第24話:兄と呼ばれた男の記憶
真っ黒な世界。
音もなく、漠然と時だけが流れていく。
周囲を見渡しても、広大な黒い空間があるだけ。唯一見えるのは、自分の身体。
しかし、その身体も右腕以外が若干透けている。まるで、幽霊になった気分だ。
「僕は・・・・・・死んだのかな・・・・・・」
幽霊のような身体になった身体を見て呟く。呟いてみて、ひどく虚しくなった。
僕は兄である真堵の死によって暴走した《素戔嗚》を止めるために、《月讀》の力を全力でぶつけた。そのせいで僕の右腕は完全に共通義肢化してしまった。指先から肩の付け根まで生身の肉体でない感触が嫌でも伝わってくる。それでも、普通に動かせるから不思議だ。
僕や陽山、ミライに伊月さんを助けるために《月讀》に無理をさせたが、大丈夫だろうか。グリモワールを見ようとするが手が止まる。右腕――――――共通義肢以外全部半透明になっている。それは着ている服も同じだった。もし、手をポケットに入れようとして、服から貫けてしまったら――――――そう思ってしまうと確かめるのが怖かった。本当に身体が貫けてしまったら、僕は自分自身に死にましたと宣告しているようなものだ。
ふと、目の前の空間が、真っ黒な風景でもはっきり判るほど大きく歪む。水面が揺れるように徐々にそれは広がっていく。
波動が僕のところまで届いた時、風景が一変した。
「――――――なんだよ、これ・・・・・・」
さっきまでいた真っ暗な世界とは違うが、ここも闇に包まれた世界に変わりなかった。いや、それよりタチが悪い。
太陽はこの場の演出を上げるために隠され、立ち昇る炎と煙がここと外の景色を壁のように遮断する。
僕は地面に両手をついて嘔吐した。しかし、口の中からは何も出てこない。胃液さえも。荒い息だけが吐き出される。逆にこれは辛かった。
起き上がろうと、僕は口を押さえながら半壊した壁に手をかける。
この場所には強い臭いが充満していた。焦げ臭い――――――肉を焼くような臭いが僕の嗅覚を刺激する。目に映る光景は地獄としか言いようがない。床一面に崩れた天井や壁などの瓦礫に、窓ガラス――――――そして、夥しい死体が転がっていた。死体と呼んでいいのか判らないくらい損傷が激しく、どちらかと言うと肉片に近かった。
建物の壊れ方が尋常ではなかったが、間違いない。ここは四年前の僕と秋菜がいた空港だ。
手をついていた壁を見る。それは真っ赤な――――――血でペイントされた壁だ。
「うわあっ!」
僕は慌てて飛びのいて尻餅をつく。
途端に、グチョッと嫌な感触が伝わる。恐る恐る自分が座っている場所を見ると、焼き焦げて顔が判らなくなり臓器を腹から吐き出した死体がそこにあった。
「うわあああああああああっ――――――!」
僕は絶叫と共にその場から走り出した。
口元を押さえ、死体と死体の隙間から見せる床のタイルの部分を踏んで闇雲に駆ける。
これは――――――僕が体験しなかった出来事。体験出来なかった記憶。体験したくなかった過去。
どこを見ても、血と死体で溢れていた。
この地獄の中を中学生になる前の秋菜は体験したのか。この中を秋菜は彷徨ったのか。僕を助けるために――――――!
一秒でも早くここから出たかった。出口を求めて僕は足を止めることなく死体の間を抜ける。
だから、これを見るのは必然だった。
どれだけ走ったか分からない。空港の中心部分の広場らしき場所だったところに出ると、男が一人ぽつりと立っていた。
その男は修山学園の制服を着て困惑した表情を浮かべている。それは、鏡や写真でしか見たことがない自分――――――永峰春幸だった。今の僕と違ってそいつは透明ではなく、ちゃんと実体を持っている。
「お、おい――――――!」
僕は反射的にもう一人の僕に声をかける。声は広場に大きく響いた。
しかし、そいつは泣きそうな顔で唇を噛み締めてから、何かを探すように歩き出す。聞こえていないのか・・・・・・?
死体を踏まないように慎重に歩きながら彼は進んでいく。僕も黙ってそれを追った。
暫く歩いた後、それは向こうからやって来た。
血塗れの男の子を引きずって当てもなく彷徨う一二、三歳くらいの少女。同じように服や髪が血に染められているが、その様子から彼女自身が怪我をしたわけではなさそうだ。
何より驚いたのは、少女の目だ。彼女はこの地獄の中を僕やもう一人の僕と違う目をして歩いている。その目は何かを決意したように輝かせていた。この絶望の場所だからこそ、それはより一層強く思えた。
その目がもう一人の僕を捉えた。これも、僕の方には気づいた様子はない。
足の動きが早くなり、もう一人の僕の前までやって来て、言う。
「お願い――――――春幸を助けて! 弟なの!」
少女――――――永峰秋菜がもう一人の僕に懇願する。
つまり、あの男は四年前の真堵。いくら兄弟でも似過ぎではないか?
そんな疑問が浮かぶも、目の前の光景はどんどん進行していく。
「君は・・・・・・こんなところで何をしてるんだ?」
震える声で真堵は秋菜に尋ねる。
「春幸が死んじゃう! 助けてよ!」
「落ち着いて。まずその子を横にするんだ」
真堵は今にも嘔吐しそうな顔で床の死体を退けて、秋菜と同年代の僕を寝かす。
身体は真っ赤だが、出血はそれほどしていない。その殆どが火傷によるものだ。火傷によって赤が濃く黒ずんだ色へと変色しているところさえある。皮膚が切れたような傷も焼いて塞いだように奇妙な痕になっていた。
未だに出血をしているのは右目くらいで、ポタポタと血が垂れている。前髪で隠れて見えないが、おそらく眼球が潰れているのだろう。すでに死んでいてもおかしくない体だが、春幸は微かに息を吐いて胸を上下させている――――――生きているのだ。
思わず目を背けたくなる身体を前に、出血している部分に真堵はシャツを破って包帯代わりに傷口を押さえる。だがそれもすぐに真っ赤に変色する。
「・・・・・・ダメだ、血が止まらない」
「病院は? 救急車は? 他には誰もいないの!?」
「悪いけど救助もすぐには期待できない。連絡手段も持ってない・・・・・・」
弱々しく呟き、それから意を決したようにポケットから小箱を取り出す。《月讀》のグリモワールだ。
「おい! 聞こえるか!」
真堵が春幸の頬を叩く。
「目を覚ませ! そうすれば助かるんだ!」
「ちょ・・・・・・何してるの!?」
秋菜が真堵の手を慌てて止める。
春幸は目を覚ますどころか顔色が更に悪くなったように見える。
「ダメか・・・・・・」
「何やってるの? 助けてくれるんじゃないの!?」
取り乱して秋菜は真堵に食って掛かる。
それを気にすることなく真堵は言う。
「・・・・・・そういえば、君は怪我してないみたいだけど、どうして?」
「今はそんなこと・・・・・・!」
「大切なことなんだ! 教えてくれ!」
ふざけているわけではない、真面目な訴え。
それに圧倒されて秋菜がモゴモゴと口を開く。
「何か・・・・・・爆発が起きる直前に誰かに呼ばれて、契約しろ契約しろ――――――ってうるさいから・・・・・・わかったから黙って、って答えたら目の前が真っ白になって――――――」
「・・・・・・それでか」
秋菜が言い終わる前に真堵はショックを受けたように呟いた。
そして、声を絞り出すように真堵は問う。
「神器の名は?」
「これのこと?」
そう言って秋菜は手に自分の身長以上の刀を出現させる。見慣れた半透明の長刀。
「『布都霊』って言ってたけど、それがこれの名前なの? 透明だし、刀なのにすごく軽いよ」
「『布都霊』・・・・・・」
過去に雷神と契約したことのある霊剣。
この神器が秋菜の命を救った。
真堵は思い詰めたように顔を歪めながら何かを考えている。秋菜は『布都霊』から目を離さない真堵を不思議そうな顔で見ていた。やがて、重い顔を上げる。
「・・・・・・・それの使い方は解るか?」
「うん・・・・・・不思議だけど、どう使えばいいのか自然と解っちゃうんだよね。刀なんて――――――初めて持ったのに」
「それで春幸を助けよう」
「え、出来るの? どうすればいいの!?」
秋菜が飛び入るように真堵に詰め寄る。
「これに君の魂の一部を渡せ」
真堵が秋菜にグリモワールを手渡す。
「何これ?」
答えが返ってくる前に箱が開き、漆黒の影が飛び出す。それはやがて鎧を纏った巨人となり、秋菜たちの前に跪く。そして、鎧の胸部分が開いて装甲よりも濃い漆黒の結晶が露になる。中には闇だけ広がっている。
「これに君の魂の一部を渡せ」
真堵がもう一度同じ言葉を繰り返す。
その意味が解らず秋菜はキョトンとしている。
「これに――――――《月讀》に君の魂を生贄にして春幸を助けるんだ」
“生贄”という単語を聞いて、秋菜がビクッと怯えるように肩を揺らす。
「勘違いしないでくれ。別に春幸の代わりに君に死ねと言っているわけじゃない。『布都霊』を使えばなんとかなるんだ」
「この刀を・・・・・・?」
信じられないというように自分の刀を見下ろす。
「その剣で君の魂の一部分を切り離して《月讀》に渡してほしい。そうすれば、春幸は助かる」
「切り離す? 魂って切り離して平気なものなの?」
そもそも、“魂”という言葉に疑問は抱かないものなのか。
当時はまだ中学生になる直前だったから幽霊くらい本気で信じていたのかもしれない。もしくは、『布都霊』による魂の知識か。
「一部分なら、問題ない。だが、君に切り離してもらうのは記憶の部分だ」
「記憶?」
「生まれてから今この時までの記憶を切り離して、それを《月讀》の生贄にする」
「記憶を犠牲にしたら・・・・・・私、どうなるの?」
秋菜が震える声で真堵に訊ねる。
「今まで体験してきた思い出を全て忘れる。友達や家族。楽しかったことや辛かったこと・・・・・・・全て。もちろん、春幸のこともね」
「そんな・・・・・・」
秋菜が動揺して視線を下にする。刀を握る手も怯えるように震えている。今までのことを全て忘れるのは、一二歳の秋菜にはとてつもなく辛い選択なのだ。怖くない筈がない。
苦しむ春幸を眺めてから、数秒。秋菜は意を決したように顔を上げる。
「春幸を助けてから、記憶を取り戻す方法はある?」
「ない。《月讀》は魂を動力源としているし、そこから再び魂を取り出す方法は未だに見つかっていない」
「――――――今は、ね」
「え?」
秋菜の予想外な言葉に真堵が呆気に取られる。
そんな真堵に気づいた様子もなく秋菜は『布都霊』の刃を胸に当てる。
「今は解らなくても、いつかは見つけるんでしょう?」
「そ、そのつもりはあるけど・・・・・・」
「だったら、いいよ。その話に乗る。どうすればいいのか教えて」
さっきとは反対に落ち着いた口調で秋菜は言う。
あまりに決断が早すぎて逆に真堵の方が驚く。
「本当にいいのか? もう戻れないかもしれないんだぞ? 例え戻っても、使った分は取り戻せない」
「私だって嫌よ。今までの思い出や家族を忘れるなんてことしたくないし、記憶を失った後の自分を想像しただけでゾッとする。すごく不安。でも――――――」
秋菜は視線を下ろして寝ている春幸を見る。
「春幸は今苦しんでるの。今もこうして必死に生きようとしている。だったら、迷ってる暇なんてないじゃない」
「・・・・・・それが、君の選択か?」
「私は春幸を助けたい。この想いに嘘はない」
強い決心を抱いて言う。
言って、秋菜は『布都霊』で自分の身体を貫く。突いたと同時に刀は身体に溶け込むように消える。
ビクッと一度だけ痙攣して膝をつく。そして、その身体から透明の体が出て来る。
透明な少女は若干の不安を帯びた顔で尋ねる。
「この子ってどうなるの?」
永峰秋菜の記憶を失った彼女の肉体は抜け殻同然だった。その内目を覚ますだろうが、彼女は既に永峰秋菜ではない。永峰秋菜の姿をした別人だ。そうでなくとも、秋菜の体は神柱利器化しているので、そのまま永峰家に帰すのはそれはそれで危険だった。
「僕が責任持って面倒見るよ」
「やっぱり、永峰の家族には行かないのね」
透明の彼女は憂いに近い表情で自分だった者を見下ろす。
「厳しいことを言うようだけど、これは君の選択だ」
「わかってるって」
冗談だよ、と笑って誤魔化し、浮いた体を《月讀》の方へと向ける。
「この中に入ればいいの?」
「入るだけではダメだ。入る時に春幸を助けたい――――――力になりたいと強く望むんだ」
「わかった」
そう言って躊躇いなく《月讀》の魔器へと近づいていく。手を伸ばし、触れようとする。
その直前。思い出したようにこちらに振り返る。
「そうだそうだ。折角だからその子に名前付けないと」
「名前?」
「そう。どうせ私の名前なんて使わないでしょう? だから、私がつける。そうね・・・・・・名前は秋名未来。秋風の秋に、名前の名で秋名。未来はそのまま。やっぱり決意は形にして残さないとね」
「意味は?」
「『秋菜の名前を未来に取り戻す』。それを略して秋名未来――――――いい名前でしょう?」
おどけるように微笑む。
「ああ、良い名前だ。彼女に伝えておくよ」
「お願い」
今度こそ、魔器に触れようとした時、
「最後に僕からも――――――どうして信用した?」
「どうしたの急に?」
「だっておかしいだろ? 君の都合のいいように現れて、思い通り――――――とはいかないが、君の望みを叶える術を提供するなんて怪しいと思わないか?」
普通ならこんな場所でいるだけで狂ってしまいそうだ。それだけでなく、秋菜は自分の体が根本的に変化しているのだ。魂やら神器やらと言ってきて、更には《月讀》のような漫画にしか出てこないような巨人を出しても真堵を受け入れている。本来なら疑心暗鬼になってもおかしくないのに。
「不思議な人だとは思ったけど、疑うことはなかったよ」
「どうして?」
「だって、お兄さん。顔も雰囲気も春幸にそっくりだよ?」
「え?」
真堵は何を言われたのか理解出来ないように口をぽかんと開ける。
「春幸ってね。嘘つくがすごく下手なの。それだけじゃなくて、思ったことが顔にすぐに出てくるんだよ」
楽しい思い出を語るように透明の彼女は言う。
「あなたもそう。私に会った時からずっと泣きそうな顔してるよ。嘘つく余裕もなさそうだし――――――寧ろこっちが心配しちゃう感じ? お兄さん、大丈夫?」
「・・・・・・大丈夫だよ」
真堵は年下の女の子に心配されて少しムッとなる。
「むくれないむくれない」
「・・・・・・」
秋菜がからかうように言って、真堵が黙る。まるで、昔の僕と秋菜を見ている気分だ。
「それじゃ、行くね。その子と春幸をよろしく」
「ああ、任せておけ」
秋菜が《月讀》の魔器に触れる。
すると、吸い込まれるように秋菜の体が魔器の中へ入っていく。全身が入ると同時に鎧が魔器を覆う。そして、横になった春幸を中心に魔法陣が生まれる。闇色に輝いた魔法陣は春幸の身体を癒していく。火傷が治り、他の切り傷も塞がる。潰れた右目は漆黒に発光して形を作っていく。共通義肢化しているのだ。
しかし、
「――――――っ!?」
真堵の体から蒼黒色の腕が出てきて、手にしていた剣で魔法陣を斬り裂く。
治療中に魔法陣が破壊されたため、春幸の治癒が中途半端に終わる。
一瞬、何をいきなり、と思ったが、すぐに真堵の意図が解った。こんな被災地を無傷で生還したらどうなるかは僕でも想像がつく。だから、真堵は体に傷が残らない程度に治癒をしたのだ。後は病院で治療を受ければ自然と完治していく。共通義肢の右目は義眼と医者に説明させれば誰もが信じるだろう。
「《素戔嗚》」
それらを見届けた真堵は自分の巨兵魔器を呼ぶ。
蒼黒色の巨人が現れ、春幸とミライ、真堵を両腕で包み込む。更に背中の翼を広げると、彼らを闇が覆う。その闇は徐々に大きくなり――――――僕の視界も奪う。
視界が闇から解放されると、今度は明るい場所に出た。
二つあるベットにベランダ付きの広い一室。テレビや冷蔵庫、隅には机と椅子が置かれている。もう一つ小さな空間があるが、あそこはおそらくトイレとバスルームだろう。部屋をパッと見ただけでも、ここが一泊数万とかの高級ホテルの一室であることが解る。
そのベットの上に少女が寝ていた。上半身だけ起こして、虚ろな目で正面を見ている。見ている先は何もない壁で、見ているというよりはただ顔がそこに向いていると言った方が正しいかもしれない。
不意に、部屋のドアが開いた。現れたのは修山学園の制服を着た真堵だ。
虚ろな少女に気づいて真堵は笑顔を向ける。
「やあ、やっとを覚ましたね」
「・・・・・・」
少女は答えない。ただその虚ろな目を壁から真堵へと向けるだけ。
「初めまして。僕の名前は上条真堵って言うんだ」
「まさ、と・・・・・・」
少女は弱々しく真堵の名を呟く。
「うん。それで、君の名前は秋名未来。解る?」
「それが・・・・・・私の、名前・・・・・・」
「そうだよ。それで――――――」
真堵は言いかけてから口を閉ざす。
虚ろな少女の目に透明の液体が溢れる。更に両手で自分の肩を抱く。息も荒くなり、震えるように顔を俯く。怯えているのだ。名前を聞いても自分が何者なのか解らない。その不安が今この形で出ている。
「今日はこれだけにしておこう――――――疲れただろう。今日はもう休むといい」
そう言って立ち上がる。しかし、その手をミライは抱きつくように掴む。
「ど、どうしたの?」
ミライのいきなりの行動に真堵は動揺する。ミライは質問に答えずにただ震えている。
「わかった。君が寝るまでここにいるよ」
真堵はミライを横にして布団を掛ける。片手で近くに置いてあったリモコンを手する。もう片方はミライの手を握っている。
「おやすみ――――――ミライ」
真堵はリモコンで電気を消した。
再び景色が変わる。
今度はホテルの廊下だ。壁も床もピカピカで、更に床にはその上に長い絨毯が敷かれている。部屋と部屋の間には高価そうな花瓶に綺麗な花が活けてある。潔癖症のように清潔な場所は僕にはあまりにも場違いで、すごく居心地が悪かった。
そんな場所に真堵が立っていた。
さっき見た時と比べて若干成長している。そして、それは修山学園に現れたのと同じ姿。水無瀬薫瑠に撃たれて死んだ上条真堵がそこにいた。
新品のようなドアの前で時計を見ながらそわそわとしている。
「入っていいよ」
ドア越しに明るい声が聞こえる。
ホッとするように真堵はドアをカードキーで開ける。ドアが閉まる前に僕は部屋に入る。ホテルのドアはオートロックが基本だ。
「どうどう? 似合う?」
部屋の真ん中で黒髪の少女がはしゃいでいた。露出の多いコスプレとも取れる黒巫女姿で。僕が初めてミライに会った時の格好。そして、それを着る少女は僕の知る秋名未来だった。
「ああ・・・・・・似合うよ」
圧倒されたようで呆れたような顔で言う。
ミライはそれに対して、
「ありがとう! 最近の日本人は皆こんな格好してるのかぁ」
と日本人のくせに間違った日本の知識を披露している――――――かなり痛い子になってる。外国からは日本ってこんな風に思われたのか。未だに侍とか信じてる人もいるくらいだもんな。
「いや、そんな日本人いないから。秋葉原にでも行けば会えるかもしれないけど」
「じゃあ、マサトさんの趣味? 四年間ずっと暮らしてたけど、全然気づけなかった」
ミライが素で驚いた。
それ以前にこの二人一緒に暮らしていたのか。
確かに部屋にはさっき見た時よりも物が増えていた。隅の方に服が数着掛けてあり、それは男物も女物もあった。どうりで男の僕と二人で暮らすのに抵抗がなかったわけだ。
「そんなわけないだろ。それは僕の知り合いが用意したものだ」
「本当に? サイズもぴったりだよ? こんなに正確に測るには私の寝込みを襲うしかないんじゃないかな?」
「僕を変質者にしたいのか。サイズなら検査の時に何度も測っただろ」
「そうでした」
とミライはからかうように舌をちょろっと出す。
「そろそろ時間だけど、忘れ物はないか?」
「大丈夫大丈夫。これを弟君に渡せばいいんでしょう?」
長い袖から箱を取り出す。見覚えのある小さな箱だ。
「ああ、頼んだよ」
「わかった。任せて」
そう言ってドアに向かおうとする。ドアを回す前に思い出したように振り返る。
「ねえねえ、次っていつ会えるの?」
「そのうち会えるさ」
曖昧に微笑んで真堵は答える。
それがすぐに会えないことを意味しているのが判ったのか、ミライは少し寂しそうな顔をする。
「見送りに行けなくて悪いな」
「いいよ。マサトさん忙しいの知ってるし。ずっと我が儘たくさん聞いてもらったから、これくらい平気。うん・・・・・・今まで感謝してる」
「心気くさいのは無しにしようぜ。最後のお別れってわけじゃないんだから」
「そ、そうだよね――――――あはは。何言ってるんだろう、私・・・・・・それじゃ、いってきますっ!」
照れたように顔を赤らめて、それを誤魔化すようにミライは部屋を飛び出していった。
「・・・・・・いってらっしゃい」
閉じたドアに向かって真堵は静かに言う。
部屋に静寂が訪れる。
ここでまた違う映像になるかと思ったが――――――
「どうだった、俺の記憶は?」
「え?」
真堵が僕の方へ振り返り、わざとらしく笑い掛ける。
「パスポートも持たずにどうやって日本に向かったんだ?」
僕の反応を無視してテレビの上に置かれた赤い手帳のようなものを持ち上げて問い掛ける。
僕がまだ中学に上がる前にも見たことがある。パスポートだ。
「箱詰めにされて荷物として届いたぞ」
「へえ、そうなんだ」
自分から訊いておいてあまり興味がなさそうに言う。どことなく緊張しているようにも見える。
「まあ、座れよ」
僕は言われるがままに座ろうとするが、
「おも・・・・・・」
椅子を引こうにも重たくて動かせない。まるで、地面に固定されているかのようだ。
「それは動かないよ」
「なんでだよ」
中々椅子を引けない僕を面白そうに見ている真堵に対して、苛立った声で答えた。
「ミライを送り出した時にその椅子が動かされた記憶はないからね」
「どういう意味だよ」
「ここは記憶の世界なんだ」
「記憶の、世界?」
そういえば、見た三つの光景は全て過去のモノだった。
過去に起こった僕の知らない記憶。
その記憶は――――――
「これは俺の記憶――――――例えるなら、お前は『上条真堵の記憶』というタイトルのビデオを観ている視聴者だ。だから、触って感じることは出来るけど、それを動かすことは出来ない」
「はあ・・・・・・それで、こんなのを僕に見せてどうしたいんだ? っていうか、あんた死んだんじゃなかったのか?」
上条真堵は水無瀬薫瑠に撃たれて死んだ。
それはこの目で確認しているし、消滅した瞬間も見た。でも、こうして話をしているということは何らかの方法で助かったということか。ということは、《素戔嗚》が暴走したと思ったアレも真堵の作戦だったというのか?
つまり、僕は助かった。あの闇は僕たちを逃がすためのモノ。そう考えるならこうして僕がのんびりと真堵の記憶を見せられているのも説明がつく。陽山たちも今はどこかで休んでいるのかもしれない。
そう思って安堵しかけると、
「そうか・・・・・・俺は死んだのか」
複雑な顔で真堵は小さく呟く。
「まあ・・・・・・当然だな。俺がこうして記憶を見せている時点で結果は解ってた」
泣きそうなのか呆れているのか判らない表情で苦笑する。
「一人で勝手に納得してないで説明しろよ」
「お前が見た記憶は、俺の死――――――もしくはそれ以外の何らかの形で《素戔嗚》との契約が切れた場合に見せるように仕込んでおいたんだ」
「何のために・・・・・・?」
確かに見せてもらった記憶は貴重なものだったが、死んだ時のための保険にしては理由が足りないような気がする。もっと何か伝えなければならないことはあるのではないか? 世界の崩壊の原因とか、巨兵魔器が生まれた理由とか――――――他にも色々話すことはありそうなのに、敢えて今回の記憶を選んだのは何故だ?
「この記憶は俺しか知らない。つまり、俺にしかお前に教えることが出来ない。他にも伝えないといけないことは山ほどあるが、それは別の人間がやってくれるだろ。だから、敢えてこの記憶にした」
「三つしか見せてもらってないけど、他には何かないのか?」
「他にもあったんだけどな。お前の脳内の記憶力が低いからこれが限界だった」
「・・・・・・悪かったな。頭が悪くて」
「自覚があるのは良いことだ」
皮肉を込めて真堵は言う。
僕はムッとなって睨み返すが、反応は変わらない。
「そんなことを言うために、こんな手の込んだことをしたのかよ」
「今の俺の役目は過去の記憶を伝えるだけだよ。これで役目は終わった。でも、消える前に俺に訊いておくことがあるなら答えてやる。これが最後になるぜ」
「あんた、本当は何者だよ」
僕の質問に真堵の顔が歪む。
「俺は――――――僕はお前だよ。春幸」
予想通りの答えが返ってきた。
消滅の直前のやり取りで僕はそのことに気づいた。伊月さんは真堵を“春幸”と呼んだ。そして、真堵は伊月さんのことを“沙月”と言った。彼らは滅んだ未来から来た数少ない生き残りなのだ。見せてもらった過去の記憶で、鏡で写したようにそっくりな僕が出てきたのがその証拠である。
「僕の本名は永峰春幸。《素戔嗚》の機能で時間を遡ってきた未来人だ。驚いたか?」
「別に・・・・・・じゃあ、どうして未来の僕が兄貴なんてやってるんだよ」
ていうか、どうやって僕の本当の兄貴と入れ替わった。実は本物は両親と一緒に事故で死んでたのか?
「僕の共通義肢の能力は記憶操作だ。お前の記憶を弄って実在しない兄を存在させたのさ。ガキには負担が大きかったせいか、能力を使った時以前の記憶が消えちまったけどな」
初めてだったからうまく使えなくてな、と苦笑する。
だから、僕は自分の旧姓を思い出せないのか。なんてことしてくれるんだ。お陰で一時期本気で自分が心配になったぞ。
伊月さんが僕を見て笑っていたのはこれが理由。彼女の共通義肢なら真堵がうっかり僕の記憶を消してしまったことも見ていた筈だ。
「おっと、時間切れだ」
真堵の身体が僕の体のように透明化し、若干淡く光っている。
「何で体が・・・・・・もしかして僕も・・・・・・!」
もしやと思って自分の身体を見るが、変わった様子はない。相変わらずの半透明姿だ。
「幽霊の相手が出来るのは同じ幽霊、もしくはその力を持っている者だけだよ」
「幽霊って・・・・・・」
目の前にいる真堵が過去の記憶を伝えるための存在だとしたら、確かに幽霊かもしれない。実際に彼は死んでいて、それによって起動するようになっているとさっき説明してくれた。
「だから、春幸にはこちらに合わせてもらった。心配しなくても、目が覚めれば体は元通りになるよ」
「あんたは、どこに行くんだ?」
「死んだ者の行き先は決まっている」
どこに行くのかすでに解っているように真堵は上を見上げる。そこには真っ白な天井しかない。おそらく僕には見えない、もっと遠くを見ているのだろう。
「目が覚めたら、鳴海梓を訪ねるといい」
突然に真堵が言う。
「鳴海さん?」
ここで予想外な人の名前が出てきた。
陽山家によく出入している女性。陽山と姉妹のように仲が良いあの人の名前が、どうして真堵の口から出てくるんだ?
「梓さんは神柱利器の――――――魂と武具の結合について調べていた。魔器の動力を魂にするシステムは彼女の研究が大きく影響している。代々陽山家に伝わる『焔迦』もまた彼女の研究対象だから、沙月の家に行けば会えるだろう」
「『焔迦』も神柱利器なのか?」
「“だった”というのが正しいね」
「どういうこと?」
「神柱利器の神器は宿主が死んだ場合、他の誰かと契約してなければ別の人間へと転移する。しかし、他の人間と契約している場合は唯の神器として現世に留まる」
陽山が一時期『焔迦』を使うのを躊躇っていた。そのせいで『焔迦』は仮契約状態になってしまった。そして、藍葉祐哉はその『焔迦』を奪おうとしていた。
もしかしたら、二人の仲が悪くなったのと関係があるのかもしれない。
「それじゃ、頼んだぜ。春幸」
最後にそう言い残して、真堵の身体が完全に消えた。
「兄貴――――――!」
僕は真堵――――――もう一人の僕が去っていった場所に向かって叫んだ。
まだ訊きたいことは沢山あるのに――――――!
そんな願いも虚しく、僕の視界が真っ白に包まれた。