いやぁ、酷かったね
いやぁ、酷かったね。
シーナは疲れ切っていた。
「もう散々な目にあったよ――、牛さんいなくなるしぃ――」
「いや、それで済ますのはどうかと思うのだけど?」
「でも、イージン。あのままだったら、きっと貴方殺されていたわよ。わたしだってどうなっていたことやら――」
「それはそうだけど……」
「ともかく、イージンはわたしは守るわ。冒険者ギルドを通じてお師匠さまに手紙は出しているから、わたしは連絡来たらどこか遠くに行くかもしれないけれど……」
「そうなったら、僕も一緒に……」
「あら? 嬉しいわね。でもイージンは村に一度帰らないと……」
初夏の晴れの日は続いている。
ここはアメジスト王国の王都へのと続く道だ。
シーナはイージンを奪還したあと、≪飛行≫の術式で砦から脱出したが、そのまま≪飛行≫で逃走すれば目立つため、近くの村々で隠れるように何泊かしつつ王都へと目指していた。
シーナの錬金術による薬で暴走させた赤毛豪牛のシロと、茶毛豪牛のアスカは、ガソリンプールの爆発によって帰らぬ牛さんとなった。
さようなら牛さん。君のことは忘れない。
そして当然のようにシーナが交通のために使用した荷馬車もなくなり、二人は徒歩での移動となり、その移動速度はさらにゆっくりとしたものになる。
そうこうしているうちに、シーナたちが王都についたときには既に国境沿いで起きた爆発事件は、アメジスト王都内でさまざまな噂となって広がっていた。
一番有力説なのは魔術による襲撃である。
それも魔王による襲撃だ。
というかすでにそれが定説になっていた。
なぜなら、あれほどの威力の爆発となると激情之魔王たる魔王ジャック・ザ・ハートによるスキル《熱核爆裂弾》くらいしか考えられないからだ。
激情之魔王たる魔王ジャック・ザ・ハート。
その名は最近ではパラチオン王国が召喚した勇者の心を殺した魔王として知られている。
魔王同士の争いにより、強欲之魔王たる魔王リナに負けたなどという噂話もあるが、現在彼が何をしているかは人の生存圏である人の国々では知られていない。
魔王たちがすむ地域というのはこの大陸の約2/3を占め、人々は東側の1/3の土地を争って住んでいるのだ。魔族領の情勢など知る由もない。
その魔王たちと人を裏切って仲良くしようという勢力も人側には存在し、中でも怪しまれているのが魔族領と境を接するカタルニ民国なのである。
しかしそのカタルニ民国の砦の一つが、魔王による魔術によって落ちたとなれば、人々は政治問題であることを容易に察してしまい、噂はすれど具体的な何かをしようという労力を払う者はいない。
おそらく、噂もすぐに鎮静化に向かうことだろう。
シーナとイージンは王都の宿屋でそんなことを話し合う。
シーナ達は分かれて情報収集を行っていたのだ。
「――と、いうことでわたしたちは大丈夫みたいね?」
「魔王への風評被害……、ばれたら殺さるんじゃないか……」
「ははは。分かりはしないって――」
イージンは終始汗をかいていた。
なにかそんなに暑いのだろうか。
「それで、イージンはこれからどこ行くの?」
「明日になったら『成人の儀式』を受けに教会に行くよ」
「じゃぁ、わたしは商業ギルドに行くわね」
「なんでまた? 商業ギルド?」
「だってほら。これから素材を売る先を考えないといけないし――」
「そうか、錬金術士だし、稼ぐには作ったものを売らないといけないんだね」
「うん……。大きな収入源として想定していた牛さんがいなくなっちゃたからね。でも蓄えはイージンに給料を払ってもまだあるから、成人の儀式でクラスを受けたら、二人でクラス拝命パーティでもしましょうか?」
「いいね! それは。その後は……。一緒に冒険者ギルドにも行かないか?」
「イージンがめでたく剣士とかの前衛職になったのならいいわよ。冒険は――わたしはそれほどしないかもだけど」
「ときどきでもシーナがいれば心強いよ。なにかあってもびゅーんって飛べるし」
イージンは興奮したようにいう。
村の子供が空を飛ぶ体験というのは、なかなか経験できるものではない。
「ちなみに、飛んでいる間は他の魔法とか使えないからね?」
「あ、そうなんだ」
「錬金術士は闇炎系の派生クラスだからね。飛べるには飛べるんだけど、本職のように使いこなすまでにはさすがに行かないわよ」
かつて戦乱の時代、魔法使いの幼女の中には覇権国家を目指してホウキやモップに跨り空を飛び、空中からの魔道による魔術戦を仕掛ける者もいたという。
イージンはそんなおとぎ話を何度も母親から聞いたことがある。
「それじゃぁ、今日は寝ましょうか。でも寝る前に――、明日の成功を祝して――」
シーナは飲み物の入ったグラスをイージンのグラスに合わせた。
カチーンと小さな音がする。
その優しい音に、イージンは目を細めた。
夜は、暗く更けていくのである――