勉強
フレア・カルフェは一人で暮らすには馬鹿でかい家に住んでいた。
父親は戦時中に一人で軍事機密を盗み出した伝説の魔術師で今は大手会社の社長である。
しかし娘に一人で住むにはでか過ぎる家を勝手に買い日本へ送り魔術を習わせている最低の父親でもあった。
フレアはベッドに寝転び、挑戦状を叩きつけた倉敷壱という男のことを思い出す。
雰囲気としては優男で戦いには絶対に向いていない男だった。
魔術の才と戦闘の才は全く違うモノなのだ。
大会に出ても怪我をするだけだ。
ならば、
「私が圧倒的な差を見せ付けて勝てば余計な怪我を負わずに済む」
そう呟いた。
★★★★★★★
フレア・カルフェと戦うんだから魔術について知らないと! とノリノリな綾瀬を無碍にすることも出来ずに放課後の第一図書室でお勉強である。
というか、あの子はフレア・カルフェというのかと今更ながらに名前を知る。
「あり? これは俗に言う勉強デートというやつなのでは?」
ふっと思い口に出してみるが、
「ホラホラ、女の子の裸だよー」
とか言いながら絵画を見せてくる幼馴染にそんな気があるとは到底思えない。
というか絶対ない。
ここは『学習コーナー』で、白を基調にしたテーブルと椅子が一〇組くらい置いてある場所だ。
学習コーナーは図書室の四つ角に配備してある。
この学習コーナーには壱と綾瀬とクリスと鞍馬遊星しか居ない。
進学校でも図書室利用は少ないのだろうか?
それとも皆部屋に篭って宿題をしているのか。
「馬鹿なこと言ってんなよ。ほら戻して来い」
しっし、と犬にするように手をひらひらさせて言う。
「はーい」
素直に棚に戻しに行く綾瀬。
しかしこの図書室は広い。
図書室は第一図書室と第二図書室があり、第一図書室がすごく広い。
まるで体育館だ。
図書室のクセに別館にあるという時点で驚きだが、その蔵書量は七〇万を超えるのだとか。
適当に『魔術関連』という棚から引っ張ってきた本を眺める。
黒と白の線が交差している面白みのない表紙。
二秒で嫌になった。
勉強は学生の天敵だ。
「で、壱はどれだけ魔術に知ってるの?」
綾瀬は横に座りつつ尋ねる。
「ちょっ!? お前に料理なんて似合わねえから止めろ!」
「なっ!? 見てるだけでしょ!? それにアンタに作る気なんて毛頭無いし!」
後ろで繰り広げられる小うるさい夫婦喧嘩が静かな図書室に反響する。
BGMにしてはうるさい。
「あーそうだな。天使っていうウイルスとか菌みたいにばら撒かれてる奴が居てそれを魔術師が使って魔術発動ってことくらいかな」
足らない知識を晒しつつ魔術の本をパラパラ捲る。
『天使の全長は個体差はあるが一マイクロメートル。皆さん御存知のとおりだと思うが天使の性質は『魔術師のPSと意思を感じ取る』事と人を『愛す』事、そして『魔術を発動』させることだ』
と書かれていた。
「御存知じゃなかったよ」
「え?」
「ああ何にもねえ」
本を閉じると適当に誤魔化す。
綾瀬はごほんとワザと咳払いすると、
「基礎的な知識としては天使は人の脳内で起こるPS(personalstrain)を感知する性質を持っているの。つまりは思考回路ってこと」
「天使、ねえ……」
一マイクロの微生物もいいところなのに『天使』なんて滑稽だよな、と思う。
「そのPSが強ければ強いほど強い魔術が打てるの」
「……炎よ出ろーとかで炎が形成されるってこと?」
「んーそうじゃなくて、まずは天使が人間のPSを感じ取って、それから人間が意思を天使に伝える」
魔術の内容がPSで「これを発動してくれ」って言うのが意思ね、と綾瀬。
「それで何億もの天使がネットワークを形成して魔術が放てるの」
壱はまた意味もなく本を捲る。
「炎よ出ろーの場合は天使達が結合して炎のネットワークを作り上げるの」
「なら水のネットワークとか雷のネットワークもある訳だ」
素粒子みたいだなと思う。
本に視線を落とす。
『御存知の通り天使が発見されたのは1987年である。その活用法を見出したのが今から三十八年前の2057年だ』
「だから存じ上げてねえっつうの」
この著者、すっげえムカつくなと綾瀬に話しかける。
綾瀬は本を見て、壱を見てから、
「私の話を聴いてた?」
「あー聴いてた聴いてた」
本をパラパラ捲りつつ言う。
綾瀬は本を剥ぎ取り隣のテーブルに置き、壱の目の前まで身体を乗り出し、潤んだ瞳で、
「私だけを見・て?」
壱は視線を逸らし、舌を出す。
「あー気持ち悪い」
「ん? 私の瞳に映った壱が?」
「まあそだね」
壱は面倒くさそうに肯定する。
「え!? 認めるの!?」
綾瀬は少し面白くなさそうに椅子に座りなおした。
と。
「お前、馬鹿だなー! ジャガイモの皮は剥くに決まってんだろ!? 何で剥かずに茹でんだよ!」
はははははは! と遊星は思い遣りなど微塵も見せない様子で爆笑する。
クリスはへへへ、とはにかみながら笑う。
「ホント馬鹿だなお前! 嫁の貰い手ねえんじゃねえの!?」
ぎゃははははっはは!! ひいひい、と笑いに笑う。
最初ははにかみながらも笑っていたクリスだったが余りにも馬鹿笑いを止めない遊星に苛立ってきたようだった。
拳を硬く握りこむ。
「駄目、だ……馬鹿すぎて……ふ、あはははは……げほごほっ。やべむせた……ふっ! ふへへへへへへ」
ついには棚に拳を打ち付けて笑う。
あー棚を殴るなよ、と壱は呟く。
クリスはついに我慢できずに、拳を振り上げた。
「遊星の、ばかああああああああああああ!!」
顎に拳が打ち付けられようとしたその時。
「うるせえッ!」
ゴガン! いつの間にか二人の後ろに現れていた気の強そうな女性が拳を振り上げ二人を黙らせた。
眼鏡を装着し、手には『本』が握られている。
美人だが、お近づきにはなりたくないタイプだ。
(まあ、なったらなったで楽しそうだけど)
「誰だ? あれ」
と、壱の純粋な疑問に答えるかのように綾瀬が言う。
「んーあれは海田の第二ハーレム要因の内の一人だよ」
「第二って何? 馬鹿じゃねえの?」
「第一ハーレム要因がSクラスのキセヤ・フラットというどっかの外国人で」
「また適当な情報だな」
「もう一人が同じくSクラスの木村早瀬」
「三人目」
「Sクラスの綾風文」
「去勢手術代くらいなら出そうかな」
「同じくSクラスでフライン=カネット」
すげえなオイ、とため息混じりに呟く。
「五人っすか」
「うんうん。第三ハーレムとファンクラブがあるから三十人くらい?」
何というか、嫉妬する気も起きない。
大自然を見て「ああ、俺ってちっぽけだなあ」とか思う気持ちに似ている。
勝てる勝てないの問題ではない。プライドさえ刺激されない。
「あーよお! 雪!」
後ろから声が聞こえたので振り返る。
そこには一人の男と二人の女の子が居た。
「あれが海田京で左がキセヤ・フラットで右が綾風ね」
綾瀬が耳打ちしてくる。
なるほど。二人とも可愛いし男はイケメンだ。
まず、キセヤはふわりと巻かれてある金髪を肩まで伸ばしてある。瞳が真紅だ。
カラーコンタクトだろうか?
そして綾風は黒髪を腰まで伸ばしてある正統派の日本人美少女だ。
「綾瀬と外見被ってんじゃね?」
壱の漏らした感想に耳ざとく反応した綾瀬はむっとした感じで文句をつける。
「私の方が可愛い」
「まあそうかもな」
幼馴染としての贔屓目もあるだろうが外見は勝っている感じはする、と壱は密かに思う。
綾瀬は少し驚いた顔をしてから顔を赤らめ、ニヤつく。
上位の外見の人間相手に「あなたはソイツに勝ってますよ」と言われれば誰だって嬉しいだろうな、と少し見当違いなことを考える壱。
実際は壱に間接的にしろ「可愛い」と言われたのが嬉しかったのだ。
一方、クリスと鞍馬遊星は面倒くさい、と言いたげに顔を顰めていた。
クリスは海田のことを好きではなったらしい。
「どうしたんだ? また本を借りにきたのか?」
雪の元まで近づいた海田が訊く。
海田の隣を陣取る二人は明らかにムッとしている。
ハーレム要員のクセにどれだけ嫉妬深いのか。
強気な瞳を潤ませ雪は頷く。
「ま、まあな面白い本が見つかったし」
ひょいっと海田は本を取上げ、慌てる雪を尻目に題名を読む。
「『狙った異性を打ち落とす!? 脅威の恋愛術!』」
ぐばあ! とクリス、綾瀬、そして海田ハーレム要員達が反応する。
なぜクリスと綾瀬まで反応しているのか全く謎だ。
そして、雪は真っ赤な顔で、しかし、吹っ切れたように海田を見る。
身体が氷漬けになっているかのように固まっているのが遠目からでもわかる。
(ガンバー)
壱は投げやりに応援してみる。
しかし、
「へーお前ってこんなのも借りるんだな。誰か好きな奴でも居るのか?」
にっこり笑顔で訊きやがった海田。
すごい鈍感ぶりだ。
雪は流れるようなアッパーカットを海田に決めた。
「いってええええええええ!!? オレ何かした!?」
「死ねばいいのに」
と、恨みがましい口調で雪が言う。
「鈍感すぎて笑えないわ」
綾風文は言う。
そうして海田御一行と壱は邂逅したのだった。
「どこの誰の妄想が具現化してんだよ。ハーレム系主人公ですか」
壱の呟きは誰にも届かない。
さて、天使と大天使の関係性とは……