第十五章 ルカの選択
ヴァスタからさらに南へ向かって、三日目の昼過ぎに、ルカに会った。
街道の脇に、ルカが座っていた。
荷物を背負って、休んでいた。銃は持っていなかった。今度は、持っていなかった。
「ルカさん」と私は呼んだ。
ルカが顔を上げた。
「アンか」と言った。「戻ってきたのか」
「はい。南に来る用事がありました」
「グリアはどうだった」
「いい場所でした。六週間いました」
「そうか」ルカは立ち上がった。「お前は今、どこへ向かっている」
「さらに南です。まだ行ったことのない場所へ」
「……俺も、南へ向かっている」
私は少し驚いた。
「ルカさんが、ヴァスタを離れたのですか」
「ああ」
「なぜ」
ルカはしばらく黙った。それから、街道の端に積まれた石を見た。
「春になって、畑の準備をしていた。土を掘っていた。そのとき、隣でマルクが一緒に掘っていた」
「マルク、というのは」
「ヴァスタにいる老人だ。七十八歳になる。腰が悪くて、冬の間は畑に出られなかった。春になって、久しぶりに土を触れると言って、嬉しそうに掘っていた」
「はい」
「そのとき思った。マルクには、ここに居続ける理由がある。土と、畑と、生きてきた時間がある。でも俺には、ここに縛られる理由が、今はないと」
「縛られる、と言うんですか」
「そういう言い方が正確かどうかはわからん」ルカは少し眉をひそめた。「残ることを選んでいたのか、残ることから逃げられなかっただけなのか、自分でも判断できていなかった。マルクを見て、違いがわかった気がした」
「どういう違いですか」
「マルクは、ここにいたいからいる。俺は……ここにいることが、正しいと思っていた。でも本当は、怖かっただけかもしれない。移動することが、新しい場所へ行くことが、怖かっただけかもしれない」
ルカは街道を見た。南へ続く道を。
「お前が来て、グリアのことを話していった。北に、人が生きている場所があると知った。ダンがヴォルナに残っていると知った。コルがヴァスタで学んでいると知った。それを聞いて、俺は初めて、動けると思った」
「どこへ向かっているのですか」
「もっと南だ。故郷がある。戦争が始まって、逃げてきた。家族が、まだそこにいるかもしれない」
私はルカを見た。
「……確かめに行くんですね」
「遅すぎるかもしれん。二年以上、動かなかった。でも、このまま動かないよりはましだと思った」
「一緒に行きます」と私は言った。
「俺の故郷まで来てくれるのか」
「南へ向かうと言いました。方向は同じです。それに、ルカさんに道を教えてもらった。お返しをする番です」
ルカは少しの間、私を見た。
「……助かる」と言った。
◇
ルカの故郷は、ヴァスタからさらに七日南だった。
街ではなく、村だった。山の斜面に張り付くように建てられた、石造りの小さな家が並ぶ場所。
遠くから見たとき、ルカの足が止まった。
「ルカさん」
「……煙が出ている」
村の一軒から、煙が出ていた。
細い、白い煙だった。炊事の煙だった。
ルカは早足になった。それからほとんど走り出した。
私とシスもついていった。
村に入ると、人がいた。
老人が一人、石塀の前に立っていた。ルカを見て、目を見開いた。
「ルカか」と老人は言った。かすれた声だった。
「ピエトロ」とルカは言った。「生きていたか」
「生きとる。お前こそ」
「生きている」
老人と、ルカが向かい合っていた。
それからルカが言った。「家族は」
老人の顔が、少し曇った。
「お前の母さんは、去年の冬に。年だった。寒さに、な」
ルカは何も言わなかった。
「父さんは、息災だ。動けないが、生きている。妹も、旦那と子供二人で、ここにいる」
「……そうか」
「二年ぶりだぞ。馬鹿野郎」とピエトロは言った。声が震えていた。「なんで今まで来なかった」
ルカは答えなかった。
長い沈黙があった。
それからルカは言った。「来るのが、怖かった」
「何が怖い」
「……もう誰もいないかもしれないと思ったら、来られなかった」
ピエトロは黙った。それからルカの肩を、強く叩いた。
「馬鹿野郎」と繰り返した。今度は、違う意味で言った。
私はシスと一緒に、少し後ろに下がった。
ふたりの間に、入るものではないと思った。
◇
その夜、ルカの家族と食事をした。
父親は寝たきりだったが、意識があった。ルカの声を聞いて、顔がほころんだ。妹は子供たちを抱えながら、泣きながら笑っていた。
私とシスも、食卓に混じった。
「オートマタが旅をしているのか」と妹のエレナが言った。不思議そうな顔をしていた。
「はい。戦争のない場所を探しています」
「見つかりましたか」
「グリアという場所があります。山の中の自治区で、三千人以上が暮らしています。安全な場所です」
エレナは子供たちを見た。四歳と六歳くらいだった。それから夫を見た。夫がうなずいた。
「……いつか行けるかもしれない」とエレナは言った。独り言のような声だった。
「その地図は持っています。必要なら、渡します」
「ありがとう」
食事が続いた。
ルカはほとんど喋らなかった。でも、ずっとそこにいた。父親の手を握ったり、妹の子供が膝に乗ってきても払いのけなかったり。小さな動作で、そこにいた。
食事が終わったとき、ルカが私に言った。
「お前のおかげだ」
「私は何もしていません」
「お前が来なければ、俺はまだヴァスタにいた。一人で畑を耕していた。家族がいることを、見ないようにしていた」
「ルカさんが、自分で決めたことです」
「お前がいたから、決めることができた」ルカは少しの間、黙った。「お前の父親も、そういう人間だったんじゃないか。直接助けるんじゃなくて、人が動けるように何かを作る人間が」
私は何も言えなかった。
そうかもしれなかった。
父の研究が、私を動けるようにした。私が動くことで、誰かが動いた。それは父が意図したことではなかったかもしれない。でも、繋がっていた。
「……父に、似ていると言われるのは、嬉しいです」
「そうか」ルカは少し笑った。「俺は不器用だから、うまく言えないが、礼を言いたかった」
「私の方が、礼を言うべきです。峠の地図を描いてくれなければ、グリアにたどり着けませんでした」
「それはお互い様だな」
「そうですね」
ルカは夜空を見た。
「ここに、しばらく残る」とルカは言った。「父親が、もう長くない。傍にいてやりたい」
「それが正しいと思います」
「その後で、グリアへ行くかどうか、考える」
「エレナさんと相談してください」
「そうする」ルカは私を見た。「お前は、また旅に出るんだな」
「はい」
「どこへ」
「もっと先です。世界がどうなっているかを、見に行きます」
「世界は広いぞ」
「千年あります」
ルカはまた笑った。今日初めて、声を出して笑った。
「そうだな。千年あれば、見られるかもしれない」




