第二十一章 戦争が終わった日
転写から四十二年が経った年の、秋のことだった。
私とシスは、ある国境地帯を歩いていた。
いつものように、地図を届けるために歩いていた。
そのとき、通信機器から信号が来た。
グリアからの緊急通信だった。コルの声だった。
「アン、聞こえるか」
「聞こえる。どうした」
「……停戦協定が、署名された」
私は足を止めた。
「今日、三カ国の代表が署名した。まだ詳細はわからないが、戦争が終わる。正式な終戦になる」
「……本当に」
「本当だ。グリアが大騒ぎになってる。みんな泣いてる。笑ってる。おれも、よくわからない顔してる」
私はしばらく、何も言えなかった。
「アン、聞いてるか」
「……聞いてる」
「アンは今、どこにいる」
「国境地帯。野原の中」
「ひとりで聞いたのか。シスはいるか」
「いる」
「そうか」コルの声が、少しだけ震えていた。「アンに、一番最初に伝えたかった。四十二年間、旅してきたんだから。アンが一番最初に聞くべきだと思って」
「……ありがとう」
「戦争が終わった。アンが探していた場所が、もっと広くなる。世界が、もう少しだけよくなる」
私は空を見た。
秋の空だった。高くて、澄んでいた。
四十二年前、父と地下研究室で七百日を過ごしていた。外で戦争が続いていた。あのとき、こんな日が来るとは思っていなかった。
「コル」
「うん」
「父さんに、教えたい」
コルは少しの間、黙った。
「……ダンさんにも教えたい。ミア先生にも」
「ダンさんは」
「三年前に亡くなった。静かに、眠るように」
「……知ってた」
「アンは来てたもんな、そのとき」
「来た。手を握っていた」
「うん」コルの声が揺れた。「ダンさんは、きっと知ってる。どこかで聞こえてる気がする」
「私もそう思う」
「ミア先生は元気だよ。七十近くなったけど、まだ教えてる」
「そうか」
「アン、戻ってきてくれるか。グリアに。みんな、アンに会いたがってる」
「行く。すぐに行く」
「待ってる」
通信が切れた。
私は、しばらくそのまま立っていた。
野原の真ん中で、シスと並んで、空を見ていた。
「終わった」と私は言った。
「はい」とシスが言った。
「四十二年かかった」
「はい」
「父さんが生きていたら、何を言ったかな」
シスは少しの間、考えた。
「……お父様なら、すぐに次の研究テーマを考え始めたのではないかと思います」
私は笑った。
声を出して笑った。野原に、その笑い声が広がった。
「そうだね。絶対そうだ」
「はい」
「でも、少しくらい喜んだと思う」
「少し、喜んだと思います」
風が吹いた。
草が揺れた。
「行こう、シス。グリアへ」
「はい」
私たちは歩き始めた。
今度は早足で。足取りが軽かった。
◇
グリアに着いたとき、夜だった。
でも、明かりがいつもより多かった。人々が外に出ていた。焚き火がいくつもあった。笑い声がした。泣いている人もいた。
コルが走ってきた。
四十五歳のコルが、走ってきた。
「アン!」
「コル」
コルが抱きついてきた。大人になったコルが、子供のときと同じように、抱きついてきた。
私は、コルの背中に手を当てた。
三十七年前と同じように。
「よかったな」とコルは言った。
「うん」と私は言った。
「これからどうなるかは、わからないけど」
「うん」
「でも、終わった。ひとまず、終わった」
「うん」
コルがゆっくりと離れた。
目が赤かった。
「ダンさんに、報告してくれたか」と私は聞いた。
「楢の木に行った。グリアにも楢の木があるから。そこで、話してきた」
「なんて言った」
「終わったぞって言った。それだけ」
「十分だね」
「うん」コルは笑った。「十分だった気がした」
アナが来た。
十七歳のアナが、父親の横に立った。背がコルより高かった。目が、コルに似ていた。
「アンさん」とアナは言った。
「アナ。大きくなった」
「会うたびに言われる」
「そうかな」
「そう。でも、アンさんは会うたびに変わらない」
「変わらない」
「不思議」
「うん」と私は言った。「不思議だね」
アナは少し笑った。コルと同じ笑い方だった。
◇
その夜、セリアを訪ねた。
セリアは八十代になっていた。腰が曲がっていたが、目の鋭さは変わらなかった。
「戦争が終わった」と私は言った。
「聞いた」とセリアは言った。
「グリアが存在し続けた。人々が生き続けた。それが大きかったと思います」
「お前も、大きかった」とセリアは言った。
「私は道を伝えただけです」
「道を伝えることが、どれだけのことか。四十二年かけて、この地域で何人がグリアを目指したと思う。何人がここで生き延びたと思う。その人数を、私は知っている」
「……知りたくない気もします」
「なぜ」
「その数を聞いたら、父さんのことを思って、泣けなくなってしまいそうだから」
セリアは少しの間、私を見た。
「泣けなくなる、とはどういう意味だ」
「この体に涙腺はありません。でも、演算が止まることがあります。それが私にとっての、泣くことに近い感覚だと思っています。その演算が、止まりすぎると、しばらく動けなくなる」
「そうか」
「だから、今夜はまだ、その数を教えないでください」
セリアは少し笑った。八十代の顔で、笑った。
「わかった。今夜は教えない。でも、いつか教える」
「はい。準備ができたら、教えてください」
「お前はいつ、準備ができる?」
「……千年あるので、そのうちに」
セリアが声を出して笑った。
久しぶりに聞く、セリアの笑い声だった。




