第11話:海に潜む魔物(1)
カチ、カチ、カチ――――――
静謐に支配された空間。その中を壁に掛けてある時計の針の音とペンを走らせる音だけがいつも以上に響く。生徒は吸い寄せられるように机を睨み、教師は暇そうに教室を眺めている。
生徒が睨んでいるのは正確には机ではなく机の上にある用紙。それには数学テストと書かれていた。
今日は期末テストの日なのだ。
嫌な日ほど早く来るというが、僕にとって今日は一生に一度あるかないかくらい待ち望んでいた日であった。
遡ること二ヶ月前。僕含めた歴史学部の二年生メンバーはテスト前なのにも関わらず、それを忘れて立入禁止区域に足を踏み込んでエンジョイを決め込もうとした。それが真面目な我らが部長、倉嶋由貴美にバレて厳しい勉強メニューをやらされることになってしまった。
中間考査でそれなりに良い結果を出したメンバーは今後は二度とこのようなことがない、と軽く注意を受けて解放。しかし、同じことをやっていたのにも関わらず結果が出せなかった僕は特別メニューをプレゼントされた。毎日(休日含む)。
それも今日から解放される。今度こそ結果を出し、この地獄から脱出してやる!
僕はその思いを強く抱きペンを走らせる。今は苦手な数学だが、自然と公式がスラスラと出てくる。僕の中で高得点を取る自信と希望が溢れてきた。
これならいける! そう思った時、
『テスト中に申し訳ありません。今から読みあげる生徒は放送が終わった後すぐに第二生徒会室に集まってください』
放送の音楽と共に女の子の声が流れる。しかもその声は僕の知ってる人物のものだったので思わず顔を上げてしまう。
『伏見杏子。菊池鞠絵。根岸修策。永峰春幸――――――以上の生徒は速やかに第二生徒会に来てください』
なんでだー! と叫びたくなった。生徒会役員でもない僕が何故呼ばれなければならない。しかもテストを抜け出してだ。冗談じゃない。僕は思わず頭を抱える。
懇願するように僕は数学教師兼担任の柏木に目だけで助けを求めた。
柏木は髪をボリボリと掻きながら、
「あー・・・・・・永峰。行くのテスト終わってからでいいぞ。生徒会には後で俺から言っとくから」
「・・・・・・はい、わかりました」
自然と笑みが溢れる。柏木に珍しく感謝しながら再びペンを動かそうとすると――――――
コンコン、と静かな教室の扉をノックする音が中に響く。
柏木が怪訝な顔で、はい、と返事する。それに合わせてドアが開いた。
そこにいたのは切り揃えられた短髪に袖の長い制服を着た少女。第二生徒会役員、月島朱莉だ。彼女は《雷火》という巨兵魔器を操る操魔師でもある。そして、さっき放送を流していた張本人だ。
「テスト中に失礼します。集合があまりにも遅いので永峰春幸さんを迎えにきました」
なんてことを言ってくる。集合が遅いって、放送からまだ一分も経ってないだろ。
「そのことなんだが――――――」
柏木が朱莉に近づく。
「今すぐじゃないといけないのか? 何をやるかは知らないがテスト中じゃなくてもいいだろ。成績の問題とかだってあんるだし」
「それなら心配入りません。さっき呼ばれた生徒は後日改めてテストが行えるようになっています」
「ああ、ちゃんとそういう話になってるのね。じゃあ、永峰。そういうことだからさっさと行ってこい」
「はあ・・・・・・」
確かにまた後でテストが出来るのなら心配はいらないが、それがなくても第二生徒会には行きたくない。以前あそこで僕はひどい目にあったのだ。渋々と筆記用具を鞄にしまって席を立つ。
教室を出る前に後ろを振り返る。すると、下を向いてぼうっとしてしている陽山が目に入った。何かを考えているようで、ペンもあまり動いていない。こちらにも気づいた様子もなくただジッとテスト用紙を見つめている。彼女は前の洞窟を出てから時々考え込むように心ここに在らずという状態になるのだ。訊いても何でもない、と答えるだけで何を悩んでいるのかも分からない。
「どうしました?」
廊下で待っている朱莉が尋ねてくる。僕はそれに答えずに教室を出る。
「今日は僕に何をやらせるつもりなんだ?」
「私達の仕事を手伝ってもらいます」
「仕事って?」
「来れば分かります」
嫌な予感しかしなかった。
その一時間後。
僕は第二生徒会のメンバーと共に何故か新幹線に乗っていた。
僕と月島親子、その他役員の六名なのに予約した席は八席。月島室長殿は偉そうに空いた席に足を乗せて横隣前に座った伏見先輩と何やら話し込んでいる。この後の打ち合わせがどうとか。
残りのメンバーは空いた四席に流れ的に座る。僕が窓側に来ると正面に朱莉が座り、その隣に見知らぬ少女、僕の横には同じく初めて会う少年が座った。新幹線が出発し、僕はどうしようか迷った。何せこれからどこに行くのかも僕は聞かされていない。朱莉に訊いたところで廊下と同じ回答が返ってきそうだ。残り二人も特に嫌いというわけではないが、第二生徒会には過去に殺されかけたことがあるので少し苦手だった。正直、話しかけづらい。だが、
「今日はあの有名な永峰先輩とお仕事が出来て光栄ッス。あ、俺の名前は根岸修策ッス。よろしくッス!」
そういって隣の少年が手を差し伸べてくるので反射的に握手してしまう。根岸と名乗った少年は猫のように笑った。
「よ、よろしく・・・・・・僕のことを知ってるの?」
「そりゃーそうッスよ。あ、先輩のこと春幸先輩って呼んでいいッスか?」
「別にいいけけど」
「嬉しいッス!」
慕ってくれるのはこちらも嬉しいが根岸の話は妙に疲れるな。
「春幸先輩は生徒会内では有名ッスよ。操魔師になったばかりなのに藍葉祐哉と互角に戦ったり、修山の砦の防衛兵器を粉砕して無事に生還したとか」
「はあ・・・・・・」
大分美化されているが確かにそれは僕のことだ。そんな風に生徒会に広まっていたら有名にならない方がおかしく思えてくる。しかしそう言われると少々照れくさい。
「あと、朱莉さんにも勝ったッスよね? 第二生徒会の主力を倒すなん――――――イタッ!」
根岸が足の脛を押さえながら悶絶する。
「何するッスか、朱莉さん!?」
「うるさい。黙れ」
朱莉が頬杖をつきながら呟く。視線は窓の外を向いたままでこちらを見ようとしない。彼女が根岸の足を蹴ったのだ。履いてる靴が革靴だからすごく痛そうだ。
「ひどいッス!」
脛を擦りながら涙目になる根岸が哀れに見えてきた。そこでふと思う。
「そういえば、根岸も操魔師だったりする?」
「いや、俺自身には何の力もないッス。あ、でも彼女は操魔師ッスよ」
根岸の正面のさっきからずっと大人しくしている少女を見る。
肩まで伸びた茶色の混じった黒髪のストレート。それとは別に頭の横にだけゴムで束ねられて一房伸びている。その表情は、大人しい、というよりぼうっとしているのが合っている気がする。目が眠むっているように半開きで、こちらが見ていることも気づいていない様子。もしかしたら本当に寝ているのかもしれない。
「おい菊池、起きろ」
「んー、修策くん。どうしたのー?」
根岸の声に普通に返事をする。しかしその返事が妙に寝起きの時の反応に近い。
「春幸先輩が菊池のこと知りたがってるぞ」
誤解を生むような言い方はやめてくれ。
「えー、ホントですかー?」
ぱあっと、明るい声を出す。しかし何故か目は半眼のままだ。こういう顔なのだろうか、と失礼なことを考えてしまう。
「あたし菊池鞠絵って言ーます。《翠閃》の操魔師で、高校一年生でーす。他に何かあたしの知りたいことありますー?」
なんというか、すごくのんびりとした話し方をする子だな。見た目で判断するのはよくないが、とても操魔師に見えない。小柄な朱莉と並んでいるせいか僕よりも年上に見える。
「生徒会では何やってるの?」
「いちおー、生徒会内ではあたしの肩書きは書記です。他はー、雑用ですねー」
「書記なのに雑用?」
「操魔師ってだけで色んなところに駆り出されるんですよー。今回もその一つですねー」
「ああ、そうなんだ」
生徒会も大変なんだな。なんだか同情してしまう。
「永峰先輩はどうなんですかー?」
「何が?」
「歴史学部も色々やってるんじゃないんですかー?」
「いや・・・・・・知らない、けど?」
何の話だ。
「高津原直辰と倉嶋由貴美は第三生徒会を通して広範囲に活動してるってよく聞きますけどー?」
そういえば、二ヶ月前に高津原先輩は学園の地下に篭って強化外装の解析をしていたな。その後もまた姿を見なくなったし。倉嶋部長も野暮用と言って時々留守にするのもそのためなのか。
「僕はそういうのはないな」
「ならその内来ますねー。今日は第二生徒会の手伝いとして来てるわけだしー」
本当にありそうで怖い。
「手伝いっていえば、今どこに向かってるの?」
「あれー、永峰先輩知らないんですかー?」
今更何言ってんですか、というように菊池は言う。
「これから行くのは太平洋ですよー」
は?
新幹線から降り、駅から港に向かった僕たちは休む暇も与えられないまま船に乗せられた。船はかなりの速度で陸から離れていく。出発してから三時間くらい経った頃には既に周りの島一つ見えないところまで来ていた。船でこんなところまで来たのは生まれて初めてである。この広大な海に放り出されたら生きては帰れないだろう。
更に甲板から下を覗き込むとそこは絶壁。ここから落ちれば間違いなく死ぬ。
「そんなところにいると落ちて死ぬぞ、永峰春幸」
サラッと恐ろしいことを月島氏が僕に告げる。
「怖いこと言わないでください。てか、何でここ手すりないんですか!?」
「戦闘機を離着陸させるのに、手すりなんてあったら邪魔になるだろ」
「それはそうですけど・・・・・・」
月島氏の言っていることは間違いではないのだが、もう少し一般人のことも考えてほしい。端にいなくても戦闘機から出る風圧で流されてしまいそうで怖い。幸い航空機はないので今のところ甲板を歩いていてもそれほど心配はないと思う。というか、普通の船ならそもそもそんな心配が起きることはありえない。
だが、今僕らがいるのは海軍の航空艦船の甲板の上だ。
航空機はないが、代わりに甲板には緑色の人型兵器が一機だけ片膝を突いていた。肩に日本のマークが付いていて、腰から伸びたコードが甲板に繋げられている。日本が保有する巨人兵器だ。
どうしてそんな軍事兵器の傍に僕はいるのか不思議でならない。更に空母は一隻だけでなく、僕たちが乗っている戦艦を除いて二隻。そして、こっちに向かっている艦影の全部で四隻だ。その艦影の出迎えのために僕らは甲板に出てきている。
離れた艦船は時間をかけて僕らの乗っている船に横付けしてから橋を降ろす。降ろした橋を一組の男女が歩いてくる。
「よお、久しぶりだな! 今日は一緒に任務頑張ろうぜい、修山学園第二生徒会の諸君!!」
そうバカみたいに叫んだのは軍服を着た青年だ。高い背丈に染められた銀髪をツンツンに尖らせ、前だけはだけた軍服から首に掛けられた金の鎖のアクセサリーが覗いている。おそらく二十代前半だろうが、そのテンションとファッションのせいで毎年騒ぎを起こしてニュースに出てくる悪ガキと同じに見えてしまう。実に頭の悪そうな人だ。
「と、初めて見る顔もあるな。三人も新人が入るなんて今年は結構人選確保できてるじゃねえか、月島」
「新人は二人だ。もう一人はおまけ」
おまけってなんだよ。
「へえ、それでも十分じゃねえか。新人くんちゃんとおまけ、オレ様の名は紅澤大河。よろしくだぜい!」
高々と名乗りポーズを決めながら何やらアピールしている。悪いがこちらには、私はバカです、と告知しているようにしか見えない。
「紅澤大佐の部下の湯淺栄美子中尉です」
反対に隣にいた同じく軍服の女性は軍人らしく敬礼して名乗る。明らかに湯淺中尉の方が年上なのにどうして紅澤が大佐なんだ? ていうか何でその若さで大佐なんだよ。とても信じられなかった。
「早速だが――――――」
「あの、大佐」
紅澤が口を開くと湯淺中尉がそれを遮る。
「あんだよ?」
「あ、あれを」
明らかに動揺しながら湯淺中尉は海面を指差す。紅澤は不愉快な顔でそちらを見ると顔色が変わった。角度的に僕らには見えない。何を見ているのだろう?
「お前ら、逃げろっ!」
「へ?」
叫ぶと同時に二人がこちらに走ってきた。それに合わせて水飛沫が上がり船と船を繋いでいた橋を吹き飛ばす。間欠泉のように噴出した海水が真上から僕らのいる方角に流れ、津波となって押し寄せる。
不意にその津波に向かって閃光と炎弾がぶつかる。振り返ると、紅澤の両腕から細長い機関銃、菊池の左腕から細い線が突き出して弓のような形に成っている――――――二人の共通義肢だ。対応が早い。
そして、割れた津波から出てきたのは異形としかいいようがなかった。牛のような角にワニのような顔、胴体は獣に似ているが魚の鱗のような肌をしている。その姿は怪物としか言いようがない。十メートル以上の怪物は獰猛な獣の目でこちらを睨む。いつ襲われてもおかしくない雰囲気だ。
「何なんですかこれ!?」
僕の叫びは虚しく別の声に掻き消される。
「いくぜ、《嵐焔》!」
紅澤が自分の巨兵魔器の名を呼ぶ。虚空から現れたのは緋色の巨人。《月讀》よりも一回り大きいゴツゴツとした巨体だ。
「《嵐焔》、モードBだ」
紅澤の声と同時に《嵐焔》の肩にコンテナのような箱が現れる。
それがパカッと開いて中からミサイルが無数に飛び出す。避ける暇を与えない攻撃。直撃すると苦しむように怪物は咆哮を上げた。やったか、と思ったが、ミサイルの爆発で上がった煙を突き抜けて《嵐焔》の体に飛び掛ろうとする。
「《嵐焔》!」
《嵐焔》は腰に付けられたスコップ状のものを掴む。体の一部と思っていたそれは、柄が延びて巨大な槍となる。
槍の刃と怪物の爪がガギンッと音を立ててぶつかる。槍で怪物の爪を受け止めた《嵐焔》はそのまま動かない。何故なら、その後ろには僕らがいるからだ。
「誰でもいいから何とかしろ!」
「行け、永峰春幸!」
何で僕なんだよ、と言う余裕はなかった。
「出て来い、《月讀》!」
グリモワールの蓋が開く。漆黒の亡霊が鎧を纏った巨人へと姿を変えて甲板に現れる。実体化すると同時に《月讀》は濃密な闇を拳に乗せて怪物に振るった。それをまともに受けた怪物は咆哮を上げて甲板を転がる。
「よし、これで――――――」
前進する《嵐焔》は止めを刺すべく槍を振り上げる。
刹那。
怪物の鱗が割れてそこから水が噴き出し、巨兵魔器の腕くらいの水鉄砲を《嵐焔》へ撃ち込んだ。それを受けた《嵐焔》は後方に弾き飛ばされる。そして、そのまま滑るようにして海に逃げようとする。
「逃がすな、《月讀》!」
逃げる怪物に《月讀》が飛び掛る。しかし、《嵐焔》同様に水鉄砲をまともに受けて吹き飛ばされてしまう。しかも落ちていくのは――――――
「まずい。さっさと巨兵魔器を戻せ! 海に落ちたらあの怪物に引きずり込まれるぞ!!」
《月讀》は真っ直ぐに海に落ちていく。そのまま海に落ちれば間違いなく怪物の餌食になるだろう。《月讀》が人間のように泳げるとは思えないし、怪物は海の中から現れた。海中はあの怪物のテリトリーなのだ。そんな中で到底勝てない。
だが、それも海に落ちればの話だ。
「飛べ、《月讀》!」
《月讀》は折りたたんだ四枚の翼を広げ、背中の魔法陣が浮き出たエンジンを噴かす。体勢を戻し、船の上にゆっくりと降下してから機械の羽を再び背中に閉まった。
「す、すごいッス! 噂以上にかっこいいッスよ!」
根岸が興奮したように喚声を上げる。僕はそれに苦笑した。他といえば、呆気にとられるように《月讀》を見つめていた。
これが普通の反応なのかな、と思う。二ヶ月前、高津原先輩に飛行機能を持っている巨兵魔器は《月讀》だけだと聞かされた時は僕も驚いた。更に飛べるだけでなく、《月讀》の性能が上がっているようなのだ。その証拠に拳や剣に自由に闇を纏わせることが出来るようになった。その闇の正体は未だに僕にも解らない。解るのは《月讀》の魔力によって生み出された力――――――《雷火》でいう電撃――――――だということだけだ。
皆が《月讀》を見ている間はグリモワールにしまってはいけないのだろうか? そんなどうでもいいことを思っている中、月島氏と紅澤が何かを考えるように険しい顔で《月讀》を見ていることに僕は全く気づかなかった。