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こんな明日はいかが?

こんな明日はいかが?14

作者: ケット

14

「全展帆! 艦首繋留索放てレッコ。舵一杯、艦尾繋留索放て!」

 英海軍艦長姿のオレの号令で、水を滴らせて張りつめた繋留索が解かれ、ディズニーリゾートの突堤から巨大な木の艦体が動きだす。

 ナポレオン以来の戦いに、艦がはりきっているのがわかる。

 引き潮に乗り、波を舳先で切りつぶして一気に加速、号令一下鮮やかな上手回しで敵船を封じて片舷斉射、飛びかう鉄の嵐に一歩も引かず皆を励まし、素早く艦を回して艦尾甲板から縦射して敵のマストを潰す。船を副長に任せ、右手のフックを敵船の斬りこみ防止網ボーディング・ネットにからめて舷側を乗り越え、縛られてなぜか昔のドレス姿の葉波と鮮やかな振り袖の岡村を助けに、ひしめく敵を斬り伏せて──


「長谷川由、御両親の承諾は得ており、円卓騎士の権限で強制することもできますが、どうか承諾してください」

 岡──恵美? いつもとは違う静かな声、でも深い悲しみに満ちている。

「このままでは視力を失い、右手も失ったままです。それも運がよければであって、高い確率で植物人間となります。

 賭けと言っていいですが、直接接続手術が成功すれば視力も運動機能もすべて回復でき、さまざまな機能を利用することもできます。ただし、あなたの一部を聖杯が常に利用することになり、円卓騎士としての義務もあります。

 円卓も──人類と生命も、わたしもあなたを必要としています。どうか、心のなかでイエスといってください」

 直接接続? でもあれは──

「由、あたしもつけた。それに、色々すごい専用ゲームがあるわよ」

「イエス!」

 あ──


 目覚めた──のか? すさまじい違和感が荒れ狂う。

 オレは死んだのか? 小さい頃のケーコ? 変だ右目が見えない。天井、人の顔がぼやける。

 ここは海か? 激しい吐き気がする。

「由!」

 二人の声、いや、オヤジとオフクロ、美香も?

 起き上がろうとしたが、体がいうことを聞かない。

「よかった──」

 泣き崩れるオフクロ。くそ、バカだった──

 でも──もしああしなかったら、どちらか一方でも死んでいたら──うぐ、吐き──うえ、なんだ? 喉に、鼻に管が入ってる?

「バカ、ばか……あんなに、パパみたいなことしないで、って言ったのに──」

「由……ごめん……あたし──」

 葉波が一番傷ついている。もしオレが死んでいたら、二人をどれだけ傷つけただろう。次は絶対三人とも、いや危なくならないように先に手を打つ。

「絶対三人とも助ける、ええと──先に手を打つ、だって」

 岡野──岡村がそういった。ええっ? なんでわかった?

 ぐううっ! 激しい吐き気、喉をこみあげ、る途中で熱いものが吸い出されるのがわかる。

 口も鼻も常に吸われている。うええぅ、早く外してくれ! ひょっとしたら、そっちもずっとこのままとか?

「ほんとうに、かんべんしてよ」

 またオフクロが泣き崩れた。

「申し訳ない、我々のミスで」

 ジョンソンさんがすごく恐縮した表情で家族を連れ出した。

『すまない、ありがとう』

 と、頭の中に音声が響く。なんだ?

『こんにちは、岡村晴です。お父上には第一次事件からお世話になっていて、小さい君を何度か抱っこしたよ。今回は恵美を守ってくれてありがとう』

 え、え?

「脳みそだけのパパ、直接接続を通じた音声よ。これから少しずつ馴れていくのね。海軍特殊部隊用の特別なシステムだから、海でも活動できるはずよ」

 同時に見えていない右目側に、『三〇〇m潜水、耐衝撃一〇m落下、摂氏八〇度からマイナス五〇度まで、SASが湿地帯で一カ月間メンテナンスなしの通常訓練を行って六十四機中一機が故障、三機に異常が見られ──』と、かなりの量のテキスト──いや、ウェブサイトが浮かぶ。

 恵美も、すっかりいつもの口調に戻っている。いつもの口調?

 彼女の目がすっと怒った感じになる。え、オレの心が読めるのか?

「ある程度はね、三人ともかなり色々つないでるから。左目はもう見える? ほら──とりあえずこれを使ってみて」

 恵美がいうと右目側のサイトが消え、大きく『イエス』『ノー』と書かれた選択ボードが浮かぶ。

「右手で、どちらかを選んでみて」

 そう動かしてみると、手は動かない。でも『イエス』側が選択されたのがわかる。

「押して。次は『ノー』。それから『ノー・ノー・イエス』」

 やってみる──そんなにぱぱっとは切り替わらない。

「調子いいようね」

「大丈夫ですよ、もうこの身障者補助技術は確立されています」

 横の医師が告げる。

「身障者」

 二人がすごく傷つき、悲しんでいるのが、なぜか直接伝わってすごく悲しくなる。ありがとう、ありがとう、愛してる。

「ありがとう、愛してる、だって──このバカ──バカ──バカ、バカ──」

「ごめん──ごめん、あたしが──」

 恵美と葉波がオレの胸に崩れ、泣きじゃくった。

『いいさ、それもオレが悪いんだし。それに、もしどっちかを助けられなかったら』

 頭の中で言葉にして同時に震え上がり、それが二人に伝わった。

「怖かった」

「あたしも」


「うぷ──うえ」

「だいじょうぶ? 久々だものね」

「今日はいつもより長いよ? やっぱり何か違うのかなあ」

「ほっとけ、これは治せなかったのかよ」

「無理よ! 三半規管は精密すぎるの」

「ああもう──くそ、そうだ葉波、秋稲の田植えは来週だよな」

 見渡す限りの大海原。小さなヨットが、静かにおおきなうねりをかきわけて一時停船している。

 オレと葉波、そして恵美の三人。まだリハビリは続いているが、息抜きと強引に恵美が連れ出した。

 明日は何とか学校に行ける。あれから二十日、もう新学期は始まってしまった。もちろん帰りの船には間に合わず、飛行機で帰ってしまった──情けないが自業自得だ。

 葉波と恵美もリハビリに協力してくれた。葉波は今回の事件が、一応円卓騎士団に協力したということになって、その功績で普通より上のレベルの脳内ケーコをもらったそうだ。

 今一般に市販が始まっている脳内ケーコは、せいぜい普通のケーコと同様の画像と音声、テキストと三次元カーソル入力ぐらいしかできない、ということになっているが──

「えみもこきつかうからね、覚悟しててよ」

「あ、結局お前」にらまれ、「恵美は海に残るのか?」

「さあね」

 ふっと、悲しみの波が押し寄せる。同じく直結している人の心──脳神経の電気、化学物質のデータを感じるのはだいぶ慣れてきたけど──。

「でもリハビリはまだまだこれからだからね。普通の市販版ならともかく」

「ここまで、とりあえず操船は大丈夫みたいだったけどね」

「いや、葉波がフォローしてくれたから」

「無理に恵美が連れ出すから」

 勘弁してくれ、今までのリハビリだってきついのに。明らかに腕は落ちてる。取り戻せるのか──機械がどんな影響をもたらすか不安だ。

 オレは右手と右目を失った。

 体中のやけどや破片傷はもちろんで、実は今もあちこち傷パッドだらけだ。顔はなんとか治っているが。

 そして目を貫いた破片が視神経に達し、爆風で脊髄もやられた。体内の機械類がそれらをサポートしてくれている。

 まず脳や脊髄、筋肉が神経につながるナノマシンと超コンピュータを認識し、歩ける程度の運動能力やまともな視力を取り戻すのに二週間ほどかかった。手術にも丸一日かかったらしい。

 左手の指一本動かすのに二日かかった。半分人工で自分の細胞も使った、血も神経も通う義手を動かすのはいまだに完全じゃない。でもフックだけよりはましか──

 今の右目は目から額にかけて覆う、とある市販の片眼鏡型ケーコに見せかけた防水カメラで、普通の目よりすごい。それを外せばちょっと見ではわからない義眼にそれなりの超小型カメラが入ってる。

 左目は損傷がなかった網膜を使って今まで通りだが、水晶体などは人工だ。外から区別はつかなくても、もう両親にもらった目じゃない。親不孝はわかってる。

「あたしも、結構つらいかも」

 葉波がうらめしげに、かたわらのやたらとでかいヘルメットを見る。

「楽しみにしててね、新しい感覚がいくつもあるから。レーダー、ソナー、犬並みの聴覚、高次元知覚……」

 恵美は楽しそうだけど、今からげんなりする。新しい目の望遠鏡や顕微鏡、光増幅暗視、紫外線や赤外線、レーザー測距儀などの機能だって狂いそうなのに。

「どれも、生まれつき目が見えなかった人が強引に視力を得たのと同じことよ。慣れればわかるから、人間の五感がどれだけすばらしく、そして限られたものか」

 恵美は楽しそうにしてるけど──あのリハビリをまたするのか。といっても、新しい感覚をもらえる、というのはおつりがくる。

「人間ってね、人間の五感の限界でしかものを見てないの。だから円卓は野生動物やペットもたくさん直接接続させ、そのまま放しているのよ」

 そんなもんかな。

「それから、そろそろ二進法の直接入出力もやるからね」

「由──もう始めてるけど、頭おかしくなりそうよ」

 葉波が不機嫌に言って、帆桁を少しまわした。

「だから、市販版の脳直結ケーコにこのシステムはついてないの」

 もう、普通のケーコと同様のシステムは頭の中で操作できる。歩くよりずっと楽だった。映画や音楽も見聞きできるし、ゲームもテキスト入力もメールもできる。まだ指がぴくぴくするし、口を動かさずに話すのは無理だが。

 そしてこれからは脳に二進法のまま常に直接、世界中のネットや聖杯の大量の情報を入れ、処理して出すことでその一部になる──円卓につく、という。

 そのために脳細胞の分裂を薬で促進して神経とナノマシンの網をうまくつなぎなおすのを、今も寝てる間もやっているらしい。なんとなくから試行錯誤していれば徐々に脳髄に新しい配線ができ、ナノマシンの網がそれにあわせて成長し、コンピュータも適応していくということだが。

「特に由の脳には海洋・気象観測データを担当してもらうって、パパが言ってた。膨大なデータをとりあえず脳に二進法で入れて、海を見てとっさに舵を切るように直感で判断するの。理性の部分でちゃんとデータを読んで予報することも、将来は考えて欲しいって」

「えみのお父さんはずっとそれやってるのよね。いくつも大災害を予防したり、宇宙船地球号の一等航海士チョッサーって言われてるんでしょ」

「やめてよ! あんなバカ親──」

 そんなすごいことをオレが?

「まあ、リハビリと同じようなものよ。すぐ慣れるわ。それに、宇宙開発にだって地球の気象・海洋関係はとても大切よ」

 体が起きて歩き、話すのを思い出すよりきつい、ってことだろ? 生まれたときにないものを脳が新しく作るんだから。

「それにしても、なんでこんなに運動しなきゃいけないんだよ。毎日毎日」

 動けるようになってすぐから体操、バレエや日舞、太極拳をいやというほどやらされてる。しかも、新学期からも選択授業でやるように、また肉体労働系の生存公役を増やせ、とのお達しだ。

「人間の体に何本の筋肉があるか、知ってる?」

 恵美が微笑む。

「赤ん坊に戻ったのと同じ、ゼロから新しい体の使い方を脳に覚えさせ、新しく脳、コンピュータ、体の複合体を作っていくの。人間の脳や体ってすごいんだから」

 彼女は生まれたときから、そうして育ってきてるんだ──

「踊りや伝統武術は自分の体と語り合うには最適なの」

「だからあんなに強いんだ」

 葉波はそれを見ている。詳しくはまだ聞いていないけど。

「まあね。そうそう、ちゃんとやってるわよね? 宿題の『第二次世界大戦』の手写し」

「なんで右手でも左手でも、和英両方やらなきゃいけないんだよ。一日三十分ずつ、頭が変になりそう」

「まともに字が書けるようになるまで十日かかったもんね、全部あたしのおかげよ、感謝なさい」

 葉波がいばる。たしかに二人とも、献身的にリハビリや看護に協力してくれた──。

「でも計算とか字はとにかく、なんでピアノまで」

 音楽はあまり得意じゃないのに。

「指と脳はすごく深いつながりがあるわ。肉体を正しく鍛えれば脳と内部のコンピュータも鍛えられるの」

 恵美は小さい頃からこんな大変な暮らしをしてきたんだ。そりゃコンピュータが入ってなくても頭よくなるよ。

 彼女はにこっ、と笑い、

「違う“わかる”があるからね。数学の真と偽、0と1しかない世界とは違うよ。人体と脳っていうとんでもなく複雑な代物と、本質的に0と1でできてるコンピュータの複合体って飽きないわよ」

「怖いのは座禅よね」

 葉波がぽつり、ともらした。

 小さい頃から一日十分かそこらは宗教を問わず瞑想する義務があるけど、これからはそれに別の意味が加わる。

 体内のコンピュータをできるだけ切り、ひたすら自分の心身に耳を澄ます。

「ナノマシンを通じてホルモンなど化学物質による信号も読み書きできるの。そのほうが神経の電気信号より、人体にとっては大事だったりするから──その信号を意識し、制御することもできるわ」

 かすかな恐怖が、恵美から伝わってくる。

「ずっと、それで抑えようとしてたんだけど──気をつけてね。このシステムって、麻薬より危険だから」

「ああ」

「どんな妄想も、現実と変わらないものにでき、そしてそんな妄想を他人に送ることもできちゃう。現実より妄想のほうがいい、ってならないのが不思議なぐらい」

「そんな危険な技術、禁じたほうがよかったんじゃない? あたしも、妄想に閉じこもりたいと思うこと、ある」

 葉波はなんだかすごく辛そうだ。オレも辛いよ──彼女を追いつめ、オレの目を奪ったのはオレの鈍感さと、臆病──くそっ!

「由、興奮しすぎよ──制御して」

 恵美がそっとオレに触れた。その穏やかさ、強さが伝わって心が鎮まっていく。

「誰かが止めなきゃね。特にこうして脳がつながってて、興奮が正のフィードバックを起こしたら危険だから。機械なしで、言葉や表情などで起きても危険なんだから」

 葉波がふっと空を見て、帆桁を引く。オレも半ば無意識に、舵を調整している。だいぶ右手も、舵柄チラーの感触を思い出してきたかな?

「人間と科学が危険か」

「反科学技術、って潮流もあったわ。自然に帰れ、江戸時代みたいにしよう、これ以上技術はいらない、科学技術はもうやめよう、って。でも、江戸時代には自由もなかったし、科学技術を捨てたら、地球は百億どころか十億養うのも──十人に九人は死んでもらう、じゃ黙示録騎士団と同じよ」

 恵美が辛そうに苦笑した。

「ひょっとしたら、『何もしなかった未来』もそうなってたかも」

 言いながら葉波に目くばせし、風に合わせて舵を少し動かす。

「それに、誰かが科学技術を思い出して世界征服しようとしたら、誰にも止められないんじゃない?」

 葉波はそう言いながら、帆を少し縮めた。

「そう、だから科学技術を禁じようとしても、結局は無駄なの。この脳直結技術も技術、道具だから。現実の人生に背を向けるなら、昔からあった酒やサイコロ、支配や宗教の悪い面、妄想だけでも充分だもの」

 恵美の、少し寂しそうな微笑。

「第一前進しないなら、もっと深く知り、宇宙に出ないなら人間なんて何の価値があるんだ?」

「それは人それぞれの気もするけど。まあ慣れたら、本格的に頭のなかだけで字や絵を描いたり、世界中の膨大な情報を二進法で、意識もしないでやりとりするようになるわ」

「もう、それって人間とは別の種じゃないか?」

「そう──だから──」

 だから、オレたちの前から姿を消そうとしたのか。そして、「人間って」と言うのか。

「でも」

「そう、勘違いだから。馬に乗った人間はケンタウルスじゃない。人間は人間だから」

 恵美の声と脳から、だから怖い、と伝わってくる。どうすれば乗りこなせるんだ。

「危険よね」葉波がつぶやいた。「下手をするとあたしたち、それに遺伝子をいじって生まれつき脳直結ができてる──金持ちが、自分たちを特別と考えるかもしれない」

「それって『天国と地獄』だよな」

「もしなにもなしで、ただ技術だけが発展してたら」

「まあ、直接接続者は今後どんどん増えるはずよ。でもハナの言うとおり、今はうまくいってるように見えるけど、実は綱渡りなの。『天国と地獄』もありえるし、みんなが技術に溺れて人生に背を向けてしまうかもしれない。どこかで失敗して地球はだめになるかもしれない。だから、選ばなきゃいけないのよ」

 じっと、二人がオレを見つめた。選ぶ──う──やっぱり──

 脂汗、手のひらがじっとり汗ばみはじめる。海を見たけど、ただ波だけだった。

「また逃げたい、って由の体は言ってるわよ」

 恵美は容赦しない。

「読むなよ」

「直結がなくても見ればわかるって。もうそろそろいいでしょ? でも、本当にあたしも、もう一度告白していいの? あたしのせいで由は」

 泣き出す葉波の頬に、オレと恵美の手が同時に伸びた。軽く叩くと触れるの中間で。

「それをいうならわたしも、いつまた由を巻き込むのかわからないのよ? 権利がないのは同じよ」

 二人とも泣きそうな目でオレを見た。

 選べなければいいのに、と思うことさえある。

 クトゥルーの話を思い出す──今すぐ人魚が迎えに来てくれればいいのに!

「人魚?」

 恵美に読まれた──

「ふうん、そんなに怖いんだ」

 怖い──そうだよ、女の子を傷つけるのもつきあうのも怖い。今までとは、全然違っちまうだろう。

「あたしも怖い」

 葉波が言って、オレの手を握った。その手は汗で濡れている。

「自分を抑えられなくなるほど」ものすごい痛みが伝わってくる。「自分が自分でなくなっちゃう──それに、それに、由は男ってだけじゃ」

 オレは急いで言った、

「葉波はパートナーだからそんなふうに、思いたくなかったんだ──小さい頃から、男とか女とか考えないで遊んだり船を動かしてきたんだし」

「それって、そんなふうに思っちゃってる、ってことでしょ?」

 恵美には容赦という文字はないのか!

「ないわ」

「そんなにオレの頭の中が読めるんなら、わかってるはずだろ?」

「ううん、なんとなくしかわからない、テキストやイメージは交換できるけど。第一自分の心だってわからないのに、他人の心がほんとうにわかるわけない。表情から心を読む能力も、それ以上に他人を、自分をだます力が──そのためにフェルマーの最終定理さえ人間の力だけで解くぐらい、脳が発達したのに──

 だからこうして言葉にして、聞いてるのよ! もうこのシステムがある限り、自分に嘘をつくことは絶対できないから」

 突然恵美の心が破れた──悲しみと不安が、大波のように押し寄せてくる。

「もう一回いうね、二人ともあんたが大好き。あんたはどっちを選ぶの?」

「そう、好き、大好き。おねがい、目をそらさないで。勇気を出して、勇気があるってことはわかってる」

 恵美がまた、詰めよってきた。いや──おれは──

「ちゃんと、あのときジョンソンさんに言われたとおり、行動せずに耐え抜いたでしょ?」

「あ」

 情けない。胸が痛む。もし手や目を失ったままだとしても、たとえ死んでもあのときは──バカ、死んだら二人ともよけい傷つけていた。

「本当の勇気があるの。だから真実、考えること、選ぶことに背を向けないで」

「あたしたちも──」

 耳を澄ますと、二人の不安と恐怖が暴風のように伝わってくる。

「二人とも、すごく勇気があるんだな」

 ふ、っと風が熱い。全部正直にならなければ──嘘は通用しない。恵美はオレの脳を読めるし、葉波とはあまりに近かった。そして、もう自分にも嘘はつけない──脳内コンピュータとつながった聖杯が、全部記録している。

「船が沈んだらどっちを助けるか、はなし。絶対どちらも、いやもう同じ間違いはしない、三人とも生き延びる。それ以前に、前から手を打って船自体沈めない」

「うん」

 正直に──

「抱きしめたい、触れたい、見つめていたい、ドキドキするのは──両方」

「やってみる? 三人で」

 葉波が少し呆れた目で言って、シャツに手をかけた。

「いや──正直に言えばそうしたいけど、絶対もっと辛くなる」

「そうね」

 二人が残念そうにため息をついた。

「海では、いやどこだって葉波はパートナーだ。それに家族で親友で──言葉にできないよ。葉波が女でオレが男なのが残念なくらいだ。でも、新しい世界も知ってしまった──数学の面白さを話せるのは恵美」

「あたしだって、勉強するわ」

「わたしも、海の勉強する」

 ありがたすぎるな。

「人間としても──」

「あたしなんて、あんな」

「自己憐憫と現実逃避は許さない。弱さは許してるわ、わたしも弱さはお互いさまだから」

 恵美が厳しく葉波に告げ、その肩を抱いた。

「ああ。二人とも、人間、友だちとして大好きだよ」

「それが答え?」

「いや──」

 こうしていて、心が固まってくるのがわかる。

「二人ともそばにいてほしい、一緒にいたい──でも」

 二人の目を、かわるがわる見つめる。半ば機械の目で。

「恵美と結婚したい」

 いってしまった言葉に頭が爆発した。

「うわ、結婚とか──」

「記録したわ。今の音声、うちの繭に送信! もう取り消し不可よ!」

 葉波が、なぜか勝ち誇ったように言う。

「じゃ、一度だけごめんね」

 と、葉波がオレに抱きつき、強くキスしてきた。

 そして、泣き笑いのままオレを恵美のほうに突きとばした。

 そのまま抱き合い──

「ほら、さっさとキスしちゃってよ」

 え?

 Tシャツだけの彼女の心臓が、熱く打っている。体温や心拍数は送信されてるけど、それどころじゃない──直接伝わってくる。

 ぎゅっと思わず抱きしめてしまう。

 彼女はふっと、目をそらそうとして強く閉じ、体の力を抜いてオレに身を任せた。

 壊れそうな体を抱き、髪の香りに──もう脳内コンピュータが壊れるんじゃないか、そっと目を閉じ、花のような唇に震える口を寄せて──

『そこまで』

 突然大きな声が頭で響いた。晴おじさん?

「ハナ!」船底に崩れ落ちた恵美が怒鳴る。「画像パパに送ったでしょ!」

 葉波はしっかりカメラのついたヘルメットをかぶり、Vサインをしている。

『君のことは信じてるけど、やっぱり結婚まではおあずけにしてくれたまえ』

「残念ね、由」

 ヘルメットを置いた葉波がニヤニヤ笑っている。

「うるせ!」

「ああもう──」

 ひょっとして、

『もしかして、あのときもあのときも──全部──見てました?』

『もちろん』

 ちょっとまて、

「親の目から絶対逃れられない?! それに心を読めるとか、確かカメラを仕込んだ小さい虫がたくさんいるとか、ネットの全部が読まれてるとかって」

 なんというか──ものすごく絶望的な思いになる。

『技術が進んだら、四つに一つだ。一、隅々まで監視される。二、大量破壊兵器テロが年中ある。三、技術自体を制限する。四、人間の脳自体から悪をなくして従順で安全に作りかえる。第一技術が進歩しちゃったらどこでも監視は避けようがないし、監視がないことを証明できないだろう? それに、邪悪な支配を止めるにはすべてを監視するしかない。

 でも本当に見ていて欲しくないときには、私たちは見ない。国が監視するビッグブラザーではなく、聖杯の助けも得て一人一人が国も地域や宗教なども監視している。もちろん円卓騎士だって監視されてるよ。それに参加して、信じるしかない。君たちだってもう何でも見ることができるんだから、下劣な心を自覚して制御し、監視に参加して、相手が見られたくないものは見ないようにしなさい』

「いいんですか、それで」

『わたくしも見てますよ』

 ため息をついたところに唐突に、女性の声と姿、複雑な感情を示す内分泌情報が流れてきた。

「ママも──」

 恵美が頭を抱える。

「もうっ!」

「あ、はじめまして」

「月でしょ? まともに話せるタイムラグじゃないわ。まさか地球に来てるとか?」

「月?」

『由ちゃんも相原の葉波ちゃんもずいぶん大きくなったのね』

 聞いてないよ。本当に?

「月面基地の仕事してるの」

「ああ、だから」

 うそ、本当に月に行ったことがあるのか!

「まあね、ちょっと用事があって」

 何もかもから逃げたくなった──でもオレはもう、文明から離れて電池が切れたら植物人間なんだよな──

「しょうがないでしょ。第一、技術が低い昔だって監視社会はあったわよ」

『あら、タイムラグで変に割りこんじゃってないかしら。由ちゃん、恵美をどうかよろしくね』

「ママ」

『そばにいて、ぶつかって、支えあって。守ってくれ、とはいうまでもないな』

「はい、絶対に──三人とも生きのびます」

『それでいい、頼む』

 やっと圧迫感が消えた──

 ふう、と二人深くため息をついた。葉波はまだニヤニヤ笑っている。右手が拳になり、もう殴り合えないことに気がついて胸に痛みが走った。脳内コンピュータや継ぎ目なし義手より、その変化のほうが大きいかもしれない──


「そういえば、そこまで監視システムがあるってことは浮気も無理ね」

 葉波はまだニヤニヤ笑っている。

「あたりまえでしょ!」

 恵美はもう怒っている──怒った顔もやっぱり可愛いな──

「浮気したら即聖槍でバーベキューか、脳の切られてバタンか、まあ素手でも十分よね」

 強いってのは葉波が言ってたけど、まだ信じられないのが正直なところだ。

「すぐ強さは追いつくよ──浮気なんてしないけど」

 毎日あれだけいろいろやらされてればな。

「でもあたしは隙をうかがってるわ。ちょっとでも離れたら、すぐ誘惑するからね」

 葉波が恵美に笑いかけた。

「じゃ、ずっと離れられないわね、ハナの魅力に勝てる男なんていないもの。そうだ、うーん──一回だけなら許してあげてもいいかな」

「え、せめて十回!」

「ば・か」

 ふっと三人で笑いあう。よかった──本音は残念さもある。葉波は本当に魅力的だし、ずっと思ってきた。それに辛いとしたら支えたい。逃げるよりましでも傷つけたことには変わりないし──

「そうだ、これから学校はどうするの? ついでに由は国費上級学校も合格してるわ。おめでとう。わたしと本土でもっと勉強する? 頑張り次第で宇宙技師でもなんでもなれるわ。数学力がある人材は、特に軌道エレベーターと宇宙太陽発電にはたくさん必要よ」

「へえ、おめでと」

 葉波の冷たい言い方──そうだよな、オレは海が好きだけど、もっと広い宇宙にも──数学の面白さも知ってしまったし──

 そっちも、選ばなきゃいけないのか。国費上級学校はオフクロは大喜びするだろうけど、今のメガフロート……故郷と離れると思うと辛い。葉波や峰、みんなと別れて?

「まあ、今学期はどのみち無理なんだし、ゆっくり考えればいいわよ」

「でも、選ぶといっても意味があるのか? 聖杯が脳に命令して、こっちは自分で選んでるつもりでも選ばされてる、ってことは?」

「そうそう、あたしもそれ疑問なの。というか、一見民主的に見えても、今の人類って聖杯に全部決められてるんじゃない?」

 恵美が葉波に苦笑し、

「わたしたち三人も、接続をつなげば聖杯の一部になっちゃうのよ。こっちの考えや言動、見聞きするものも、もちろんつながっていない人の言動も聖杯に影響を与えてるわ。何で“円卓”と呼ばれてるか知ってる?」

「え?」

「アーサー王伝説の、円形の大きなテーブル。だから上下の区別はなし。人類の生存に、文明の崩壊を防ぐことに──それ以前に、餓死したり奴隷になるのはいや、選別され虐殺されるのもいや、他の人間がそうなるのも許さないなら、誰もが円卓騎士なの。

 確かにこれだけ大きく複雑な世界だと、線形の『こうすればこうなる』はほとんど通用しない。でも円卓の前の民主主義国も同じで、多くの善意や欲が変に絡まってひどいことになることもあった。逆に民主主義でなくたって、誰もが何らかの形で社会の決定に関わってたのよ──多くは“しかたがない”で、真実から目を背けて奴隷のままでいることで。

 第一人間個人も複雑すぎて、しょせん遺伝子の奴隷だとか、文化の奴隷だとか衝動の奴隷だとかいう見方もあったわ。

 でも、未来はわからなくても、いろいろあっても、だからこそ目を開いて考えて選ぶの。いい方向に、と意思を持って、現実、真実を見失わないように。

 一応、聖杯は接続者個人を直接操ることはしないしできないから心配しなくていい。真実に直面させてより正しい選択につなげる、というのはあるけど。本当によかったのか悪かったのか、聖杯がパターナリズムで人間の意志を管理しないで最低限の条件だけなのは──人間ってバカだから、聖杯も全知全能じゃないけど」

 そう言って、また邪魔にならないよう舳先に座った。

「もし聖杯が神を名乗ってたら、もっとひどいことになってたかも」

 葉波が言って、帆を開いた。

「怖いこというなよ」

 舵を切り、体を傾けて艇のバランスを取る。

「現実にあるもので船が沈まないように頑張るしかないよな。円卓が信用できなくても──人間がバカならバカなりに」

 ふっとつぶやき、高解像度の目で海を見渡した。水平線の彼方まで、双眼鏡並みにくっきり見える。不安と興奮が、波と一緒にぐっとわきあがる。

「これから、どんな道を選んでも、三人とも」

「場所や職は別れるとしても」

 恵美が言い添えた。そうだな──そうかもしれない。現実には。

「ああ、どうなっても三人ずっと一緒だ」

 友達とか恋人とか家族とか仕事仲間とか、それ以上──対応する言葉がない。

「うん」

 葉波が微笑み、目にかかった波しぶきをぬぐった。

 これからどうなるかわからない。でも絶対負けない。離さない。

「じゃあ、行こうか」

「針路を選んで」

 葉波が転桁索に手をかける。目を合わせるだけで、心地よく息が通い、安心する。

「ああ!」

 いっぱいに息を吸い、風と波に身を任せる。

 同時に接続し、天気図と潮流データを脳に流しこみ、ちらっと見て全部切る。

 生きている左目で海を見回す。うねりの先がとがり、かすかなしぶきが飛びはじめる。

 信愛の目で見つめる恵美を見つめ返し、そして海を見つめて手を上げ、風を見た。

「わたしの、地球号の航海士」

 胸が熱くなる。風が一気に強く、熱く。

前進ゴー・アヘッド!」

 舵を切り、葉波が帆桁をまわす。帆が風をはらみ、艇が傾くと波に乗り上げ、ぐっと航りだす。

未来を選ぼう。文明崩壊がなく、最弱者も生きられる未来を。邪悪な支配がなく、進歩と希望がある未来を。

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