^^ [冷やしテロリストはじめました] ^^
「あー、世の中クソだわ。さっさとオレ以外、死なねーかな」
オレにはイベントがない。
だから、小説のようにおもしろおかしいイベントなんて起こりようもない。小説は最初に死体を転がせなんていわれているが、そんなマイナス方向のイベントも起こらない。だから、ゴミクズにも劣る刺激のない始まり方しかできないんだ。
なにしろイベントがないんだからな!
何もない。
何も。何も。ない。
トラックに轢かれそうになっている美少女なんてどこにもいないし、それを颯爽と助けるオレなんて、妄想の世界でしか存在しない。
異世界には転移しないし転生もしない。
それどころか。
オレはどんどん歳をとっている。
うだつのあがらない仕事をして、ずっとこの先、低収入なのは確定だ。
先細り。ジリ貧。パチンコで今日もまた負けてただでさえ少ない貯金がまた減ってしまった。
彼女もいない。金もない。家族は早々にボケてしまいグループホームにぶちこんだはいいが、金食い虫になっている。会話もできない。精神的には死んでるのと同じだ。ついでに言えば髪もない。
あるのはたるんだ贅肉と、濃度9パーセントのチュウハイだけ。
酸素がたりねえよぉ。息苦しいよぉ。
バブルとかいう日本がフィーバーしていた波には乗り切れず、派遣とか非正規とかで食いつなぎ、いろんな世の中の矛盾や歪みを、一身に背負っているような息苦しさ。
つまり――、
――キモくて金のないおっさん。
それが世間でいうところのオレの評価だ。
だから――。
もし、明日世界が終わってもべつにどうでもよかったし、むしろオレ以外を巻き込んで死ねるなら、それでもいいんじゃないかと思っていた。
世の中の"割り"を食っている怒りがある。
だが。
だがしかしである。
べつに明日すぐ死ぬようなそんな恐れもないこの国は、それなりに居心地がよくもある。もしも第二次世界大戦のドイツに占領されたフランスだったら、レジスタンスとして戦うことに正義の心を燃やすこともできただろう。
あるいは、第二次世界大戦中の日本はどうだ。
護国というのは、これ以上ないエンターテインメントじゃないか?
でも死ぬかもしれん。それは怖い。死ぬのは怖い。
だから、今のオレの状況は、パチンコで少しずつ持ち玉がなくなっていくようなそんな心境で、一発逆転なんか望むべくもないが、スッパリ諦めてしまうほど、オレは諦めがよくないということなんだ。
この先、人生でナニカ楽しいことが待っているんじゃないかなんて、形のない淡い期待を抱いている。
でもさ。人間誰もが歳はとるわけだから、パチンコの球がだんだん減っていくのと同じで、絶望がじわじわと押し寄せてくるんだ。
それが、息苦しいっていってるんだ。
「あっちぃーな。クソ」
そんな得体の知れない昏く、ひずんだ感情は、つまるところ、この地上の暑さと同じだ。
少しずつ、暑く、熱せられて、それで死ぬわけではないし、自殺するのも怖いし、ただ、少しずつ、不快で、不快で、この世の中はクソであるという事実が確定的に明らかになる。
あー、馬鹿じゃねーかな。
死ねよオレ。
で、イベントをグダグダ適当に探していたオレの目に移ったのは、『くえすちょんブックマーク』という、いろんなネタを匿名で書きこむサイトだった。
その記事のうちのひとつ。
^^ [冷やしテロリストはじめました] ^^
なんだこりゃ。
最初、そう思った。
いやだってそうだろう。なんで冷やし、冷やかしの間違いか?
単なる釣りかなと思ったが、ほんの少し興味が湧いてオレはアクセスする。
くえすちょんブックマークはいわゆるSNSで、要するにブックマークをまとめる機能がある。
そこにあるのは別のウェブページで、それをブックマークのポータルサイトがまとめているという様式だ。
つまり、クエスチョンブックマークからオレはそのウェブページに飛んだことになる。
ワードプレスか何かで作られたページは、洒落ているけれども人工的で、あまり人間臭さを感じさせないつくりだ。
色はベージュを基調とした作り。
落ち着いた色調のページには、雄大な自然をバックに、格調高い詩のようなものがいくつか見られた。
が、そのすぐ下にはけばけばしい警戒色満点のドギツイ配色で、
^^ [冷やしテロリストはじめました] ^^
と書かれてあった。
「なんだこりゃ。やべえ宗教かナニカか?」
いずれにしろ、どうでもいい。
何かのイベントに飢えていたオレはページを進める。
^人^ [無敵の人 募集しています] ^人^
なんだこれ。単なる求人か?
そう思いつつ、さらに説明書きを読んでみる。
小さな文字で書かれてあって読みにくい。
『無敵の人 募集しています』
『無敵の人というのは、人生に絶望している方です』
『今の命がなくなってもいいと考えている方です』
『犯罪をおかして刑務所に入ってもいいと考えている方です』
『殺しても殺されても捕まって人生が終わっても何の痛痒も感じない方です』
『つまり、あなたのことです』
ギクリとした。
そうだ。これはオレのことが書いてある。
しかし、こんな洗脳めいた言葉なんて、いまどき溢れている。誰だって金のないやつから金をまきあげようと必死なんだ。
くだらない。
そう思いページを閉じようとした。
そのときだった。
突然、ポップアップが画面の右隅から開いた。
『やあ無敵の人』
ウイルスか?
どうせ、宣伝の類だろう。くだらないと思い、ブラウザごと閉じようとする。
しかし、ポップアップは消えない。
こりゃ厄介なウイルスを引いちまったか。
どうせ、パソコンの中にはくだらないゴミデータしか入っていない。
タスクから閉じようとする。
しかし、消えない。
『無視しないでくださいよ。無敵の人』
ポップアップは今度は画面の真ん中に移った。
面倒になって、オレはパソコンの電源を切った。
画面は消えた。
再起動。そしてまた出るポップアップ。
クソ。これOSの再インストールか。もう何年もやってないから面倒くさいな。
『無敵の人。少しでいいから話を聞いてもらえませんかね』
ポップアップをよく見ると、下のほうに線が引いてあって、文字を打ち込めるようになっていた。
『おい。おまえ。なんなんだよ!!!』
ほとんど日頃の怒りというか鬱憤をそのままぶつけるようにして、オレは力いっぱいキーボードを打ち込んだ。
『ああ、ようやく反応してくださいましたか』
『こんな、おまえ、犯罪だぞ!』
『そうです犯罪です。ただよく考えてください。わたしは"テロリスト"ですよ』
『そもそも犯罪者だといいたいのか』
『そうです。まあ正確にはテロリストの斡旋をおこなっております。しがないプロデューサー。あるいはコンサルタントのようなものと思っていただければ』
『オレに何の用だ。オレは』少し悩み『ただのおっさんだぞ』
『だからですよ。あなたは――んー。こりゃひどい。44歳。両親は認知症。派遣社員。月給15万。夜勤をして17万円程度。家賃その他もろもろを差し引いたら、月の可処分所得は2万円程度。妙にプライドが高いせいで友人もいない。彼女もいない。20歳の頃から30歳の頃まで引きこもりだったせいで、ろくな資格もお持ちでない。絵に描いたような失敗の人生ですね』
『だからどうしたってんだよ!』
グラグラと目の前が煮立つような怒りを覚える。
しかし、このような怒りを覚えることに、オレは一抹の快感も得ていた。
なぜなら、オレの不満や不快さや、世の中に対する絶望というのは、そもそも形のないもので、ぶつける当てもないものだったからだ。
今、目の前にいるこの文字列を思う存分憎悪の対象にできることに、画面の前のオレは、頬を引きつらせていた。
シネェ。シネよぉ。
『失礼失礼。しかし、無敵の人。だからこそ、あなたのような方を必要としている人もいるんですよ』
『どういうことだよ』
『この世の中にはあなたのような無敵の人がたくさんいます。それは要するに、この世界に、この社会にコミットメントする価値を見出せない方たちです。報われたことがほとんどなく、誰から賞賛されたことも、省みられたこともない。もし明日、アパートの一室で孤独のうちに死んだとしても、誰も悲しまないだろうという確信のある人のことです。会社の上司は仕事を誰が代わりにするかは心配でしょうが、こう言うでしょう。あー、あいつ勝手に死にやがって、とね』
『そうかもしれないな……』
あまりにも的確な指摘に、オレはグッサリと釘が心臓に刺さったみたいだった。
どうせ、誰もオレを見てくれないという感覚は、ずっとどこかにあって、だから"くえブ"を使って、適当に当り散らしていた。
『だからこそあなたは無敵の人なんですよ』
『それ、あれだろ。世の中に対してどうでもよくなって、犯罪をしても捕まってもどうでもいいとか考えてる人だろ。オレはそこまで腐ってないつもりだ』
『本当にそうですか?』
『ああ』
『だったら、なんで四丁目のクリーニング屋で、他人の下着にあなたの、その……なんと表現したものか、"あなた自身"をこびりつかせていたんですかね?』
手が震えていた。
確かにオレも人のことは言えない。
プチ犯罪者。
極まったジリ貧生活とたまりきった性欲がわけのわからない具合に融合して、そういう次第になった。
『なんおjgた』
打ちこむ文字がわけのわからないものになった。
バックスペースを押しても反応しない。
言葉を取り消すことはできないようだった。
『失礼。あなたのプライベートはだいぶん調べさせていただいているんですよ』
目の前の得体の知れない存在に、オレは肝が冷えるのを感じる。
それとも、自分の罪が暴露されたことに対する罪悪感か。
目の前の奴は哄笑しているように感じた。
『どうやって調べたんだよ』
『失礼失礼。怯えなくても結構ですよ。わたしはべつに悪魔でも魔術師でもない。非常に人間的な手法を用いて調べました。つまり、探偵ですよ』
『探偵を? オレはただのおっさんだぞ』
ただのどこにでもいるようなゴミくずにわざわざ探偵を使って調べるやつがいるか? なんのために? 道楽か?
『いや、あなたはただのおっさんではなく無敵の人なのですよ。だから、あなたは必要とされている』
『どういうことだ』
『実をいうと、この世の中にはテロを望む人がいるんです。あるいは誰かに死んでほしいと願う誰かもまたどこかにはいるんです。しかし、日本人というのは害意を撒き散らして死んでいくよりは自殺したほうがいいと考えている人が圧倒的に多い。また、宗教やイデオロギーなど心の底から信じきれるものがないので、そういったものを武器に――爆弾になれないのです。この国では爆弾となってくれる方が圧倒的に少ないのですよ』
『そうだろうな……』
『他方であなたのような方がいます。社会というシステムのひずみに生まれた、誰にとっても無価値で意味のない人生を送っている方。それで、どうしようもない孤独を感じて、"あなた自身"を他人の衣服にこびりつかせることぐらいでしか、孤独を解消できない方がいます』
……。
心臓が早鐘を打っている。
こいつはオレのことをよく知っていて、オレは奇妙なことに、この文字列に親近感を覚え始めていた。
孤独が癒されるように感じた。
『そう。あなたのような方ですよ。無敵の人。一方では資本主義の頂点を極め、人を殺す爆弾を求めているゴミ虫たちがいて。他方では社会の底辺でうごめいている無価値の花たちがいる。これらは容易には結びつかないものでした。そもそも、社会に対する怨みつらみというのは形がないものでして、その膨大なエネルギーをお金にできれば、とても素晴らしいことになると思ったのです』
『つまり、オレをテロリストの爆弾にして、誰かを殺させるってことか』
『そのとおりです!』
『それでおまえはその資本主義の最上流な誰かから金をもらうと』
『そのとおりです!』
『底辺の怨みをマネタイズをしているわけか』
『マネタイズなんて難しい言葉をよくご存知ですね』
『やらねえよ。やるかよこんなもん。通報して終わりだ』
『いいんですか?』
『なにがだ?』
『あなたは何物にもなれないまま終わっていくことになる。人間とは生まれたときは膨大な可能性をその身に秘めているが、長ずるにしたがって、その可能性という貯蓄を少しずつ切り崩して生きているんですよ。あなたの年齢から言えば、もうあとは――そうですね。死ぬくらいしかないんじゃないですかね』
『そんなのおまえにはわかんねーだろ!』
『いいえ。わかりますとも。なぜなら――』
ブツン。
気づくとオレはパソコンの電源を引っこ抜いていた。
「クソ。クソがっ!」
怒り。
それは何物にもなれず、ただ漫然と死んでいくほかないオレ自身に対する怒りだったのかもしれない。誰かを殺すほどのテロ行為に走るつもりはないが、奴のいうことにも千分の一くらいは同意できる。
こんなクソみたいな人生での初イベントがこれかよ……。
☆
翌朝。
派遣の仕事は休みで、オレは家でごろごろしていた。
あれからパソコンをもう一度つけてみると、ポップアップは消えていた。もしかすると、9パーセントの酒を呑んでいたせいで見た夢だったのかもしれない。
そんな具合に考えていたところ、ピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
オレは普段、呼び鈴には居留守を決めこむことにしている。そもそもオレに会いにくるやつなんかこの世にいないからだ。いるとすれば、新聞勧誘か宗教か、NHKくらいなものだ。
応対する時間すらもったいない。
だが――、ふとよぎるのは昨日のやりとりだ。
もし、昨日の出来事が夢でなかったら?
そんな恐怖がわずかに湧いて、オレは音を立てないように静かにドアに近づいて、覗き穴から外を見た。
そこには、高校生くらいだろうか――、
少女といっていい年齢の女の子が立っていた。
なんだ。なんだこんなバカなことがあるものか。
部屋番号まちがえてるんじゃないだろうか。
そんな狼狽した心のまま、なりゆきを見守っていると――。
少女はドアの前で一枚の折られた紙を見せた。
それを両手を使ってゆっくりとあけていく。
『やあ。無敵の人』
「ひ。ひえっ」
オレはもつれるようにして後ろに倒れこむ。
ドアの外には幻ではなく、少女が立っており、紙に書かれた文章も変わることはない。現実は――すぐそこに迫ってきている。
すくなくとも五分以上はそこでじっとしていた。
息を殺していた。
でも、オレが倒れる音は聞こえただろうし、少女は帰る気配すらない。
意を決してオレはドアを開けた。
「な、なにかご用ですか?」
「入れてください」
少なくともオレはデリヘルとかを呼んだことはない。
少女という異質な存在をクソみたいなゴミ部屋に入れるという状況に、オレは混乱していた。
少女は着ている服こそパーカー、下は短いショートパンツのようななんていうのかオレにはよくわからんが、ともかく目立たない服装をしていたが、中身は目を見張るほど綺麗な顔をしていた。
ぷっくりと膨らんだ唇と、クセのない髪の毛が肩口にまでかかっている。パーカーのような服を脱ぐと、鎖骨のあたりがあらわになり、肌が綺麗だった。
オレにとっては、娘のような年齢の子どもだったが、久しぶりに感じる女性という気配に、むくむくとよからぬ妄想が膨らんできた。
「あ、あの、君は……」
「おじさん。この部屋キタナイね」
「え、あ、うん。そうだね」
「仕事忙しいの?」
「わりと」
「だから、綺麗にしないの?」
「そうだよ」
あるいは、単にこの世界に対して執着心がないのかもしれない。ただ、目の前にいる少女に対して、それなりに大人の男としての矜持があって、そんなふうに見栄を張ってしまった。
「お部屋。掃除しようか?」
「え? はい。お願いします」
何ヶ月ぶりかになる掃除機をうごかして、彼女は掃除を始めた。
いったい、彼女はなんなのだろう。
まちがいなく、奴の仲間か、あるいは関係者に違いないだろうが……。
もしかすると、オレがテロリストの爆弾になるために?
だが、オレの下半身は正直だ。
少女の裸を脳内で想像し、勝手にいきりたってしまっている。
それで、部屋の掃除があらかた終わった後、改めて、少女はベッドに腰掛けるように座った。俺はパソコン用の椅子に座っている。
「それで――君、名前は? 冷やしテロリストの関係者なのかな?」
「名前は茶子と名乗っておくね」
ちゃこ? 犬みたいな名前だな。当然偽名だろう。
「冷やしテロリストについてはあんまりよくわからないかな」
「どういうことだ?」
「あの人――人じゃなくてグループかもしれないけど、コンタクトをとってきた人がいるでしょ。私のところにも同じようなのがきたんだ」
「ポップアップされるアレ?」
「私の場合は、スマホだったけど」
「で、テロリストの片棒をかつぐように言われたのか?」
「半分くらいは違うかな。私は無敵の人を救済するように言われただけ」
「救済?」
「簡単に言えば、セックスさせろってこと」
ごくりと生唾を飲みこんだ。
ショートパンツから見える生足が白く綺麗だった。
顔。おっぱい。そして足。
「で、君は了承したんだ?」
「うん。まあ――いろいろあって、それもいいかなって」
「金か?」
「うん。まあそうだよ」
「危険だと思わなかったのか? そいつに君の情報は握られてるってことなんだぞ! まだ君は若い。オレと違って未来があるだろう。すぐに警察に保護を求めるべきじゃないか」
「あはは。おじさん。そんな勃起しているのにイキっても説得力ないよ」
「うっ」
オレは両手で下半身を押えこむ。
静まれわが分身よ。
茶子はかわいらしく笑っていた。
けど――、少し経つと笑いをひそめた。
「うちってさぁ……生活保護なんだよね」
茶子はそう言うと、なにかに諦めたような色彩の低い瞳をこちらに向けた。
「知ってるおじさん。生活保護の家の子って、なかなか大学に行けないんだよ」
「どうしてだ? 進学も生活保護でなんとかなるだろ」
「世帯分離っていって、大学にいって別の暮らしになると、親が生活保護でも娘のほうはそうじゃなくなるの。つまり、バイトしてお金稼いで、奨学金をたっぷり借りて、それで勉強しなくちゃいけなくなる。私がまともなお金の稼ぎ方をしていたら、拘束時間が長すぎるしね、勉強するために進学したのに本末転倒だと思わない?」
「だからウリをやってるのか?」
「ん。そういうこと。べつにノーマルなやつもやってるけど、今回のは割りがよかったんだ。とても時間効率がよくて、私が何年働いても稼ぐことができないくらいもらえる。前金で半分は振りこんでもらったしね。あの人はそこんところは誠実だよ」
「誠実って、そんな。この冷やしテロリストの原理を教えてもらわなかったのか? オレは爆弾になるんだぞ。まあどこかの宗教みたいに自爆しろってことじゃないかもしれんが、とんでもない犯罪集団の一員になるかもしれないのに」
「でもさ。おじさん。私だって、この世界の"割り"を食ってきたんだよ。少しぐらい世界よ壊れろって思ったって、いいじゃん」
「君はまちがってる」
「そうかもね。だったらおじさんはどうなの?」
「オレか……オレは……」
「私とエッチするの? しないの?」
「……します」
所詮、オレは人間のクズなのだった。
☆
そしてオレが童貞を捨てたあと、この世に対するしがらみというかなんというか、生きている価値がほとんどなくなっていた。
茶子は去り際に、「おじさんありがとうね。もう会うことはないと思うけど。まあがんばってください」という何の慰めもない言葉を残して去っていった。
パソコンの電源をつけると、また奴がいた。
『やあ、無敵の人。童貞卒業おめでとう』
奴の口調はぞんざいなものになっていた。
それこそ親しい友人に告げるように。
『おまえはいったい何がさせたいんだ』
『この世に対するしがらみがなくなればいいかなと思っただけだよ』
『しがらみどころか、オレが癒されたら、テロなんてしなくなるだろうが』
『まあそのあたりは確率論だよね。確かに独我論の特効薬としてセックスは有用だ。無敵の人は社会から分断されているという孤独感が重要な要素なんだけど、それが癒されてしまったら元の子もない。それはわかってるんだ。けれど、これはとても難しいことなんだけど、無敵の人が孤独であるのは、他者から踊らされているという感覚があって、それを敏感に感じ取り拒絶するからだ。他者から命令されるのが嫌い。歯車になるのが嫌い。自分が割りを食っているのが嫌い。つまり、この文章でテロ行為を働けといったところで、それもまた他者からの圧力ということで君は嫌う』
『当たり前だ!』
『でもさ。お願いならどうなのかな? 確かにテロ行為は悪いことだ。人殺しも悪いこと。だが――、世界は、社会は、他人は君になにか報いてくれたかな? 昨日、茶子ちゃんが君に抱かれたのは、わたしがそう手配したからだ。これは君にとって素敵なイベントだったんじゃないかな? この世界で生まれてきて始めての他者からの施しだったんじゃないかな?』
『オレを洗脳しようっていうのか』
『洗脳なんてとんでもない。わたしは君が思っていること。心の底では認めていることを言葉にしているだけだ』
『オレは』
打ち込む前に畳み掛けるように文字が浮き上がる。
『死にたくない? それはそうだろう。そのあたりは手配してあげるよ。殺す道具もできるだけ嫌悪感を抱かない爆弾を設置するだけの簡単なお仕事だ。君は日々送られてくる簡単な爆弾作成キットを少しずつ組み立てて、指定された日に指定された場所に仕掛けるだけでいい』
『オレは』
『なんなら、茶子ちゃんを君の好きなようにしてもいいよ』
何分もオレは固まっていた。
しかし、画面のポップアップは消えない。
『わかった』
オレは最後にとうとう打ちこんでしまった。
☆
それからオレの家に毎回違う人が爆弾の作成キットを郵送してくるようになった。郵送というかポストにつっこんでくるだけだな。
気の弱そうな中学性くらいの少年が一度オレの家のポストにそわそわしながら突っ込んでいたときにたまたま遭遇したんで、声をかけたことがある。
「冷やしテロリストの方ですか」
「はい。がんばってください。無敵の人さん」
「あの、君はこれがなにか知っているわけだよね」
「知ってます」
「その、罪の意識とかはないのかな」
「たぶん僕がやらなくても誰かがやるんじゃないですかね」
「そりゃ確かに」
オレみたいに直接テロ行為をするように依頼を受けた人間ではなく、なんというか準無敵な人は世の中にたくさんいるようだ。
オレはポストに誰が来るのかを観察するのがすっかり趣味になっていた。
爆弾は少しずつ組み立てられ、少しずつ、無敵の人達の悪意が形になっていく。
その様子に、暗い喜びを覚えながら、しかしじわりと恐怖心が湧いてくるのを感じた。オレは結局何をしているのだろう。
テロなんてしたくはない。
そんなときには狙いすましたかのように茶子がやってきて、オレを慰めてくれる。オレはもはや完全に踊らされていることを自覚していたが、しかし、どうしようもなかった。
「おじさんががんばってテロルしてくれないとさー。私もお金がもらえないんだよね。がんばって。おじさん。おじさんは今の私にとって必要な人なんだよ!」
「だったら、オレの子どもを生んでくれよ」
「えー。ヤダ」
ビジネスライクな関係である。
スキンを隔てた清くただれた関係だ。
オレがこの世界に執着心を必要以上に持たないように、さりとてテロを起こす程度の怨みは持続するように、完璧に誘導されている。
もはやオレは思考を放棄した。
やがて、爆弾は完成した。
☆
『やあ。無敵の人。ようやく爆弾が完成したね』
『ああ……ひとつ聞いてもいいか』
『どうぞ』
『なんで冷やしテロリストなんだ?』
『え、ああ、そんなことが気になるんだ』
『まあお前との付き合いも半年くらいは経っているからな。完全にクリスマスシーズンじゃないか』
『たいした理由はないよ。冷やしを英語にすると?』
『フローズン?』
『コールドってことで考えた。で、コールドはもうひとつ似たような発音の単語があるだろう』
『コールド。よばれるテロリスト? そんなギャグみたいな理由で決めたのか』
『まあ、理由なんてどうでもいいじゃない』
『そうだな』
『それじゃあ。計画を実行してくれるかな?』
『計画が終わったら、茶子と結婚させてくれるんだよな』
『まあ、手配はするけど、そこは彼女の自由意思次第だねぇ。わたしは人間の自由意思を犯したりはしないもんでね。君との関係も彼女との関係も契約次第だ。なにかを強制したりはしない』
『おまえは悪魔かなにかなのか?』
『ご想像におまかせするよ』
オレは計画に従って、指定のポイントまでタクシーで向かった。
このタクシーの運転手も準無敵の人で、オレが計画を実行した後に、拾ってくれるらしい。うまくいけばオレは手配されることもなく、茶子とまたただれた関係に戻れる。
指定された場所は大きな池のある公園だった。
周囲は2、3キロはあるんじゃないだろうか。
オレはボストンバック片手に、周りを気にしながら公園の一角を目指す。
きっと――、誰かが死ぬ。
オレは誰がターゲットかは知らされていない。
おそらく奴がそういう情報を教えないほうがうまくいくと考えたのだろう。
それは正しい。
オレは誰とも知らないやつが、今日勝手に世の中の悪意にさらされて死んだとしても、それほど良心が痛まない。
テレビの中の他国の地震や、隣町で殺された人のことを、たいして共感もしないし、心が痛まないのと同様に、その延長上として捉えている。
爆弾を――設置するだけだ。
オレはオレが作った爆弾をオレが作ったということがいまいち信じられない。それは高度に設計された歯車の一部のようなもので、オレは単にそこにいただけのように思うのだ。
だから悪くないなんていうつもりはない。
テロ行為は悪いことだし、殺人も悪いことだと、きちんと認識している。
オレは罪を犯そうとしている。
それも取り返しのつかない。
だが、奴が言うように、オレは無敵の人だった――。
だから、なんでもできるしなんでもなれる。朝の少女戦隊もので言ってた台詞だが、まさに未来は暗くひずんでいて、だからこそ、マイナスの意味でも、なんでもできるしなんにでもなれるんだ。
オレは暗い気持ちのまま一歩踏み出した。
だけど、そこで。
「おじさん!」
呼び止める声。
茶子?
どうしてここに。
「昨日様子が変だったから。家の前で張ってた」
「おまえ。オレが何するのか知ってただろ」
「知ってたけど。やっぱテロはダメだと、思って――」
「なんだよ。そりゃ……」
オレは、茶子のことも少しは考えてたんだぞ。
金がいるって言うからさぁ。
時間がない。指定された時間まであと十五分。
あと十五分で、公園のゴミ箱の中に爆弾を放り込まないと、オレは冷やしテロリストとしてテロを完遂できない。
爆弾の起動はさせていないが、オレはターゲットの顔も知らないのだ。
つまり、テロは失敗する。
でも――、それでいいじゃないかと思った。
なんだかんだいって、オレの長い人生のなかで、母親以外で肌に触れることを許してくれたのは茶子くらいだった。
その茶子がテロ行為をするなというのなら、オレにとってそれは逃れがたい、しがらみになる。
両親も友人もいないけど、クソみたいな人生としかいいようがないけれど、茶子とは単なるビジネスの関係だが、ビジネス以外のところで茶子はオレにテロるなといっているんだから――。
だからオレの選択は決まっていた。
「帰ろう」
「いいの。おじさん。あの人に怒られちゃうかも」
「ならなんで止めるんだよ」
「わたしが自分勝手にそう思っただけなんだ」
「なら、それでいいじゃないか。オレも自分勝手にテロをやめるだけだよ」
「おじさん。ありがとう。今日は生でさせてあげるね」
下半身が硬くなるのを感じたが、茶子は今までのなかで一番いい笑顔をしていた。茶子にとってはまだこの世界は絶望しきるほど腐ってないのだろう。オレにとってはどうだろうか。
☆
途中の海に爆弾を投げ捨てて、オレはアパートに帰っていた。
茶子は買い物にいって、今日のテロ放棄祝いをするらしい。何の祝いかよくわからないが、そういえば、今日はクリスマスだった。
クリスマス・テロルか。
そんなしょうもないギャグを思いついて、オレも奴のしょうもないセンスに毒されているなと思いつつ、テレビをつけたら、何かの事件で大騒ぎになっていた。
あの公園で爆弾テロがあったらしい。
オレのことかと思ったが違った。
容疑者の顔写真を見て「あ」と思った。
捕まったのはオレを公園に連れて行ってくれたタクシーの運転手だ!
オレはパソコンを起動してみた。
『やあ。無敵じゃなくなった人』
奴が現われた。
『これはどういうことだ?』
『べつに君だけが無敵の人ってわけじゃないからね。保険だよ』
『オレ以外にも爆弾はいたってことか』
『そうだね。わたしがかなり精妙にコントロールしても、君達人間はどこかで気まぐれを起こしてしまう。まあ、それも――所詮は確率論にすぎない。計画が破綻する確率と成功する確率をはじきだして、それも込み込みでリスクヘッジすれば、ビジネスモデルとしては破綻しないというわけさ』
『オレはもうおまえには関わらないぞ。警察にも言わない。放っておいてくれ』
『あいにくだが――わたしは人間の心というものに価値を見てないんだ』
『なにをわああごあjがおあがいおじゃ』
それ以上、キーボードを打つことができなかった。
背中が焼ききれたように熱い。
こんなにも冬の大気は冷たいというのに、しかし熱かったのは一瞬、どんどんオレの中から熱が奪われていく。
そこには――、あのときのポストに爆弾の部品を入れていた少年が、血まみれの包丁を握っていた。
『無敵の人。よくやったよ。君はこれで"殺人"という社会に対する傷跡を残せたことになる。心配しなくていい。たとえ君が少年院に入ったとしても、君をいじめたクラスのみんなは、爆弾テロで吹っ飛ぶから安心したまえ。それと無敵じゃなくなった人。やっぱり無敵じゃないと死んじゃうよねぇ』
パソコンの画面を見ながら少年が暗く笑うのを見た。
それとも――オレの意識が消えかかっているから暗く見えるだけだろうか。
ああ……茶子。最後に孕ませたかったなぁ。
でも、茶子は血まみれで死んでいるオレを見て泣いてくれるかな、なんて思うんだ。だったら、何も残せずに死んだわけじゃない。
そう信じたい。
オレは茶子に膝枕されるのを夢見ながら、暗い闇の中に消えていった。
『やあ無敵の人』






