≪隠蔽≫スキル
「まずは≪隠蔽≫のスキルを習得しないといけないわね……」
シーナは、イージンが今どういう状況になっているのか気には掛かっていた。だが、すぐには帰れないという事情が彼らにはあった。
そう、≪魔王ジャックの加護≫である。
無駄に性能の良いそれだが、基本加護というのは神などから与えられるものであり、加護を受けたものが撤回することはできない。
これは称号も同じで、例えばイージンが周囲から《下の世話係》という称号を受けたとしてもそれは自身で消すことはできないのだ。
ただし消すことはできないが――、隠すことができる。
それが、≪隠蔽≫スキルであった。
なんとかしてこの≪隠蔽≫スキルを身につけないと王都では生息できないだろうというのが、シーナとオージ―の一致した意見である。
なぜなら、冒険者ギルドでは犯罪者防止のため、ギルドカード提出時に毎回確認するからだ。
基本的にギルドメンバー各人のステータスは秘匿ではあるが、それが問題であるものであれば、例外とされるのは公開されるのは当然だ。なぜなら確認はそれが目的なのだから。
しかし、冒険者ギルドでは専門の≪鑑定≫スキルを持った上級者が職員でいることは無い。そんな人材を雇った場合、いくらか掛かるか分からないほどの給料を払うことになるからだ。
その代わり使うのは≪鑑定≫の能力を持った冒険者ギルド謹製のマジックアイテムで、その性能は低いものである。
だから、≪隠蔽≫スキルのレベルは2もあれば十分だろうというのが、シーナの意見だ。
シーナはその≪隠蔽≫スキルをすぐさま取得し、そのレベルをMAXの5まであげた。
シーナであればウィンドウシステムが使えるのだ。クリック一つでぽぽぽぽーん。というやつである。
だが、問題は――。オージーであった。
「わたしの≪鑑定≫スキルの結果だと、オージーはすでに≪隠蔽≫スキルは2よ」
「は? いつの間に?」
「クラス補正があからでしょう? 野武士(Ranger)なんだから」
野武士(Ranger)のクラスは、フィールドでの活動に補正がある。≪探索≫の反対スキルと考えれば分かりやすいだろう。エモノに対して容易に近づけないようでは狩りができないのだ。
野武士(Ranger)で補正のあるスキルには≪探索≫≪警戒≫≪隠蔽≫≪罠作成≫≪採取≫≪動植物知識≫などがある。これらはベーススキルと言われていた。
これが、錬金術士であれば≪精錬≫≪清浄≫≪危険物≫≪毒物劇物≫≪薬草鉱物知識≫≪下級炎闇術≫といった具合になる。錬金術士で≪探索≫や≪隠蔽≫を取ることもできるが、本職とは違い取得するスキルポイントのコストなどで制限があった。
「ならば既に問題ない、のか?」
「安全率を考えるのであれば3までは欲しいわね……」
≪隠蔽≫スキルのレベルは2もあれば十分だとシーナは思っているが、万が一ということもある。3は欲しいとも眼が得ていた。
オージーもその通りだと同意する。
だから牛さんを村に卸したあと、こうして村の一軒しかない小さな宿で1週間を目途に特訓をすることになったのだ。
オージーはひさしぶりに自身の里に帰るのだ。冒険者ギルドも一週間くらい予定がズレようが不信には思わないだろう。
「というわけで――、いくわよ」
宿屋のベット。
そこに座り、触れるような距離でシーナとオージ―は見つめう。
そのシーナの反対側には十六夜もいた。
ベットのシーツは白く、シーナたちの重みで少しだけ沈んでいる。
「なぁ、これ以外にやることはないのか?」
「スキル関係は恋愛関係が一番効くとお師匠さまは言ってたわ」
「それ――、恋愛関係じゃくて、エロ関係の間違いじゃないか?」
「そこはほら、お師匠さまも男の子だもの」
「――なるほど」
「ではいくよ……、おじさま。すべて『いいえ』で答えてね」
どうやら、シーナの提案は『バレないように嘘をつく』ことでスキル経験値を上げ、スキルレベルを上げる方式のようだった。
スキル経験値は訓練することで増大するのだ。
オージーも「訓練すればスキルが身につく」ということは常識だと考えており、いやも応もない。
だから、どんな言葉に対してもここは『いいえ』で返してやろうと強く思った。
相当に厳しい訓練になることだろう。
「あぁ……じゃない。『いいえ』」オージーの声は小さく消えゆくようだ。
耳元で囁くようなシーナの声はどこか甘い。
シーナがつけている苦扁桃のような調香がオージーの鼻をくすぐる。
「おじさまぁ。わたしのこと、好きぃ?」
それは、直球ど真ん中のストレートだった。
オージーはそれに対して『いいえ』としてしか答えることができない。
「なぁ、それ反則だから。反則だからな。『いいえ』」
吹きかけられた息が恥ずかしさを倍増させる。
きっと、十六夜がいなかったら押し倒していることだろう。
(これは≪隠蔽≫スキルの訓練、これは≪隠蔽≫スキルの訓練、これは≪隠蔽≫スキルの訓練……)
シーナとオージーは互いに触れ合うような位置で見つめあっている。
シーナの瞳はうるうると恥ずかしそうで、今にも泣きだしそうだ。
紫華鬘のすみれ色の瞳はまるで吸い込まれるようで、その瞳にはオージーの姿が映っている。
「なぁ、思うのだが、シーナは≪隠蔽≫スキルは本当にMAXなんだろうな?」
――全然、隠蔽されているようには見えないのだが――
「もちろんよ。これは≪枕営業≫スキルね。こうやってスキル全開で攻めた方がスキル経験点をあげやすいんだから。だから、おじさまから怒られる限界を攻めているわけね」
「なるほど≪枕営業≫スキルか……。確かにアイドルなみにシーナは可愛いよな?」
「うふん。でしょう?」
それにしても酷い名のスキルである。それならばとオージーは安心もした。
まさか、シーナ―がこんな冴えないおっさんに本気になったりはしないだろうと思ったのだ。
オージーは煩悩を振り払うようにシーナとの目を合わせる。
だがすぐに限界が来てしまいそうだ。
無垢な瞳に、夾竹桃の花のように柔らかで可愛らしい赤い唇に、柔らかな蜂蜜色に輝くその髪――
手を伸ばせばその肩に触れることができ、そのまま後ろに倒すことなどオージにとって簡単だ――
(いかんいかん――)
オージーは誘惑に耐え続ける。これ以上シーナと見つめあうのは危険だ。
オージーは目を逸らした。しかり逸らした視線の先には、間近で座っていることからシーナの薄い谷間が見える。シーナのキャミソールでは薄い谷間では少し動かせば中身が見えてしまいそうである。
視線に気づいたシーナがその谷間を自分の右腕で隠す。
そしてしばらく後、恥じ入るようにその右腕を脱力するように落とした。
「これは≪隠蔽≫の訓練だものね。わたしも耐えないとね――」
恥ずかしそうに今度は強調するようにその薄い胸を張る――
(やばい、逃げ場がない…)
シーナの拷問のような攻めはいつまでも続く。
シーナの魅力に追加して、オージーは≪枕営業≫スキルの効果にも抵抗しないといけないのだ。
≪枕営業≫――なんて恐ろしい響きなのだ。
「うふふ……、おじさまぁ。見たいのぉ?」
人差し指と中指を胸の谷間に入れ、ゆっくりと揺すって見せる。
「く……。『いいえ』」
本当は『はい』と言って押し倒したいところだが、これはシーナの身を張った訓練だと考えるとそういう訳にもいかない。
こんな可愛い子に訓練に付き合ってもらっているのだ。絶対に耐えて≪隠蔽≫スキルを習得するのだ。
「おじさまって、実はケダモノなんでしょう?」
「『いいえ』」
オージーは石像のように固まるしかしかない。
ここは耐えるしかないのだ。
「おじさまって、淫獣? 深海棲おじさんだったりして?」
「『いいえ』」
シーナの瞳はキラキラと輝いている。
ここは耐えるしかないのだ。
「でも、『いつかその純潔を穢してやりたい』とか思ってるんでしょう?」
「『いいえ』」
オージーはシーナの艶めかしい唇、そして、そそるうなじから目を話せられない。
ここは耐えるしかないのだ。
「いいわよ。ねぇおじさまぁ。魔性の錬金術師だけれど、愛してくれますか?」
「『いいえ!』 断じていいえだ! こん畜生が!」
御免――、耐え切れなかった。
なにが、「いいわよ」だ。全部シーナが悪いんだからな。
オージーはついに、目を背けながら叫ぶ。
そして、その手をシーナの肩に――
――と、手がシーナの身体に触れようとしたそのとき、目を背けた先に十六夜がいた。
十六夜もシーナに負けず劣らず美少女だ。
髪の色はオージーよりだから兄妹に見えなくもない。
オージーはおじさまだが、昔はイケメンだったといえばなんとか……。ぎりぎりなるだろう。
その十六夜は、オージーが視線を自分に向けたことに目を輝かせて喜ぶ。
「あは☆ おとーさん! わたしのこと、すきぃ?」
その十六夜も、いきなりぶっこんで来た。
分かってないのか、分かってやっているのか。
身体を寄せ、指先をオージーの上でゆっくり、くるくると円を描くようになぞる。
いわゆるボディランゲージというやつである。肉体言語。体は正直なのだ。
なぜか、シーナの圧力が一層高くなったような気がした。
「お前ら、俺を殺す気か! 『いいえ』!」
十六夜はオージーが否定すると目を見開き、涙目になる。
今にも泣きだしそうだ。
これにはオージーだけでなく、シーナも慌てた。
「ふぇぇー。おかーさん」
「えーっと、これは≪隠蔽≫スキルの訓練だから。だからね。十六夜は泣かなくていいのよ? おじさまが全部悪いのよ。おじさまはいま『いいえ』しか言えないから……」
「え、そうなの?」
「あは☆ そうよ。そうよね? おじさま……」
「『いいえ』」
「じゃぁおとーさん。十六夜のこと、嫌い?」
「『いいえ』」
「やったー☆」
十六夜は大喜びだ。
「じゃぁおとーさん。おかーさんのことは好き?」
「『いいえ』」
そのやり取りにシーナがまるで雷に打たれたかのように固まった。
「はっ。なんと! その手があったか――」
「あのー。シーナさん? シーナさん? これ本当に≪隠蔽≫スキルの訓練なんだろうな? 重要なことなのでもう一度言うけど、これ本当に≪隠蔽≫スキルの訓練なんだろうな?」
このような拷問に等しい恐ろし攻めを受け続けたオージーは1週間の予定のところ、3日で≪隠蔽≫スキルが3になったという。
なお、村の宿屋の人たちは、シーナたちが昼も部屋からろくに出ないことを不審に思ったが、通りかかった時に僅かに聞いた「ねぇ、孕ませたい?」とかいう甘い言葉を聞いていろいろ察し、大いに不審を解消したという。
基本閉鎖社会の村である。
噂はあっというまに村中に広がっていった――




