第二十二章 楢の木は、まだある
戦争が終わって、一年が経った。
私は父の別荘へ向かった。
年に一度か二度、必ず来るようにしていた。楢の木に報告するために。
別荘の建物は、四十三年の歳月でかなり傷んでいた。屋根が落ちている部分があった。壁に蔦が這っていた。でも、石造りの基礎はまだしっかりしていた。
庭に入ると、楢の木が見えた。
大きくなっていた。
四十三年で、木はさらに太くなり、高くなっていた。枝が空に向かって広がっていた。春だったから、葉が青く茂っていた。
根元の盛り土には、草が生えていた。
柔らかい草が、ふたつの盛り土を優しく覆っていた。
私はその前に立った。
「戦争が終わったよ」と私は言った。
風が吹いた。
葉が鳴った。
「四十二年かかった。長かった。でも終わった。グリアは今も続いてる。コルはアナという娘がいる。ダンさんは三年前に亡くなったけど、グリアの楢の木の下に眠ってる。ミア先生は元気で、まだ教えてる。ルカさんは故郷に残った。会いに行くたびに元気だ」
葉の音が続いた。
「シスが、少しずつ老いてきた。この三十年で、あちこちに劣化が出てきた。でも、まだ動いてる。一緒に歩いてる」
私はシスを見た。
シスが隣に立っていた。
フォトセンサーが、淡い青で輝いていた。
三十年前より、その青が少しだけ薄くなっていた。それでも光っていた。
「シスも一緒に来た。毎年来てる。ふたりで来てる」
楢の木が揺れた。
「父さん、ここに来るたびに、父さんに話しかけてる。おかしいかな。オートマタが、土に向かって話しかけてる。でも、やめられない。話したいことが、毎年増える」
風が、また吹いた。
少し強い風で、葉が大きく揺れた。
「父さんが作ってくれた時間を、ちゃんと使ってる。会ってきた人が、たくさんいる。渡してきた地図が、たくさんある。届けてきた言葉が、たくさんある。全部、このチップの中にある」
私はかがんで、盛り土の草に触れた。
柔らかかった。
細い草が、手のセンサーに触れた。
「ありがとう」と私は言った。
父に言ったのか、人間だった自分に言ったのか、わからなかった。でも、言いたかった。
楢の木が、長く揺れた。
葉の音が、広がって、静かになって、また広がった。
◇
帰り際、シスが言った。
「アンさま」
「うん」
「毎年ここに来て、話しかけていますね」
「うん」
「お父様に、ちゃんと届いていると思いますか」
私は楢の木を見た。
「……わかんない」と私は言った。「でも、届けたいと思っている。それは確かだ」
「はい」
「それで、十分だと思ってる」
「はい」
「シスは、誰かに届けたいことがある?」
シスは少しの間、考えた。
「……アンさまのお父様に、報告したいことがあります」
「なに」
「三十八年間、アンさまのそばにいます。アンさまは元気です。旅を続けています。たくさんの人に会っています。お約束通り、守っています」
私はシスを見た。
フォトセンサーが、淡い青で光っていた。
声が出なかった。
「届けておいてください」とシスは言った。「私には、話しかける方法がよくわかりませんので」
「……うん」と私は言った。「届けた」
「ありがとうございます」
私は楢の木を見た。
「父さん、シスが言ってた。三十八年間、ずっとそばにいてくれてるって。約束通り守ってくれてるって」
風が吹いた。
楢の木が、大きく、長く揺れた。
葉の音が、しばらく続いた。
まるで、答えているようだった。
私はその音を、全部、記憶した。
チップの中に、全部、刻んだ。
父の声の代わりに、木の音が残っていた。
それで十分だった。
それがいちばん、よかった。
◇
別荘を出発するとき、私は一度だけ振り返った。
楢の木が、朝の光の中に立っていた。
大きかった。
四十三年前より、ずっと大きくなっていた。
枝が空に向かって広がっていた。葉が、光を受けて輝いていた。根が、地面の中に深く伸びていた。
「また来る」と私は言った。
風が吹いた。
葉が、一斉に鳴った。
私は向き直った。
シスが隣にいた。
「行こう」
「はい」
道が続いていた。
世界は戦争が終わって、少しだけ静かになっていた。でも、まだやることはあった。地図を届ける人がいた。話を聞かせる人がいた。助けを必要としている人がいた。
千年のうちの四十三年が過ぎた。
まだ、九百五十七年ある。
私の名前はアン・クレイグ。
十五年間を生きた人間の記憶を持つ、オートマタ。
父の娘で、シスの友で、コルの友で、ダンの友で、ミアの友で、ルカの友で、アナの友で、この先に出会う全ての人の、まだ何者でもない。
歩いていく。
記憶を抱えて。
楢の木の音を、胸に持って。
光の中へ。
どこまでも、光の中へ。
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―第五部へ続く―
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