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金星統合軍・機甲歩兵・訓練小隊  作者: 川越トーマ
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進路指導

 薄茶色の長い髪の小柄な少年が薄汚れた白い扉の面談室から出てくると、荒々しく扉を閉めた。

 そして、高校のブレザーの制服の背中に思い切り不機嫌な表情を漂わせながら、俺には目もくれずに灰色の廊下を無言で歩き去っていった。

「次、テツ・イズモくん」

 部屋の中から年配の男の声が聞こえた。張りのない不機嫌そうな声だった。

 俺は廊下に置かれた青い座面のパイプ椅子から重い気分のまま立ち上がった。

 そして軽く深呼吸して面談室に入った。

「失礼します」

 視線の先に、柔らかい光に包まれた景色が広がった。

 小さな部屋には不釣り合いな大きな窓の外で、小さな魚たちが銀色の腹を見せて泳ぎ回っていた。

 水族館の巨大水槽でもバーチャル映像のまがい物でもなかった。

 俺の高校の面談室は『地下』にあり、養殖池に面していた。

 だから窓から見えるのは校庭ではなく、養殖池の水面下ということになる。

 地球の人には珍しい風景かもしれないが、金星の浮遊都市ではありふれた風景だった。

 金星の地表は、摂氏五〇〇度、九〇気圧だが、上空五〇キロ付近は気温も気圧も人類の生存に適した環境だった。

 人類は比重の重い金星の二酸化炭素の雲の中に風船のように窒素と酸素の混合気体である『空気』を詰めた巨大な人工都市を浮かべていた。

 浮遊都市の地上には耕作地、地下に居住地が設けられた。

 地上には網目のように水路が走り、耕作地の一番外側はドーナツ型の養殖池になっていた。

 金星では、このような浮遊都市がいくつも存在し、一つの都市には数百万人が暮らしていた。

 金星にこんな浮遊都市を建設したのは、地球の人口問題解消、太陽エネルギーを効率的に利用するためのプラントの建設、火星のテラフォーミングのための金星大気の利用、さらには恒星間航行のための実証実験などが目的らしい。

 浮遊都市は、地球連邦政府が巨費を投じて作ったものだが、住民が増え、時が流れると、金星の人たちは自治を強化し、最終的に独立を勝ち取った。

 地球政府としても、いつまでも直接面倒を見るのは大変だったのだろう。独立までの過程は比較的穏便で、今も金星と地球は良好な関係を保っていた。火星とは違って……


「成人基礎検査と、進学共通テストの結果を伝える」

 大きな窓を背に、灰色のスチール製の両袖机の向こう側に座った中年男が事務的に用件を告げた。眼鏡をかけた痩せた男で、細く張りのないブルネットの髪を七三に分け、瞳は鳶色だった。そして、肌は青白く、頬には意味不明の薄笑いを浮かべていた。

 その男は俺の担任で教科は数学だった。

 俺はこの男のことはあまり好きではなかった。

 特別間違ったことは言わないが気の利いたことも言わない。

 おまけに、どこか生徒のことを見下していた。

 紺色の背広に身を包み、額にはヘアバンドのような紺色の情報端末をつけていた。

 その情報端末を使って顔の前に様々な資料を空間投影しているはずだが、こちらからは何も見えなかった。

 こうした情報端末は金星人のほぼ全員がつけていた。ちなみに俺の情報端末はワインレッドだった。

 俺は教師の正面に置かれたパイプ椅子に静かに腰を下ろした。

「まずは良い知らせだ。成人基礎検査の結果は良好だった。健康そのものだ。視覚、聴覚、心肺機能は正常、精神状態も極めて安定しており、職業の制約は発生しない。よかったな」

「はい」

 教師は作り物の笑顔を浮かべて話しかけてきた。俺は力なくうなづいた。

 成人基礎検査は別名『徴兵検査』とも呼ばれ、大概の人間は『良好』の結果をもらえる。

 だから、この検査が良好だったからといって、それが特別の価値を生むわけではなかった。

 しかし、逆にこの検査の結果に問題があれば、治療を命じられたり、将来の職業選択に制約が発生したりした。

 特に精神面で問題が認められれば、再検査をパスしない限り、軍人、警官、医療従事者や宇宙船の乗組員など、人の命を預かったり、権力を行使したりする仕事には就けなかった。

 そのため、当然、そうした職業人を養成するための上級学校にも進学できなかった。

 金星では高校の次に控える上級学校は広く教養を学ぶ学校ではなく、具体的な職業に直結した養成学校だった。だから、成人基礎検査の結果が重要な意味を持つのは確かだった。

 しかし、そうは言っても、もともと俺は心身の健康状態をチェックするこの検査には不安を感じていなかった。

 問題なのはもう一つの方だ。

「次に、あまり良くない知らせだ。進学共通テストの結果だが、数学が致命的に良くない」

 教師は上目づかいで俺の眼を見た。 

 数学は人工知能が処理すればいいのだと常々俺は考えていた。

「実際の計算はともかくとして、数学的な概念は正しく理解しないとな」

「はあ」

 俺の考えていることなど先刻お見通しだとでもいうように教師は言葉を継いだ。

 教師の顔から意味不明の笑顔が消え、真顔になった。

 俺は自分の表情がどんどん暗くなっていくことを自覚した。

「希望する職業は何だったかな」

「惑星間旅客船のクルーです」

 俺は弱々しく答えた。

 金星の浮遊都市に生まれ、浮遊都市で育った俺は、地球や火星にあこがれていた。

 海や雪山、滝に大河、古代文明の遺跡群、どれも金星ではバーチャルリアリティーのコンテンツでしか体験できなかった。

 しかし、地球や火星には本物があった。

 惑星旅行をするには多額の費用がかかるが、仕事で行くなら給料がもらえる。

「アストロノーツ養成学校は入試で数学を重視するぞ。かなり」

 俺の甘い妄想は教師の言葉で現実に引き戻された。

 わかってはいるつもりだった。

 俺としては数学の失点を他の科目でカバーできればと考えていた。

 本を読むのは好きなので歴史や地理は比較的得意な方だった。語学もそう悪くはなかった。

「他の科目でカバーできれば」

「難しいな。というより不可能に近い。他がどんなに良くても数学が一定水準以下ならアストロノーツ養成学校の入試は突破できない」

 俺の微かな希望は木っ端みじんに打ち砕かれた。

「補習ですか?」

 しかし俺はあきらめが悪かった。

 金星の浮遊都市で、農業や水産業に従事して一生を終えるのはまっぴらだった。

 また、いくら勤務地が金星の浮遊都市ではなく宇宙空間だったとしても、斜陽産業であるドライアイス製造工場や爆発の危険と常に隣り合わせの反物質製造工場で働くのも御免だった。

 一度しかない人生だ。簡単に夢をあきらめたくはなかった。

 しかし、教師はすべてを否定するかのように首を大きく左右に振って小さなため息をついた。

「実は別の理由で君の選択肢は極めて少なくなっている。最後の知らせは君にとって良い知らせか、悪い知らせか、私には判断できない」

 教師は静かな口調になり視線を落とした。

「はい?」

 大人がこういう態度をとるときは大概嫌な話だと俺は十八年ほどの人生で思い知っていた。

「うまく事が運べばアストロノーツ養成学校に入ることなく、宇宙船のクルーになれるかもしれない」

「なんですか? それは」

 うまい話ほど、ろくな話ではないということも、俺はすでに知っていた。

「抽選に当たった。君は下士官候補生としての地位を手に入れた」

 教師はそう言いながら視線を横にそらした。

 金星は兵隊の志願者が少ないため、抽選式の徴兵制度を採用していた。

 十八歳になると男女問わず、文系も理系も、運動部も文化部も等しく抽選の対象となった。

 士官学校を希望する奴は一定数いたが、兵隊になりたがる奴は少なかった。

 当然軍隊に数多く必要なのは、士官よりも兵隊だ。

 下士官候補生などといっているが、要は一般兵を確保するための仕組みであり、年季奉公を務めあげれば下士官にしてやるという程度に過ぎない。

「お断りします!」

 俺は強い口調で断った。俺の中に兵隊になるという予定はなかった。

 命令への絶対服従や団体生活など、とても俺の性格に向いているとは思えなかった。

「断った場合、君は刑務所に入らなければならない。御両親が悲しむぞ」

 やっと教師は俺に視線を向けてきた。笑顔はなく厳しい表情だった。

「俺は人と争うことは苦手です」

 俺は荒っぽいことが苦手だった。俺は腰を浮かせて教師に強い視線を送った。

「知っている」

「趣味は読書です。スポーツも苦手です」

「それも知っている」

 俺は他に言うべきことを捜すために、腰を下ろして深呼吸をした。

「君に残された選択肢は三つだ」

 短い沈黙を先に破ったのは教師の方だった。

「ひとつ、国の制度に従い金星統合軍の新兵養成訓練に参加する。ふたつ、入学試験にパスする必要があるが金星統合軍士官学校に入学する。みっつ、刑務所に三年以上服役する」

 教師はゆっくりと指を折りながら話していた。

 何だ、三つとか言いながら結局軍人になるか刑務所に入るかの選択肢しかないじゃないか。

 しかも士官学校なんて俺の成績じゃ無理に決まっている。選択肢として成立しない。

 それに徴兵ならともかく士官学校なんかに行ったら最後、一生軍人が決定だ。

「徴兵に応じた場合の入隊期間はどれくらいになるんですか」

 俺はため息交じりにつぶやくように質問した。

「最低三年だ。四年目に下士官になって軍に残るか、退役して民間人になるか選択の機会を与えられる。その時点で改めて上級学校に進学することも可能だ」

 年季奉公三年か刑務所三年かと問われれば、普通の人間は間違いなく年季奉公を選ぶだろう。よくできたシステムだ。

「親に連絡してもいいですか」

「いいとも」

 教師は大袈裟にうなづいた。

「オーダー、電話、母親」

 俺は呪文でも唱えるように額につけた情報端末に音声入力を行った。

 声紋登録してあるので端末は俺以外の指示は受けつけない。

『何? 今、仕事中なんだけど』

 母親はすぐに電話に出た。

 頭蓋骨に直接振動が伝わり、頭の中に不機嫌そうな母親の声が響いた。

 この時間、母親は農産物加工工場で働いていた。浮遊都市の果樹園で生産した果物でジャムを作る工場だ。

 教師には母親の声は聞こえない。

「進路指導の結果なんだけど」

『ああ、どうだった? 進学共通テストの結果は』

 用件を聞いて母親の声から不機嫌さが消えた。

 気になってはいたらしい。一応大切なひとり息子だ。

「そんなことより抽選枠で徴兵に引っかかった」

 俺は教師のような回りくどい手順は踏まず、結論だけを告げた。

『チョウヘイ?』

「軍隊だよ。兵隊になれとさ」

『……そう、仕方ないわね。お父さんに伝えとくわ』

 拍子抜けするような反応が返ってきた。

 何か徴兵を断るいい知恵でも授けてくれるのかと思っていたのに期待外れだった。

「仕方ないって……他に言うことないのかよ!」

『だって、どうしようもないでしょ、拒否できないんだから』

 俺より長く生きている母親の方が、この世界の仕組みをご存じらしい。あきらめが速かった。

「はあ」

『運がなかったわね。まあ、三年の辛抱よ』

 俺の説明を待つまでもなく年季奉公の期間まで知っていた。

「報告はそれだけだ。切るよ」

『元気出してね』

 最後にようやく労りの言葉をかけてくれた。やはり母親だ。

 しかし、それで俺の境遇が変わるわけではなかった。

「どうだった?」

 そう聞いてきた教師の顔には余裕があった。

 俺の発言内容でおおよその内容を把握したのだろう。忌々しい限りだ。

「ギブアップです」

「まあ、うまくすれば軍艦の乗組員になれるかもしれない。気を落とすな。幸いどこかと戦争しているわけでもないしな。三年の辛抱だ」

 こうして俺はなりたくもない軍人になることになった。

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