馬のしっぽ亭
「おかわりが必要だったら、何なりとお申し付けくださいね」
ポニーテールの若いウェイトレスが黒とグレイの軍服姿のハサウェイ少尉に笑顔を向けた。
「了解した。ありがとな」
「いえ」
ウェイトレスは、嬉しそうに微笑みながらテーブルから離れていった。
ハサウェイ少尉も含めた俺たち六名は軍服に着替えて『馬のしっぽ亭』で夕食を囲んでいた。
その日の夕食は、コーンスープ、鶏のから揚げとペンネ・アラビアータだった。
午前中は格闘技で、午後は射撃で、卓越した技量を示したハサウェイ少尉に対し、称賛の言葉でゴマをすろうという人間は俺たち五人の中にはいなかった。
ダンもロンも自信を打ち砕かれて元気がなくなっているように見えた。
特にダンは一言も発することなく、食べ放題の唐揚げを自分の取り皿に移しては黙々と口の中に詰め込むだけだった。
『夜七時のニュースです』
馬のしっぽ亭の天井付近には金星ネットワークの番組が大きく空間投影されていた。
『最初のニュース。太陽系内の鉱物資源開発に関する自由化交渉が、金星標準時の本日十四時から月の首都ルナシティで行われています』
俺たちが静かなので、眼鏡をかけた真面目そうな女性キャスターの読むニュースがよく聞こえた。
『メインベルトと呼ばれる小惑星帯の鉱物資源開発の自由化を要求する火星政府に対し、地球政府は一歩も引かない構えを見せており、交渉は難航が予想されます』
馬のしっぽ亭は、俺たち六人のほかには客は二組しかいなかった。
一組は、ドライアイス製造工場の従業員と思われる青い作業服姿の男性四人グループ。
もう一組は、紺色のスーツを着た中年男性の二人組だった。
どちらもお酒中心で和やかに会話を楽しんでいるようだった。
『次のニュースです。衛星軌道上での反物質製造に反対する市民グループが首相官邸前で大規模な抗議活動を行いました』
映像には首相官邸前に集まり、『反物質反対!』とか『人類を滅ぼす悪魔の物質』とかネガティブなフレーズを書いたプラカードを抱えて気勢を上げる人々の姿が映し出されていた。
「警備兵になったやつらは動員されたんだろうな」
ニュース番組に見入っていた俺は思わずつぶやいた。
「ああ、二個中隊くらいは動員されただろうな」
完全に緩んでいた俺の心の中でアラートが鳴った。
今の声はハサウェイ少尉の声だ。俺は反射的に背筋を伸ばすと正面に視線を移した。
長い髪のハサウェイ少尉は、スープに髪の毛が入らないように左手を髪の毛に添えながら、スプーンを口にもっていくところだった。
「ん、どうした?」
ハサウェイ少尉は上目づかいで俺を見ながら不思議そうな表情を浮かべた。
「いえ、なんでもありません」
俺は例によって腹に力を入れて声を出した。
「そう、しゃちほこばるな。今はオフだ」
「はい」
そうは言ったものの、キャンプでは『軍隊にオフはない』とさんざん叩き込まれてきた。
素直にハサウェイ少尉の言葉を信じる気にはなれなかった。
俺のそんな様子を見て彼女はなぜか少し寂しそうな表情を浮かべていた。
『地球は我が国に反物質の増産を要求しており政府は対応に苦慮しています。解説のアンダーソンさん、今、なぜ反物質を増産する必要があるのでしょうか』
若い女性キャスターが少し離れたところに座っていた白髪交じりの男性に話を振った。理知的だが特にこれといった特徴のない男だった。
『はい、反物質は表向き惑星間、あるいは恒星間といった長距離航行用の宇宙船の燃料として製造されています。エネルギー効率が核融合の一〇〇倍もあり、宇宙船のペイロードが燃料の圧迫を受けないというメリットがあるからです。例えば重さ一〇〇キロの恒星間探査機を五〇年間加速させるのに必要な反物質燃料は一〇〇マイクログラム程度で済むと言われています』
『夢のような燃料ですね』
『はい。しかし原子力が軍事利用されたように反物質も容易に大量破壊兵器になります』
『核兵器よりも威力の大きな爆弾を作ることができる。そういうことでしょうか』
『その通りです。現在、地球と火星の間にはかつてないほど軍事的緊張が高まっています。地球としては抑止力として反物質兵器を使いたいという思惑があるようです』
『核兵器では足りないのでしょうか』
『そうですね。個人的には、そんなに破壊力を追求してどうするんだという思いがありますが、この手の競争は際限がありませんから』
おっしゃるとおり、くだらない人間の宿業だと俺も思った。
『今回の抗議活動に火星の影を指摘する声もあるようですが』
『はい、地球にはそのような見方をする向きもあるようです。しかし、そもそも金星における反物質製造工場に対する反対運動というのは、取り扱いが難しく危険な反物質の製造工場を地球軌道に作らず、同盟国であるはずの我が国に押し付けたことに端を発しています』
『金星の衛星軌道上に工場を建設したのは、製造に莫大なエネルギーが必要な反物質の製造に都合がいいからですよね。太陽に近く太陽光発電の効率がいいからではないのですか』
『それもありますが危険な施設を自分たちの頭上には置きたくなかったという側面も否定できないと思います』
それまで穏やかに話していた解説者が一瞬、感情の高ぶりを見せた。
「他国のために自分たちが吹き飛ぶかもしれない爆弾をつくってるっていうのは、確かに納得しがたい話ではあるよな」
ニュース番組を聞いていたハサウェイ少尉が俺に瞳を向けた。
キラキラ輝くきれいな瞳の奥で一体何を考えているのか、俺にはさっぱりわからなかった。
「しかし、地球は我らの同盟国ですから」
軍人が民間人のいるところで国政への批判めいた発言をするのはマズい。
素直に相槌を打つわけにもいかず、俺は反射的に上官に逆らうような発言をしてしまった。
視界の隅で、ボーイッシュなユリが、余計なことを言いやがってというように舌打ちした。
「やっと、まともな会話になりそうだな」
「えっ?」
不興を買うことを覚悟していた俺は意表を突かれた。
ハサウェイ少尉が一瞬笑顔を浮かべた様な気がした。
「確かに地球は同盟国だが、こちらの片想いかもしれん」
「我ら軍人が政治に口を出すようなことは……」
「心配するな。別に政府の方針を批判しているわけじゃあない」
そうは言っても地球に不満を持っているようにしか聞こえなかった。
「我らはしがない軍人だからな、政府から火星と戦えと言われれば火星と戦うし、地球と戦えと言われれば地球と戦う。だから地球がいつも味方だなんて思わない方がいいぞ」
何かうまく丸め込まれたような気がした。
「そんなものでしょうか」
「そんなもんだよ」
なぜかハサウェイ少尉は微笑んだ。
「それよりお前ら、まるでお通夜じゃないか」
ハサウェイ少尉は俺から視線を外し他の連中を見回した。
なんとも言えない緊張が走った。
「仲間うちでまともにコミュニケーションはとれてるのか? なあ、ダン」
唐揚げをほおばったままダンが固まった。咄嗟に返事ができないようだ。
しかし、そもそも夕食の空気が重苦しいのは、ほとんどハサウェイ少尉のせいだということを彼女自身はわかっているのだろうか。
「自分は口下手であります」
目を白黒させながら唐揚げを飲み下し、ダンが低い声で答えた。
「困ったな。コミュニケーション能力の低い奴に下士官は務まらんぞ」
ダンの角ばった顔が苦虫をかみしめたようになった。
「努力します」
ハサウェイ少尉はダンが一番寡黙だと思っているらしいが、奴は上官のいないところではそれなりに吠える。もっとも発言内容には不穏当なものは多かったので、コミュニケーション能力が高いとも言えなかったが。
それより俺が思うところ、この小隊で一番しゃべらないのはケイだ。ひょっとして彼女は女性だけになるとしゃべるのだろうか?
「ところで隊長。明日はどんな訓練を行う予定でしょうか?」
俺の印象をすっかり覆してやるとでもいうように、白磁でつくられた人形のようなケイが、抑揚のない声でハサウェイ少尉に話しかけた。
そうか、つまらないおしゃべりはしないが必要なことはしゃべる子なんだと、俺は認識を改めた。
「お、そんなに訓練が楽しみか」
ハサウェイ少尉は屈託のない笑顔をケイに送った。
発言に裏はなさそうだが普通に考えれば訓練の好きな新兵はいないと思う。
「いえ、不安なのでお伺いしました」
ケイは真顔で返した。
「安心しろ、明日は午前は剣術の訓練、午後はシミュレーターを使った強行突入艇の操縦訓練だ。危険な訓練はない」
俺は剣術の訓練に思い切り危険な匂いを感じ取った。
「剣術でも対戦形式の訓練をするのでしょうか?」
「よくわかったな、ケイは頭がいい」
やっぱりか、俺は頭を抱えたくなった。絶対にハサウェイ少尉とは対戦したくない。
「ぜひ、お手合わせをお願いします」
俺は耳を疑った。
格闘技でも射撃でも俺たちとは違う次元の実力を見せつけたハサウェイ少尉だ。
恐らく剣術も相当な実力であるに違いない。
それでも対戦を望むほどケイは剣術に自信があるのだろうか。
「頼もしいな。考えとく。他にもオレとやりたい奴がいるみたいだからな」
意外に思って横を見るとダンが射るような目つきをハサウェイ少尉に向けていた。
上官を睨んじゃだめだと思う。
心行くまで料理を腹に詰め込み、俺たちは『馬のしっぽ亭』を後にした。
ニュー・トロントの町はドーナツ型の宇宙都市の『地下』に設けられ、時間帯に合わせて照明の強さが変化した。今は夜という設定なので多少薄暗い。そして夜十一時を過ぎると、ほぼ真っ暗になるはずだった。
一〇メートルほどの幅がある『道路』の両側には、いくつもの店が並んでいたが、残念ながら軒並みシャッターが下りていた。かつては栄えていたのかもしれないが今は無残なものだ。
「オレはまっすぐ帰るが、おまえらは好きにしていいぞ。ただし門限は二三〇〇(ふたさんまるまる)時だ。なお、明日は〇八三〇(まるはちさんまる)時にトレーニングスーツ着用でグラウンドに集合だ」
「サー・イエス・サー」
俺たちが一部の隙もなく敬礼すると、ハサウェイ少尉はオフタイムなんだからそんなのはいいんだよとでも言わんばかりに軽く手を挙げ俺たちに背を向けた。
「ねえ、ケイはこれからどうするんだい」
長身でボーイッシュなユリが腰に手をあてて小柄でショートボブのケイに話しかけていた。
遠目に見ると少女をナンパしている若いお兄ちゃんにしか見えない。
「帰って洗濯して寝る」
ケイはにべもなかった。
「ええ! まだ夜八時じゃないか」
食い下がるユリに俺は失笑してしまった。
「何が可笑しい!」
「いや夜遊びしようにも飲食店は『馬のしっぽ亭』だけだし、商店はあそこに見える『ジャックの店』だけなんじゃないのかな」
俺が厳しい現実を指摘すると、ユリは何とも情けない顔になった。
「うるさい!」
「じゃあ、また」
ケイは俺たちに軽く挨拶をすると帰路についた。
ユリがそのあとを慌てて追いかけていく。
女性陣を見送っていると、ダンが俺たちから離れて官舎とは反対側、『ジャックの店』の方に歩き始めていた。
「おいダン。どこに行くんだ」
不審に思ったロンがダンに声をかけた。
「買い物だ」
ダンは振り返ることなく不愛想な声で答えた。
「なんだろうな買い物って」
「さあ」
ダンに付き合う気にはならなかったので俺たちは女性陣の後を追うように官舎に向かった。
女性用の官舎と男性用の官舎は通路を挟んだ向かい側だった。
『馬のしっぽ亭』から歩いて数分、距離にして二〇〇メートルもないだろう。
官舎の扉には『金星統合軍男性用官舎』という看板が出ていた。
テロ対策上いかがなものかと思いながら扉を開けると人感センサーの働きで照明がついた。
猫の額のような玄関ホールがあり、壁紙は落ち着いたアイボリー、目立った装飾物は一切なかったが全身を映す姿見が壁にかかっていた。
玄関とリビングの間には草花のレリーフ模様のすりガラスが入った引き戸があり、玄関の扉を開けただけではリビングの様子はわからないようになっていた。
引き戸を引いてリビングに入ると、六人家族用の住宅であるため、リビングは広く快適だった。
アイボリーの合成皮革のソファーと観葉植物の大きな鉢植えが目を引いた。
「疲れたなあ」
ロンはそう言うと、リビングのソファーにどっしりと腰を下ろした 。
「先にシャワー浴びていいぞ」
リビングに面して個室は六つあったが、シャワーやトイレ、キッチンは共同だった。
「そお? 悪いね」
ロンは俺の申し出に素直に答えると、反動をつけてソファーから立ち上がった。
「あっ」
「どうした?」
「ひょっとして、ダンの奴、酒を買いに行ったんじゃないだろうな」
ロンの発言で俺はバッハ自治会長の話を思い出した。
食事は無料で提供するが酒は別料金みたいなことを言っていた。
俺たち軍人は衣食住の生活必需品のほとんどを支給される。
だから自費で購入する必要のあるものは限られた。
「よしてくれ、俺たちは未成年だろ」
「まあ、そうだけど。問題はダンに遵法精神があるかどうかだよね」
ロンの発言に俺は嫌な想像を巡らせた。
連帯責任が好きな軍のことだ。もし、未成年の飲酒が発覚したら同室の者も処分される。
「はあ」
俺が深い溜息をついているとダンが帰ってきた。紙製の買い物袋を抱えていた。
紙袋の中には円筒形の何かが入っていた。
まさかビールやウィスキーを樽で買ったのではあるまいな。
「それ……なんだ?」
俺は恐る恐る紙袋を指し示した。ことと次第によってはこれから一波乱だ。
ダンは例によって射るような視線を返してきた。
「お前らは飲むんじゃねえぞ」
ダンはそう言いながら紙袋から大きな円筒形の缶をひとつ取り出し、キッチンのカウンターの上に置いた。ビールやウィスキーの樽ではなかった。
ダンは何やらバツが悪そうに鼻を鳴らすと、リビングに面した自室に入り、腕立て伏せを開始した。
「なんだ、これ?」
ロンの声に反応して振り返ると、ロンはダンの置いていった大きな缶を確認していた。
『プロテインミルク』缶にはそう書かれていた。
「まだ筋肉つける気か」
「やかましい」
ロンの呆れたような感想に、ダンが部屋の中から即座に悪態を返した。
俺はダンのことを嫌な奴だと思っていたが、それはある一面だけしか見ていない評価だと思った。意外と真面目でストイックな奴なのかもしれない。
それに比べて……俺は今日一日の自分を思い返し、急に恥ずかしくなった。
「俺、ちょっと走ってくる。シャワーは最後でいい」
「えっ、これからか?」
「ああ」
ロンの声を背中で聞きながら、俺は官舎を出て中央通路を走り始めた。
宇宙都市ニュー・トロントは一周約二キロ、軽快なペースで三周は走れるようになりたい。
今日のように俺のせいでみんなにペナルティが課せられるようなことは、繰り返したくなかった。
町は薄暗く人通りはほとんどなかった。
静かだったので自分の息遣いと足音が、とてもよく聞こえた。
町は住宅街、商店街、行政区画、工場地帯などに分かれていたが、独立した建物が建っているわけではなく、長屋のように建物が連なっていた。
俺はペースを抑え、そして決して歩かずに四周することにした。
食後あまり時間が経っていないので腹が痛くなるかとも思ったが、幸いにして二周目までは、そんな兆候はなかった。呼吸が苦しく、足の筋肉は不平不満を鳴らしたが、なんとか我慢した。
俺は自分を褒めてやりたくなってきた。
なりたくてなった軍人ではないが、半年後にはみんなの足を引っ張らないレベルになれたらいいなとぼんやりと考えた。
急に足音が迫ってきた。
自分に満足して口元が緩んでいた俺の横を長い髪の女性が疾風のように追い越していった。
まるで、短距離走のようなスピードだった。
俺は午前中のハサウェイ少尉のランニングは俺たちのために随分手加減していたことを知った。
そして、我が軍が全ての兵隊にハサウェイ少尉レベルを要求するのであれば、到底俺には勤まらないと心が折れそうになった。