ウェスタン子爵領、越境砦――
夕暮れも間近で、空が赤色に染まろうという時間に、シーナとイージスはその砦に到着した。
アメジスト王国側の国境にある小さな砦は、ウェスタン子爵が所有するものである。
その砦は、かつてであればアメジスト王国側とは仲が悪かったときは国境の重要拠点であったのだが、アメジスト王国とカタルニ民国間で仲が良くなったことでその重要性が薄くなり、すっかりと僻地という色合いだけが残る場所となっている。
ウェスタン子爵がこの砦に派遣されたのも最近であり――。意味合いとしては左遷と同じだ。
最近にして王都から左遷されたそのウェスタン子爵は、そのためか多少なりとも王手につてを有していた。
「シーナ・マーヤ・コーフ子爵か。確か乙女鉱山の二つ名を有する女傑らしいが、そんな年若いちんちくりんな小娘がそうなのか?」
「はい。そのようですな。対応を行った兵士からの情報では」
ジューン・アホータブル・ウェスタン子爵に答えるのは彼の執事だ。
彼も子爵といっしょに左遷された身であり、早期の王都復帰を願っている。
「それで? 彼女はなんと?」
「一晩、泊めて欲しいそうです。なんでもこの国境を越えて次の村で一泊するつもりでだったが、ごたがたがあってたどり着けず、ここで夜になってしまったと」
「うむ。大方、魔物かなにかに襲われでもしたのだろうな――」
本来、砦周辺については、子爵が先頭にたって駆除を行わなければならないが、めんどくがって――、ではなく、国境の近辺なのだから魔物が沸いていた方が攻められにくいという建前によって放置されていた。
幸いシーナたちは魔物に襲われなかったが、タイミングが悪ければ襲われていたことだろう。
雄しかいないオーガーなどにシーナが捕まっていれば、どうなっていたことか。
「ところで、主どの。このような話はご存知でしょうか?」
「なんだね? 我が優秀なる執事君」
「どうやら、そのシーナとやら、あの都市鉱山の弟子の錬金術士のようでして、叙勲もその関係で一代子爵だそうです」
「ほほう?」
ここ、カタルニ民国では一概に貴族といっても2種類に分かれる。
一代限りの世襲が行われない一代貴族と、世襲が許された昔ながらの世襲貴族の2つだ。
一代貴族は庶民でありながら、功績を残したことで叙勲された者が多く、別名名誉貴族ともいう。
だいたいにおいて一代貴族はその能力は高いが、多くの場合後ろ盾となるような者がいない。いればあれこれと操作して世襲貴族になるからだ。
シーナのお師匠さまとされる都市鉱山は気難しい性格のおっさんで、いろいろな開発を行っている有名な錬金術士である。
今は輸送の関係で蒸気機関を使った鉄道というものを開発したばかりと聞く。
その鉄道は国内を横断するように今、まさに路線を引いているような状態だ。いわば王都の花形といえる仕事でもある。
それだからこそ気付く違和感がある。
なぜこんな辺境にそんな有名人の弟子がいるのかと。
「お気づきですか――。いやはや主さまも聡明ですな。どうやらそのシーナとやら、その 都市鉱山と喧嘩別れしたようでして……、なんでも 『都市鉱山が告白したが、おっさんだからと断った』とかなんとか……」
「なるほど……」
ウェスタン子爵は考える。
これは王都に戻るための絶好の機会なのではないと。
「主さま。そんな優秀な錬金術士が国から離れるのはどうなのでしょうかね?」
執事の男は人相の悪い顔をする。
「後ろ盾のない、師匠とも喧嘩別れした小娘か……、ならば他国に流出しないように捕まえて――ついでに働かせるのも悪くはないわな……」
ウェスタン子爵はにやり、と笑った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「本日は突然の来訪に対応いただきありがとうございます。わたくしは、本国はエリス王女より乙女鉱山を襲名させていだきました、錬金術士のシーナ・マーヤ・コーフと申します」
黒を基調とした白ち赤ののライン入りのドレスを身にまとったシーナが、スカートを軽く摘まみ、ウェスタン男爵にお辞儀をする。
そのドレスはまるでミニスカメイドのそれだが、砦には女性がごく少数の給士しかいなかっため、これしか用意できなかったのだろう。単なるメイド服よりは急ごしらえだがアレンジが入っていてはいる。
シーナとしてもメイドのような恰好はまるでお師匠さまの趣味のようで不本意ではあったが、「ウィンドウ」は所持者が少なく本来秘匿するべきものであるため、「アイテムボックス」から自身のドレスを取り出すことができなかったのだ。
そもそも、シーナはこのウェスタン子爵の砦に寄ろうとは思っていなかったのだ。単に国境線として普通に通過しようとしていたのである。
国情が安定してきたアメジスト王国に対してこの国であるカタルニ民国は脅威を感じておらず、警戒はゆるめである。
したがって、何もなければそのまま通過し、次の村でシーナは休憩をする予定であったのだ。
しかし、イージンとの母親との接触などで時間が足らず、急遽砦に寄ることになった。
シーナは一応では子爵である。砦によることとなれば、貴族としてウェスタン子爵と貴族としてのお付き合いをせざるを得ない。それを嫌ったのだ。
現にシーナは砦につくやいなや、イージンと離されて湯あみをさせられ、身体をすみずみまで洗われ、こうしてドレスを着て優雅なディナーに参加させられることになってしまった――。ともかく、ここまでは一般的な貴族の『普通』だ。
始めシーナは、イージンと離れることを嫌ったのだが、さすがに湯あみとなればついてきて欲しいと言うことも叶わず、イージンは荷馬車の管理者としてどこかに連れ去られてしまった。
「まぁ、座りたまえコーフ子爵。私がウェスタン男爵だ――」
国境の砦というのは辺境であって、基本モノがない。食べ物といえどそれは普通であるが、ウェスタン子爵は食に理解があるのか、それとも私腹のためか――ディナーは豪勢なものであった。
しばらく王都の情勢などを語り合う二人の子爵。シーナとしては修行の旅に出たのはいいが、旅が辛いということを語る。正確には牛さんの糞が辛くて、それ以外は楽しいわけだが、さすがに食事時に糞の話をするのは避ける程度の分別がシーナにはあった。
一方のウェスタン子爵だが、やはり砦だからだろうか。いろいろな苦労が多いことをシーナに暗に語ってくる。ようは金品の要求だ。
(やはり――、支援などしなければならないだろうか――)
こうした接待は無料で受けているが、接待を受けたからには自分からも何かをしなければならないだろう、そうシーナは考えている。
そして、シーナは錬金術士だ。何か素材系のものを作り出すのには長けていた。
この世界で錬金術士というクラスは貴重なものだ。
まず、このクラスになると!倉庫といった基本的なMMOAPGが持っている機能の他、「燃料」「ボーキサイト」「|弾幕(MP)」「資金」といった自然沸きの機能が自動で付く。
さらにクラスレベルを上げて魔術士工房を開けば、「寮舎」や「工廠」といった能力向上やより質の高い生産を行う豪華機能までついているのだ。
「私としては、偉大なる錬金術の御業というものが見てみたいものだが、コーフ子爵、どうだろうか……」
「んー。何をお見せすれば良いのでしょうかね」
シーナは何を渡せばよいか、本気で悩んだ。
さすがに資金を渡すのは直接的すぎてダメだろう。
「それでは1日くらい滞在して錬金術で何かお見せするというのはどうでしょうか?」
「いやいや、コーフ子爵にはできれば長く――、そうですな。ぜひとも一か月くらい居て頂いて……」
「さすがにそれは……、イージンを王都に連れて行く約束もありますし……」
「むむ。そのイージンとやらは?」
「イージンはわたしと一緒にこの砦に来た、隣村の子のことで――」
「おぉ、あの従者ですな! そのイージンとやらは私どもが王都まで案内しておきましょう。よろしですかな――」
「さすがにウェスタン男爵にそこまで迷惑をおかけるには……、わたしはあの子の母親ともわたくしが責任をもって王都まで連れて行くと約束しましたし……」
「ほほう。それならばやはり1年はコーフ子爵はここにいて頂かなくては。そこ子のためにも――」
ウェスタン子爵はあごに手を当ててニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。
そこで、シーナの眉がピクリと動いた。
何かに気づいたようだ。
「……、それはどういう意味でしょうか? 仰られている意味が分かりませんが」
「さぁて、どういう意味でしょうなぁ?」
「ところでイージンとはわたくしが湯あみに行くために別れたのですが、あの子はいまどこに?」
「我々が万全の体制で接待しておりますが、何か? えぇ、万全ですともぉー」
「それは、わたくしの態度によってはどうなるのでしょう?」
「ほおぉー、さすがはコーフ子爵だ。物分かりが良いですなぁ。年がいないもなく、つい熱くなって『余興』をするところでしたが、どうやらそれはしなくて済みそうで実に結構なことです」
一体何をする気なのか。
余興とは一体……
言外にコーフ子爵はイージンのことを殺すといいたいのだろうか。
少なくともイージンを人質に取られたとのは間違いないところだ。
市民の命など上級である貴族の前では石ころのようなものである。
人質であれば殺されることはないだろうが、痛めつけられている可能性はある。
このウェスタン子爵が相当なクズであれば、既に死んでいる可能性も――
思わずシーナは身震いせざるを得ないのであった。
「そぅ――。なるほど……。分かりましたわ」
シーナはウェスタン子爵をぐっと睨んだ。
ウェスタン子爵は、体感温度がぐっと下がるのを感じはいたが、そこは大人である。ぐっとこらえて睨み返す。
それはシーナからは実に涼しい、実にふてぶてしい顔に見えた。
シーナは一度深呼吸したあと、ウェスタン子爵に笑みを浮かべる。
それは凍り付くほどに美しい姿だ。
ウェスタン子爵も見惚れるほどの美しさだ。
「なるほど! ウェスタン子爵はもしかして、あの『ガソリンプール』をお望みなのですね!?」
「『ガソリンプール』? いったいなんですかな、それは?」
「ウェスタン子爵は、我がお師匠さまである都市鉱山が作り上げた鉄道なるものはご存じで?」
「それは知らない訳があるものか! 鉄道といえば、今やこのカタルニ民国で輸送の花形としてエリス王女が先頭になって進める一大プロジェクトの一つである! 惜しいことに辺境であるこの地にまではさすがに来ていないが……」
「ガソリンというのはその燃料になるのです。我がお師匠さまがおられた異界の地では第四類と呼ばれる燃える液体。冬の季節ともなれば暖を取れるし、薪を燃やす代わりにもガソリンが少量あれば事足りる。我がお師匠さまがおられた異界ではまさに『近代の黄金』とも言われるようなしろものなのですよ」
「その近代の黄金が、まるでプールのように……」
「それがガソリンプール……。いや、でもだめよ」
「なんだと……」
そこで、シーナは悲しそうに首を振る。
それはウェスタン男爵を焦らすための演技だ。
「ガソリンといえば第4類に分類される危険物よ。どんなに価値が高いとはいえ、ショウボウ・ホウさんは絶対に危険だから駄目だと言うに決まっているわ。そう、あまりにも危険。危険だわ。屋外貯蔵所としてガソリンをプールに貯蔵するなんて――」
「どういうことだ!? 俺を誰だと思っているんだ。誰だよショウ・ボウさんって! 得体のしれない、どこの馬の骨とも分からない人間なんてどうでも良いだろうが!?」
ウェスタン男爵は興奮気味だ。
ウェスタン男爵はすっかりガソリンプールに乗り気になっていた。
「――でしょう! そういうと思ったわ! わたしも一度やってみたいと思っていたのよ! 密栓しないで保存できる危険物が、過酸化水素とか、エチルメチルケトンパーオキサイドとか特定のものだけとかありえないでしょう!」
「おぉー。では、やってくれるのか! ガソリンプール!?」
「えぇ。ガソリンプールがあれば、この国境沿いの砦でもアメジスト王国との間に鉄道が走るかもしれないわね――」
シーナが完全な笑顔でウェスタン子爵に取り入る。
それはもう素敵な笑顔であった。魔性の笑顔と言い換えても良いだろう。
「鉄道――。あれがこの地にか――。そうなればここの価値はうなぎ登りにるな――」
「えぇもちろん。ウェスタン子爵、貴方はきっと、歴史に名前が載ることになるわ」
まだまだ夜は始まったばかりである。
夜空は暗く、闇に包まれていた――