宇宙巡航艦イシュタル
半年間の新兵共通訓練、通称『キャンプ』が終わり、俺は金星統合軍の宇宙巡航艦イシュタルに乗艦していた。
レーザー核融合エンジンを搭載した全長三〇〇メートル、全幅五〇メートルほどのサメのようなフォルムの最新鋭艦は軍艦乗りたちの憧れの的だった。
しかし、残念ながら俺はこの船に乗員として乗り込んだわけではなかった。
宇宙空間の映像がそこら中に映し出された定員十五名ほどのブリーフィングルームに、客として乗っているだけだった。
『キャンプ』には正直、良い思い出はなかった。
気をつけ、敬礼、直れ、休め、回れ右、右向け右、集合、と始終怒号のような号令をかけられ、姿勢が悪かったり行動が遅かったりすると連帯責任で何回もやり直しを命じられた。
朝から晩までトレーニング、格闘訓練、射撃訓練に明け暮れ、プライベートであるはずの訓練時間外も、掃除、洗濯、アイロンがけ、ベッドメイクに、プロレベルの精度とスピードを求められた。教育係の下士官に口ごたえしようものなら連帯責任でトレーニングだ。
恐ろしいことに、気がつくとどんな理不尽な命令にも反射的に服従するようになっていた。まるでロボットだ。
『キャンプ』で参ったことは他にもあった。
好きな読書が大幅に制限されたことだ。
読書といえばネットワークからダウンロードした書物のデータを額につけた情報端末で目の前に空間投影して読むのだが、軍隊内では私物の情報端末及び記憶媒体の持ち込み、外部ネットワークへのアクセスがセキュリティ対策のため禁じられていた。
そのため、軍隊内部のデータベースにある書物しか読むことができなかった。
エロ小説は当然のこと、恋愛小説も、ファンタジー小説も、軍のデータべースにはなく、あるのは戦闘用各種マニュアルと、戦記、戦史の類だけだった。
かくして、俺の愛読書は、ガリア戦記、ハンニバル戦記、獅子王アレキサンドロス、信長公記、史記、戦国策などとなった。
『キャンプ』中の嫌な思い出を振り払い、俺は改めて周囲を見回した。
宇宙巡航艦イシュタルのブリーフィングルームには窓がなく、代わりに複数の船外カメラでとらえた景色がそこら中に空間投影されていた。
もともとの内装は壁も天井も白、床材は焦げ茶色だったが、足元には白銀に輝く金星の雲海が広がり、緑と青の幾何学模様の浮遊都市がスーパーローテーションと呼ばれるジェット気流に乗って流されていくのが見えた。
天井には強烈な輝きを放つ太陽と漆黒の宇宙空間が広がり、壁には巡航艦イシュタルと隊列を組んで航行する回遊魚のようなフォルムの宇宙駆逐艦が映しだされていた。
そして、部屋には俺以外の人間が四人いた。
体格も性別もまちまちで、共通しているのは皆若いということ、金星統合軍の黒とグレイの軍服を着ているということ、額の情報端末がお揃いのグレイの官給品だということだった。
困ったことに全員が無言で居心地の悪い空気が漂っていた。
できれば読書でもして知らん顔を決め込みたかったが、こいつらとは長い付き合いが確定しているうえ、俺には、ある役回りが割り振られていたため、そういうわけにもいかなかった。
「ええと、自己紹介でもしますか。俺はテツ・イズモといいます。班長に指名されました」
どういう理由かは知らないが、俺はこのグループの班長役を命じられていた。
班長といえば聞こえはいいが、階級も同じで特別の権限を与えられたわけでもなかった。
指揮官と隊員との連絡係、とりまとめ役で、下士官がいない『訓練小隊』に便宜的に置かれた『係』に過ぎなかった。いいことは何もない。
俺の挨拶を耳にして、右手にいた一番軍人らしく見える巨漢が握力を鍛えるためのハンドグリップを握りしめながら俺に射るような視線を送ってきた。何かお気に召さなかったらしい。
肉食獣のような雰囲気を身にまとっており、夜道で出くわしたら思わず回避行動をとりたくなるタイプだった。砂色の髪の毛は異常に短い坊主刈りで、グレイの瞳は凶悪な光を放っていた。
俺は勇気を奮い起こして言葉を続けた。
「趣味は読書で、出身はネオ・サイタマです。よろしくお願いします」
軽く頭を下げ視線を戻すと、正面で長い足を組んで座っていた赤毛でボーイッシュな長身の女性兵の冷ややかな視線とぶつかった。瞳の色は濃いグリーンだった。目鼻立ちは整っているが高慢で冷たい感じだ。
『ダサッ』気のせいか、口元がそう動いたように見えた。
俺はムッとしながら彼女を視界から外すように視線を左の方に動かした。
彼女のすぐ隣には人形のように無表情で小柄なショートボブの少女が足をきれいに揃えて座り、さらにその隣、俺のすぐ左には、スポーツマンタイプの長身の男性がさわやかな笑顔を浮かべ腕を組んで立っていた。
「じゃあ申し訳ないけど。時計回りで自己紹介をお願いします」
俺が長身の男性に視線を向けると、ありがたいことに彼は笑顔を返してくれた。ウェーブのかかった栗色の髪で、瞳は鳶色、浅黒く日焼けし、歯が白く歯並びがいいのが印象的だった。
「班長とか気を使って大変だよね」
長身の男は腕組みを解き、みんなに向かって軽く敬礼した。
「僕はロン・イドリス。ニュー・ケアンズの出身だ。趣味はフット・サル。得意は射撃、少なくともこれから半年は一緒だ。みんな仲良くしようぜ」
見た目通りの爽やかな声、さわやかな挨拶だった。
俺は拍手をしたが周囲の反応は薄く、他に拍手をした者はいなかった。
「さっ、次は君の番だ」
ロンは、あまり気を悪くするでもなく隣の少女を促した。
少女は滑らかな動きで立ち上がった。星々を宿した夜の闇のような黒く澄んだ瞳で、ショートボブの黒髪は癖がなく、つややかに周りの光を浮かべていた。彼女は年齢の割には幼く見え、白磁のように白く滑らかな肌が印象的だった。軍人というよりもきれいな人形と説明した方がしっくりくる雰囲気だ。
「私はケイ・クラウチ。ワイマールランドから来た」
ケイは無表情のまま、あまり大きく口を開かず静かな口調で挨拶するとすぐに座った。
悪意は感じられなかったが、ともかくそっけなくて、とっつきにくい、そんな印象の少女だった。
「ワイマールランドのクラウチって、あんた、ひょっとして参謀総長の娘さん?」
ケイの隣のボーイッシュな女性は自分の自己紹介の前に、気軽な調子でケイに質問を投げかけた。
確かに金星統合軍参謀総長のファミリーネームはクラウチだった。
ケイは澄んだ瞳を女性に向け、瞬きもせずにしばらく見つめていた。
「なに?」
その無言の圧力にボーイッシュな女性は、耐えられなかったようだ。
「その質問には答えたくない。私が今ここにいるのは私の意思と能力によるもの」
ケイは、無表情に冷たい声で彼女に応じた。
「ボクはなにも!」
ボーイッシュな女性は色をなした。
「まあまあ!」
俺は慌てて止めに入った。
「きっと彼女も悪気があったわけじゃないよ。それはわかってあげて欲しい」
俺は二人の間に視線を行き来させながら、ケイをなだめた。
今の発言から察するに、ケイは参謀総長の血縁で、俺みたいに運の悪い抽選組ではなく数少ない志願兵の一人だ。
きっと今まで『なんで士官学校に行かないの?』とか『お父さんによろしく』とか『エリート部隊に配属になったのはお父さんのコネなんでしょ』とか散々不躾な発言を浴びせられてきたのに違いない。
「わかった」
ケイは、そのきれいな澄んだ瞳を俺に向け、静かな口調で短く告げた。
「まったく、お人形さんみたいにかわいいのに中身は結構きついんだな」
俺のことはまるで無視するように、ボーイッシュな女性はケイの瞳を覗き込んでいた。
恐れていたほど剣呑な雰囲気にはならなかった。まったくもって心臓に悪い。
「じゃあ、引き続き、自己紹介をお願いします」
いつまでもケイの瞳を見つめているボーイッシュな女性を俺は促した。
『チッ』俺は舌うちの音を聞いたような気がした。訂正する、この女は悪気だらけだ。
「ボクはユリ・アルビナ。出身はサン・ジャンヌ。ユリと呼んでくれていい」
ユリの赤みがかった髪の毛は男性のように短く刈り上げられ、声も低かった。
腰に手を当てモデルか役者のように佇みながら、周囲に視線を向けることなく、ケイのことだけを見つめていた。
「首都出身かあ、やっぱり都会なんだろうね。他の浮遊都市と違って地上にも街並みが広がってるんだろ」
ロンが何とか話を盛り上げようと声をかけた。
「あぁ大都会だよ。ネオ・サイタマやニュー・ケアンズみたいなド田舎と違ってね」
ユリはロンに冷たい視線を向けた。悪意の塊か、こいつは。
「田舎には田舎の良さがあるもんさ。住民はフレンドリーだし善良だ。都会と違ってね」
ロンは両手を広げて笑顔を返した。だが目は笑っていなかった。
「どうだか」
「ええ、次の人、自己紹介をお願いします」
俺は慌てて肉食獣のような巨漢に声をかけた。
このまま、ユリにしゃべらせるのは危険だと判断したからだ。
巨漢は、身長こそ長身のロンやユリと同じくらいだったが、肩幅と体の厚みが凄い男だった。
顔つきは角ばっており、頭髪を異常に短く刈り上げていた。目つきがやたら悪い。
相変わらず、握力を鍛えるためのハンドグリップをカチャカチャやっていた。
「全くこれが近接戦闘のエリート集団たる機甲歩兵の候補者だっていうんだから、世も末だな。女と府抜けたガキばかりじゃねえか」
巨漢は座ったまま獰猛な視線を周囲に送った。
ただでさえ悪い雰囲気が壊滅的に悪化した。俺は頭を抱えた。
「バカじゃねえの」
「我々は石器時代の戦士じゃないんだけどね」
ユリとロンがほとんど同時に反発した。
ケイは冷ややかな視線を巨漢に向けた。
俺は忙しく周囲に視線を泳がせた。
軍服の胸の部分につけられた小さなネームプレートから巨漢の名前は『D・ゴディマ』だということがわかった。
「ごめん、ゴディマ二等兵、自己紹介を忘れてるよ。ファーストネームはダニエル? それともディック? 教えてくれないとダニエルっていうことにするけど」
いきなり揉め事が発生して連帯責任を問われるのはまっぴらだった。きっと真っ先に班長が怒られる。俺は強引に巨漢を自己紹介に引き込もうとした。
「ダンだ。自分はダン・ゴディマだ。おかしな名前を付けようとするんじゃない!」
全国のダニエルさんになんて失礼なことを言うんだと思いながら、俺は自己紹介引き込み作戦を続行した。
「趣味は筋トレっていうことでいいかな」
「兵として当然の嗜みだ。趣味などではない!」
俺は猛獣の檻の中にいる気分を味わっていた。
「出身は? 少なくともネオ・サイタマじゃないよね。サン・ジャンヌあたり?」
「ふざけんな。サン・ジャンヌにこんな筋肉ゴリラがいてたまるか!」
ユリが猫のような目を怒らせて、俺に食って掛かってきた。
「サウス・カフカースだ。衛星軌道上の要塞都市。金星防衛の要だ。サン・ジャンヌの奴らのような腑抜けどもと一緒にしないで欲しいな」
ダンはユリに向けて嘲るような笑みを浮かべた。
「何だと!」
「私たちは、ともに金星を守る兵士。出身地で罵りあうなど愚かしいこと」
ケイが冷ややかな視線を激高するユリに送った。ユリは唇をかみしめた。
ダンは舌打ちをすると明後日の方に視線を向けた。
先が思いやられた。
ダンの言うとおり、俺たち五人は『機甲歩兵』の候補者として半年間の訓練小隊勤務を命じられ、『キャンプ』のあった宇宙要塞都市サウス・カフカースから、訓練施設のある宇宙都市ニュー・トロントに移動中だった。
『キャンプ』での成績と本人の希望を参考に、俺たち新兵は様々な部隊に配属された。
浮遊都市や宇宙都市で治安維持のために働く警備兵、軍隊内部の規律を維持するための憲兵、軍医の手伝いをする衛生兵、技術士官の手足となって土木作業等に従事する工兵などだ。
もともと軍隊の用語で『機甲部隊』というのは、『戦車部隊』を意味したらしい。
しかし、火星統合軍には『戦車』は存在しない。
代わりに宇宙服に装甲を施し、重火器を装備した『機甲歩兵』が存在した。
機甲歩兵は、通常の対人兵器を全てはじき返す装甲と、小型宇宙船を粉砕する火力を有する最強の歩兵だった。一人で通常歩兵一個中隊に匹敵する戦闘力があるともいわれていた。
単純に『力』を欲する兵士にとっては憧れの的であり、兵の中でも精鋭が配属されるものとされていた。
しかし、宇宙空間では宇宙船が戦闘の主力であり、歩兵が活躍するのは宇宙要塞や宇宙都市、そして浮遊都市などの拠点制圧や拠点防衛に限られた。
単に破壊するだけなら宇宙戦艦や宇宙巡航艦から艦砲射撃やミサイル攻撃をすれば事足りる。
歩兵による戦闘に発展するのは、主にその場所を占領し支配する必要がある場合に限られた。
活躍の機会が少なく、個人装備としては破格の費用が掛かる機甲歩兵は、予算配分の優先順位が低く、大規模部隊は編成されなかった。そうした意味からも少数精鋭の部隊だった。
だから、なぜ俺が配属されたのか、さっぱりわからなかった。
もともと兵隊になりたかったわけでもなく一騎当千の戦闘能力を持っているわけでもない。
その点についてだけ言えば、ダンの意見にはうなづけるものがあった。
すっかり空気の悪くなったブリーフィングルームが荒々しくノックされ、返事を待たず俺たちより一回りくらい年長の士官が入ってきた。
銀髪を短く刈り上げ、目つきが鋭く、金星統合軍の士官の制服を一部の隙もなく着こなしていた。
俺たちをこの部屋に案内してくれたのもこの士官で、制服の階級章とネームプレートから『モーガン中尉』であることはわかっていた。
「おい、お前ら、お迎えだ」
モーガン中尉は部屋に入るなり言い放った。
俺は一瞬、何のことかわからなかった。
あっけにとられているとモーガン中尉の後ろから女性士官が姿を現した。
中肉中背の均整の取れた体型で、体にフィットした軍服が大きめのバストやくびれたウェストを際立たせていた。
大きな青い瞳、しっとりしたつやのある唇で、女優やモデルと紹介されても信じてしまいそうなオーラを発していた。明るい金髪は軍人にしては珍しくロングで部屋の照明を反射して豪奢に光輝いていた。
薄暗い室内に明るい太陽の日差しが差し込んだような錯覚に俺はとらわれた。
だらしない顔をしてしまっていたに違いない。
しかし、ぼうっと彼女を見つめていたのは俺だけではなかった。
気がつくと、ロンも、そしてなぜかユリも頬を染めて彼女を見つめていた。
「オレは訓練小隊のサラ・ハサウェイだ」
女性士官の美しい口元から発せられた声は、その姿からは違和感のある低くドスのきいた声だった。周囲から息を呑むような気配が伝わる中、俺はマヒした頭の中で彼女のセリフを反芻していた。
《サラさんていうんだ……》
階級章を確認すると少尉だった。
「班長のテツというのは誰か?」
俺は次の彼女のセリフでようやく現実に引き戻された。
「はっ、自分であります」
俺は慌てて背筋を伸ばして敬礼した。
「号令は! シャキッとせんか、このボケェ!」
俺がハサウェイ少尉に最初にかけられたのは、この言葉だった。