戦術に関する研究発表
機甲歩兵の訓練小隊本部は、重量のある宇宙服や武器弾薬を保管する都合上、宇宙港横の無重量エリアに設けられていた。
しかし、人間の身体にとって無重量状態は快適な環境ではない。落ち着いて研究発表を行うには適さなかった。俺は胃が持ち上がる不快な浮遊感に苛まれながら席についていた。
「まずは日ごろの訓練で一騎当千の兵に鍛え上げることが極めて重要であります……オーダー、一ページ目」
味もそっけもない白を基調にした事務室で白地に緑の丸という浮遊都市をデザインした金星の国旗を背にダンが発表を行っていた。
俺たちはダンを中心に弧を描いて並べられた机の後ろに立ち、ダンの額につけた情報端末から配信されるプレゼンテーションソフトのファイルを自分たちの情報端末で空間投影して眺めていた。
ダンの指示に応じて目の前に文字が浮かび上がってきた。
《日頃の留意点:一騎当千の兵を鍛える》
ダンの部下として耐え抜くことができれば、きっと一騎当千の兵士になるだろう。
ただ、彼と同レベルを要求されたら部下は辛いだろうなと考えた。暇さえあれば、きっと、ずっとトレーニングだ。
「五倍の兵を相手にするということは一人が五人の敵兵を倒せばよいわけです……オーダー、次のページ」
間違ってるとは言わないが、要求されたお題の趣旨からは外れているような気がした。
お題は『一個小隊の機甲歩兵が遭遇戦で五倍の数の敵機甲歩兵と戦わなければならないときの留意点』だ。
「具体的には、日々の訓練で次のようなメニューを実行します」
具体的な訓練メニューとして、効果的なサーキットトレーニングの方法や食事、休養などの留意点、我が軍の普通の訓練メニューとそれに上乗せすべきダンのオリジナルメニューが次々に表示された。
絵空事ではなく、ダンはこれらのことを普段本当に実践していた。
ハサウェイ少尉がまかり間違ってこれらのメニューを訓練に取り入れようと考えたら大変なことになるので、正直やめて欲しかった。
「次に、兵の士気を高めることが重要であります。オーダー、次のページ」
《日頃の留意点:部下との人間関係の構築》
意外だった。ダンの指摘は正しい。
ただ、そう考えているのなら、部下ではないものの俺たちとの人間関係も少しは配慮して欲しかった。
「一朝ことあるときは、非情に徹し、部下を追い込むとともに、自らも先頭に立って戦うことが極めて重要であります」
ダンの発表内容は悪くはないと思う。
ただ、要求されたお題の趣旨としては少数の兵力で多人数を相手にする場合の戦術を聞いているのに、それについて答えているとは言えなかった。
ハサウェイ少尉の表情が曇り、微妙な空気が漂った。
「以上か?」
「はっ、以上であります」
ダンは胸を張って堂々と席に戻った。
「次、ロン」
「五倍の兵を相手に正面切って戦うのは得策ではありません」
ロンは彼らしい穏やかな口調で話し始めた。
「接近戦を行えば、包囲殲滅の恐れがあります……オーダー、最初のページ」
《一 遠距離攻撃タイプの機甲歩兵による特別編成》
「敵に気付かれないように遠距離から狙撃を行い、少しづつ敵の戦力を削っていくしかありません。オーダー、次のページ」
《二 兵力の分散配置》
「兵力を集中させると、包囲殲滅されるリスクが高まります。全滅を避けるためには、兵を分散配置し、なるべく敵に発見されないことが肝要です」
ロンはそのあと狙撃兵の心得を延々と説明した。
本当に射撃が好きなんだなということがヒシヒシと伝わってきた。
ハサウェイ少尉の表情はダンの時に比べれば明るくなった。
「次、テツ」
「課題は『一個小隊の機甲歩兵が遭遇戦で五倍の数の敵機甲歩兵と戦わなければならないときの留意点』でした」
ダンもロンも自分の得意分野で話題を展開し興味深い話になった。
残念ながら俺の話はきっと面白くないだろう。
「条件を整理しましょう。状況としては通常装備の機甲歩兵が行軍中に運悪く五倍の敵と遭遇し、戦わずして退却するという選択肢を取り得ない状況の時にどう切り抜けるかということです」
俺はハサウェイ少尉の表情を確認した。
否定的な表情を浮かべていなかったので恐らく解釈はあっているのだろう。
俺は一安心した。
「であるからには、自軍の五倍の敵に勝つための装備を事前に準備することはできないという状況だということです」
ロンが『そうなのか?』と目で訴えていた。
装備を変更できないのであればロンが発表したような狙撃部隊を編成するという対処方法は取り得ないということになる。
「さらに、要塞などの拠点を活用することもできなければ、奇襲をかけることも困難だという状況です。また、先に相手の情報を得て詳細な作戦を練ることもできなければ、トラップを用意することもできません」
ボーイッシュなユリの歯がみする様子が感じられた。
俺が今否定したものが発表の中に入っているのだろうか。
俺は他の発表者にケチをつけたいわけではなかったが、結果的に足を引っ張ってしまう可能性に気がついた。ここはあまり深く掘り下げるべきではないだろう。
「本来、二倍を超える数の敵との戦闘は回避すべきであります。戦わなければならないという条件が付いているので、少なくとも一戦することが条件となりますが、戦闘での勝利は条件となっていませんので、戦いつつ生き延びることを考えなければなりません」
ダンから『甘っちょろい奴め』という批判の視線を感じた。
「圧倒的な戦力差がありながらも勝利を収めるというのは稀有なことでありますので成功事例は歴史に残り語り継がれます。そこで過去の事例をいくつか紐解き参考にしたいと思います」
ケイは特別感情を感じさせない静かな目で俺を見ていた。
「まず、ガウガメラの戦いです……オーダー、最初のページ」
俺は両軍の兵力配置図を映し出した。軍のデータベースから引っ張ってきた資料だ。
「これは紀元前三三一年、マケドニアのアレキサンダー大王とペルシアのダレイオス三世との間で行われた戦闘です。マケドニア軍四万人、ペルシア軍二〇万人で五倍の兵力差があったと言われています」
ハサウェイ少尉も黙って資料を覗き込んでいた。
「勝利したのは数の少ないマケドニア軍の方でした。確かに兵の練度、士気ともにマケドニア軍の方が勝っていたのですが、用兵としてもマケドニア軍の方に優れた部分がありました……オーダー、次のページ」
最初の兵力配置状況から各部隊がどのように動いたかをアニメーションで表示させた。
同じ動きを何回か繰り返して見せる。
「少数のマケドニア軍は戦闘の主導権を得るために積極的に兵を動かし、ペルシャ軍を分断することに成功しました……オーダー、次のページ」
マケドニア軍の動きにひきづられて、ペルシャ軍の陣形が崩されていく様子がアニメーションで表示された。
そして、楔形に編成されたマケドニア軍が、ペルシャの各部隊の隙間を突き、ペルシャ軍の中軍に迫った。
「主力部隊を敵の中軍すなわちペルシャ軍の司令官のいる場所に突撃させた結果、多数であるはずのペルシャ軍の司令官はマケドニア軍に包囲されることを恐れて退却、それが全軍の潰走につながりました」
各部隊の動きを示すアニメーションは俺がつくったものではなく軍のデータベースにあったものだが、ハサウェイ少尉をはじめ全員が興味深そうに見つめていた。
あのダンも目を輝かせていた。この調子なら、なんとか三〇分間もちそうだ。
「次の事例は、桶狭間の戦いです……オーダー、次のページ」
こちらは、ガウガメラの戦いと異なり、詳細な陣形図はデータベースになかったので、コンピューターの描画ツールを使って両軍の様子を俺の想像で描き出した。
「西暦一五六〇年、日本という国で織田信長という武将と、今川義元という武将により行われた遭遇戦です」
今川軍は全体的には細長い隊列で、さらに織田軍の砦を攻撃するための先発部隊や後方の補給部隊など、いくつかの塊に分けれていた。
「織田軍は二〇〇〇人、今川軍は一〇倍の二万人だったと言われています。ガウガメラの戦いのように、広い場所で対陣したわけではなく、豪雨の中で大軍が展開するには不利な地形で行われた完全な奇襲です……オーダー、次のページ」
中央の塊に騎馬隊を中心とした織田軍が突っ込み、今川軍が混乱する様子をアニメーション表示させた。
「今川軍の総勢は二万人でしたが、実際に総大将を守る兵力は五〇〇〇人から六〇〇〇人に過ぎず、織田軍はここに兵力を集中させたのです。織田軍は総大将である今川義元を討ち取ることに成功し、今川軍は戦意を失い潰走します」
退屈している様子はまるでない。全員が俺の発表を聞いていると感じるのは心地よかった。
俺はほかにもいくつかの事例を紹介した。
「以上の事例を分析するといくつかの共通点が浮かび上がってきます……オーダー、次のページ」
《一 戦闘の主導権の確保》
「先に動き、戦闘の主導権を確保しなくてはいけません。先制攻撃または部隊の高速移動です。相手の兵力が多い場合、ぐずぐずしていると包囲殲滅される恐れがあります……オーダー、次のページ」
《二 攻撃目標は敵中枢部》
「できるだけ早く敵の司令官を見つけ出し攻撃目標とすることが必要です。司令官が死亡すれば指揮命令系統に混乱をきたすでしょうし、司令官が撤退すれば全軍も撤退するでしょう。ただ、もし、敵の中枢部がはっきりわからなくても情報収集にあまり時間はかけられません。先ほど述べた戦闘の主導権の確保ができなくなるからです。不幸にして敵司令官の所在がすぐに分からない場合、敵軍の中央に攻撃を仕掛けるしかありません……オーダー、次のページ」
ハサウェイ少尉は何かを思い出そうとする表情を見せていた。
《三 全兵力の集中及び有効活用》
「攻撃目標に対し、すべての火力、攻撃力を集中させます。それもできるだけ短時間に。持久戦は相手に冷静に考える余裕を与えるので回避しなければなりません。武器弾薬は惜しまず投入します。ここで悩ましいのは遠距離攻撃タイプと近接戦闘タイプの運用です。事例で紹介した古代の軍隊は近接戦闘タイプだけで編成されていたといっても過言ではありません。弓矢などが遠くを攻撃できるといっても現在のロケットランチャーや高出力レーザーライフルほど射程が長いわけではありませんので、相手に有効な打撃を与えるために全軍で突撃という形態をとっています。判断に迷うのは移動速度に劣る遠距離攻撃タイプも突撃の集団に加えるかどうかです。突撃の集団に加えない場合は遠距離攻撃タイプの兵が孤立し包囲殲滅されないように気を配る必要があります……オーダー、次のページ」
ロンが真剣な面持ちでうなづいていた。
《四 深追いはしない》
「敵中枢部への集中攻撃が成功するにせよ、失敗するにせよ。相手に自軍を包囲する隙を与えないようにすることが最優先です。可能であれば一撃離脱のような戦法をとることも考慮に入れる必要があります……以上です」
ダンが批判的な反応をするかと思ったがそんなことはなかった。
俺は規定通りの時間に発表を終え、安堵のため息をつきながら席に戻ろうとした。
「質問があるのだが」
俺の動きをハサウェイ少尉の声が遮った。
「ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーの戦史研究は読んだか?」
咄嗟に何のことかわからなかった。
俺は何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。
それとも俺の発表内容が何かの本の丸写しだという非難なのだろうか。
「読んだかもしれませんが、読んだ書物の著者名までは記憶しておりません」
「目標の原則、主導の原則、集中の原則というのは?」
今度は口頭試問のようだ。ハサウェイ少尉が何を考えているのか表情からはわからなかった。
ロンとケイが少し心配そうな表情を浮かべた。
「書物で読んだ記憶があります。陸戦の原則だと思います。自分の今の発表はそれらの原則を踏まえたものになっていると思います」
俺の答えを聞いてハサウェイ少尉は柔らかい笑顔を浮かべた。
「よく勉強しているな。士官向けの教範も読んでいるのか」
「はい」
さすがに読書が趣味なのに、ほかに読める本が少ないからとは言わなかった。
心配そうだったロンとケイに安堵の表情が浮かんだ。
「よし、次、ユリ」
ユリの発表内容は、トラップと狙撃の組み合わせで敵の戦力を殺ぐという内容だった。
よくまとまっていたが直前に俺の発表で装備の変更や事前準備について否定的な話をされて辛そうだった。何度か恨めしそうな視線を俺に向けてきた。
その次のケイの内容は情報収集の重要性を強調するものだった。
部隊の高速移動により包囲殲滅を防ぎ、その間に司令官の所在を探り出すというものだった。
探り出した後は、俺と同じで全戦力を集中させ、これを叩くというものだった。
時間稼ぎがうまくいけば俺よりも確実なプランだ。過去の戦闘の事例を盛り込んだりはしなかったため、発表時間はかなり短かった。
「それぞれよくできた発表だった。次回も期待している」
ハサウェイ少尉はそう締めくくった。
俺は久々に劣等感を感じない時間を過ごすことができて、ほっとした。




