マッチを折るようにして②
すいませんすんげー遅れました……
こぉぉ、と特殊な呼吸音と共に、ミストが息を吸った。その目は俺の方を向いており、瞳には俺の僅かな挙動すら見逃しはしないという警戒心が滲んでいる。
砕いた肩に当てたミストの手が鈍く光を放つ。
恐らくは回復魔導、呼吸にも何らかの効果が有るのだろうか。
「ふっ――!!」
俺は威力は無視して、速度に重きを置いた斬撃を放つ。これが鋭い切れ味を誇る名剣だったら話は別だったが、俺が持っている剣は刃の無いなまくら。
当てたところで致命傷を与えることはまず無い。
だが俺は『当てる』という事を優先した。
過去最高、今まで振ったどの剣閃よりも素早いと自信を持って言える速度で、鉄塊がミストへと迫る。
「……ぁ?」
だが次の瞬間、ぎゃりん、と金属が削り合うような音がして、俺の体勢は崩されていた。
起こった出来事は単純明快。ミストが動かせる方の手の剣で、俺の斬撃をいなしたのだ。
(やっぱり……なッ!!)
俺は咄嗟に剣を引き戻し、柄の部分で斬撃を防御、後ろへ飛ぶ。
ミストは追いかけては来ない。俺にまだ何かがある、と警戒したのだろうか。
予想はしていたが先程の斬撃が当たったのは、恐らく俺の速度が急に上がったからだろう。ミストがそれまでの速度に慣れていたせいで虚をつく事が出来た。しかしその時こそ被弾を許したものの、二度は通用しない事が今分かった。
たった一撃で俺の速度に適応するとか、やはり化け物だな。
一呼吸して、俺は状況を冷静に分析していく。
ミストが追撃では無く様子見をした理由について考える。ぱっと考えられる理由は三つ。
単純に様子見をしている。
怪我を治す時間稼ぎをしている。
大技に必要な『溜め』を溜めている。
前者二つの可能性は高い。が、三つ目がもし理由に含まれていたなら厄介。
ここで潰しておくべきだろう。
「其は灼炎沸き立つ赤戈の―――」
(なんてな)
なるべく気を引くように、高らかに、出来もしない火属性の魔導を詠唱して見せる。
魔導に詠唱が必要になるのは、使い手が未熟であるか、もしくは魔導がより上位であるかだ。
そして基本的に魔導使いとの闘いでは、後者が圧倒的に多い………というのはラファエロの受け売りである。
敢えて詠唱する事で注意を魔導に向けさせ、詠唱し切らない内に虚をついて動き、間合いを詰める。
なまじ闘い慣れている分、魔導を警戒していたミストは一瞬反応が遅れる。
剣を振ると同時に、無詠唱で展開した『水球』がミストを襲った。
「――っ!」
だがこれもミストは片腕でしのぐ。
曲剣で斬撃を逸らし、身を投げ出すようにして『水球』を回避。そのままさらに地面を蹴って俺からの距離を四メートルほど開けた。
が、俺はそれを許さない。
追撃、追撃、追撃。
逃がしはしない。片手しか使えない今の内に、削り切る。
『水鞭』を発動、ミストの脚へ絡みつかせ、呪いで強化された腕力でもって引き倒す。
しかし寸前でミストは『水鞭』を断って縛を解き、剣を跳ね上げるようにして返す刀で俺の頭を狙う。
俺は僅かに上体を反らしてこれを回避。鼻先を曲刀の切っ先が掠め、背中に冷や汗が流れる。
(危ねぇ、回避失敗してたら死んでたぞ!)
安心するのも束の間、崩れた体勢を立て直すまでの、ほんの少しのタイムラグにねじ込まれた蹴りが俺の胸を打つ。
「ぐっ」
胸に炸裂する衝撃に、思わずくぐもった息を漏らす。が、思ったよりダメージは少ない。
くるりと宙返りしてまた距離を置くミスト。
(この野郎、俺を踏み台にして跳んだのか!)
俺は若干の苛立ちを感じながら後を追う。
惜しみなく先程の数倍の魔力を注ぎ込んで、その魔力に相当するだけの『水球』を生み出し、機関銃さながらに撃ち込んでいく。
がりがりと減っていく魔力に身体が悲鳴を上がるが無視。しかしその甲斐あってか先程とは打って変わり、ミストの顔に余裕の色は無い。
「おおお!!」
(数の暴力で、押し切る!!)
撃ちながら近づき、俺の剣の間合いの内にミストを捉える。
曲刀より俺の剣の方が長い分、一方的に攻撃が届く位置。俺はそこから剣を全力で振るおうとして――
ぞくり、
と背中に悪寒が走った。
(何かヤバい!)
直感が警鐘を鳴らす。
視界にミストが小さく、本当に僅かに口の端を上げるのが見えた。
「―――く、おぉっ!!」
前へ前へと勇む身体に急ブレーキをかける。
運動ベクトルを、強制的に逆方向に。
予感に従い背後へのエスケープを試み―――
―――さん、という音と共に俺は胸の辺りに冷たい物が通り過ぎていくのを感じ、そしてすぐに熱を感じた。
視界に赤いものが飛び散るのが映る。
ミストは、左手の曲刀を振り抜いていた。その切っ先にも、赤色の何か―――これは、血か。
(ヤバい、斬られた)
斬られたと認識したのは身体が僅かに硬直した後だ。
ミストはまだ左手が使えない様に演技をしていたのだ。それに俺はまんまと引っかかった。
そして恐るべきはミストの速さ。
ほとんど反応出来ないレベルだった。
俺は覚束ない足取りで二歩後ろへ退がる。
ミストが隙だらけの俺に駄目押しをしてこないのは、余裕の表れからだろうか。
(……舐めやがって)
痛みの次に浮かんだのは怒り、だがここで激昂はしない。それは馬鹿がする事で、経験上それで事態をなんとかできそうな奴を俺はゴリくらいしか知らない。
「………はは、それ刃引き、してますよね?」
「もちろんです」
軽口を叩きながら胸の傷を確認。
そこまで傷は深くは無いが、打撲に近い痛みがある。
俺は胸部に限定して《黒刻》の出力を上げる。呪いによる強化は治癒力を飛躍的に高め、擬似的な再生効果をもたらす。
切り傷は敢えて治していないが、《黒刻》のお陰で問題なく動ける。
ミストを見ると、何やら奇妙な物を見る目でこちらを見ていた。
「あぁ、すいません……待っていてくれたんですか?」
俺が再び軽口を叩くと、ミストはすっ、とポーカーフェイスになった。
「…ええ。と言っても、私が待っているのは別のものですが」
「別のもの?」
「えぇ、私の予想ではそろそろ……」
そこまで言った時、闘技場に別の声が響いた。
「ミスト!飽きたからそろそろ本気でいきなさい!」
それはややヒステリー気味な、しかしまだ幼さの残る声。
音が聞こえた方向には、扇を持つ異国の少女。
アンネマリーの命令に、ミストはゆっくりと返事をした。
「はい、お嬢様」
その言葉と同時に、何かが弾けるような音が聞こえた。それはごくごく小さな音で、強化されていた聴覚でようやく拾えるくらいの音だった。
断続的にその音は鳴り続き、次第に大きな音になっていく。
「オイオイ、マジかよ……」
音がバイクのエンジン音くらいにうるさくなって来た辺りから、ミストの身体から稲妻が迸り始めた。
その瞳と同色の黄金の雷電は、ミストの身体を舐めるように渦巻いて走り、空気を弾く音を鳴らす。
なんだコレ……魔導か?余裕で中位くらいあるだろ……だが誰も止めないって事は、魔導だとしても低位なのだろうか。
「《雷精剣舞》……いざ、参ります」
瞬間、ミストの姿が霞んだ。
「がっ……はッ……!?」
轟音、衝撃、そして熱……景色が前へ流れていく。
再び衝撃、視界にパラパラと石の欠片が落ちてくるのが入って、ようやく俺は吹き飛ばされた事と、闘技場の壁にめり込んだ事に気付いた。
(斬られ……?いや違う、ただ蹴られただけ……なのか……?)
壁からよろよろと抜け出し、痛みでふらつく身体を動かして前方を見ると、ミストはゆっくりと上げた脚を降ろすところだった。
蹴りだけでこの威力……もう死ねるな。はは、笑えねえ。雷属性とか……魔導にあったか?
「いや……」
俺は前にも雷を操る奴を見た事がある。
◇
「な……あれは?」
眼下でアンネマリーの執事が雷を纏ったかと思うと、自分の執事を蹴りだけで軽々と吹き飛ばした。
シャルランテは震える声で、アンネマリーに問うた。それを見たアンネマリーは満足気にふふんと笑う。
「言ったでしょ、ミストは国の五本指……いや、最強だって。このゲー……ごほん、ウチの国には《至高の五柱》っていう、精霊がいて、その一柱がミストに憑いてるのよ」
「……精……霊…?」
「そ。精霊。端的に言えば意思を持つ魔力の塊ってところね。まぁ、この国にはいないみたいだけど。……けれど、ラージーンには雷の精霊だっている。もう雷はアンタ達だけの力じゃないのよ」
得意気に笑うアンネマリー。
下では最早雷と一体化しているような姿のミストが、ハシュウの方へゆっくりと歩き始めていた。
「ミストがあの状態になったら、相手が誰であろうと皆二度と立てないくらいに壊されるわ。まぁミストも手加減というものを心得てるから、今回は死ななくてまだ使える程度に、と言い含めているけど。……あ、そうだ。確かミストが勝ったら、ハシュウとミストを交換って言ったけれど、アレ、やっぱりやめましょう?」
アンネマリーはいい事を思い付いたと言わんばかりににんまりと笑い、扇を広げて口元を隠した。
「………ミストが勝ったら、交換じゃなくて、ハシュウちょうだい?」
「……ハシュウは、負けません!」
「どうかしら?あれを見てまだそう言えるの?」
轟音が響いて、シャルランテが慌てて闘技場の様子を確認すると、ハシュウが再びミストに蹴られて壁まで吹き飛ばされていた。
「圧倒的な力の差。そろそろハシュウも負けを認めるんじゃないかしらね?」
「ハシュウ……」
シャルランテはぎゅっと手を握った。
ハシュウに負けて欲しくないという気持ちと、これ以上怪我をしてまで頑張らなくてもいいという気持ちが胸中を渦巻く。
だがそのどちらよりもシャルランテの胸の内に強くあったのは、ハシュウを失いたくないという気持ちだった。
◇
俺は前にも雷を使う奴を見た事がある。
ミストに再び蹴り飛ばされながらも俺はそんなことを考えていた。
今度は蹴りの瞬間に、蹴りが当たる部位を《黒刻》で一瞬だけ強化して防御したのでさしてダメージは無い。
(雷――シャルランテも使っていた)
俺が始めて《呪詛》を使った時――シャルランテが女神官を仆す為に使った魔導――確か、『光輝なる矢』だったか。アレは確か、雷の魔導だった筈だ。
それを見た後、俺は雷を使ってくる奴にどう対抗すればいいかを考えた。確か結論は…………“無理”だったかな。
まぁしかしそれはあくまで雷の魔導と正面からかち合ったら、という場合である。今回は相手は雷並みの速さで動くが、ダメージは抑える事が出来、それほどではない。
(なら、勝機はある)
仕込みを使う。
俺は壁に激突する瞬間に方向転換して壁に着地し、そして壁を蹴ってミストの方へ飛び出した。
《黒刻》で脚部を全力強化。この数秒だけ、俺は雷の速度へ到達する。
『水球』を作って飛ばすが、ミストの身に纏う雷に弾かれて水が飛び散る。
(けど気付いてるか、この闘技場には、そうやって飛び散った水がまだ残ってるんだぜ!)
魔導で生み出した物は、内蔵する魔力が無くなれば消える。
が、逆を言えば魔力さえあればその場に残り続けるのだ。そして俺は、闘技場中に飛び散った『水球』に、未だ魔力を送り続けていた。
「『水球』ッッ!!」
気合いを入れる為に叫ぶ。
それは、ミストの注意を俺に向ける為でもある。今まで散々俺は『自分の周囲』に『水球』を作ってきた。故に自然とミストの目は俺の方へと向く。
だが違う。
俺が『水球』を作ろうとしている場所は―――
「貴女ですよッ!!」
周囲に残っている水が、何かに吸引されるようにしてミストの方へと飛んでいく。ゼロから『水球』を作るより、その速度は断然速い。まぁ当然その水だけでは足りない、俺の残っている魔力のほとんどを使って、大質量の水を生み出す。
作ろうとしているのは、ミストを中心とした超巨大な『水球』。それは攻撃する為ではなく、その動きを少しでも削ぐため。
「おおおおおおッ!!」
俺はミストの方へと駆ける。全身全霊、その速度はもしかしたらチーターより速いかもしれない。
ミストは自分にまとわりつこうとする水を切り裂いていく。剣にまで纏われた雷が、俺の生み出した水を軒並み焼いて、蒸発させていく。
零コンマ五秒後、ミストへ到達。
ミストは即座にその雷刃を振るう。そして俺はそれを剣で受けて―――
「――えっ」
剣を手放した。
そのままミストの脇を通り抜け、全力疾走。
目標へと向かって、全力で走り抜ける。
ミストは俺が進む方向を見てから、数瞬遅れて俺の真意に気付く。
「……まさかっ!」
だがしかし馬鹿め、もう遅い。
追い縋ろうとするミストを閉じ込めようとする『水球』の水が迫る。
「邪魔!」
それはミストの一薙ぎで振り払われる。
だがその水は囮。本命はその水の後ろに同化するようにして隠されていた三本の『水鞭』。
まぁそれすらも足止めにはならないだろう。だが、ほんの一瞬でも時間が作れればそれでいい。
そしてようやく俺は目標に辿り着く。
それは、旗だ。“アンネマリー”と書かれた、等身大くらいの旗。
『相手の旗を倒す』
三つあるうちの勝利条件の一つ。俺はミストが雷を纏った事で、正面から倒すのは難しいと悟り勝ち方を変えた。
勝てばいいのだ。勝ち方には拘らないタイプなんだよ。
「私の、勝ちですね」
そう言って、俺は回し蹴りで旗を真ん中からへし折った。
次回、ミスト視点……!(多分)




