第21話:出会った彼女は同じ人(2)
「春幸くんは世界が滅びることについてどう思う?」
隣を歩く伊月さんが僕に問い掛けてくる。
オープンカフェを出た僕らは目的もなく街中をぶらりと歩きながら話をすることになった。話をするだけならそのままカフェでいいと思うのだが、彼女は何故かそれを断って会計を済ませた。
今の伊月さんは束ねていた髪を下ろして、荷物の棒の包みを肩に背負っている。座っていた時は分からなかったが、隣に並ぶと若干僕よりも背が高い。
そして、何よりその容姿が僕の同級生で友人の陽山沙月に瓜二つだ。といっても、彼女は陽山より少し年上に見える。大学生だろうか?
この状況は街でうっかり知り合いに見られれば陽山とデートしていると勘違いされるかもしれない。まあ、さっきはあまりにも似ていたせいで驚いたが、今の彼女はファッションなのか赤縁の眼鏡を掛けているため、パッと見ただけでは陽山とそっくりとは分からないだろう。
しかし、眼鏡を掛けたところで彼女が美人であることは隠せない。知り合いに会わないことを祈るばかりだ。
「分かりません。今でも、それが本当なのか疑っているくらいです」
今日訪れた全生徒会に十世戒教団に言われた“五年後に世界が滅びる”ことについて訊ねると全員がそれを肯定した。だが、内容だけは何故か渋って教えてもらえなかった。
「それが普通よね。でも、これは現実よ」
「どうしてそんなことが解るんですか?」
この質問は以前に教団に訊いているが、その時は意味が解らなかった。
「五年後の未来に世界が滅ぶ直前にその時の生き残りが現代に来たからよ」
教団以上に理解不能だ。何を言っているんだ?
「あ・・・・・・言い方が悪かった? えっと、ね。五年後の未来から過去である現在に跳躍――――――つまりタイムスリップしたの」
伊月さんが奇妙なジェスチャーと共に説明してくれる、
未来の科学ではそんなことが出来るのか、と考えていてハッとする。
「巨兵魔器の機能・・・・・・!」
教団は巨兵魔器が世界の滅亡を防ぐために送られたものだと言った。
未来から来た。つまり、時間跳躍。
その機能を持った巨兵魔器が存在するのだ。
「正解。五年後の未来の生き残りは巨兵魔器を使って現在にタイムスリップした」
「何のためにです?」
そんな技術があったのなら、どうしてタイムスリップする必要があるんだ。自然も時間も変えることが可能な巨兵魔器を作る技術があれば世界の滅亡は回避出来たのではないのか?
「勿論、やり直すためよ。このままだと五年後に世界は同じように滅ぶ。過去に消えた五年後の未来では全て揃った時にはもう手遅れだったから」
「手遅れ?」
「滅亡を防ぐことも抑えることも完成させた時には不可能な状況にあった。人類が世界の寿命を知ってからそれを回避するための準備に時間を掛け過ぎたのよ。だから、やり直すことを選んだ」
それは何て辛い選択だろう。
この世界が完全に崩壊しないために一部の人間と巨兵魔器という技術を過去に送った。
多くの命を犠牲にして。
そして、新たな犠牲を生まないために。
「時間は無限に流れるけど、世界の寿命には有限がある」
静かに伊月さんは詠うように言う。
「――――――だから、その時が来るまで精一杯この世界と共に生きよう。自分たちと、後世の人々が幸せであるために」
「何ですか、それ?」
言い終わってから僕は伊月さんに訊ねる。
「世界を再びやり直すことを立案し、それを選択をした男の言葉よ」
伊月さんはどこか懐かしむような遠い目をする。
気になったので思い切って訊いてみた。
「誰なんですか。その人?」
「上条真堵。あなたのお兄さんよ」
「へ?」
ここで意外な人物の名前が出てきた。
何年も前に僕から姿を消した行方不明の顔も思い出せない兄貴。
ていうか、
「何で苗字が上条なんですか?」
「何を言っているの? 自分の旧姓じゃない」
「え?」
姓。
永峰家の養子になる前の自分の苗字。
考えてからあれ? と思う。
いくら自分が小さな時に養子になったとはいえ、自分の元々の苗字を忘れる筈がない。施設で秋菜と出会って遊んだ記憶があるように、事故で本当の両親を亡くす前の思い出を微かでも憶えている筈だ。
だが、僕には両親の記憶がない。兄貴の顔が思い出せないように、いたことは解るのに両親の顔も名前も分からない。
子供が両親を突然亡くしたショックでその時の記憶を忘れてしまうことは心理的には十分有り得る。しかし、それも一時期であって、高校生までずっと消えるとは思えない。実際に僕は両親が事故で死んでいることを知っている。
それでも、自分の名前を忘れるのはおかしい。それこそ記憶喪失にでもならなければ忘れる筈がない。
「本当に僕の旧姓って上条なんですか?」
「あれ? もしかして違うの?」
「いや、分からないんです」
「はい?」
そう言われても仕方ない。自分でもそう思う。
簡単に説明すると伊月さんはやや顔を顰める。
「ちょっとごめんね」
そういって伊月さんは僕の頭を鷲掴みする。
そして、顔を近づけ、僕の目をジッと見つめる。
「――――――なるほどねー」
と五秒くらい僕の目を見てから自分だけ納得したように顔を上げる。
「何がなるほどなんですか?」
「どうしようかなー」
勿体振って彼女は言う。
何故か遊ばれている。
「何が解ったんですか? その共通義肢で」
「やっぱり気づかれてたか」
わざとらしく驚いた顔をして僕を見る。その精巧な義眼の左目が。
「私の共通義肢の機能は過去視なの」
あっさりと自分の共通義肢の告白をする。
「過去視って・・・・・・相手の過去を視ることが出来るんですか?」
「そうだね。春幸くんの未来視は三秒だけど、私の場合は何十年前のも解るの」
僕は素で驚いた。
「当然の反応ね。でも、これは当然の結果でもあるの」
「どういう意味です?」
「それが世界の理ってこと」
全く解らない。
そんな僕の様子を見て伊月さんはくすっと笑う。
「それにしてもあれから結構歩いたわよね」
「え・・・・・・ああ、はい」
オープンカフェで出会ってから確かに随分と時間も経った。
今いるのは街中の人通りが多いところを抜けた少し寂びれた路地。実際にこの道を歩いているのは現在僕ら二人だけだ。
「じゃあ、教えてあげる」
唐突に。
本当に突然、それは来た。
伊月さんの言葉と共に彼女の体から白い蒸気が上がった。それは一瞬で白い巨大な腕と成って拳を僕に向けて振るわれる。
「《月讀》っ!」
考えるより先に自分の巨兵魔器を呼んだ。
グリモワールが開き、そこから漆黒の亡霊が腕だけを出し、向かってくる拳に闇を纏った拳をぶつける。
漆黒の拳と純白の拳がぶつかる。
音も衝撃もない。
代わりに僕の見ていた風景が一変した。
そこは奇妙な場所だった。
ドーム球場以上に広大な施設の内部。
その内部に並んでいるのは巨大なカプセル型の水槽。十メートル以上ある天井に届く程の巨大なカプセルには人が入っていた。
西洋の騎士や日本の武士を連想させる鎧。
その手に握られた武器であろう剣や槍。他に色々あり、持っていないのもちらほら見える。
それらの独特のスタイルを持った巨人の腹が開いている。そこから見えるのはこの世のものとは思えない美しい結晶。様々な色の結晶が鎧の中で怪しく光を放っている。
更にその結晶の中に人が確認出来る。透き通った肌はまるでホログラムで映し出されたようだ。不思議なことにどんな色の結晶の中でもその薄い体ははっきりと見る事が出来た。
「ギリギリ、間に合いましたね」
背中を向ける彼女に僕は言った。
「本当の意味では間に合ったとは言えないけれどね」
こちらに顔を向けることなく、彼女は答えた。
彼女の視線は目の前に並ぶ三つのカプセル。他のカプセルと違ってこの三つだけは少しだけカプセルの形が異なっていた。それだけでこの三つの中に入った巨人が特別であることがなんとなく伝わってくる。
彼女が見ているのはその中の中央。三つの内唯一空となったカプセルだった。
微笑ながら振り返った彼女は僕に言う。
「社会や宗教において禁忌はいくつも存在するわ。しかし、この世界においてのタブーはたったの三つしかない」
少し意外な考え。それに、面白い発想だと思った。
人は自分たちに対して法律という名のルールを掲げているが、僕ら人間が住むこの一つの世界に対してはそんなルールは存在しない。そもそも、今回のようなことがなければ、どの学者も世界のことなど深刻に考えることはなかっただろう。数年前までは地球温暖化で頭を悩ませていたというのがひどく懐かしい。
「その三つとは何ですか?」
半分好奇心で質問する。
「時間の流れを変えること、未来を視ること、そして――――――世界を識ること」
「どれも今までの人類には出来なかったことですね」
その三つは世界が歪んで初めて識ったことだった。
世界の状況にその事実。それらから得た力。
そこから導き出された答え。
「どうしてそれが世界に対しての禁忌なんですか?」
「時間の流れを変えることは川に流れる水を止めることと同じよ。流れる筈だった水が塞き止められ、辿ることのない道を行くことになる。そして、塞き止められた場所はやがて決壊する」
「それが崩壊」
「そう」
彼女はよく出来ました、とからかうように笑う。
正しく流れる筈だった時間が何らかの理由で変えられれば、本来の有るべき歴史が無かったことになってしまう。それこそ、これからも続く筈だった世界が突然消えてしまうくらいに。
続けて彼女は言う。
「未来を視ることも同じ」
これから自分に起こることが解っていたとすれば、誰もが楽な道を進もうとする。本来、苦労や努力をして得るものを簡単に手に入れてしまう。つまり、流れ着いた先の未来が大きく変化してしまうということ。
「世界を識ることはこの世界の入口に踏み入れた時点で影響がある」
表情を変えずに彼女は言う。
世界の入口。
そういう解釈も出来るのか、と僕は関心する。
「三つとも、世界が崩壊し始めてから解ったことなのに、どうしてこんなことになっているんでしょうね」
「その三つ以外にも何か人が触れてはいけないことがあるのか、もしくは全く別の要因があるのか――――――私には解らないわ」
申し訳なさそうに彼女は首を振る。
どちらにしろ、世界の終焉まで僅かしかない。
世界が終わる原因を今突き止めたところで、それを阻止する方法が解らなければ意味がないのだ。
「修山は、何て言ってたんです?」
僕は彼女に訊ねる。
もう既にこの世にいない女性の名前を口にした時、彼女の表情が哀し気に曇る。
「彼女はこの世界がもうすぐ捨てられると考えていたわ」
「・・・・・・捨てられる?」
彼女の答えに僕は首を傾げる。意味がよく解らない。
「この世界を神が管理して、その神が私たちの住む世界を要らないと判断した結果が現在の状態だと言っていたわね」
内容の意味が理解出来ていない僕のために彼女が補足を入れる。
神。
本当にいるかも疑わしい存在だが、それは神器が証明している。世界の各地に保管や保持され、日本にも数多く残されている。
「彼女らしい考えですね。それが正しければ、対処はすごくシンプルになります」
この世界を掌握している存在がいるなら、そいつを止めればいい。
しかし、残念なことにそれを確認する術も時間も今の僕らにはない。
「そんなことをしなくても、世界が崩壊するきっかけそのものを消してしまえば問題はなくなる。つまり――――――」
「その歴史を変える」
彼女の言葉を引き継いで言った。
世界が消える明確な理由があるのなら、それが出来た原因そのものが起こらない歴史にしてしまえばいいのだ。
未来を視るのは駄目だが、過去を視ることは問題ない。
何故なら、それは既に終わってしまったことだから。過去の歴史は様々な形で現代に残されている。例えば、幼い頃に撮ったホームビデオも過去を見ることに含まれるのである。
過去に飛んで歴史を変える分も問題ない。さっきの彼女の例を借りるなら、川の流れに沿って新たな道を作っていけばそれは自然なやり方であると言える。脱線して片寄った歴史になった場合は今よりも最悪の事態になる可能性もあるのだが、目的を忘れなければ大丈夫だ。
「そのためにこれを作ったんですよね? たくさんの犠牲を払って」
僕は正面の二体の巨人を見上げる。
その開いた腹の部分は鎧と同色の結晶が見えている。他の巨人と違って結晶の中には何も入っていない。このままでは唯の人形だ。
対して残りの巨人には人が入っている。巨人の動力源である人間の魂が。
「案を出したのはあなたよ?」
「わかってます。その責任は僕なりに取るつもりです」
微笑みながらそう答える。これは僕なりの強がりでもあった。
すると、僕の視界が赤く染まる。
部屋内部全体が真っ赤に覆われ、耳を押さえたくなる程の警報が鳴り響いた。同時に建物の外で爆発音らしき轟音が聞こえる。
非常灯。
それはここが襲撃されていることを意味していた。この部屋にいる者で騒いだりする人間はいない。全員覚悟が出来ているのだ。口で簡単に言うことの出来ない大きな覚悟が。
その一人である彼女が真剣な顔で言う。
「今なら、止めることも出来るわよ」
「・・・・・・」
その言葉に答えることなく彼女に近づく。
今ここで止めれば、犠牲になった者たちの命が全て無駄に終わる。それは彼女にだって当然解っている筈だ。だから、これは彼女なりの確認だろう。僕が本気であるか否かの。
「グリモワールを」
そういうと彼女はポケットから小箱を取り出す。
掌サイズの小さな二つの箱。僕が用意して、彼女に預けた大切なもの。本当は違う入れ物を使う筈だったらしいのだが、無理を言ってこれにしてもらった。
その中の一つを取って僕は自分のポケットに大切にしまう。
「・・・・・・一つだけ?」
二つとも受け取らなかったことに彼女は疑問の表情を浮かべる。
「《月讀》だけ持っていきます。《天照》はここに残して」
「どうして? 三機神はこの作戦の要なのに・・・・・・」
「だからです。すぐに解りますよ」
説明を求める顔をしていたが、気づかないふりをしてさっきの位置に戻る。
彼女に向けてはっきりと告げる。
「後を、頼みます」
「あなたの選択が正しいと信じてるわ」
僕はそれに頷く。
彼女の――――――人類の決意に応えるべく、自分の契約した巨人の名を呼ぶ。
「来い――――――《素戔嗚》!」
僕の体から煙が噴き上がる。それが人の形となり、やがて金属の鎧を纏った巨人へと姿を変える。
真っ赤な非常灯の光を浴びた蒼黒色の装甲。左手には鎧と同色の剣。
《素戔嗚》の出現と共に他の巨人のカプセルが発光する。発光に合わせて開いていた鎧の腹が閉じ、中の人間が見えなくなる。そして、闇に呑み込まれるように漆黒の靄が巨人たちを包む。
更に《素戔嗚》の背中に魔法陣が浮かび上がり、そこから四枚の巨大な羽が生まれた。悪魔のような翼が。
翼を得た《素戔嗚》はそれを大きく広げる。そして広げた四枚羽が割れ、細い八枚羽へと変化する。流れるように左手に持っていた剣を両手で握り、地面へと突き立てる。
カプセルの巨人を包んでいた靄が今度は僕を覆うように溢れ出す。
すぐに目の前が真っ黒になった。
――――――僕はこの世界から姿を消した。
そこで景色が戻る。
見知った場所。目の前には伊月さんが何事もなかったかのように僕を見ていた。彼女から出てきた純白の腕は消えていて、《月讀》の腕だけが虚しく空中に突き出されていた。
「今のは一体・・・・・・」
たった今見た光景。
それは衝撃的なものだった。初めて見る場所だったが、話している相手は僕が知っている人物で、何より驚いたのがまるで自分があの場所で会話しているような錯覚を受けた。
三機神と呼ばれた《月讀》《天照》《素戔嗚》の三体の巨兵魔器。
《天照》を置いて《月讀》のグリモワールを持ってその場から姿を消した《素戔嗚》の操魔師。
よく解らなくて頭が混乱する。
あれはもしかして――――――
「五年後の世界。世界が崩壊する直前の記憶よ」
伊月さんが僕の疑問に答える。
「解ったでしょう? 過去を見ることは許されても、未来を視ることは世界に悪い影響を与える引き鉄になってしまう」
「なら、どうして僕の共通義肢が未来視何ですか?」
たった三秒後しか視えない未来。予知とは違う、確実に起きる出来事。
三秒しか視れないのではない、三秒も視ることが出来るのだ。
だが、世界を危険に晒すかもしれない機能を未来の人間はどうして共通義肢に付けたんだ?
「目には目を、歯には歯を、災厄には災厄を、ってね。禁忌だからって出し惜しみしてたら救える世界も救えない」
「でもそれじゃ、また世界が崩壊する要因を作っちゃうんじゃないんですか?」
「今更何を言っているの? あなたの未来視がなくても世界は少しずつ崩壊へと近づいているわよ」
伊月さんはあっさりと重要なことを簡単に告げる。
「それって――――――」
理由を訊ねようとした瞬間。
ドゴンッ!! と爆発音が響いた。音の方を見ると、修山学園から黒い煙が上がっている。
「修山が襲撃された!?」
修山学園の方を向いて伊月さんが驚きの表情を見せる。
途端に走り出した。
「春幸くん、行くわよ」
「は、はい」
いきなりのことだったが、異存はなかった。
さっきの疑問を振り払い、修山学園に向かって僕は走り出した。