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金星統合軍・機甲歩兵・訓練小隊  作者: 川越トーマ
9/21

自主的な訓練

 結局、夜のランニングは休まなかった。

 三日坊主どころか一日でやめてしまったら、いくら何でも情けなさすぎる。

 しかし、悲しいことに今夜も途中でハサウェイ少尉に追い抜かれた。

「お疲れ」

 俺が汗だくでランニングから帰ると、ロンはリビングのベージュのソファにゆったりと腰かけ、ネットワークで配信されている音楽番組を見ていた。

 しかし、音楽番組を見ながらも、両手を正面に持ち上げ、握力を鍛えるためのハンドグリップをカチャカチャやっていた。

 もうすでにシャワーは浴びたらしい。パジャマに着替え髪の毛は湿っていた。

「ダンは?」

「自分の部屋」

 ロンの目が示す方向に腕立て伏せをしているダンがいた。

「先にシャワー浴びていいか?」

「ああ」

 ダンは声だけで答えた。

 彼は暇さえあれば、ずっと筋トレをしていた。そして、筋トレの後は例のプロテインミルクをがぶ飲みする。気のせいか初めて会った時よりも大きくなったような気がした。

「明日は両手に花か。うらやましいよね」

 ロンの前を通り抜けようとすると、おどけた調子のロンの声が聞こえた。

 少しイラッとして視線を向けると、悪戯っぽく微笑んでいた。

「ホントにうらやましい? 何ならロンも参加する?」

「ゴメン、冗談だよ。僕が悪かった。いやあ、災難だよね。何か言い残すことはない?」

「そこまでの覚悟を決める必要があるのか?」

 ロンは両掌を上に向けて首をすくめた。

「おめえの場合、そこまでの覚悟を決めた方がいいんじゃねえのか?」

 あらぬ方向から声が聞こえた。ダンだ。

 腕立て伏せをしながら軋むような声を吐き出していた。

「たかが訓練だろ」

 俺は真剣にむっとした。きっと口元は尖っていたに違いない。

「ふん、甘っちょろい奴だ」

 ダンの言葉を背中に聞きながら、俺は自分の部屋でタオルや着替えを用意した。

 脱衣所にタオルや着替えを置くと、汗で汚れたトレーニングウェアや下着を洗濯乾燥機に突っ込みスイッチを入れた。

 俺がシャワーを浴びている間に、乾燥まで終わるはずだ。

 すりガラスのドアを開けて水色の内装のシャワー室に入ると、俺は強い勢いで湯を出した。

 べとつく汗とともに、ダンの嫌なセリフも洗い流したかった。

 この半年間、俺なりに頑張ってきたつもりだった。

 今も好きでもないランニングから帰ってきた。

 もともと好きで軍隊に入ったわけじゃあない。年季奉公の間だけ凌げればいいのだ。

 俺は、自分の運のなさを呪いながら、体を洗い続けた。


「もっと腰を入れろ!」

 サンドバックを抱えたハサウェイ少尉の怒号が耳を打った。

 白とグレーのトレーニングウェア姿の俺は指の出るタイプのグローブで、等身大のサンドバックにワンツーパンチをひたすら叩きこんでいた。

「サー・イエス・サー」

 サンドバックは上から吊り下げられているわけではなく、地面に置いてハサウェイ少尉が支えていた。

 場所は普段俺たちが格闘技や剣術の訓練を行う例のグラウンドだった。

「重心は前だ。後ろに引いてどうする」

「サー・イエス・サー」

 サンドバックを抱えるハサウェイ少尉には俺のパンチの威力がわかりやすく伝わっているはずだった。恐らく俺の放つパンチはハサウェイ少尉のお気に召すレベルには遥か遠いのだろう。

「休むな!」

「サー・イエス・サー」

 少しでもペースが鈍れば容赦ない罵声が飛ぶ。

 力を込めたパンチを休みなく繰り出すのは相当にしんどかった。

 筋肉が悲鳴を上げ息が上がってきた。

「お前、相手をぶちのめすっていう意思がないだろ!」

「ノー・サー!」

 俺だって必死でやっているんだ。

「もう、いい! 次、ケイに交代!」

「サー・イエス・サー」

 息も絶え絶えの俺の声と、元気にあふれたケイの声が重なった。

 俺はその場を離れ、少し離れた場所に腰を下ろした。

 『空』を見上げると、細長い『空』は白く明るい光に包まれていた。

 額からあふれた汗が目に入って痛かった。

 ケイがサンドバックを叩く音が聞こえた。

 しばらくぼんやりと音だけを聞いていた俺だったが、ふと、サンドバックを叩く音が俺とは違うことに気が付いた。

「地面を蹴るというか踏みつけるイメージだ」

「サー・イエス・サー」

 小柄なケイがサンドバックを叩く音は鋭かった。

 俺のは体重をぶつけているようなイメージだが、彼女は違った。

 俺よりもハサウェイ少尉のパンチに近い。

「足の指で大地を掴め」

「サー・イエス・サー」

 剣術で俺よりも遥かに優れた腕を持つケイだが、格闘技の腕も俺を凌いでいた。


「次はミット打ちだ。テツに交代」

「サー・イエス・サー」

 普段、表情のわからないケイも息を弾ませていた。

 つややかな髪が汗にぬれ、一部が額に張り付いていた。

 ハサウェイ少尉は、ケイが下がり俺が立ち上がる間に両手にミットを付けた。

「やり方はわかってるな。オレに叩かれないようにしろよ」

「サー・イエス・サー」

 俺が片方のミットを打つと、空いた方のミットが俺の頭を叩こうと飛んでくる。

 それを俺は身体を前後左右に振ってかわさなければならない。攻撃と防御をスピーディに繰り返す。そんな訓練だ。

「もっと早く!」

「小手先のパンチを打つな!」

 ハサウェイ少尉の声とミットが次々に俺の頭に襲い掛かった。

 かわし切れずミットが頭にあたる。

「ガードはどうした!」

 攻撃に意識を集中させるとどうしてもガードが甘くなる。

 相手の攻撃をかわすことに神経を集中すると、どうしても腰が引ける。

 どうしたらいいのかわからない。

 次第に動きが鈍り、ほとんどハサウェイ少尉の攻撃がかわせなくなった。

「どうした?」

 ハサウェイ少尉は手を止めた。

 端正な美しい顔は心配をしているというよりも不満げだった。

 俺はすぐに答えることはできなかった。まともな返事にはならないからだ。

「……なかなか思った通りには」

 黙っているわけにはいかないので正直に答えたが、ハサウェイ少尉のお気に召す内容にはならなかった。

「泣き言をいうな。ひよっこ相手でも敵は手加減してくれんぞ」

「サー・イエス・サー」

 俺は叩き込まれてきた返事をした。

 しかし、型通りの答えではハサウェイ少尉は満足しなかった。

「お前、半年間、どんな気持ちで訓練を受けてきた?」

 ハサウェイ少尉はほとんど尋問口調だった。

 グラウンドに座っていたケイが息をのむ気配を感じた。

「……落ちこぼれないように必死でした」

 ハサウェイ少尉の大きな目がすっと細くなった。

「それじゃあ気持ちで負けてるな。結果はともかく勝つつもりでやらないと上達しない」

「サー・イエス・サー」

 そんなこと言っても、そもそもなりたくて兵隊になったわけじゃない。

 ダンやケイのようなモチベーションを期待するのが間違いだ……そこまで考えて俺は気づいた。

《だからか……》

『甘っちょろい奴だ』ダンの俺を蔑む声が脳裏によみがえった。

「オレにはお前たちを一人前にする義務がある。実戦や訓練で死なないようにな」

「サー・イエス・サー」

「いきさつはどうあれ今の貴様は機甲歩兵だ。今を精一杯生きろ、さもないと後悔するぞ」

 きっと俺みたいな兵隊は軍隊内に一定数いるに違いない。ハサウェイ少尉にはすべてお見通しというわけだ。

 俺はますます自分が情けなくなった。

 ハサウェイ少尉は、大きな瞳に憐れむような光を浮かべていた。

「次、ケイ」

 俺は、ノロノロとその場を離れた。

 ケイは俊敏だった。身体を柔らく使ってハサウェイ少尉のミットをかわし続けた。

 攻撃の音も鋭い。

「よし、休憩」

 さすがのハサウェイ少尉も二人を相手にして息が上がっていた。


「隊長の体術、流派は何ですか?」

 休憩といわれても、ケイは俺のようにみっともなく座り込んだりはしなかった。

 両足を軽く肩幅に開き、両手を後ろに回した、いわゆる『休め』の姿勢だった。

「流派といわれてもな……十八になるまで、格闘技も剣術も本格的には習わなかったし」

 ハサウェイ少尉は腰に手をあてて、ケイと同じように軽く足を開いて呼吸を整えていた。

「信じられません」

 ハサウェイ少尉が何歳なのかはっきりとは知らないが、階級から判断しても、見た目で判断しても二〇代半ばだろう。

 たかが数年で、格闘技を得意とする屈強な大男を手玉に取るほどの技を身につけられるとは、俺も思わなかった。

「士官学校に入ってからいろいろ叩き込まれたが、特定の流派として格闘技を習ったわけではないからな。ムエタイに、空手に、柔道に、合気道に、拳法に、コマンドサンボ……教官や先輩が駆使していたのはそこらへんの技か」

 確かにキャンプでも特定の流派としての格闘技は習わなかった。

 突きや蹴り、投げ技、関節技、絞め技など、ありとあらゆる技術を詰め込まれたが、なんの格闘技でどんな流派なのか、俺にはよくわからなかった。

「そうなんですか」

 ケイとハサウェイ少尉の会話は続いた。

 無口だと思っていたケイだがハサウェイ少尉とは波長が合うらしい。

「我が軍には化け物がゴロゴロいるからな。ついていくのは大変だった。ところで、ケイはフェンシングをやっていたのか? 居合の技も使えるようだが」

「そうです。抜刀術は子供の頃、父に習いました。フェンシングは高校の部活動です」

「たいしたもんだ」

「でも、隊長に負けました」

 上目使いでハサウェイ少尉を見つめるケイの目には真摯な光が宿っていた。

「オレは負けず嫌いだからな」

 ハサウェイ少尉は口元に不敵な笑みを浮かべた。

 士官学校に入ってから格闘技を始めたというのは本当のことなんだろうなと、俺は彼女の強い光を放つ目を見て思った。

「卒業する頃には勝てるようになります」

 ハサウェイ少尉とは異なる静かな瞳にケイは強い意志を滲ませていた。ダンのように不遜ではないが決意のほどは彼に劣らないだろう。

「期待しているぞ」

 ハサウェイ少尉の表情は晴れやかだった。

 恐らくケイは、ハサウェイ少尉が期待する通りの生徒なのだろう。

 俺とは違って……

「じゃあ、訓練を再開するか」

 その後はハサウェイ少尉が納得するまで俺たちはサンドバックを蹴り続けた。

 訓練は昼までだったが、それで十分だった。

 手も足も鉛のようで、のどがカラカラで吐き気に襲われた。


「今日の訓練はこれまで。食事、遅れるなよ。二時過ぎると『馬のしっぽ亭』は休憩時間に入るからな」

 そう言いながらハサウェイ少尉は俺たちに背中を向けた。

「サー・イエス・サー」

 さすがのケイも疲れ切って座り込んだ。

 ぼんやりと白く輝く『空』のもと、俺とケイは手を伸ばせば相手に触れあえる距離で座っていた。

 二人とも去っていくハサウェイ少尉の背中を眺めていた。

「今から頑張れば、俺もハサウェイ少尉のようになれるのかな」

 長い髪をなびかせた眩しい背中に、俺は思わずつぶやいていた。

 別にケイの返事を期待していたわけではなかった。

「あなたはもう少し自分に自信を持った方がいい」

 意外なケイのセリフに、俺は横に座っている彼女に顔を向けた。

 色白で小柄な彼女のまっすぐな視線にぶつかった。

「根拠のない自信は持てないよ」

「あなたは私の最初の一撃をかわした」

 剣術の訓練で対戦した時のことを言っているらしい。

「そうだっけ」

「私はあれで決めるつもりだった」

 開始の合図がかかった瞬間、背筋に寒気が走ったことを思い出した。

 慌てて後ろに飛びのくと、俺の首があった場所をケイの剣先が走り抜けていった。

「逃げるのがうまくても勝てるわけじゃないだろ」

「まず負けないことが大事。あなたは勘がいい」

 真面目な目だった。単なる慰めではなく、本当にそう思っているらしい。

「そうかな……」

「だから、もっと自信をもって大丈夫」

 俺はなぜだか涙が出そうになった。

「ありがとな。ケイ」

 彼女に見られないように俺はうつむくと、小さな声で礼を言った。

「ところで、私、もっと体重を増やした方がいい?」

 突然話題が変わり、俺は混乱をきたした。

「いや、俺は今のままの方がいいと思うけど……」

 ケイはハサウェイ少尉のようなグラマラスな身体に憧れているんだろうか……

 煩悩と雑念の塊の俺は反射的にそんなことを考えてしまったが、ケイが俺にそんな話題を振ってくるわけがないことにすぐに気が付いた。

 ハッとして顔を上げると、ケイは少し困ったような顔をして頬をほんのり染めていた。

「実戦では装甲強化服を着用するんだから、戦闘能力向上のために体重を増やす必要はないんじゃないかな?」

 俺は慌てて付け加えた。

 ケイは、近接戦闘の攻撃力を増すために体重を増やした方がいいのだろうかと言ったのだ。

 確かロンもケイがもう少し身体が大きければ、自分は手も足も出ないという旨の発言をしていた。

 剣術でもハサウェイ少尉とのつばぜり合いで力負けしていた。

 格闘技は動きが鈍らない限り、体重が重い方が有利なのは確かだ。

「わかった」

 ケイは少しはにかんだような表情を浮かべた。空気が妙だった。

「さっ、飯でも食いにいくか」

 ケイは黙ってうなづいた。俺とケイは二人並んでグラウンドを後にした。

 鉛のような身体を引きずるように歩く俺とは違って、ケイは軽やかで、そして気のせいか少し嬉しそうだった。

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