは豪勢だな」
「張り切り過ぎだろ」
仕事を終えた優作さんとエディックが居間に入って来た。
「二人ともおつかれさま」
そう言ってカルアは二人分の飲み物を注ぐ。
そして、突然その二人の間から白い物体がピョンピョンと跳ねて現れる。
「いやー、ハシルナも疲れましたのでご飯をもりもりといただいてしまいます」
と机の上に着地した白い物体は女の子の声で言った。
体長は二五センチくらい。全身に毛が生えていて、その色は白。鼻は桃色で、目がルビーのように赤い。小さな耳を興奮するように頭の上でピクピクと動かしながら料理を眺めている。
僕の視線に気づいたのか、白くて丸い生き物がこちらを向く。
「いやー、ハルさん。そんな熱っぽい視線を向けられるとハシルナは照れてしまいます」
「・・・・・・」
頬(?)を若干赤く染めて体から伸びた手(?)で顔を隠す姿勢をする白球体。
僕は何がなんだか解らなくて言葉が出ない。
「こら、ハシルナ。春幸さんを困らせてはいけないじゃないか」
「ええっ! ハシルナ、何か困らせるようなことしましたか!?」
優作さんの言葉に驚きを隠せない。
だが、すぐにハシルナと呼ばれた白球体は納得したように微笑む。
「わかりましたよ。ハシルナの可愛い姿に男性の方は困ってしまうんですね。・・・・・・可愛いというのも難しいものです」
「違うだろ」
とハシルナの頭をガシッとエディックが鷲掴みする。
「はわっ! 何をするんですか、エディ。ハシルナは何も間違ったことなど言ってませんよ!」
「こいつはお前が一体何なのか解らなくて困ってるんだ」
「ええっ! そうなんですか!?」
本当に驚いたように顔を歪ます。こういうのを世間では天然と言うのだろうか。
「困らせてすみませんハルさん」
「いや、気にしてないよ」
「ハシルナは――――――エディとカルアの子供です」
「ぶっ」
思わず吹いてしまった。
エディックも眉間に皺をよせてハシルナを掴む手に力を込める。
「いだだだだ――――――エディ、いだいでず!」
「だったらふざけるな。普通に答えろ」
「間違ったことなど・・・・・・わかりました! ちゃんと言います!」
エディックが睨んできたのに気づいてハシルナは慌てて叫ぶ。
「ハシルナはエディとカルアの守護神獣なんです」
涙目でハシルナは言う。
確かにそれならこんな丸っこい生き物がいてもおかしくはない。寧ろ、喋る神獣というのもいるんだな、と関心してしまう。
「へえ、カルアって神柱利器なんだ」
僕がそう声を漏らすとカルアは小さく笑う。
「違うよ。エディックの方が神柱利器だよ」
「え、でも・・・・・・」
僕はさっきのことを思い出す。
エディックは先程神器を出していた。しかし、あの大剣は半透明ではなかった。仮契約、もしくは神柱利器自身が武器を出した場合はその神器は半透明となって現れる。つまり、あれは正真正銘エディックの契約神器だ。
僕の考えを察してかエディックが言う。
「俺は二重契約してるんだよ」
二重契約。
神柱利器の自分と普通の神器の二つを、という意味か。
「そんなこと出来たんだ」
神器一つでモノによっては莫大な力を得ることが出来る。それも二つも契約している人に会うのはエディックが初めてだ。
「なあ、それって――――――」
「ねえ、早く食べようよ。ご飯冷めちゃう」
ティエルが僕の言葉を遮って言う。
そういえば、これから夕飯だということを料理を目の前にしながらも忘れていた。
「そうだ。そういう話はまた後でも出来るだろう。今はご飯を食べよう。私も腹が空いて仕方がない」
優作さんも苦笑しながら食事を促す。
「ハシルナもお腹ペコペコなのです!」
「そうだな」
「そうですね」
全員が席に座る。
そして、お決まりのように両手を合わせる。僕も慌ててそれを真似する。
「いただきます!」
全員が声を揃えて言った。
食事する時の挨拶。食事を作った人と食材を作った人への感謝を表す言葉。
こうやって大勢で集まって言うのはかなり久しぶりだ。
――――――今後のことを考えるのは後からにしよう。今は目の前の食事を楽しむことにする。
僕は一番近くの大皿に盛り付けてある料理を取って、頬張る。
「うまい」
異国でも、初めて会った人たちとでも、未来の世界でも、こうして団欒しながら食べる料理は特別に美味かった。