執事の一日を覗いてみましょう②
呪詛名を“”でなく《》にすることにしました
まずは給湯器ーー俺は給湯器と呼ぶことにしたーーに取り付けられたつまみを回す。
基本的に保温機能を持つこの給湯器だが、つまみを回すとどうやっているのかは知らないが十秒で中の水を沸騰させることができる。
さらに内部で水の対流を作ることで、お湯が空気を含み紅茶に最適な湯の出来上がりというわけだ。
ちなみに水は軟水で、どうやらこの国の水は基本的に軟水のようだ。
俺は手際よく陶磁器のティーポットと、白色の底が浅目のカップを用意した。
そこにお湯を注ぎ、まずはそれらを温める。
そして温めたポットに、ティースプーンで茶葉を入れる。
使用する茶葉は地球のセイロンティーに似た香りがする物で、俺がチョイスした茶葉だ。
その等級ーー茶葉の大きさと外観を表す指標ーーはオレンジ・ペコー。
これで淹れる紅茶は色が明るく、香りが強いのが特徴だ。
そして、ポットに沸騰した湯を勢いよく注ぎ、すぐに蓋をして蒸らす。
蒸らす時間は、茶葉が大きいことから三、四分ほど。ティーコジーを使って保温効果を高め、湯の温度がなるたけ下がらないようにする。
あとは待つだけだな。
「すっかり慣れた手つきになりましたね」
ソファーに座っていたシャルランテが優しく微笑みながら言った。
俺は苦笑する。
「そう言って頂けると光栄です。メリンダ女史も喜ばれることでしょう」
メリンダとは俺の教育係のババアのことだ。
年は初老を…結構過ぎたくらいだが、背筋がしゃんと伸びており、老いてなおその動きはキビキビとしている女傑である。
元メイド長で、死ぬほど口煩いが、その豊かな経験と確かな実力、しっかりとした人格から、多くの使用人に慕われており、今は後任に譲って引退したらしいが、王家からの信頼も厚い人物だ。
「ふふ、メリンダには父上も頭が上がらないのです」
「それはそれは。メリンダ女史は凄いお方だったのですね」
「父の幼い頃からの御付きだったそうです」
「……なるほど、では正に私の先輩に当たる方という訳ですね」
ジジイの名が出て頰が引き攣りそうになるのを堪え、笑って話す俺。
メリンダの婆さん、あのジジイの御付きだったのな…。
そら口煩くもなるわ、御愁傷様です。
次からは優しくしてあげよう…。
そんな事を考えながらしばらくシャルランテと話していると、そろそろ紅茶が出来る頃合いになった。
ポットの蓋を開け、スプーンでひと混ぜ。
茶こしで茶ガラをこしながら、カップに紅茶を注いでいく。
シャルランテは年の割には紅茶にミルクは入れない主義なので、一応ミルクを用意はしているが、使用する事はない。
「姫様、どうぞ」
「ありがとう、ハシュウ」
シャルランテが俺が渡したカップを持ち、一口飲んだ。
細い首の喉元が嚥下し、紅茶を飲んだ事を告げる。
そして、シャルランテはほぅ、と一息吐いた。
「美味しいです」
「それは宜しゅうございました」
俺はにこりと笑い、続いて台車からハイティースタンドと皿、フォークを取り出し、ソファーの側に取り付けられた小さなテーブルの上に置く。
ハイティースタンドは三段になっており、それぞれ異なる菓子が並んでいた。
「本日は上からカボチャのスコーン、洋梨のムースに苺のミルフィーユで御座います」
「わぁ……」
シャルランテの顔がぱぁっと輝く。
いつもはしっかりとしており毅然とした態度で振舞っているシャルランテだが、甘いものには目がない。
菓子を前にした時だけ、彼女は本来の年相応な態度を見せるのだ。
しかし、なぜこの世界に洋菓子があるのかね。
恐らく過去に、地球からこの世界に来た奴がいたんだろうけど。
さらに言えばこの世界の言語が日本語っていうのもおかしい。文字を見るとあからさまに日本語と違う文体なのに、言葉は日本語だからな。
だがこれに関しては俺はある程度答えを予想している。この世界の文字で書かれた文章は読めたことから、恐らく勇者ーーというより、地球から来た人間は、何らかの力によって、母語を使う感覚でこの世界の言語を使えるようになっているのだろう。
あと、植生である。
見たことも聞いたこともない動物や植物がいると思いきや、地球にあったものも存在していた。
まぁ、 誰かが持ち込んでいたのか、それとも元からこの星界にあったのかは分からんが、故郷で食っていたものをこの世界でも食えるのだから、俺としては文句はないが。
「〜〜♪」
しかし、ホント嬉しそうに食べるな。
心底幸せそうにもきゅもきゅと菓子を頬張るシャルランテと、そろそろ無くなりそうなカップの中の紅茶を見て、俺は笑ってまた紅茶を淹れる事にした。
□□□
シャルランテとの穏やかな時間は過ぎ、時刻は空には月が昇り、辺りが柔らかな青白い光に照らされるような時間。
俺の執事としての業務も、終わりに近づいていた。
ふう、ようやくだぜ。
「では、何かありましたら呼び鈴を御鳴らし下さい」
「ありがとう。お休みなさい、ハシュウ」
「お休みなさいませ、姫様。……失礼します」
深々と一礼して、部屋を出る。
馬鹿でかい扉を閉め、俺は人心地ついた。
俺の一日は長い。
これは大体全ての使用人に言える事だが、俺の場合は特に長い。
早朝に起床して、身嗜みを整え掃除、もろもろの雑事を終えたあと主人を起こし、そして午前中は勇者達と訓練。
その間はシャルランテには他のメイド達が付く。
午後からはシャルランテのティータイムから付き添い、執事としての役目を果たしながら、シャルランテが寝るまで側にいるわけだ。
そして、シャルランテが寝てからがようやく俺の自由時間である。
ちなみに護衛であれば主人が寝てからも別室で仮眠を取りながら待機するのが普通なのだが、俺はまだ護衛としては半人前であることや、訓練時間が設けられていることなどから、夜は休んでいいとされている。
勿論シャルランテが俺にそう言った。
あのジジイは反対してたけどな。
あと俺は週休二日である。
これもシャルランテが俺にそう言った。
そして、当然あのジジイは反対していた。
……あんのクソジジイ。いつか絶対殺す。
まあそれは置いておいて、シャルランテが寝るのは夜の九時半あたりなので、睡眠時間を削れば割と時間はある。
俺は無駄に広い回廊を歩いて、使用人達が住む区画まで移動する。
そして、自分の部屋の前まで来た俺は鍵を開けて中に入った。
部屋は勇者達の部屋ほどではないが、そこそこ広いし、他の使用人の部屋と比べれば、結構豪華ではある。
これもシャルランテのお陰だ。
最初はバルハタザールが使用人の部屋を俺に与えようとしたが、シャルランテがジジイを説き伏せてこのようになった。
俺は元々そんなに部屋のデカさに拘るタイプではないが、ありがたいものはありがたい。
全く、シャルランテ様様だな。
殺しておかなくて良かったわ。
眠気を誘う部屋のフカフカのベッドに飛び込みたくなる衝動を抑え、クローゼットに向かう。
クローゼットの中は今来ている執事服…いや燕尾服?の替えがほとんどだ。
その中から目当てのものを取り出す。
ここ最近愛用している外出用の灰色の外套だ。
それをばさっと身に纏い、俺は一言呟いた。
「《誰も知らぬ》」
すると、俺の両手首にヤモリのタトゥーが浮かび、すぐに消える。
それを確認した俺は、にやりと笑った。
第三階梯呪詛、《誰も知らぬ》。
対象をこの世界から消し去る呪詛。
消し去るといっても本当に消し去るのでは無く、この呪いを掛けられた存在はこの世のあらゆる存在から認識されなくなる。また、呪いの強さによって物にも触れられなくなり、他者からも触れられなくなる。対象は最終的に何にも触れられず、何からも認識されなく餓死していく、というのがこの呪詛の本来の使用方法だ。
俺は音が鳴らないようにゆっくりとドアを開け、外へと歩き出した。
先程来た道を戻るようにして、大回廊を歩く。
夜間の警備をする歩哨がいたが、気にせずその目の前を素通りする。
「ふぁーぁ、なんで俺が夜勤なんて…」
大きな欠伸をして愚痴を垂れる彼は、俺のことに全く気づいていない。
俺はくつくつ、と笑い兵士の兜を軽く小突く。
「ふぁ!?何だ何だ!?」
慌てて辺りを見回す兵士だが、目の前の俺に気づいた様子は無かった。
この呪詛、《誰も知らぬ》を自分にかけるとどうなるか。その結果がこれだ。
呪いをかけているのは俺だから当然呪いの強度は自分で操作でき、物を触れる程度の弱さにしている。そして好きな時に呪詛を解くこともできる。
あとは相手が自分の事を認識出来なくなるという、最高の隠密効果だけが残るというわけだ。
まぁ、こちらが触れる程度の弱さという事は向こうからも触れるので早めに退散するに越した事はないけどな。
そそくさとその場を立ち去り、大聖殿の外を目指す。
《誰も知らぬ》は六日ほど前に新しく覚えた呪詛だ。
朝、目が覚めると生まれつき使えたかのように呪いが使えるようになっていた。
おそらく呪詛の力が俺という器に馴染めば馴染むほど、使える呪いの数が増していくのだろう。
そして覚える呪詛もランダム。
何てったって“誰も知らぬ”を覚えた翌日に第八階梯の呪詛を覚えたからなぁ。
まるでゲームのガチャみたいだぜ。
この国を滅ぼすに足ると、俺が確信できる手札が集まり切るまであとどれほどかかるのだろうか。
護衛として一人前になれば、この自由時間も無くなる。
それまでに、この国を揺るがす事の出来る手札を作らなければ。
俺は前を歩く歩哨の後ろをぴったりと尾ける。
《誰も知らぬ》を覚えた翌日から外出を始めている訳だが、この時間にこのルートを通る兵士が城壁まで行くのは掴んでいる。
ここから城壁まで行くのに幾つかの扉を開けなくてはならないわけだが、俺が開けると周りの人間が勝手に扉が開いたように見えるので不審がられる。それを避け、俺の代わりに扉を開けてくれるように兵士を利用するわけだ。
相手が俺の身体に触れないように慎重にしながら、城壁まで歩く。
城壁に着くと、その歩哨は巡回するために歩いて行ったので、俺は後を尾ける事を止め、城壁の上まで上る為にした。
城壁の内側にはある程度の高さまで上る事の出来る石造りの階段があり、それを登り切れば衛兵用の見張り場や矢を射る迎撃する為のスペースがある。
階段を二段飛ばしで駆け上がり、上へ。
「っと…………はは、いつ見ても壮観だな」
城壁の上、見張り場の手すりに飛び乗った俺はそう呟いた。
眼下に広がるは王都シエラエール、その光景は都の名を冠しているだけあって華麗。
見渡す限りの中世の歴史を感じさせる建築物に、所々に見える大きな建物は教会だろうか。
橙色や白色など、色取り取りの明かりが揺らめき、そこに人がいる事を強烈に意識させるあそこは繁華街だ。
その活気はここまで聞こえてくるかのようで、見ているだけでもその熱気が伝わって来る。
巨大な王都、その周囲を覆うはこれまた超巨大な城壁。
住民から“白亜の絶壁”の名で呼ばれるソレは、繁栄の限りを尽くす都の光景と相まって、ここが箱庭の理想郷であるかのように思わせた。
ははは、いけねぇ。
ガラにもなく詩的な気分になっちまった。
もっと無情で、非道に、悪辣に。
俺はそうでなくっちゃな。
「《黒刻》」
発動するは俺の現状持つ唯一の第八階梯呪詛。
瞳の奥に、蝙蝠をデフォルメしたようなタトゥーが煌めく。
それと同時に、胸を中心として全身へと黒いタトゥーが広がって行く。
細胞が呪われ、呪われ、呪われていく。
自らを構成する最小単位から造り変えられていく感覚と、細胞が裏返るような怖気と絶望を感じる。
相変わらずの精神が発狂しちまって、このまま許しを乞いたくなるような不快さだぜ。
だが不思議と、心地良さも感じるのは何でだろうな。俺が生きていると、実感させてくれる。
それと共に感じるのは、憤怒、傲慢、強欲、色欲、嫉妬、怠惰、暴食のどれでもない、虚無。
そして誰よりも、何よりも今己が高みにいるという、全能感だった。
全身から呪詛を使う時の黒い力が噴き出す。
粘度を持つソレは、揺蕩うようにして俺に纏わりつく。
持ち上げた俺の左手、そこに纏われた黒いオーラから、黒い蝶のような、蝙蝠のような何かが飛び出していく。
黒い刻印は広がり、最早指先までもが漆黒に染まっていた。
「はは」
ローブをはためかせて背中にオーラを集めると、そこから皮膜を持つ翼が形成される。
ニョゴリニョゴリと側頭部からくすぐったいような変な感覚がすると共に、節くれ捻じ曲がった角が生えてくる。
全身から、負の力が無尽蔵に湧いてくる気がした。
いいねぇ、正に悪魔って感じじゃん。
クソ楽しいね。
「ははははは!」
俺は城壁を蹴って空中へダイブ。
いまの俺ならパラシュート無しでもスカイダイビングできるぜ!
「ははははははははははは!!!」
哄笑を上げながら、俺は下へ下へと、落ちていった。




