第十四章 ミアの手紙
ヴァスタに着いたのは、ヴォルナを出て六日後だった。
コルが走って出てきた。
「アン!」
小さな体が、真っ直ぐに走ってきた。私の腰のあたりに、勢いよくぶつかってきた。
「よかった、また会えた」とコルは言った。顔を私の体に押しつけたまま言った。
「また会えた」と私は言った。
「シスも来た」
「来ました」とシスが言った。
「よかった」コルはシスにも抱きついた。シスが、コルの頭に手を置いた。
コルが少し大きくなっていた。背が伸びていた。
「顔が変わった」と私は言った。
「そう?」
「少し大人になった気がする」
コルは照れた顔をした。
「ミア先生、もうすぐ来る。待ってて」
コルが走って戻っていった。
少しして、ミア先生が来た。眼鏡をかけた、穏やかな顔の人だった。
「お帰りなさい」とミア先生は言った。
「ただいま戻りました。約束通り、グリアのことを伝えに来ました」
「ここに来る前から、コルとダンさんへの通信で、少しずつ聞いていました。改めて、詳しく聞かせてもらえますか」
「はい。全部話します」
その日の夜、ヴァスタの人々が集まった。
私はグリアのことを、できる限り詳しく話した。道のり、地形、集落の規模、どんな人がいるか、何を作っているか、セリアのこと。
人々はよく聞いていた。
質問が多かった。一晩では話し切れなかった。翌日も話した。
二日目の昼過ぎ、ミア先生が私に言った。
「一つお願いがあります」
「なんでしょう」
「地図を書いてもらえますか。グリアまでの道を。それを学校で子供たちに教えたい」
「地図を教材に、ということですか」
「はい。地図の読み方だけでなく、その先に何があるかを一緒に教えたい。グリアという場所が実在して、人々が生きているということを、子供たちに知ってほしい。希望の在り処を教えることは、生き方を教えることだと思っています」
私は、その言葉をしばらく考えた。
「私が見てきたことも、話してもいいですか。道の途中で出会った人たちのことを」
「ぜひ」
「ダンさんのことも、ヘレナさんのことも」
「全部」とミア先生は言った。「全部、子供たちに聞かせてください」
翌日、夜の学校に呼ばれた。
十五人ほどの子供たちが、床に座って待っていた。コルもいた。一番前に座っていた。
私は話した。
グリアへの道を、地図を指しながら話した。ヴォルナで見た赤い靴のことを話した。ダンが書いた「まだここにいる」という文字のことを話した。ルカが峠の地図を描いてくれたことを話した。グリアで八歳の女の子が花をくれたことを話した。
子供たちは黙って聞いていた。
コルが、ところどころで小さくうなずいていた。自分が知っている話のときに、うなずいていた。
話し終えると、手が挙がった。
「アンは、何で旅をしてるの」と女の子が聞いた。六歳か七歳くらいだった。
「戦争のない場所を探しています」
「見つかった?」
「グリアが、そのひとつです」
「他にもあると思う?」
「……あると思っています」
「なんで」
「グリアが存在するから。一箇所あるということは、もっとある可能性があります」
「アンは、全部見つけるの?」
「千年あるから、たくさんは見られると思います」
「千年って、すごい」
「長いよね」
「でも、ひとりじゃないから大丈夫」とその女の子は言った。私でなく、シスを見ながら言った。「シスがいるから」
シスが、少しだけ首を動かした。
「はい」とシスは言った。「いつでもいます」
◇
ヴァスタに四日いた。
出発の前日、ミア先生が私に封筒を渡した。
「これを、グリアのセリアさんに届けてもらえますか」
「手紙ですか」
「はい。私が書きました。ここから北を目指す人が、いつか出るかもしれない。そのときに、グリアに連絡を取れる手段があれば、安心です。通信の方法と周波数を確認したかった」
「セリアに渡します」
「それと」ミア先生は少し間を置いた。「個人的なことも書きました。グリアという場所のことを、あなたから聞いて……私も、いつか行ってみたいと思うようになりました。でも今は、ここを離れられない。だからせめて、文字を届けたかった」
「先生も、いつかグリアへ」
「わかりません」ミア先生は微笑んだ。「でも、その選択肢が存在するということを知っているだけで、ここでの仕事を続ける力が少し違います。人間は、逃げ場があると知っているだけで、踏ん張れるものです」
「……そうかもしれません」
「あなたが、その逃げ場のことを教えてくれた。ありがとう」
私は封筒を受け取った。
白い封筒だった。
「必ず届けます」
「お願いします」ミア先生はもう一度微笑んだ。「それと、アン。あなたは何歳でしたか」
「人間だったときは、十五歳でした」
ミア先生は少しの間、私を見た。
「十五歳で、よく全部抱えて歩いてきましたね」
セリアと同じ言葉だった。
また、声が少し震えそうになった。
「……父が、作ってくれた道です」と私は言った。「私は歩いているだけです」
「それが一番難しいことですよ」とミア先生は言った。「誰かが作った道を、自分の足で歩き続けることが」
◇
出発の朝、コルが来た。
「また来る?」とコルは言った。
「来る」
「いつ?」
「わからない。でも来る。千年以内には絶対来る」
コルが笑った。
「それ、長すぎる」
「そうかもね」
「でも、アンはずっと変わらないんだよね。何年後に来ても、今のアンが来るんだよね」
「そうなる」
「じゃあ、ぼくがおじいさんになっても、アンはアンだ」
「うん」
「なんか、不思議だな」コルは少し考えた。「でも、よかった」
「なんで」
「ずっとアンがアンでいてくれるなら、ぼくが何歳になっても、アンに会いに行ける。アンの旅の話を聞ける。それって、すごくいいことだと思う」
私はコルを見た。
八歳の子供が、真剣な顔で言っていた。
「……そうだね。すごくいいことだ」
「だから、ちゃんと旅してきて」とコルは言った。「いっぱい人に会って、いっぱい話を聞いてきて。ぼくに教えてくれる話が、たくさんある方がいいから」
「わかった」
「約束ね」
「約束」
コルは私の手を握った。
小さな手だった。温かかった。
「行ってらっしゃい、アン」
「行ってきます、コル」
私は歩き出した。
今度は、最初からちゃんと振り返った。
コルが手を振っていた。
ミア先生が、コルの隣に立っていた。
ヴァスタの人々が、その後ろにいた。
私も手を振った。
長く、振った。




