01 赤ずきんといばら姫
「こちら、『赤の騎士団』より応答願う。『赤ずきん』ちゃ~ん、もう準備できてる?」
「赤ずきん」と呼ばれた少女は雑居ビルの間を走り抜けながら、耳元で聞こえた声にチッと舌打ちをした。いつもの間の抜けたような声。このような切羽詰った状況では、ストレスを感じさせる声だ。
「おーい、舌打ち聞こえたけど、どうしたのかなー?」
「……」
「あれー?無視とかひどくない?おじさん泣いちゃうかも(笑)」
「…いちいち(笑)とか声に出して言わなくていいから」
埃の漂う雑居ビル。長い間人が住んでいなかったであろうビルは、いつからか小動物の住処となっていた。乾いた風が吹き抜け、あたりには割れたガラスの破片や捨てられた雑誌が転がっている。
いつ乗り捨てられたのかわからない、煤だらけの赤いワンボックスカーを、ステップを踏むかのように乗り越え、少女は人ならざるスピードで駆け抜ける。しっかりと前だけを見据えて、迷いはない。
「目標との距離を教えて」
「前方250m。あ、もうすぐだね~」
「了解」
通信を切るのと同時に、少女は足に力を込め飛び上がる。その風圧で、彼女の足元の埃も舞い上がった。
上空30m。
吹き付ける風は、どこか生ぬるい。
少し目を細めながら、少女は腰元にセットしていた拳銃を二丁取り出し、雑居ビルの隙間にいる目標へと定める。
距離は直線にして180mにまで縮まった。
ホロスコープもなにも付いていない状態で狙うのは、通常の人間であれば到底無理な話である。
「一点集中!」
少女が呟く。
もし、今誰かが少女と同じ視点を共有できたのならきっとこう表現するだろう。
「遠くにいるはずの敵が、まるで目の前にいるようだった」と―――。
バン バン バン
街中に銃声が響き渡る。
少女はくるっと一回転すると、綺麗に屋根の上に着地した。その衝撃でぐしゃっと近くの瓦がこぼれ落ちる。
目標の地点では、「なにか」が倒れている。数にして、三体。そしてその少し離れた位置に立つ、人影。
少女が一息つくのと同時に、耳をつんざくような通信が入った。さきほどとは違う、張りのある声だ。どうやらその人影からの通信のようだ。
「てっめぇ、危ねえだろ!もし外して俺が撃たれたらどうしてくれてたんだよ、このはげ!撃つなら一言通信入れやがれ!」
「私が外すわけ無いでしょ。実際に、ちゃんと仕留めてるわけだし」
「はあぁ??結果の話をしてんじゃねえの、俺は!もしもの、話をしてるんですぅ!世の中絶対なんてねえんだよ!わかったら一言通信いれろ、この生意気小娘!」
ぶちっ
唐突に切れた通信に少女は呆然と立ち尽くす。
何か悪いことをしただろうか、いや、ちゃんと任務は遂行した。なにも悪いことはしていない。
少女の顔は、なぜいま怒鳴られたのか、本気でわかっていないようだった。
「…なによ」
少女はぼそっと呟くと、踵を返して元来た道を駆け抜けていった。
一方、「なにか」の近くにいた人影は「はあ」とため息をついた。目の前に倒れている「なにか」はどうやらオオカミのようだ。だが、少し歪な、人型のオオカミ。
少女によって撃たれたオオカミからは、真っ黒な血が流れ出していた。赤ではなく、黒色の、血。その匂いは、この街の生ぬるい風と混じり、何とも言えない異臭を放っている。
「ったく、ふざけんじゃねえ。結局後始末は俺かよ。あいつ、ほんと帰ったら一発どついてやる」
どうやら青年のようだ。白く透き通った肌は、まるで芸術作品のようにさえ思える。絹のような金髪をオールバックにし、切れ長のまつげの隙間から見える瞳は、綺麗な藍色をしていた。まさに美青年だ。しかし、青年はその容姿に似つかわしくない言葉遣いをする。
「クソアマ。なんであんな奴の後始末なんてっ…」
ぶつくさと文句を言いながら、青年はオオカミたちを一つにまとめる。そして黒く染まった自分の手をハンカチで拭きながら通信をつないだ。
「こちら、セイヤより。オオカミの駆除、メイの手により完了。至急、回収を要請します」
「はーい、こちら『赤の騎士団』。ダメでしょ~、『いばら姫』くん。ちゃんとコードネームで言わないと。誰かに聞かれてたらどうするのー」
さきほどの間の抜けた声だ。青年―――『いばら姫』およびセイヤは、その声を聞くと「はあ」とため息をついた。
「こんな廃れた町に人なんていないじゃないスか」
「念には念をっていうじゃないか~」
「そもそも、コードネームとか言って俺のこと『いばら姫』なんて呼ぶのやめてください。嫌なんで。大体コードネームなんて作って呼んでるの、ジョーカーさんだけっすよ」
「違う違う、俺はジョーカーじゃなくて『帽子屋』!さっきのメイちゃんのことも、ちゃんと『赤ずきん』ちゃんって呼んであげないと。人生には遊び心を混ぜていかないとね(笑)」
「(笑)って口に出して言わなくていいんで」
綺麗に整った顔がゆがむ。セイヤの頭の中は、帰りたい気持ちで満たされいた。
さっさとこの不毛なやりとりを終わらし、自分の部屋に帰って寝たい。寝ることはなによりの至福である。人手が足りないとのことで、この現場に駆り出されたセイヤはいつもよりも、2時間ほど早起きしていた。その分の睡眠を取り戻したいのだ。
セイヤはさきほどよりも「はあぁぁぁ」と大きなため息をついた。
「もう、どうでもいいんで、はやく、はやく回収しに来てくださいね」
「なんだ、冷たいなあ。まだ話は終わってな」
「ぶちっとな」
強制的に通信を切り、セイヤはおおきく伸びをして家路へと足をむけた。