1 Fact is stranger than fiction.
一週間の短さを痛感しました
思い返せば至って平凡な、全くこれといって特別なことなんてなかった日だったと思う。
いや、その認識自体がそもそも間違っていたのだろうか。
私はこの状態ではあり得ないほど冷静な自分に対して驚きつつーー落下していた。
何故こんな状態になったのかは分からない。生まれてこの方、初体験である。
下には雲ひとつない青空と太陽。
上にはなんと木々が鬱蒼と生い茂っている森。
空中投下の起こりは数秒前に遡る。
***
天中家の朝は早い。
起床時間はAM四時五分前。なんでそんな早いねん、と私も長年疑問に思ってきたが、喉元過ぎれば熱さを忘れる…十数年間続ければさすがに慣れた。
最もその理由というのは単純で、毎日早朝五時から道場を開いて一時間半の朝稽古が始まるからである。
私は短時間で洗面を済ませ、数年来愛用している道着に着替える。
年季の入った木造二階建ての階段をゆっくりと降り、肩下まで伸びた髪をひとつに結いあげながら、少し乱雑に靴に足を突っ込む。
既に起きて庭でストレッチをしている祖父と軽く挨拶を交わし、祖父の趣味でほぼジャングルと化している(単に手入れがされていないだけなのか)その横を通り過ぎ、ゆっくりと門を開く。
日課の町内ランニングである。
早朝のため自動車の通行は殆どないが、石橋を叩いて叩いてそれでも最終的には渡らない程の用心深さを持つ私はしっかりと歩道を踏みしめる。
郵便局前の坂を下り、小学生時の通学路を通るといういつもの三十分コースを走り終えた後、祖父との掛かり稽古が始まる。
一礼して道場に入ると、祖父は既に黙想をしていた。
私もそれにならい、ゆっくりと正座をし両手を静か重ね瞳を閉じたーー所までははっきり覚えている。
どうしてこうなった。
ついさっきまで確かにうちの道場の畳の上に座ってたはずやのに……このまま行ったらマジでアカンやつやないかい!!
皮膚が激しく波打つほどの体感速度は既に百キロ越えているだろう。(以前、“世界のスカイダイビング〜一生に一度は体験したい絶景〜”という特集番組では最高速度は時速二百キロ前後と紹介されていた)このまま体が樹木に叩きつけられれば間違いなくーー突き刺さって御陀仏だ。
それは嫌や、非常に困る。
ほんまに勘弁してほしい。
やってみたいことも、きっとやらなければならないこともまだたくさん残っている。
何を隠そう花盛りの女子高生だからである。
夢なら覚めるだろう。が、道着に腕を通している時に居眠りをするなんてことはあり得ない。
受け入れ難いがこれは紛れもなく現実であるらしい。
そんなことを考えている間にも休む事なくどんどん緑は近づいてくる。
絶体絶命、私は最後の足掻きと言わんばかりに両腕で頭を保護しつつ受け身の体勢をとり、歯を食いしばり目をつむったーーのだが、身体に衝撃が走る気配は無い。
恐る恐る目を開くとなんと無重力状態にでもいるかのように身体が浮いているではないか。
痛いところはどこもないみたいやけど
一瞬すぎて死んだことに気付かへんかったんか?
更にそこから、グッと背中を突き上げられる様な感覚がしたかと思うと、今度は日の出直後の美しい青空が迫ってきていた。
しかし私が予想していたものより格段に柔らかな…いや、そもそも葉や枝の感触が一切無い。
「おい、大丈夫か」
放心状態の私に突然声をかける“何か”。
未だ青空をとらえていた両眼をゆっくりと身体の下に向けるとーーそこには昇り始めた黄金色の朝日を浴びて、青紫色に光る宝石のような鱗がびっしり規則正しく並んでいた。
それだけでは無い。
大きな二対の翼…といっても鳥のようなふわふわとしたものでは無く、ゴツゴツと骨が浮き彫りになっている角ばった形のものが上下に動いている。
しかし周りの景色は前進も後進もせず、ホバリングをしているようである。
「この俺をシカトするとはいい度胸だな」
苛立ちを含んだ声音にハッと我に帰る。
「あっ…その…大丈夫です。危ないところを助けていただき感謝します…えっと」
ドラゴンさん、と続けようとして間一髪のところで思い止まった。漫画やアニメで見たことのある空想上の生き物の固有名詞で呼ぼうとするとは!
私としたことが…なんと浅はかなのだろう。
…いや、それ以外にこの外見をどう名付けられるだろうか。
「ああ、悪い。俺の名前はセレストだ。お前の名は何と言うのだ」
「天中…尊です」
「ミコトか。では単刀直入に聞こう。どうやってこの国に入ってきた?」
「どうやってって言われましても私もさっぱり…」
説明できないのは仕方ないのだ。前兆もなにもなかったのだから。むしろこっちが聞きたい。
「…何も知らないのか?……まあ良い。これから王都に向かうぞ。ここに居座っていても仕方ないからな。俺が直々に案内しよう」
ここに乗れ、という様に巨大な長い爪のついた手を差し出すセレスト。
そこに飛び乗り初めて正面から彼の顔を見上げる。
すごい迫力だ。
同級生の女の子がこんな状況になったら絶対食べられるとか考えそう…などと失礼なことを考えたのは秘密にしておこう。
何はともあれ、私は生きている。
彼に、生かされた。
「ほんま、おおきに…お気遣いありがとうございます」
セレストさんの掌の上で最敬礼をし、顔を再びあげると鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見ているではないか。
「どうされました?セレストさん」
「いや、ミコトのような者は珍しくてな。色々な意味でな」
「と、言いますと?」
「お前は、他の人間とは違う」
「……違う?」
他にも人がいるんか。ちょっと安心。
じゃなくてちょっと待て、そんな呑気なことを考えている場合ちゃう。
そこでふと浮かんできた疑問をぶつけてみる。
「あの、ここは何処ですか?」
「まずそこからだったな。我がデンドリックアゲート王国へようこそ、ミコト。俺はミコトを歓迎する」
「デンドリックアゲート、王国…」
その言葉を反芻した所で段々とこの状況に脳が追いついてきたのか、漸くある結論にたどり着いた。
ここが日本という国のあった惑星、地球上ではないという事だ。
それは目の前の青紫に輝くドラゴンが全てを物語っていたーーもしかして…もしかしなくても…はひ?!異世界!?
今回もお読みいただきありがとうございます
ミスは気づいたときに直していきます( ̄^ ̄)ゞ