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問一:状況を確認しなさい。

 春が過ぎ、夏に差し掛かろうとしていたアスファルトからは地面からの水蒸気が放出され、その向こうに見える景色は水面のように揺らいでいる。

 アメリカ、フロリダ州の夏ともなれば暑さはかなりのものがあった。


 とある大学。今日はそこで小さな講演会がある。


 駐車場には一台のオープンカー。二人のサングラスをかけたカップルが車から降りる。まさしくフロリダの夏にぴったりの姿の二人は、友人の勧めでこの大学の講演会に訪れた。


 駐輪場には一台の自転車。夏に差し掛かっているというのに、その青年はスーツ姿のままだった。フロリダの夏でジャケットを着るなど自殺行為にも等しいだろうが、その青年は涼しい顔でクーラーの効いた構内に入っていく。


 正門には一人の老人。杖を突いて歩くその老年期の男性は八〇過ぎだろうか。よたよたと進みながら、キャンパスへと続く階段に足を掛ける。


 四人は構内の一室へと進む。そこが、どんな場所かも知らずに。



 数ある研究室の一つで、四人はそれぞれパイプ椅子に腰掛けていた。

 講演会であるというのに講堂を使わずに研究室で行うのは、この研究室の教授が大学内でどんな地位にいるのかを端的に示している。

 そして四人の視線が一点に集う場所に、その教授はいた。


「やあ皆さん。こんな暑い中で来てくれてどうもありがとう。と言っても、四人だけみたいだがね。それでも、歓迎するよ」


 壮年男性の教授は立ち上がってぺこりと腰を曲げる。


「(深々とお辞儀なんて、あの教授日本に居た事でもあるのかしら。ジャパニーズは何かにつけて頭下げる民族って聞いた事あるわよ)」

「(ひょっとして日系なんじゃねえの? ほら、身長小さいし、モンゴロイド系の顔っぽいしさ)」


 カップルの女の方が、男へと囁いた。男も聞こえないレベルの呟きで女に返す。

 老人は無言で、だがこの後に続くであろう教授の言葉を少年の好奇心を取り戻したかのように待ち続けていた。

 スーツの青年は何も言わず、俯いたままだった。時折研究室を見回しては、再び下を向いて黙りこけている。


「……続けても良いかな? ではまず自己紹介。私は理論物理学者のノイマン・レッドフォードという。主にワームホールだとか特異点についてを研究しているんだ。皆さん、よろしく」


 よろしくレッドフォード教授、と四つの声が重なった。教授はそれを聞いて満足そうに笑みを浮かべる。

 今回の講演会はこの教授の『ワームホールで世界一瞬一周旅行』というキャッチフレーズのもとで、テレポートの可能性について話すはずだ。


 カップルはそんなものが現代で実現できないとも知らずに、結婚後の新婚旅行の事だけを考えてこの講演を聞きに来た。


 老人は興味本意だったが、もう長くない自分の人生の中でいつかこの技術を使って亡き妻との思い出の場所を巡りたい、と夢を見ながらこの講演を聞きに来た。


「そのスーツの君、いいネクタイピンだね。それは確か、ブラッドレイン社のものだったかな? 知り合いがそこで働いていてね。……いけない、話が逸れてしまった。ではこれから別の部屋に移動してもらうよ。そこで僕の講演を聞きに来てくれた感謝を込めて、ちょっとしたサプライズがあるんだ」

「教授、ちょっといいですか?」


 カップルの男の方が挙手し、教授に質問する。


「何かね、えーと……」

「マクラーレンです。ジョン・マクラーレン。その部屋は飲食可能ですか? この暑さだと喉が渇いてしょうがない」

「そう、マクラーレン君。まあ、基本的には構わないよ。ただ、ジュースの染みを床にこびり付かせるのだけはやめてくれ。また清掃の人に怒られちゃうからね」


 カップルの男が日本風礼儀の教授を馬鹿にしたように、日本人特有の愛想笑いを浮かべたが、それに反応してクスリと笑ったのは女だけだった。

 四人は教授の促すまま、研究室の外に出る。

 廊下は歩いていると幾つかの研究室を通り過ぎた。量子力学に関してのニュースで聞いたことのある人名が書かれたドアもある。

 教授はコピー室の向かい側、休憩室へと四人を促す。


「さあさあ、入ってくれたまえ。幾つか腰掛け椅子があるから、そこで待っていてくれないか。大丈夫、四人分は確保してある」


 四人全員が腰掛け椅子に収まり、教授の言うサプライズを今か今かと待ち続けていた。

 だが教授は部屋に入らない。不思議に思った老人は教授に声を掛ける。

「あの、入られないんですか?」


「私は入る訳にはいかないよ。そうしたら観測する人間がいなくなる」


 直後、ドアは教授を通さぬまま堅く閉ざされた。


 がちゃり、という鍵の音に四人は一瞬面食らった。

 そして最初に事態に反応したのはカップルの女の方だった。


「ちょ、まさか! 嘘でしょ……」


 ガチャガチャと乱暴にドアノブを回し続けるが、ドアは頑として開こうとしない。ドアが開かないことが分かると、今度はドンドンとドアを叩いて女は憤慨し始めた。


「ちょっと、このクソジジイ! 何してくれてんのよ! 私たちを閉じ込めて、一体どうするつもりよ! このっ、開け……開いてよ‼︎」


 反応は、ない。

 女が興奮したことで、一斉に残る三人も事態にようやく気づく。

 閉じ込められた。このドアは鍵が閉められ、通常の出入り口としての機能は失った。ドアは金属製で、鍵も頑丈そうだったため破る事も出来ない。ここから出ることは叶わなくなった。

 教授は一体何がしたいのだろうか。これが何かのサプライズの一環だと考えて腰掛け椅子に座ったままの老人のその考えは、正解だった。

 ばちん、妙な音とともに部屋の端にある小型のテレビが点き、砂嵐の向こうの映像がだんだんと鮮明になる。


「迷える子猫たち。ようこそ、量子力学の世界へ」

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