お約束
シーナたちが宿泊している『みんなの酒場亭』は、父母と娘一人の3人で経営している小さな旅館兼酒場である。
この世界で同族経営、旅館兼酒場業は普通にみられるサービス形態だ。
家の無い冒険者などが長期に滞在することが多く、空いている場合には旅人なども止まり、旅館の経営は安定しているとも言える。ほとんどの冒険者は銭を持っていないため薄利ではあるが、冒険者がいれば荒事があっても彼らに頼れるというのが、経営にとってのアドバンテージとなっている。
父親は冒険者を結婚を機に引退した探索者(Explorer)で、したがって当時は料理スキルはなくメシまずであった。それでも、宿の部屋割りを小さくして安くしながらも客数を増やす方針で低レベルな冒険者を多く集める方針からなんとか食っていけたのである。料理店としての『みんなの酒場亭』は現代で言えば学生さんに腹いっぱい食べさせる系だと考えれば良いだろう。
、今では父親が料理を重ねることでスキルを得ており、上手さも伴って評判の店となり繁盛している。
冒険者たちが高レベルになったとしても懐かしの店として知られたまに来店したり、初心者の店として『みんなの酒場亭』を口コミで広げるなどすることで、客足が止まることはない。
そんな良い店であるが、その店はとある問題点を抱えていた。
それは――、娘であるネートのことである。
『みんなの酒場亭』は冒険者が多数来る店であり、ネートは看板娘である。
冒険者の中ではかなり人気もある。
だが、そろそろ結婚を考えるお年頃なのだ。
そこに一人の男が無謀にも熱烈にアプローチをしてきた。
男の人望は急速に下がっている。主に冒険者ギルドの連中から。
俺たちのネートちゃんを独り占めにする気かと。
冒険者たちの紳士協定を出し抜こうとしているのだ。
その名をオージーという。
オージーのことをネートは子供頃から知っており、いろいろと世話を焼いたり焼かれたりする間柄である。
オージーとネートの父親とは冒険者として先輩/後輩の間柄だ。
だから無下に拒否するわけにもいかず、さりとてそこまで好きか……、と言われると返事に困る。しかし、嫌いかと言われるとやはり……。そんな間柄だ。
なにか新たなきっかけでもあれば別であろうが。あまり深い関係にはこれまでなりようも無かった。
そんなネートの思わせぶりな態度だからこそ、オージーはヒートアップしているのだが、今のところは空回りしている、というところだ。
ネートの両親としてもオージーの人柄は知っており、そこまで悪くないだろうという考えだ。だから結婚するのは本人たち次第だと思っている。むしろ、煮え切らないネートを『押す』側の立場だ。押して付き合うなら付き合うでOKだ。ダメならダメとして、さっさと別の男に行け、とやきもきするくらいである。そろそろ良い男と結婚して欲しい。
例えオージー以外でもより良い婿候補はいくらでもいるので、嫌ならきっぱり断れよとも思うが、煮え切らない態度からネートを娘の本心が分からず、娘であるからこそどう扱えば困っているという状況である。
ネートはシーナと同じく超優良物件なのである。
虎視眈々と次を狙う冒険者は多い。なんだかんだいって冒険者の世界は男社会なのだから。女性は貴重だ。そして、もれなく旅館がついてくる。小説家になろうであれば思わず評価に10点をいれ、ブックマークをするほどのものだ。
「ならちょっと試してみるとか、どうだろうか?」
街の仕入れからの帰り道。シーナの父は唐突に語る。
それは、どう『押す』か考えあぐねて出た言葉であった。
「試してみるって? 何を? お父さん?」
父親の言う試しは、オージーのことだろうなぁ、というのは如実に分かった。
いままさにそのオージーが、イケメンの剣士の少年と魔術師を思わせる格好の美少女と共に向かい側から歩いてきたのだ。
この状況で試すということは、何かをすれば良いのだろう。ネートはイケメンの剣士であるイージンを見た。あの子はそう、貴重な牛さんを「あーん」とかいって食べさせてくれるほどやさしい男だ。
ネートは父親に荷物を預けると、急に駆けだした。
「あ。ネートちゃん……」
声をかけるオージーを無視してネートはいきなりイージンの腕を取った。そして強引に腕を絡ませる。
そう、これからオージーのことを試すのだ。
「え?」驚くイージンを無視してネートは畳みかける。
「あぁん。イージンくん、こんなところにいたのね! 今日はデートの約束だったのに、さぁ出かけましょう!」
イージンはイケメンであり、ネートは自分が連れ出すに相応しい剣士であると思った。
そして、試すにはもってこいだとも。
これで挫折するならオージーはそれだけの男だったということだし、もしも、そうなったらイージンをそのまま――
――まだ気が速いか、とネートは考え直す。
「ちょっ」
ネートはイージンのことを無視してその腕を引っ張る。
仲睦まじく見えるように。見せつけるように。
剣士とは言え、レベル1のイージンにはあがらうことは難しい。
――というか、例えレベルが高くても、こんな状態の女性に逆らう男などいるのだろうか。
「(話を合わせて。オージーくん最近しつこいから、ちょっと恋人のふりしてよ……)」
耳元でネートはイージン以外には聞こえないように囁く。
それはまるで、乙女小説の主人公がたまによくやる「恋人の振りプレイ」にそっくりであった。
有名なところであれば、ビリビリと呼ばれる少女が主人公を引っ張り出していた。恋愛系ならわりとよくあるシチュエーションといって良いだろう。
それを見ていたシーナとオージーの表情はだんだんと険しくなっていく。
ネートの父親はあ然とした表情だ。
(怖い……。後でなにが起きるのか……)
イージンは困惑するが、さりとて抵抗もできずネートに連れ去られてしまう。
ネートの胸が腕に当たっていて、下手に振りほどいたら変なところに触ってしまいそうだったからだ。
だからだろうか、その顔は恐怖に引きつっていた。
「えーっと。これでお嬢ちゃんは俺の彼女決定な――」
オージーはイージンを見送ると、シーナの頭をぽんぽんと撫でた。
イージンが連れ去られたあと、シーナが呟く。
「裏切られた……」
シーナが大粒の涙を浮かべ泣き出したのをどうしたものかと考える。
それは、号泣だった。
泣いてばかりいる子猫ちゃんを、イージンは困ってしまってオロオロとすることしかできない。
とりあえず、頭を自分の胸に当てて慰めようとする――