宇宙都市ニュー・トロント
「まったく、近頃のキャンプは、ろくな新兵を養成できないらしいな」
「はっ、申し訳ありません!」
俺はハサウェイ少尉の隣で棒でも飲み込んだように背筋を伸ばして立っていた。
視線は彼女ではなく正面の空中一点に据え、吠えるように言葉を吐いた。
キャンプで習った上官に対する受け答えの仕方だった。
他の四人は、二人づつ二列になって、俺とハサウェイ少尉の後ろに立っていた。
ケイとユリが俺たちのすぐ後ろ、ダンとロンが最後列だ。
いがみ合いは影を潜め、無駄口をたたかず、お行儀よくしていた。
こいつらも馬鹿ではないらしい。
「間もなく発進するぞ。総員安全柵に身体を固定」
「安全柵に固定します!」
班長の重大な仕事の一つが『号令係』であることを思い出した俺は、他の四人を代表し大声を出した。
ハサウェイ少尉は立ったまま安全柵に身体をベルトで固定すると目の前の操縦桿を握った。
俺たちがいたのは、通称『コバンザメ』と呼ばれる強行突入艇の中だった。
コバンザメは、全長一〇メートル、全幅三メートルの平たい紡錘型で対人兵器や小口径の艦載兵器では容易に破壊されない強靭な装甲を有し、宇宙艦船や宇宙の拠点に機甲歩兵を送り届けることに特化していた。特に武装はなく定員は一〇名で大気圏突入能力もなかった。
個人用の戦車ともいうべき機甲歩兵が乗り込むことを前提としているため、座席はなく機甲歩兵が立ったまま「安全柵」に身体を固定して乗り込むように作られていた。
快適ではないが無重量下での運用のため、立っていても座っていても大差はなかった。
「宇宙都市ニュー・トロントへの軌道を確認、離艦許可を願う」
ハサウェイ少尉は額の情報端末で宇宙巡航艦イシュタルの中央制御室と交信していた。
「離艦を許可する。グッド・ラック!」
相手からの返信は頭蓋骨への骨振動ではなくスピーカーで流されていた。航行手順のダブルチェックのためだ。
「気密確認、進路クリアー、テイクオフ」
ハサウェイ少尉は誰に話しかけるとはなく手順を声に出して確認し、コバンザメをイシュタルから離艦させた。
軽い衝撃が艇内を揺るがし俺はコバンザメが斜めに傾いていくような錯覚に襲われた。実際には斜めに傾いているわけではなく加速を開始したのだ。
無重量状態での移動は訓練で何度か経験したが、相変わらず俺の三半規管は加速によるGのベクトル変化を重力の傾きと錯覚してしまう。こんなんで立派な宇宙の男になることができるのだろうか。
「軌道への投入に成功、目的地まで数分だ。いい子にしてろよ、お前ら」
「サー・イエス・サー」
俺は馬鹿みたいに反応した。後ろの奴らも俺に続いて大声を出す。
腹の底から声を出すので咽喉だけでなく腹筋も疲れてきた。
外の様子を示すモニターには俺たちの乗っていた宇宙巡航艦イシュタルが徐々に小さくなっていく様子が映し出されていた。
サメのような流麗なデザインで各種武装はステルス性能向上のため全て格納されていた。
今の姿は兵器好きではない俺にとっても美しいと感じるものだが、戦闘時は超電磁砲やレーザー砲などが展開し、死と破壊を連想させる禍々しい姿になる。
心に多少の余裕ができた俺は、隣で操縦桿を握っているハサウェイ少尉の横顔を盗み見た。
目標への軌道に乗り、加速が終了し、完全な無重量状態に戻ったので、スプレーでまとめているらしいロングヘアも若干浮き上がっていた。柔らかそうなつややかな髪だ。
口を閉じて真剣な眼差しでコバンザメを操縦する彼女は、神々しさを感じるほど美しかった。
「なんだ、なんか用か?」
俺の視線を感じたのか彼女は計器から視線を逸らすことなく俺に声をかけてきた。
俺は悪戯を見咎められた子供のように内心うろたえながらも必死で取り繕った。
「宇宙船の操縦に興味がありまして、操縦の様子を拝見していました」
まさか上官に対して、あなたの横顔に見とれていましたなどとは言えない。
言ったら多分えらい目に遭わされる。
もっとも上官でなくとも女性にそういう口をきく度胸は俺にはなかった。
「ほお、そいつはエライな。安心しろ。今後半年間で嫌というほど練習させてやる」
「光栄であります」
ハサウェイ少尉は軽く笑顔を見せた。邪気のない暖かな陽光のような笑顔だった。
男のような言葉遣い、発言内容だったが、ユリと違って嫌味な部分がなかった。
せめてもう少し女性らしい言葉使いだったら、もっと素敵なのにと俺は勝手な妄想を膨らませていた。
「お前ら、目的地が見えたぞ」
どのようにリアクションしていいかわからず俺たちは黙って視線を外部モニターに向けた。
大きさを対比できるものが映っていないので、どれくらいの規模なのかよくわからないが、円筒形とドーナツ型を組み合わせた構造物が強烈な太陽の日差しに照らされ、漆黒の宇宙空間で白く輝いていた。
ドーナツ型の部分だけが人工重力を発生させるために回転しており、円筒形の部分からは金星に向かって異様に長いヒモのようなものが垂れていた。おそらく金星大気から二酸化炭素を吸い上げるための管だ。
確か宇宙都市ニュー・トロントにはドライアイス製造工場があったはずだ。
「あの円筒形の開口部付近ではウロウロするなよ」
ハサウェイ少尉はコバンザメを器用に操り、円筒形の開口部を避けてドーナツ型の方に近づいていった。
「はっ、ウロウロしません」
反射的に答えた俺だったが納得はしていなかった。理由がわからなかったからだ。
背後の奴らに視線を巡らせてみたが、俺が期待したような反応はなかった。
ダンは、あからさまに視線を横に外し、ユリは『お前が聞け』とでも言うように軽く顎をしゃくった。ケイにいたっては全くの無反応だ。
「質問してもよろしいでしょうか」
「何だ、言え」
俺のおずおずした言い方が気に入らなかったのか、きつい口調が返ってきた。
「なぜ、開口部に近づいてはいけないのでありますか?」
「大量のマスドライバーがあるからだ」
「マスドライバーでありますか?」
俺は間抜けな声を出していた。
『マスドライバー』という言葉の意味が分からなかったからではない。
何のために使うのかわからなかったからだ。
「ローレンツ力、すなわち電磁誘導で金属製のコンテナを射出する運搬装置だ。超電磁砲の親戚みたいなもんかな。ここの施設では、ドライアイス入りのコンテナを火星に向かって射出している。歴史の授業で習っただろ」
「はっ、御教授ありがとうございます」
ハサウェイ少尉は少し馬鹿にしたような態度で、それでも丁寧に説明してくれた。
金星と火星をテラフォーミングする過程で、気圧の高すぎる金星から気圧の低い火星に大量の二酸化炭素をドライアイスにして運ぶというプロジェクトが行われた。
現在では火星は人が住めるほどテラフォーミングが進んでいるので、プロジェクトの重要性はかなり低下しているはずだ。それでもプロジェクトは継続しているらしい。
俺はてっきり輸送船か何かでドライアイスを運んでいるものだと思っていた。
コンテナを火星に向かって投げつけているだけとは思いもよらなかった。
「ともかくだ。宇宙服で秒速一〇キロの火星旅行をしたくなかったら、円筒形の開口部付近でウロウロするな。わかったな、お前ら」
「サー・イエス・サー」
俺も含めた五人が声をそろえた。ここら辺だけは息があってきた。
宇宙都市ニュー・トロントの宇宙港出迎えロビーには殺菌用のオゾンの匂いが漂っていた。
ブルーを基調にした清潔感あふれる内装で人が少ないため寒々とした印象だ。
俺たちを出迎えたのは三人、金星標準時で夜八時を回っているのに御苦労なことだ。
夜遅くで疲れているからか、無重量の環境で磁力靴を履いているからか、三人とも何となく動きがぎこちなかった。
出迎えの中で一番偉そうにしていた恰幅のいい初老の男性がハサウェイ少尉に歩み寄り握手すると、俺たちに向かってあいさつを始めた。
「私はニュー・トロントの市長、ロベルト・マオです。皆さんの到着を心から歓迎します」
『皆さん』などと呼ばれ、俺は久しぶりにまともな人間として扱われたような気がした。
キャンプでは『お前ら』『貴様たち』『くそ野郎ども』など、まともな二人称複数形が使われなかったからだ。
油断していると、ハサウェイ少尉の斬り付けるような視線が俺を襲い、俺は慌ててメンバーに短い指示を送った。
「整列!」
ハサウェイ少尉が一人だけ前に、俺たち五人はその後ろに一列に整列した。
「敬礼!」
全員で市長に敬礼を送った。
敬礼は軍人用の挨拶なので、民間人にするのはいかがなものか、嫌がられないかと思ったが、マオ市長も見事な敬礼を短く返してくれた。
この短くというのがポイントが高かった。おかげで俺たちも早めに敬礼を解くことができた。
敬礼には下位のものが先に手を下ろすことは許されないという面倒なルールがあるからだ。
「えー、改めまして、こんにちは」
「こんにちは!」
俺は大きな声でマオ市長に応えたが後に続く者はいなかった。
他の奴らは背筋を伸ばし正面を見据えたまま、無表情、無言を通していた。
とてもバツが悪く、俺は耳たぶが赤くなるのを感じた。
「本日は若い市民を新たに五名迎え、喜ばしいかぎりです。このニュー・トロントも、かつては大変多くの市民で活気にあふれていましたが、今は人口減少に悩まされています」
マオ市長は俺ににこやかな笑みを向けながら話を続けた。
グレーの背広に赤いストライプのネクタイ、黒い頭髪は薄く脂ぎった丸顔で目は細かった。
精力的、社交的な雰囲気だ。
「今回、宇宙都市ニュー・トロント活性化対策の一環として軍の施設を誘致した結果、栄えある機甲歩兵訓練小隊がここを利用してくれることになりました。精鋭部隊である皆さんが来てくれて誠に光栄です。暮らしていく上で何か御要望があったら遠慮なく言ってください。誠意をもって対応したいと思います」
どうも話が長そうだった。
「さて、ここニュー・トロントは、最古の浮遊都市ワイマールランド以前に建設され、今は軍事要塞となってしまったサウス・カフカースともども金星開発の拠点となった由緒ある宇宙都市です。浮遊都市とは異なりドーナツ型ですが、浮遊都市と同じような二層構造で、地上が耕作地、地下が居住区となっています。ドーナツ型部分の直径は約七〇〇メートル、幅は約五〇メートルで……」
マオ市長の話は延々と続いた。まるで話好きの小学校の校長だ。
俺は直立不動の姿勢のまま意識を失いそうになった。
もう夜なのだ。さっさと休ませてほしい。
俺は気分を入れ替えるために、視線をマオ市長の背後に移動させた。
マオ市長のすぐ後ろには、水色の作業服を着た気難しそうな男が立っていた。
マオ市長よりも老けた四角い顔の男で、頭髪は豊かだがボサボサで真っ白だった。
マオ市長の話を聞いているのか、いないのか分からなかったが、少なくとも俺たちのことを厳しい目つきで観察していた。
もう一人マオ市長からだいぶ離れて立っていたのは明らかに市長の随行秘書らしき男だった。
黒いスーツ姿の猫背の男で年齢は恐らく三〇歳前後、顔には作り物の笑顔が張り付いていた。
「……以上、簡単ではありますが、歓迎のあいさつとさせていただきます。続きまして、ドライアイス製造工場の工場長兼ニュー・トロントの自治会長、ヴォルフガング・バッハから、ここニュー・トロントで生活していく上での具体的な諸注意を述べさせていただきます」
マオ市長は一歩下がり、後ろに立っていた気難しそうな爺さんに前に出るように促した。
爺さんは悪ガキの相手をする生活指導の教員のような態度で一歩前に進み出た。
「工場長兼自治会長のバッハじゃ。お前さんたちがこの町で暮らしていく上での注意事項をいくつか話すのでよく聞くように。まず、訓練で宇宙空間に出ることもあると思うが、マスドライバーの周りはウロチョロせんように。マスドライバーは火星と金星の位置関係で使用タイミングを決定する。スケジュールは伝えるが、こういうのは普段からの心掛けが肝心じゃ」
バッハ自治会長は鋭い目つきで俺たちを見回した。マオ市長とは違い友好的な雰囲気は一切なかった。
「工場内も訓練に使うらしいが、ドライアイスを詰めた金属皮膜の風船は決して傷つけんように。もし壊したら弁償してもらうことになる。一個三〇〇万ギルダムじゃ」
それは、俺たち下っ端兵士の年収に匹敵する金額だった。
「次に生活面での諸注意。町は夜十一時に消灯する。夜遅くに馬鹿騒ぎなんぞしないようにな。もっとも商店も食堂も一つづつしかないから、たいして羽を伸ばすこともできんじゃろうが」
俺は故郷のネオ・サイタマよりもひどい田舎があることを初めて知った。
チラリと横に目をやると、ユリとロンが絶望的な表情を浮かべているのが目に入った。
「軍から金をもらってるので、食事は朝昼晩の三食、町の食堂『馬のしっぽ亭』で提供する。洒落たもんは出せんが量だけは保証する。ただし、酒は出さない。欲しければ別料金じゃ」
バッハ自治会長はニヤリと笑った。
自炊しなくてよいのは助かった。
それにハサウェイ少尉以外、全員未成年だ。酒は飲まないはずだ、多分。
「官舎は、男性用、女性用で合計二軒用意してある。六人家族用のファミリータイプを一軒ずつじゃ。見たところ、男性三人、女性三人じゃから問題なかろう」
ということはロンはともかく協調性が全くなさそうなダンと同じ家で暮らすということだ。勘弁してほしかった。
それよりも気の毒なのはケイとユリだ。ハサウェイ少尉と同じ家では気の休まる時間がないだろう。
チラリと女性陣を見ると、予想通り、ケイは無表情だったが、ユリの目は死んでいた。