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第八章  夜の学校

ヴァスタに、三日間滞在した。


コルをすぐに連れ出すことができなかった。理由は単純で、コルが足を痛めていたからだ。水疱が悪化していた。シスが処置をしたが、完全に回復するまで無理はできなかった。


三日間、私は集落の人々と過ごした。


人々は私たちに、最初は距離を置いた。オートマタに慣れていなかった。でも、シスが老人の腰の痛みを診て、子供たちの傷の処置をして、食事の準備を手伝ううちに、少しずつ距離が縮まった。


二日目の夜、集落の中心にある建物で、子供たちが集まっていた。


ルカが「学校だ」と言った。


「学校?」


「戦前に教師だった女がいる。夜に、子供を集めて教えている」


「何を」


「読み書き、計算。あとは、地図の読み方、植物の名前、水の浄化の方法。生きていくために必要なことを」


私はその建物を覗いた。


ランプが一つだけ灯されていた。十人ほどの子供が、床に座っていた。前に女が立っていた。三十代くらいで、眼鏡をかけていた。声が穏やかだった。


コルも、その中にいた。


三日目の朝、コルが私のところに来た。


「アン、昨日の学校でさ」とコルは言った。


「うん」


「地図の読み方を教えてもらった」


「どうだった」


「むずかしかった。でも、おもしろかった」


「そうか」


「ミア先生ていう人がいて、その人がわかりやすく教えてくれた。ぼく、はじめて地図を読めた。ここがヴァスタで、こっちに行くとヴォルナで、こっちに行くと川がある」


コルは地面に指で地図を描いた。不正確だったが、大まかには合っていた。


「上手だよ」と私は言った。


「本当に?」


「本当に」


コルは少し照れた顔をした。


「ミア先生が、ここに残って勉強してもいいって言った」とコルは言った。


「どう思う?」


コルは少し考えた。


「……ダンさんが来るまで、ここにいていいかな」


私は少し驚いた。コルが自分でそう決めたことに。


「もちろんだよ」と私は言った。「ダンさんに連絡する。ダンさんが来たら、ここで合流できる」


「うん」コルは頷いた。それから私を見た。「アンは、ここに残らないんだよね」


「うん。北へ行く」


「グリアっていうところ?」


「ルカさんに聞いてたんだね」


「うん」コルはまた地面を見た。「アンと、もうお別れなんだ」


「また会えるよ」


「ほんとに?」


「千年くらいは動けるから。コルが大人になっても、おじいさんになっても、会いに来れる」


コルはその言葉を、じっと考えていた。


「千年って、すごく長い」


「長いね」


「ぼくが死んでも、アンはまだ生きてるの?」


「……そうなる」


コルはまた考えた。


「それって、さみしくない?」


私はすぐに答えられなかった。


「……さみしい、と思う。でも、さみしいって感じられることは、誰かと一緒にいたということだから。それはいいことだと思う」


「ぼくが死んでも、ぼくのことを覚えてくれる?」


「覚えてる」と私は言った。「絶対に覚えてる」


コルはもう一度、私を見た。


それから、私の腰のあたりに抱きついた。


白磁の体に、小さな体がくっついた。温かかった。センサーが体温を感知した。三十六度八分。


私は、コルの背中に手を当てた。


何も言えなかった。


言葉は、出てこなかった。





出発の朝、ミア先生が私に話しかけてきた。


「コルのことを、ありがとう」と先生は言った。


「私は、連れてきただけです」


「いいえ」先生は首を振った。「あの子は最初、ひどく怯えていた。表情もなかった。でも昨日の授業では、笑っていた。誰かが安心させてくれたから、笑えるようになったんだと思います」


「……それは、ダンさんのおかげです」


「あなたのおかげでもあると思います」


私は何も言えなかった。


「旅を続けるのですね」とミア先生は言った。


「はい」


「どうか気をつけて」それから先生は少し微笑んだ。「北の方向に、希望があるといいですね」


「あると思っています」


「……私もそう思いたい」と先生は言った。静かに、でもはっきりと。「だからここで、子供たちに教えている。希望がある場所へ、彼らが自分で行けるように」


私はその言葉を、しばらく頭の中で繰り返した。


希望がある場所へ、自分で行けるように。


「先生は、その場所へ行きませんか」


「私は、ここで教えることが役割だと思っています」と先生は言った。迷いなく言った。「あなたが見てきた場所の話を、いつか聞かせてもらえますか」


「はい。必ず」


「楽しみにしています」


私はヴァスタを後にした。


コルが見送りに来た。泣かなかった。しっかりと立っていた。


「行ってらっしゃい、アン」とコルは言った。


「行ってきます」と私は言った。「コル、ミア先生に地図の読み方、ちゃんと習うんだよ」


「わかった」


「ダンさんが来たら、ヴァスタのどこにいるか、連絡して」


「うん」


「またね」


「またね、アン」


私は振り返らずに歩いた。


でも、しばらく歩いてから、一度だけ振り返った。


コルがまだ立っていた。小さい影が、朝の光の中に立っていた。


私は手を振った。


コルも手を振った。


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