ルー立志伝 6 輝く光の影で 中
お待たせしました。
皇帝陛下を含めた会談を終えて、僕は夜会会場へと戻ってこれた。緊張と冷や汗で喉が乾いたな。給仕に水をもらおう。こんな緊張感生まれて初めてだよ。
「すまない、水をくれるか?」
「ルー様? かしこまりました、こちらをどうぞ」
給仕から貰った水を飲むと心が落ち着いてくるのが分かる。お爺様達や両親は、あの方々と商談で毎回対峙しているんだ。改めて尊敬するしかないな。さて、少しは腹ごしらえをしよう。とりあえず、サンドイッチ位は食べられるはず‥‥。
「ルー=ファルディス様では、あらしゃいませんか? 初めまして、うちはマイカ=ティナート申します。なんや、ぎょーさんお偉い方々と話をしてはりましたな。‥‥えずきそうなお顔やけど、大丈夫?」
「?? 何言ってるかさっぱり分からないんだが?」
「ああ、申し訳ありまへん。前世の言葉が出てますな。おほん、マイカ=ティナート申します。なんか、たくさんのお偉いさんと話をしてましたね。吐きそうな顔をしてますけど大丈夫と言うたんや」
天命人か。しかもティナート家となれば、ロウ兄さんの婚約者の家だよな。化粧品や香水を作っているのは、もしかして、この女性か? 黒い髪と赤い瞳、身にまとう黒のドレス姿が映える彼女だが、何か違和感を感じる。
「失礼ですが、貴女はロウ兄さんの婚約者ではありませんか?」
「‥‥その話は止めてくれなはれ。どうして、うちがいちびる男と付き合わなあきまへんの! 前世でもろくな縁談無かったさかい、頭にきてますのに。ああ、異世界も現実と変わらへんやないの。やってられまへんわ!!」
なんか、かなり怒ってないか? しかも、ロウ兄さんの印象が最悪なのは分かった。となると、この縁談難しくない? あれ、よく見たらテーブルの下にワインボトルがかなり置いてある。これって、全部彼女が飲んだのか? 完全に出来上がってるよ、ロウ兄さんは何をしてるんだ!?
「はあ、なんか1人で酒飲むのもつまらんわあ。ねえ、ルー様。なんかおもろい話をしてえな。うちと朝まで飲み明かしましょ!」
「駄目だ、これは完璧に酔っ払いだよ。この場にいると場の空気壊すし、移動させるか。給仕に頼んで‥‥」
「ルー様ああ! こんな所にいましたのね。愛しの婚約者マルチナが参りましたわよ。さあ、まずは愛のキスを!」
更に厄介な奴が来たああ!! あのマルチナに見つかってしまった。しかも、愛のキスだって? 勘弁してくれ、料理を食べた油ぎった唇でなんてキスをしたくないぞおお!! しかも、片手には大量の料理が載った皿があるし。‥‥お母様、僕は婚約者をチェンジしたいです、切実に!
「待て、マルチナ! 公衆の面前ではしたないぞ!! もう少し節度をだな‥‥」
「あら、入り婿の分際で私に指図なさるの? ルー様も偉くなりましたわね。どうやら、私の愛の力を見せないといけませんか」
「マルチナ、君はいい加減にしろ! どれだけの人に迷惑をかけるつもりだ!!」
愛の力って、ただの張り手じゃん! 気に入らないと暴力を振るうからマルチナは嫌いなんだよ。しかし、実家の商家連中は彼女を放っておいていいのか? 以前、ハーダル家の令嬢と掴み合いの喧嘩をしたらしいし、外聞が悪すぎだろう。ラング兄さんやリア姉さんみたいになる前に、何らかの手を打って欲しいんだが。
「他の人より、私が楽しければそれで良いの。さあ、私の愛の力でルー様を矯正して差し上げますわ。いきま‥‥」
「なんや、なんや! この揺れは地震かいな!? ‥‥あらまあ、立派なお相撲さんがいらっしゃいます。白〇や〇竜ばりに立派で大きな体や、将来が楽しみやわあ」
飲み過ぎでダウンしていたマイカさんが、目の前のマルチナを見てそう言った。お相撲さんって、力士か? 確か、和光の伝統的な職業と聞いたが。
「そ、そこの貴女、誰が力士よ!! 和光の相撲取りと一緒にしないで。私のお腹は愛と幸せで満ちてるのよ」
「愛と幸せ? なかなかおもろい事を言わはりますな。その図体を使って笑いをとりたいのやったら、道化師になった方がよろしおすえ」
いや、ただの脂肪ですよね!? そして、マイカさんはかなり毒舌家だった。相撲取りって、神事にして戦闘競技と聞いた事がある。ただ太ってるマルチナとは違うんだぞ! まずいな、ナルシストと酔っ払いの対決なんてろくな事にならない気がする。となると、仕方がない。マリーが作ってくれたあれを使うか。
「マルチナ、落ち着いて。興奮すると折角の料理が落ちてしまう」
「えっ? あっ、わ、私のチキンがああ!!」
「あーーあ、もったいないわ。しかし、この喜劇を演じる才能。ほんま道化師に向いてますなあ」
料理のオブジェと化した皿から、次々と肉や野菜が落ちていく。それを見た客達は、呆れた様子でこちらを見ていた。給仕達が料理を片付ける中で、僕は使う機会をうかがう。給仕の影になったところを待って‥‥今!
「あ、あら私としたことが。お、おほほ、失礼しまし‥‥ふぎゅ!?」
僕は介抱する振りをしてマルチナに近付くと、すかさず腰に隠し持っていた噴霧器を使う。これには睡眠効果があるらしく、何時間か眠り続けるそうだ。ちなみに僕には効かないらしい。何でだろうな?
「な、何か眠くなってきましたわ。ルー様、お休み‥‥ごおおっ、ごおおっ!」
「寝るの早!? はあ、給仕の皆手伝ってくれ! マルチナ嬢は気分が悪いらしい。そこのベンチで寝かせてあげよう」
僕と給仕の数人がかりでマルチナをベンチに横たえる。その光景を見て、失笑や嘲笑する人々が多い。気にしたら負けだ、僕の婚約者じゃないと声を大にして叫びたいけどね!!
大丈夫だよな? ベンチが悲鳴をあげてるが、しばらくは持つと信じたい。壊れたりしないでくれよ。壊れた場合は、修理の明細を彼女の実家にきっちり送ろう。
「うへへ、もっと酒を持ってきなはれ! 飲んで飲んで、飲まれても飲むさかい」
「ふう、次はこの酔っ払いだな。とりあえず屋敷の中に入れよう。僕が背負って‥‥」
「ルー様、私が致しましょう。女性の介抱を殿方がすべきではありませんから」
すかさず、僕にそう言ったのは給仕や案内役をしていたマリー姉さんだ。確かに、ロウ兄さんの婚約者を衆人環視の中で介抱するのは問題か。しかし、ふと疑問に思う。
「マリー姉さん。マルチナの時は何で何も言わなかったの?」
「‥‥あれはルーの婚約者と名乗っているただの置物に過ぎませんから。ほら、今も全く動かないでしょう?」
「本当だ。はあ、とんだ失態だよ。ラング兄さん並みに酷すぎる。なんで両親はマルチナと婚約させたがるんだろうな?」
「鉱山事業や運転資金の全てをファルディス家に譲渡し、代わりにマルチナをルーに引き取らせるみたいですよ。彼女の両親もマルチナのわがまま振りに愛想を尽かしたらしく、病気に見せかけて殺す算段を私達がつけています。マルチナは自分の天下と思ってるでしょうが、何の権限も財産もありません。今までの生活を続けるのは、とても無理でしょうね」
また計画的犯行になってるな。僕の気持ち無視って酷すぎるよね! そのマルチナを見れば、ベンチで高いびきをかいて眠っている。なるほど、俺と結婚しても飼い殺し後死亡確定なのか。だとすると、今が最高に幸せなんだろうな。結婚の夢を持ち、美味しい物を一杯食べて贅沢している今が。夢から覚めたら、地獄待った無しだ。
だが、俺はその地獄には付き合わない。何故ならカレンさんのお墨付きを得たからな。魔族の女性が結婚相手だと。マルチナって間違いなく人間だから違うだろ! そうであってくれえい!!
あっ、ベンチの足が折れそう。至る所にひびが入って、そろそろ限界だな。三十六計逃げるにしかず。退散しよう、そうしよう。
「じゃあ、マリーは介抱を頼む。僕はミルを呼んでくるから。すまない、道を開けてもらえませんか!?」
人が割れ、道が空いたのを確認した僕は屋敷内へと向かう。入る瞬間に凄い音と爆笑する声が聞こえた。たぶん、寝ていたマルチナがベンチを破壊したな。‥‥これで婚約が破談になってくれればいいけど。
次回、介抱するルー達に巨大な魔の手が!