装甲強化服の着用訓練
「人間誰しも何かしら取り柄があるもんだな、テツ」
馬のしっぽ亭で席に着くと珍しくダンの方から俺に話しかけてきた。
俺は耳を疑った。言い方に問題はあるがダンが俺を認めている。
俺は多分間抜けな表情をしていたに違いない。
斜め前のケイがくすっと笑ったような気がした。
「ダン、今日はずいぶん機嫌がいいな」
返す言葉が見つからない俺に代わってロンが答えた。
ハサウェイ少尉はまだ店についていなかった。例によって小隊本部で自分の仕事を片付けているのだろう。
「午後はいよいよ機甲歩兵の制式装備を着用できるからな」
ダンは珍しく笑顔を浮かべていた。
「ガキみたいだな」
ユリがテーブルの端、ダンの正面で猫のような目を細め悪意に満ちたつぶやきを漏らしていたが、ダンの機嫌を損ねることはできなかった。
「わりいか? ガキの頃からの夢がようやく叶うんだ。気分が高揚して当り前だろ。お前らは楽しみじゃないのか」
「楽しいというよりも不思議な気分だ。それに俺には不安の方が大きい」
「けっ」
俺の正直な感想を聞いて普段ならダメ出しをするダンが、その程度の返答で収めた。
相変わらず武骨な角ばった顔は機嫌のよさそうな笑みを浮かべたままだった。
残念な事件が発生した。
機甲歩兵になることにあれほどの誇りと憧れを抱いていたダンが、装甲強化服を着用することができなかったのだ。
「キャンプでの報告と違うな」
白とグレーのトレーニングウェアに身を包んだハサウェイ少尉の表情は厳しかった。
訓練小隊本部横の倉庫内に集合した俺たちの目の前には、ロボットのようなフォルムの装甲強化服が並んでいた。
装甲強化服の肩から上の部分を開き、体温調節機能と衝撃吸収機能に優れたトレーニングウェアに身を包んだ俺たちは指定された装甲強化服の開口部から身体を滑り込ませた。
無重量状態なので身体を滑り込ませることは容易いはずだった。
しかし、ダンの身体が胸の部分で引っかかって装甲強化服の中に納まらなかったのだ。装甲強化服の内側に比べて、ダンの身体が大きいのが原因だった。
キャンプ中に行われた身体測定と現在では、ダンの体のサイズが違っているらしい。
確かに彼は毎日、多量のたんぱく質を摂取し、筋トレを繰り返していた。
短期間に身体が大きくなっていてもおかしくはなかった。
簡易宇宙服は伸縮性に優れた素材でできており、文句も言わずダンの巨体を受け入れたが、硬い装甲に包まれた装甲強化服には伸びるという余地はなかった。
「ワンサイズ上の装備を用意していただければ幸いです!」
ダンは必死だった。普段の傲慢な雰囲気は影を潜めていた。
「そんなものはない! お前が装備に合わせろ!」
ハサウェイ少尉は思い切りイライラしていた。
軍隊の装備はあてがいぶちの量産品だ。個人向けにカスタマイズするような無駄な経費はかけられない。
「本日のお前の訓練は見送りだ。簡易宇宙服で見学!」
「サー・イエス・サー」
ダンの四角い顔は心もち青ざめて見えた。
奴のことだ、言われなくても今日から必死でダイエットに励むだろう。
予想外のトラブルはあったがダンを除く五名は装甲強化服に身を包んだ。
西洋の甲冑のように体全体をくまなく分厚い装甲が覆っており、全体のフォルムはがっしりしており力強かった。
ヘルメットは古代の日本の兜のようなデザインで、首周りを保護するためのプレートが傘のように広がっていた。そして額の部分には兜飾りをつけるための『土台』がついていた。
残念ながら隊長でも士官でもない俺たちの『土台』には何もついていなかったが、ハサウェイ少尉には太陽を意匠化した日輪の兜飾りがついていた。この飾りは人によって違うらしい。
そのあたりも古代の日本の兜と同じだ。
金星周辺の強烈な太陽光による金属劣化や宇宙服内部の温度上昇を避けるために、装甲強化服の基本塗装は銀色だったが、部隊識別のため俺たち訓練小隊は左肩の盾の部分がメタリックイエローで塗装され、金星統合軍のマークと訓練小隊を現す『〇〇(ゼロゼロ)』という小隊番号が黒く印字されていた。
訓練小隊の部隊識別用の色が黄色なのは『ひよっこ』を意味しているかららしい。
そのほか外見上の特徴としては、背中の推進用ノズルや腰に下げられた全長一メートル程の高周波ブレードがあった。
なお、ロンとユリが着用した遠距離攻撃タイプは、ロケットランチャーが左肩に装備されており、俺たちのものよりも一回り大きかった。
「総員、身体が装甲強化服に密着するよう調節せよ」
「サー・イエス・サー」
装甲強化服の内側が窒素ガスで膨らみ、俺たちの身体は装甲強化服に密着した。
「パワーアシストの正常動作を確認」
「サー・イエス・サー」
俺たちはそれぞれ軽く足踏みしたり、腕を振ってみたりした。
装甲強化服は、数百キロというバカげた自重があるとは思えないほど軽く動いた。
ダウンジャケットを着ている程度にしか感じない。
パワーアシスト機能により、俺たちの力は数百倍に増幅されていた。
取扱説明書によれば、一G重力下でも片手で二トンの物体を持ち上げることができるらしい。
まるで自分がスーパーロボットにでもなった気分だった。
「高価な装備だからな、装甲強化服は大切に扱えよ」
「サー・イエス・サー」
歩兵が個人で扱う装備の中では最も高価だと聞いている。
恐らく俺たちの今の給料の数百年分だ。
「今日は自動小銃の模造品を携帯しろ、本物はダメだ」
装甲強化服の指先は、中の指の動きを忠実に再現するマニピュレーターになっていた。
大きさは普通の人間の手の大きさと同じだ。
そのため機甲歩兵も通常の歩兵が扱える火器はすべて使用することができた。
しかし、ハサウェイ少尉はダミーを握れと言ってきた。何か深い意味があるのだろうか。
俺はぼんやりとそんなことを考えながら形と重さだけ本物の小銃と同じように作られた模造品を掴んだ。模造品は嫌な悲鳴を上げ、銃身が曲がった。
「思った通り、やらかしたか!」
取り繕う暇もなくハサウェイ少尉の罵声が飛んだ。
「申し訳ありません!」
俺はひん曲がってしまったダミーの自動小銃をそれ以上壊さないようにやさしく握った。
「馬鹿げたパワーが出るからな、銃だけじゃなく小隊本部の設備も壊さないように注意しろ」
「サー・イエス・サー」
確かに装甲強化服の取扱説明書には生卵を割らずにつかむことができると同時に、直径五センチのチタン合金製の棒を曲げることもできると書いてあった。
「やはり最初は本物を握らせなくて正解だったな……外に出るぞ。ダン、誘導しろ」
「サー・イエス・サー」
一人通常の簡易宇宙服姿のダンは俺たちを武器庫の外へと誘導した。
きびきびとした動きで的確な誘導だった。失意の底に突き落とされているはずだが腐っている様子はなかった。
「通信に異常はないな」
「サー・イエス・サー」
簡易宇宙服姿のダンも含め、俺たち五名はハサウェイ少尉の前に並んでいた。
光と影が妙にはっきりした宇宙都市ニュー・トロントの円筒形の端の部分だ。
左側には白く輝く金星の雲海が広がり、右側には強烈な光を放射する太陽と漆黒の宇宙空間が広がっていた。
「ダンはこの場で待機。全員磁力靴のスイッチを切れ」
「サー・イエス・サー」
基本、装甲強化服は中の人間の動きをトレースするが、両手に武器を握り宇宙空間を自由に飛び回るために、推進装置は音声と脳波で操作するようになっていた。
推進装置のスイッチを音声でオンにした後は、頭の中で思い描いたとおりに宇宙空間を駆け巡ることができるはずだ。
「移動開始。加速姿勢でオレに続け」
「サー・イエス・サー」
音もなく飛びあがったハサウェイ少尉を追いかけて、俺たちは宇宙空間にダイブした。
背中のノズルから推進剤を吹き出し、進行方向に身体の正面をさらす形で漆黒の宇宙空間を突き進んだ。
この姿勢だとGは背中方向に働き、仰向けに地面に押し付けられているような感じになる。
そのため急加速を行ってもブラックアウトが生じにくいというメリットがあった。
「今日はドライアイス入り金属カプセルの射出予定がある。円筒形の開口部には近づくなよ」
「サー・イエス・サー」
宇宙都市ニュー・トロントに来て以来、耳にタコができるほど聞かされてきた話だ。
せっかくなので、射出している様子を見てみたいと思った。
「右旋回」
「サー・イエス・サー」
俺たちは方向転換するハサウェイ少尉の後を追った。
イメージしたとおりに推進装置が働いてくれる。
「ユリ、もっと小さく回れ」
質量の大きなユリの装甲強化服が隊列から少しはみ出した。
すかさずハサウェイ少尉の指示が飛ぶ。
無音の宇宙空間では風を切る音などするわけもなく、主に耳に入ってくるのは自分の息遣いと通信機を通じて耳元で聞こえる妙に生々しいハサウェイ少尉の声だった。
決して優しげな声ではなかったが、それでも聞こえてくるのがハサウェイ少尉の声だというのは救いだった。
これがダンの声しか聞こえなかったら精神的にかなりきついだろう。
「加速停止、接近姿勢に移行」
俺たちは進行方向に頭を向け、伏せ撃ちの姿勢をとった。
相手にさらす体の面積が小さくなり攻撃を受けにくくする効果があるらしい。
「推進剤の残量を確認、五〇パーセントを切っている者はいるか」
散々飛行訓練を行った後、宇宙都市ニュー・トロントの円筒形の部分に『着陸』した俺たちにハサウェイ少尉が問いかけてきた。
「隊長、ボクは四八パーセントです」
ユリが普段俺たちがあまり聞くことのできない毒気のない声で答えた。
ちなみに俺の推進剤は、まだ五六パーセント残っていた。
「よし、訓練中止。総員帰還する」
ハサウェイ少尉の声にかぶさるように、円筒形から地響きのような振動を感じた。
「金属カプセルの射出作業が始まった。総員、注意」
俺は急にウキウキした気持ちになって視線を円筒形の出口付近に転じた。
小さなきらめきが流れ星のように遥か彼方の漆黒の宇宙空間へと吸い込まれていく。
「超電磁砲の砲撃訓練を見るようだな」
ロンのつぶやきが無線を通じて聞こえてきた。
「仕組み的には超電磁砲みたいなものだ。スピードは秒速一〇キロ。自動小銃の銃弾のスピードの一〇倍だ」
ハサウェイ少尉が親切に解説してくれた。
いつぞやハサウェイ少尉が金属カプセルに衝突したら火星旅行をすることになるという趣旨の話をしていたが、衝突したら火星旅行の前に確実に命を落とすことだろう。
例え装甲強化服が無事だったとしても中の人間が耐えられるわけがない。
「きれい」
ケイのうっとりとした声が聞こえた。通信機からの声ではなかった。
見るとケイは俺の横に立って軽く肘を掴んでいた。
俺の心は暖かくなり、流星のようなドライアイス入りの金属カプセルの群れを幸せな気分で見つめていた。
そして、軍人にあるまじき感想かもしれないが、こうした他愛のない平和な日常がずっと続けばいいと思っていた。




