夜の二人
「……」
「……」
そろそろとリモコンに手をかけ、スイッチを付ける。
『私たち、別れましょう』
別れ話をしている恋人たちがテレビに映った。
壱とクレアの間に凄まじい沈黙が沈殿する。
心の中に泥が沈殿し、澱が造られたかのような感覚。
「あ、あの、ニュースでも見よっか」
「う、うんそうだね!」
二人して温まる筈のない空気を温める愚行。
壱の心の底から二人して笑うという願いはもう叶わないのかもしれない。
(……いやだ、絶対に。どうすればいいんだろ。何で俺も笑えねえんだよ)
わかってる。
記憶を失っていることが、心の底でネジを打ち込んだように鈍い痛みを発しているのだ。
壱をどう思っているのか。恨んでいないのか。
(恨んでる訳がない。クレアが誰かを恨むなんてありえない、そうじゃなくて)
そう、そんな所じゃない。
そんな所じゃなくて、もっとエゴな部分だ。
自分を覚えられていないという自分勝手な部分。
胸が痛い。
笑いたいのに、笑えない。
自分のせいなのに。
自分のせいで、クレアの記憶が吹き飛んだのに。
いや、それすらも彼女は壱のおかげで助かったと思っているはずだ。
いや実際そうなんだけど。でも、少しは恨んで俺に詰め寄ってもよかったはずだ、と壱は思う。
(……くそっ!! 何でこんな)
感情を押し隠して、能面みたいな笑顔で生活して、こんなのでお互いが近くなれる訳がない。
(俺は、コイツともう一度、仲良くしたいのに……)
だけど、何かが引っかかり笑顔が硬くなり、自然な表情が出てこない。
最初は自然な関係なんてすぐだと思ったのに。
壱はいたたまれたくなり、腰を上げた。机に放置してある財布をポケットにねじ込む。
「どこに行くんですか?」
きょとんとした表情でクレアは壱に問う。
「何か、喉乾かねえ? 俺、買ってくるよ。クレアはレモン水で良かっ――あ、」
自然に出てきた『レモン水』という言葉に壱は激しい嫌悪感と後悔が襲ってきた。
「あ、えと……多分、気にいる筈だから」
記憶を喪う前のクレアが笑った、気がした。
逃げるように、部屋から出ていく。
「……あ、壱、さん! わ、私も……!」
クレアが何か言いかけた気がしたが、それを振り払った。
今は一人でいたかったのだ。