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「そういえば、どういう名前なんだろ?」
例の温泉のある場所の名前が分かっていないことに今更気が付いた。
「……ま、行ったら分かるよね」
噂になっているくらいなのだから、人が多いのだろうか?
「それは嫌だな……」
まだ人混みには慣れていないので、それは嬉しくない。まあ、今歩いている道みたいに誰もいないのはそれはそれで嫌だけど。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、風で木々がゆられている。木漏れ日が道を照らし、薄曇のお陰でほのかな暖かさだ。
「こういうのを何て言うんだっけ?」
トールキンがこんな状況に合う良い表現を言っていた気がするけど、思い浮かばない。
「……いーい天気だなあ」
ゆるゆる街道を進む。鹿が目の前を通り過ぎ、ゴブリンがそれを追いかける。
「ってゴブリン!?」
思わず二度見するも、その時には既に遠くに離れて行っていた。自分の警戒のなさに苦笑して、気を入れなおす。
「……臭くなかった?」
気になるのは、ゴブリンのくせに臭くなかったことだ。私の知っているゴブリンは、思い出すのも嫌なほどの強烈な匂いだった。
「温泉のお陰かな?」
このヤマタ諸島には、温泉が多いらしいので、もしかしたらゴブリンも温泉に入っているのかもしれない。その場面を想像してみて思わず噴き出す。
そうやってゆっくり進み、足が少し痛くなって来た夕方、ようやく村に着いた。ただ、目的の温泉は海に近いらしく、この村は山の中にあって棚田に囲まれているので、多分この村ではないのだろう。村の入り口を守っていた青年に尋ねると、この村からさらに半日くらい進んだところにあるらしい。
「この調子であの温泉が有名になれば、この村も栄えてくれるでしょう」
青年は嬉しそうに言った。確かに、こんな村なら、産業も無いだろうし、この温泉の発見は嬉しいことなのだろう。
村唯一の宿を取る。私以外に泊まっている人がいなくて、本当に例の温泉が噂になっているのか気になった。なので、食堂に行ったときに尋ねてみることにした。
「あまり旅人を見かけないのですが、例の温泉にはどれくらい人が来ているのですか?」
そう言って丸机の前の椅子に腰掛ける。外に開け放たれている食堂には、村人らしき和服の男性がちらほらといる。
「少し前なら沢山人が来てたよ」
「本当ですか?」
宿屋のオリーブ色の瞳をしたおばちゃんがそう言った。隣では、おかっぱ頭に肩くらいの髪をした小さな女の子がキラキラした目で私を見ている。おばちゃんに良く似た顎のラインと黒髪に、青色の瞳は多分奥で料理をしているおじさんに似ているのだろう。
「ええ。一昨日くらいに帰ってきていたよ。みんな嬢ちゃんみたいに頭に葉っぱが生えていて、とても良い湯だった、って喜んでたよ」
ということは、エントの一団だったのか。エントでも入れる、というのは本当らしい。
「ねえ、お姉ちゃん!」
女の子がなにやら手をうずうずさせながら言った。
「ん? どうしたの?」
「えーっと、あのね、かみの毛、さわらせて」
「こらっ! お客さんに失礼でしょ!」
おばちゃんはそう女の子に注意した。すると女の子はしょんぼりした。
「別に構いませんよ」
私は、腰の辺りの髪を手に取り、女の子に差し出した。
「やった! ありがとう!」
すると女の子は飛び跳ねて喜ぶ。
「ふわあ……」
女の子は、私の髪を触りながらうっとりしている。少しこそばゆい。確かに、自分でも絹のような触り心地だと思う。現実とは大きな違いだ。
「お姉ちゃん、お姫様みたい……」
肌のつやも良いし、こんな田舎ではそう見えるかもしれない。
「残念だけど、お姫様じゃないんだよ?」
「そうなの?」
「うん。私は、異邦人なの」
そう言葉を選んで言う。プレイヤー、では分からないだろう。
「ほー、嬢ちゃん異邦人なのかい」
おばちゃんは納得したのかしきりにうなずいている。
「ねえ、おかーさん。イホージン、ってなーに?」
女の子はコテン、と首をかしげる。かわいい。
「異邦人、って言うのはね、別の世界からこの世界に来た、お客さんのことだよ」
「そうなの?」
そういうことになっているのか。私は心の中で納得する。確かに、そんな設定なら嘘でもないし、違和感もないだろう。
「そうなんだよ」
「へー。ねえねえ、イホージン、ってみんなお姉ちゃんみたいにキレイなの?」
「うーん……、そうでもないかな?」
私の知っているプレイヤーは、確かに美形が多いけれど、そうでない人も結構いた。なので、どう言うか悩んだ末そう言った。
「そうなんだー」
女の子はあまり興味なさげに答えた。結構フリーダムな子なのかな?
「ま、とりあえず、食事をどうぞ」
おばちゃんは食事の乗ったお盆を机に置く。玄米のご飯に、鮎っぽい魚とニンジンとゴボウの味噌汁だ。
「ありがとうございます。では、いただきます」
そう言って私ははしでご飯を運ぶ。少し固めで独特の風味があるけれど、確かにお米の甘みがする。良く噛んで飲み込み、魚を食べる。小骨が多くて取りづらいけれど、食べてみると川魚独特の泥臭さもなく、淡白ながら魚の油の旨味がちゃんと口に広がる。
「うん、おいしい」
続いて味噌汁の器を手に取り、汁を飲む。辛すぎず、甘すぎないあわせ味噌の味と、根菜の旨味が溶け込んだスープ。出汁はキノコのものだろう。沢山の具材を煮込まないとこんなにおいしくならないはずだ。そして、飲み込むと胃の辺りに熱が広がる。
「ふう……」
ほっと息をはき、はしを汁に入れると、すぐ具に当たって予想が正しいことを知った。具を食べる。しっかりアク抜きされて旨味しか感じられなくなったゴボウと、主張しすぎないニンジンに味噌の風味が溶け込んでいて、噛むほどにおいしくなる。
「ふふふ……」
この宿屋は、当たりだ。普通ならここに肉の旨味が欲しくなるだろう一品なのに、これは野菜の旨味だけで十二分に足りてしまう。
「ごちそうさまでした」
外がすっかり暗くなり、冷めてしまってもおいしいごはんを堪能した。騒がしさに後ろを振り返ると、村人たちが酒盛りをしていた。私は、それを邪魔しないように当てられた部屋に戻り、ログアウトする。明日のログインも楽しみだ。




