第二十四章 五十年目の春
転写から五十年が経った年の春、私は父の別荘へ向かった。
シスが隣を歩いた。
新しい筐体のシスは、動きが少し違った。歩幅が、微妙に違った。でも声は同じで、話し方は同じで、三十八年分の記憶は全部そこにあった。
「シス、体は慣れた?」
「慣れてきました。最初の一ヶ月は、細かい動作の誤差が気になりましたが、今は馴染んできた感覚があります」
「馴染む、か」
「はい。記憶の中にある動作と、今の体の動作が、少しずつ一致してきました。これが慣れる、ということなのかもしれません」
「私も最初そうだったよ。この体になって最初の頃、歩き方を確かめながら歩いていた」
「そうでしたね。あのとき、アンさまはすぐに慣れていました」
「シスがそばにいてくれたから」
「そうでしたか」
「そうだったよ」
春の道を歩きながら、私は空を見た。
五十年が経った。
転写したとき、まだ十五歳だった。今の私は、十五年分の人間としての記憶と、五十年分のオートマタとしての記憶を持っていた。合わせると六十五年分になるが、体は十五歳のままだった。
老いない。
それが、今もまだ奇妙な感覚だった。
「シス、私は老いないけど、年を取った気がする」
「どういう意味ですか」
「経験が増えた。会った人が増えた。失った人も増えた。体は変わらないけど、中身は変わった気がする」
「記憶が増えた、ということではないですか」
「そうかもしれない。でも、記憶が増えるだけじゃない気がする。記憶の重さが変わってきた気がする」
「重さ、とは」
「初期の頃の記憶は、鮮明だけど軽い。最近の記憶は、深くて重い。同じ出来事でも、受け取り方が変わってきた気がする」
「それは成長、というものではないでしょうか」
「オートマタが成長するの?」
「アンさまは、オートマタの体を持つ人間だと思っています。人間が成長するなら、アンさまも成長します」
私は少し笑った。
「そういう言い方、好きだよ」
「ありがとうございます」
「父さんが聞いたら、喜ぶかな」
「……お父様ならきっと、もっと正確な定義を求めてきたと思います」
「それも正しいな」
楢の木が見えてきた。
五十年が経っても、木はそこにあった。
枝がさらに広がっていた。幹がさらに太くなっていた。根が地面をしっかりと掴んでいた。
春の葉が、青く茂っていた。
「毎年来るたびに、大きくなってるね」
「はい。楢の木の寿命は、数百年と言われています。まだまだ生きます」
「私より長生きする?」
「可能性はあります。メンテナンス次第ですが、アンさまの筐体も数百年は保つと思います。ほぼ同じくらい、かもしれません」
「なら、ずっと一緒にいられる」
「はい」
根元の盛り土に近づいた。
草が、柔らかく覆っていた。
「父さん、五十年が経った」と私は言った。「長いようで、あっという間だった。でも、いろんなことがあった。全部話したい気持ちはあるけど、今日はひとつだけ言う。シスが、また動いてる。新しい体だけど、シスがここにいる。それだけ、伝えたかった」
風が吹いた。
葉が鳴った。
「それと、コルが健康でいる。アナが、記憶転写の技術を覚えてくれてる。父さんの研究が、次の世代に渡ろうとしてる」
葉の音が、長く続いた。
「嬉しいでしょ」と私は言った。「絶対嬉しいでしょ、父さん」
木が揺れた。
まるで笑っているようだった。




