第1話 橘紅蓮の日常
僕の目の前には血の海がある。
地面を埋め尽くすのは屍の山。
たくさんの死者を前にして立っていると、敵だった人間から人殺しと呼ばれた。
血も涙もない鬼だと。悪魔、死神だとそう続けられる。
……。
そうだ。
たくさん殺した。
僕は、たくさんの人間を殺しこの手を血に染めてたから人殺しだ。
でも安心してほしい。
僕は現実では、人を殺した事なんかない。
いつだって、殺すのはただのデーターだ。
携帯ゲームの画面の向こうで、仮想の生を与えられているNPC達。
彼等は主人公に向かって罵詈雑言を投げつける。
僕はそれに何も感じない。だってすべてはゲームなのだから。
だから今日も明日も僕は人を殺し続けるのだ。
現実の世界から逃れるために……。
冬の季節。
外で時間を潰すには肌寒い時期。
公園の隅のその場所は、携帯ゲームを操作している僕……橘紅蓮の定位置だった。
学校帰り、家に帰らずベンチに座って、そうやって時間を潰す。
それがいつもの日常だった。
変わらない日々で、紅蓮にとっての普遍の常識。
けれど、その日はいつもと違う事が起きた。
その日もゲーム機を手にベンチに座っていた紅蓮。
だが、ふいに今まで視線を落としていた画面が見えづらくなったことに気が付いた。顔を上げると、クラスメイトである朝霧実加がいる。彼女の影が邪魔をしていたらしい。
コートも着こまず、赤いマフラーだけを首に巻いて動きやすような服装をした少女は、性格がそのまま表れたような勝気そうな表情でこちらを見つめ、喋りかけてきた。
「紅蓮、またそんなゲームばっかりして。そんなのばっかりやってるから、女の子みたいになよっちい体になっちゃうのよ。男の子だったら、遊んだりケンカしたりするのが普通でしょ!」
頭の片方で長い髪を結んだ少女は、いつもこうだ。
公園にやって来てはよく、ベンチに座って微動だにせずただゲームをこなすだけになっている紅蓮へと話しかけてくる。
「余計なお世話だ。あっちいけよ」
「いやよ、紅蓮がゲームを止めなきゃ行かない」
仕方なしに、ゲームをスリープモードにして終わらせる。画面が真っ暗になって、自分の顔が映った。男らしくない、見ようによっては女と間違えられそうな軟弱な顔つきだ。よくあるロールプレイングゲームの登場人物で例れば剣を振る勇者じゃなくて後衛の魔術師あたりだろう。
「ほら、止めたぞ」
だからあっちいけと手で追い払う仕草をするのだが、実加は逆にこちらの手を掴んで引っ張った。
「おい!」
「紅蓮も来なさいよ。皆と遊んだほうが楽しいわよ」
「何でだよ」
「楽しいのよ! だから来なさいよ!」
「……」
理由になってない。
実加は紅蓮を、有無を言わせずにぐいぐい引っ張ってくれる。非常に迷惑だった。
自分のやってるお節介が他人の迷惑になっているなどと考えてもいなさそう。というか、お節介を焼いているのではなく、親切でもしているつもりなのだろう。
これだから気の強い人間は。こいつみたいなのは特に嫌いだ。
実加はベンチから離れた場所……公園の隅で遊んでいる一団に近づき、声をかける。
「ねぇ、一人拾って来たわよ。大した戦力にならないかもしれないけど、入れてあげましょ!」
大した戦力になりそうになくて悪かったな。
どうやら彼女は今日は紅蓮に声を掛けに来ただけではなく、遊びにも来ていたらしい。
視線を向けた先にいる一団がやっているのは、ドッジボールだった。
見慣れたフィールドが地面に掘られていて作られ、先ほどまで飛び交っていたボールが土の上に転がっている。
「入れてもいいけど、でもこのゲームもう飽きちゃったんだ。何か面白い事ないかな」
実加が連れて来た戦力よりも、そちらの方が気になると言った風に目の前の連中は話しているようだ。
子供なんて遊びさえ与えていれば、飽きずに延々とやっているようなもんだと思っていたがどうやら違うらしい。
……紅蓮の両親みたいに、最新のゲーム機だけ与えてほったらかしにしてるみたいな考える子供の例とは、目の前の子供は違うみたいだった。
それともそれが普通なのだろうか。
「なら、横にも人間を置けばいい」
「?」
紅蓮がポツリと呟いた言葉は、聞かれてしまっていたようだ。
その場にいた人間の数分の視線が集まり、一番近くにいた実加がこちらへ問いかけてくる。
こんな風に多人数に注目される機会なんてめったにないから、少し焦る。
「ねぇ、それどういう事? 面白いの?」
「……だから、難易度を上げてみればいい。今までは右に左にボールが飛んでいくだけだっただろ。見ている方もつまらない」
紅蓮は、フィールドの方を視線で示す。
普通にベンチではゲームをやっていたのだが、時折遠くの方から煩い声が聞こえてきたので、たまにそっちの方へ視線を投げたりしていたのだ。何をしていたかは十分把握している。
彼らはずっと、規則正しくボールが、視界の右から左に移動するだけの詰まらないゲームをしているようだった。
ゲームだったら一流でも、二流でもないただの三流だろう。
たまに人が当たって進行が止まる事があるが、それではスリルが足りない。
「だから、上とか下とかからもボールが飛んでいく様にすればいい」
フィールドをシューティングゲームの画面に見立てて説明する。
足で、地面に図を書いていく。
ドッチボールの普通のフィールド。
横に長いこの場所を、そこらに転がっていた石ころをボールに見立てて移動させる。今まではこのフィールドを、右から左、左から右にしか動いていなかったボールだが、それを縦にも動かすのだ。
「紅蓮、良いこと言うじゃない! じゃあ皆やってみましょう!」
実加の一言で締めて、それぞれが元のポジションへと戻って、配役を決めにかかっている。
それからのゲームはそれなりに盛り上がったようだ。
自分の一言がきっかけとなって他の者達が動いていく景色を見るのは、何とも言えない変な感じがした。
次の日も、橘紅蓮はいつものように学校に通い、いつもの様に授業をさぼり(ゲームで遊んで)、いつものように何の意味のない時間を過ごして帰途へと着いく……。
その予定だった。
けれどいつもと違う事が起きた。
「紅蓮、アンタを遊びに加えてあげるわ。感謝しなさい」
そう言って、実加が誘ってきたからだ。




