ある二人の話
生まれ変わりを軸にした、ある二人のお話です。短いのでさくっと読むことができます。かつて生まれ変わりを本気で信じていたので、こんな出会いの話があったらいいなあ、と思いながら書きました。ちなみに私は虫が嫌いなので、虫には生まれ変わりたくありません。
僕は芋虫だ。前世で悪いことをしたから、神様は僕を芋虫に生まれ変わらせた。確かに僕は犯罪者だ。だけど、生まれ変わりが芋虫なんてあんまりだど思わないかい? それなら、むしろ生まれ変わらなくて良かったと思う。でも、僕の生まれ変わりの手続きをしてくれた天使曰く、どんな生き物でも必ず生まれ変わりをしなくてはいけないらしい。そうでないと、天国も地獄も魂で満員(と言っていいのかな)になってしまうという。「一日に、数えきれないほどの魂があの世に送られてくる。天国も地獄も、考えているほど広くはないのさ。満員電車と同じなんだ」ということらしい。あの世も意外と地上の世界と似たようなシステムなのかもしれない。
というわけで、僕は芋虫として、第二の人生を歩み始めることになったのだ。最も、前世で人間だった僕が何回生まれ変わっているのかわからないから、これが何度目の人生なのか、はっきりとしたことは分からない。
今の僕の住処は、ある公園の木の下だ。公園には、毎日小さい子どもやその親がやって来る。彼らを見ていると、自分の前世が少し懐かしく感じられる。僕もかつてはあんなふうに、二本の足で立って、自由に動き回って、言葉を自在に操っていたのだ。今は、そのどれもできない。三十センチの移動だって必死なのだ。それに、いつ人間の足に踏まれて潰されたり、他の動物や虫に取って食われたりするかもしれない。毎日がまさに命がけだ。いっそのこと、早く芋虫の人生からおさらばすべく、自ら危険の中に飛び込んでもいいのかもしれない。だけど、そう考えているときに限って、なかなかしぶとく生き延びてしまうんだな、これが。
今日は天気が良い。朝から青空が広がっている。芋虫でも、一応天気ぐらいはわかる。いや。そもそも僕は、人間の思考回路を持ったまま生まれ変わってしまったからであって、一般の芋虫たちが天気を把握できるのかは定かではない。とりあえず、芋虫が気分転換というのもあれだが、散歩に出てみることにした。
やっとの思いで木の下から這って出て、公園のベンチの下あたりまでやってきた。今日も相変わらず、子どもたちが元気よく遊び回っている。ああ、サッカーだ。僕も前世では、サッカークラブに入っていたときがあった。あのときは、まさか自分が罪を犯して死刑になった挙句、芋虫に生まれ変わるなど想像もしていなかった。想像できたら、犯罪になど死んでも手を染めなかったに違いない。
そんな回想をしながらえっちらおっちらと進んでいると、ふと視界が真っ暗になった。視線(芋虫で視線という表現を使ってもいいものだろうか)を上げると、靴底のようなものが僕の頭上を覆っていた。このとき、冷静にも僕は「ああ、やっとここで死ねるのか」などと考えていた。死を受け入れようと動きを止める。しかし、しばらく経っても一向に潰された感触を感じない。いや、もしかして痛みも感じないうちに死んでしまったのだろうか。
そして、ふいに目の前が明るくなる。と同時に、僕の体が宙に浮いた。いや、何者かにつままれて持ち上げられているらしい。そのまま僕は、来た道を見下ろしながら宙を移動する。そして、出発地点の木の下に下ろされた。人が(いや、芋虫が、だな)折角苦労してあそこまで進んだというのに。勿論、芋虫が怒りの表情や仕草を表すことはできないが、どんな面がこんなことをしたのか顔を拝むため、僕は再び視線を上げた。同じタイミングで、視界が薄暗くなる。
そこにいたのは、人間だった。暗くなったのは、その人物がしゃがんでいるからのようだ。何だか目つきの鋭い、俗に言う「不良」じみた少年。睨んでいるのかただ見ているだけなのか分からない視線を僕に注いでいる。僕も同じ人間だったら睨み返すところである。こんなことをして、僕をどうするつもりなのだろう。もしかして、虫を密かに痛めつけることが趣味、などと言い出すのだろうか。前世で死刑を体験した身としては、拷問などの残酷な方法で死にたくはなかった。
しかし、少年は僕を見つめたまま、意外なことを口にした。
「危ねえな、踏んじまうところだっただろ」
え? じゃあもしかして、踏みそうになったところを、わざわざ踏みとどまって、しかもここまで運んでくれたというのだろうか。何だ、見かけによらず優しいんだ。だけど、僕に毒がなくてよかった。もし毒を持つ種類の芋虫だったら、助けてくれた彼を危うく傷つけてしまうところであった。
彼はしばらく、「うーん、どうすっかな」などと唸り一人で何か思案をしているようだった。そして、ふいに片足の靴を脱ぐと、再び僕をつまみその靴の中に入れた。どういうことなのだろう。
「こうしてりゃ、人に踏まれることもないだろ。雨風もしのげるし、いちいち土の中とか葉っぱの下とか、場所を探さなくても大丈夫だ。この靴は厚みもそこまでないから、靴に入るのも、まあ大変じゃないだろうし」
なんと、この靴を僕の新たな住処として提供してくれるらしい。金髪にちゃらちゃらした服装だが、見かけによらず良いやつなんだ。彼は名前も名乗らず(当たり前か。芋虫に名前を名乗る人間なんて聞いたこともない)、僕に背を向け歩き出した。僕は慌てて靴底から這い上がる。靴を片方しか履いていないためか、やや歩きづらそうに歩を進める彼の後姿が視界に入った。小さくなっていく彼の背中は、しかし今の僕には、何だかとても頼もしい大きな背中に見えた。
しばらくの間、僕は少年のくれた片方の靴の中で時を過ごした。まるでそうなるのを予想していたかのように、彼から住処をもらった次の日から、数日の雨が続いた。食事で外に出るとき以外は、僕は一日をほぼ靴の中で過ごした。その中で、名も知らぬあの金髪の少年のことを考えた。彼は不良だが、実は熱いハートを持ったやつなんだ。素直になれないだけで、本当は仲間想いで優しいのだろう。でなければ、僕みたいな虫けらのためにこんなことをしてくれるわけがない。彼には是非とも、良い人生を歩んでほしいものだ。少なくとも、芋虫に生まれ変わった僕のようにはなってほしくない。雨音の響く梅雨の夜長に、僕は少年の明るい未来を願う。
数日後(だと思う。芋虫の時間の感覚と人間の時間の感覚はどのくらい同じか、あるいは違うのかはわからない)、太陽が雲間から顔を覗かせた。僕は靴底から這い出て、久しぶりに青空を拝んだ。何となく、あの少年にもう一度会えないかと考え、あの日のようにえっちらおっちらと公園のベンチ付近まで足を動かした。ベンチのちょうど下あたりに来たとき、頭上のベンチから人間の声がした。同時に、目の前に人間の履いた靴が見える。声が聞こえてきた。聞こえる限りを想像すると、どうやら女性のようである。主婦かもしれない。時折、「やあね」「お宅もなの?」といった言葉が聞こえてきたからだ。また踏まれそうになっては少年の親切心を無駄にしてしまいそうなので、僕はしばらくベンチの下に身を潜めることにした。
「……そういえば、知ってる?この公園の近くであった事故」
「ああ、男の子が車に轢かれた?」
「そうそう。何でも、道路を渡ろうとしていたときに、足がもつれて転んでしまったらしいの。そこに、トラックがやってきて」
「まあ……」
「その子ね、片足が義足だったんですって。だから、立ち上がろうにもなかなか足に力が入らなくて、それでトラックを避けきれなかったんじゃないかって」
「ああ、その子知っているかも。……さん家のお子さんじゃなかったかしら」
「あら、そうなの?」
「ええ、でも、あまり学校にも行っていなかったみたいよ。私ね、一度その子を見かけたことがあるの。何だかこう、目つきが鋭くってね。髪も金髪じゃない? 視線を合わせないようにしたわ、私。この前も、そういえば……」
「ああ、私も聞いたことあるわ。ご両親も、手を焼かれていたみたいねえ。その子、盗みの前科があったんでしょう? スーパーやコンビニでの万引き、常習犯だったって」
「そうそう。その時私、たまたまそのスーパーにいてね……」
彼女たちの話を聞いて、僕は愕然とした。もしかして、あの少年が? いや、世の中は広いんだ。ここら辺りにだって、不良の少年は山ほどいるだろう。目つきの悪いやつだって同じだ。事故にあったという少年が、あの日の彼とは限らない。けれど……。
片方の靴をくれたあの日、どこか歩きづらそうに遠ざかっていく少年の後ろ姿を思い出し、僕は体を丸めた。人間じゃない僕は、両手を合わせて天に祈ることはできない。でも、想うことだけならできる。あの少年が事故に遭った少年ではないことを、彼とまたいつか、この公園で、あるいはどこか別の場所で再会できることを、僕は必死に神様に願った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
僕は空を見上げた。雲一つない、綺麗に晴れ渡った空。そして、今度は足元に視線を落とす。腰を落として、ズボンの裾を少し捲し上げる。無愛想な銀色の義足が顔を覗かせた。溜息をつき、裾を戻す。
生まれつき、足に障害を持っていた。医者には、義足なしで歩くことはできないと告げられた。今ではだいぶ慣れたが、サッカーをしたり思いっきり走ったり、普通の子なら当たり前にできることが、僕にはできない。生きていても、全く楽しみを見出すことができなかった。こんな不自由な人生、生きていて何の意味があるだろうか。僕は小さく舌打ちをすると、再びとぼとぼと歩き出した。
歩行道路を歩いていると、数メートル先に何人かの子どもがしゃがんでいるのが見えた。
「なーに、これ」
「虫だろ。多分、芋虫なんじゃね?」
「えー、気持ち悪い」
「こいつ、突いたらどうなるかな。塩とかかけたら、死ぬのかな」
「ばか、それはナメクジだろ」
どうやら、四、五人の子どもが虫を取り囲んでいるらしい。小さい背中にはまだ不釣り合いな、大きなランドセルを背負っている。あのくらいの子どもたちには、周りにあるものすべてが新鮮に見えるのだろう。僕は彼らの背後にそっと近づいた。
「ねえ、どっかに移したら? 毒とかあったら、触った人、死んじゃうかも」
「そんな強い毒を持っている芋虫、いんのかよ」
「じゃあさ、木の棒か何か必要だろ」
「あ、ここに石があるよ。ねえ、これで潰しちゃったら」
「えー、それも気持ち悪くない?」
女の子がきゃあきゃあ騒ぐ中、「じゃあ、木の棒も近くにないし、しょうがねえや、その石貸して」と、キャップを被った男の子が虫退治に勇敢にも立候補した。そんな彼らに「おい」と一声かけ、僕は告げた。
「お前ら、あんまりその虫をいじめんなよ。虫だって必死に生きているんだからさ」
子どもの集団が立ち去ったあと、僕は足元でどこか所在なくうろうろしている芋虫を見下ろした。なぜ僕は、あんなことを言ったのだろう? 別に虫が好きなわけでも、道徳心が働いたわけでもない。道端の虫が死のうが生きようか、全くもってどうでもいいことなのに。
僕は、義足の足を何とか折り曲げてしゃがみ込んだ。芋虫は動きを止める。見た目はややグロテスクだが、なぜだろう、どことなくこの芋虫に見覚えがあった。見覚えというよりも、まるで、長らく会っていなかった旧友に再会したような、そんな気持ち。
「おい、大丈夫か。お前も大変だな、芋虫になってまで生きなきゃいけないなんて」
勿論、芋虫に人間の言葉など分かるはずもない。しかし、芋虫は僕の言葉に反応するように、体をやや右に曲げた。何となく、僕の言葉を理解してくれたような気がした。
投稿後、本文を少し手直ししました。
それでも、一人語りのような調子で書いているので、やや読み辛い部分があるかもしれません。