イベント・インシデント②
三人称です
三人称にしたのは、アンネマリー視点でやりたくなかったというのが理由だったり……
◇◇◇
月光に照らされ、白い花弁の花が月下に美しく咲き誇る。
僅かな風にゆらゆらと揺れる花の中央には、黄金の一滴の雫が、朝露のようにして光っていた。
シエラエール王国の名産とも言える、聖なる力を宿すとも、万病に効くとされるその花の名は、月光花という。
一面に植えられた月光花はぼんやりと発光しており、しかしそれでいてイルミネーションのような野卑なものでは無く、ただ静かに、儚げに、そして気高く輝いていた。
そこは、シエラエール大聖殿の中にある月光花の花壇。
すぐ側で国を挙げての宴が開かれているというのに、この場所だけは変わらず、いっそ荘厳さを感じるほどに静かだ。
その美しさとに心奪われて、この場を聖域と崇める者も少なくない。
しかし、今夜ばかりは、神をも神と思わぬ一人の――いや、二人の少女によって、静寂なる聖域の禁が破られようとしていた。
「――お嬢様、これ以上はいけません。貴重な月光花がこんなにも……ここは恐らく、王国の中でも秘匿性の高い場所なのでしょう」
二人の少女の内、背の高い方――中性的な顔立ちに、月光花の雫と同色の瞳をした、執事服を着た少女が嗜めるようにそう言った。
「ふん」
すると、もう一人の少女は小さく鼻で笑う。
「ミストあんたねぇ、執事の癖に主人がやることに口出ししてるんじゃないわよ。大体、ここは月光花が植えられている『月光華園』、王国の秘密の場所。それを、わたしは分かっててここにいるのよ」
「ならなぜ――」
「決まってるでしょ」
と、疑問をぶつける執事の少女――ミスト・エジンバラの声を遮るように、もう一人の少女――ラージーン王国王弟公が一人娘、アンネマリー・エル・ラージーンは得意気に言った。
「イベントの下見よ」
「い……べんと?」
「そ。イベント」
聞き慣れない言葉に首を傾げるミスト。
アンネマリーは手をひらひらと振り、
「ま、あんたは知らなくていいのよ」
と言いながら、ミストを放っててすたすたと歩いて行ってしまう。
きょろきょろと辺りを見回しながら畦道を行くアンネマリー。
それを見たミストは慌てて追い掛けていく。
物語の中で語り継がれるような風景の中、二人の少女がそこを歩む。
「綺麗、ですね……」
「そうね」
だが、その幻のような時間はすぐに終わりを告げた。
ミストは動きを止めた。
なぜなら彼女の主人も、彼女と同じ様に足を止めたからだ。
「あ……」
「?」
突然歩くのをやめたアンネマリーに、訝しげな顔をするミスト。
「お嬢様?どうなさいました?」
「ウソでしょ……何で今、ここに居るのよ……」
アンネマリーの背中が、僅かに震える。
ミストは回り込むようにして、その顔を窺った。
「お嬢様……?」
「早すぎるわよ!?」
アンネマリーの肌は、最早白を通り越して青白くなっていた。
その顔には、驚きと恐怖、絶望に似た諦観がないまぜになった様な感情が浮かんでいる。
そして揺れるその目は、月光華園のある一点を見つめていた。
「おや……もしや、私を知っているのか?」
そこは、幻想的にさざめく花の海の中。
そこに、貴族風の服を装った一人の男が立っている。
閉じられたようにも見える目は糸の様に細く、しかし渦巻く悪意が滲み出ていた。
異様なのは、男が立っている場所だけ、そこに植わった月光花が枯れていることか。
彼が一歩踏み出すたびに、火花のようにスパークが散って、足元の月光花が枯れていく。
「まあどうでもいいが……此方も仕事でな」
ミストが、茫然として動こうとしないアンネマリーを庇うように前に出る。
「お嬢様……私の後ろへ」
「おや、護衛か?」
互いが互いに一足で踏み込める間合いの一歩前で、男は立ち止まった。
「悪く思わないで欲しいが……力づくでもその身柄、引き渡して貰うぞ」
そう言ったが瞬間、男の目は極限まで見開かれた。
異様なまでに大きな黒目と、白目に血走った血管も相まって、闘牛の瞳を想起させる。
その男は奇しくも、ハシュウが注意しておくべきと評した男であったが、先ほどと比べて、その身にへばり付いた殺気は尋常なものでは無かった。
男はどこからとも無く短剣を二本取り出し、だらんと垂らした両手に握る。
ミストも、腰に手を回して、護身用に携帯していた短めの双剣を取り出す。
運命の巡り合わせか、はたまた悪戯か。
二人の得物は全く同じだった。
「場所が悪いが……それでも、ヒトが私に勝てると思うなよ」
「それはどうでしょうか。負けるのは、貴方だと思いますが……《雷精剣舞》」
ミストの躰に雷が纏わりつく。
大気を焼くそれを見て、男は顔を歪めた。
「精霊風情が……調子に、のるなッ!!」
そしてその怒号が、戦いの始まりを告げる、二人の合図となった。
◇
目の前で文字通り命をかけた戦いが始まっていても、アンネマリーはその場を動く事は出来なかった。
それはミストという自分の護衛に対する絶対的な信頼からか、それとも明確な悪意に晒された怯えからか。
恐らくはそのどちらもであろう。無意識に、彼女は敵を目の前にして、その対処をミストだけに任せる――即ち、その身を、選択を他者に委ねるという楽な方向へと逃げたのだ。
しかし、生来の高いプライドもあって、子供が嫌なことに拗ねて背を向けるように、彼女はそれから目を背けてしまう。
そして、逸らした目で見つめたのは、どうしてこうなった、という思いだった。
(今までは、うまく言ってたのに)
アンネマリー・エル・ラージーンには誰にも言えない秘密がある。
それは、自らに、前世の記憶があるということだ。
時折無意識に彼女の口をつく、聞いた覚えの無い言葉は、その前世でよく使っていた言葉だった。
そして、不思議な事に、彼女の前世では、この世界は定められたシナリオによって進む物語のような遊戯の中にあった。
数年前に石畳につまづき、頭を強打して自らの前世を思い出した彼女は、それからは前世の知識を上手く生かして、最高の生活を送ろうと考えた。
結果は上々。
常に自分の予想した通りに事が進み、彼女は自らにとって住み良い環境を作る事に成功する。
反面、失敗する事が殆ど無かったせいか、アンネマリーはその成功が、自分の能力が高いからだ、と次第に増長していくようになった。
しかし、あらゆる事が思いの儘になる彼女にも一つ気がかりな事があった。
それは、自分がアンネマリー・エル・ラージーンであるという事だ。
今の自分はその前世の遊戯の中の一登場人物。
そしてアンネマリーという人間は、前世の記憶の中で、この世界での三年後に死ぬ。
その始まりとなるのが、隣国聖シエラエール王国の、『月光華園』。目の前に立っていた男。
それが、彼女の持つ、自らに関する知識。
それまで数多の成功を修めていたが故に、彼女は思った。
死にたくないと。
そして、自分ならばその結末を変えられると。
彼女は、それまで絶対の精度を誇っていた前世の知識に叛旗を翻す事にしたのだ。
(『月光華園』……それを見に来ただけなのに、何で……)
しかし、前世の記憶に逆らうと決めた割には、アンネマリーは想像力が足りなかった。
絶対であった記憶を裏切るのならば、その価値観も変えておくべきだった。
それまでの成功は、ただ運が良かっただけなのだと。
前世の遊戯が、まるまるこの世界に当てはまる訳が無いのだと。
ただただ偶然偶々、前世の知識にあった人の名前と、身近な人の名前が一致しただけかもしれないという事を。
常に最悪を想定しておけば。
全てが偶然だったと、事前に想像しておけたのなら、何かが変わっていたかもしれなかったのに。
しかしそれも今となっては、全くの後の祭りであった。
目の前で、ミストが細目の――否、見開かれた目の男に一太刀入れたのを見て、アンネマリーは痺れたように考えるのをやめた脳で喜ぶ。
(いける、いける、いける―――勝てる!)
また、ミストは男に一太刀入れる。
今度はそこそこ深く入ったのか、男は僅かに呻き声をあげる。
(死ななくて、済む!)
短絡的に喜ぶ彼女は、忘れていた。
一つボタンをかけ違えれば、一つ歯車が噛み合わなければ、一つ計算式の計算を間違えれば。
それは、全く異なる結果を弾き出すという事を。
◇
白刃が振るわれ、波打つ稲妻が大気を焦がして猛る。
その度に、甲高い音が鳴り響き、二つの影が交錯した。
「はっ!」
「しゃぁッ!」
同時に振るわれる剣閃。
ミストは身をよじってそれを躱しながら、斬撃の軌道を修正する。
男はミストが振った剣を躱し切れずに、また一つ切り傷を生んだ。
剣を這うように疾る雷が傷跡を焼き、肉が焼ける匂いが辺りを漂う。
焦げ臭い煙を上げる男は、至る所に傷を負っていた。
中には決して深くない傷も散見されたが、しかしその足取りは確かなままだ。
「……まだ、やりますか?」
ちゃきり、と音を立てて双剣を男に向けるミスト。
激しく動いたにも関わらず、その息は微塵も途切れていない。
だが、それは男も同じ。
開かれた眼はさらに見開かれ、ぐりぐりと動いている。
「……勝ったつもりか?精霊使い」
ぐん、と、男から放たれる圧が更に強まる。
威圧は現実のものとなり、足元の月光花の枯れていく速度は更に速まっていく。
「………」
それをジッと見ながらも、これ以上やるなら自らも本気を出す、と言わんばかりに纏う金雷を束ね、更に増やしていくミスト。
その雷光に朱が混ざり始めた辺りで、男は小さく舌打ちをした。
「チッ……全く忌々しい花よ」
男が枯れた月光花を蹴飛ばすと、そこから零れ落ちた金の雫がその足にかかる。
すると、酸を垂らされたが如く、音を立ててその水滴は蒸発した。
「月光花は魔を祓う力を持つ……貴様は」
「フン」
鼻で笑い、男はゆっくりと剣を下げる。
「止めだ……興が削がれたわ。……豚侯爵には悪いが……いや、あの豚ならどうとでもなるか……」
途中から独り言めいた男の言葉に、ミストは怪訝な顔をした。
豚侯爵、という言葉に聞き覚えがあったからだ。
それは、ラージーン王国の、
「アイシュワリヤ侯爵の事か?」
「ならば、本来の目的を果たすとしよう」
ミストの質問には答えず、男は迅雷の動きで一直線に駆けて来る。
「くっ!?」
虚をつく動きに僅かに反応が遅れるが、ミストは男以上の速度で動き、すれ違いざまに放たれた斬撃を受け止める。
「もう用は無い。命拾いしたな、精霊使い」
剣を受け止めた僅かな硬直時間に、男はそう吐き捨てて、さらに跳躍した。
「ッはぁッ!」
剣を押し戻し、男を振り払ったと思ったミストは即座に辺りを見渡した。
しかし、男の姿は既に見えなくなっており、気配すらも感じ取る事が出来なかった。
それでもミストは残心、警戒を解かない。
「………ふぅ」
しばらくして、男が本当に居なくなったことを悟ったミストは、振り返って、安堵から小さく息を吐いた。
アンネマリーに傷一つ無く、無事である事を確認した為だ。
「良かった……お嬢様」
「よくやったわ、ミスト」
アンネマリーの先程まで蒼白だった顔色は、やや赤味が戻っている。
ほっとしたような表情で、彼女は駆け寄って来たミストを労った。
「本当に良かったです、お嬢様……私、私……お嬢様がもし、お怪我でもされたら……」
「ミスト……」
心苦しそうに目を伏せるミストに、アンネマリーはほんの少しだけ心を動かされた。
体を張って、自分を守ってくれたミストに、感謝の気持ちを感じたのだ。
珍しく、彼女の心の中には他人に報いてやりたいという気持ちが芽生えていた。
それは、前世の記憶を手にしてから、初めての事だったのかもしれない。
アンネマリーは、そっとミストに手を添える。
そして、
「主様の命令に、背いてしまうことになりますから」
「ぇ……?」
どご、と、鈍い音が耳朶を打った。
続いて、腹に鋭く響く痛み。
信じられない、といった表情でアンネマリーは音の原因を見下ろした。
己の腹。
そこには、ミストの拳が、深々と突き刺さっている。
「なん、で……」
呻きながら、再びミストを見上げる。
ミストは、笑っていた。
それは、無邪気な、何時もと同じ微笑み方。
しかし、逆にそれがアンネマリーには恐ろしく映った。
次第に薄れていく意識の中、崩れ落ちる視界の端で捉えたミストの金眼には、抑えがたい狂気の黒、歓喜の色が浮かんでいた。
その虹彩の奥に蝙蝠の紋様が浮かび上がった時、アンネマリーの意識は、完全に闇に塗り潰された。




