第十三章 ダン
ヴォルナを出る前日の夜、ダンが私を呼んだ。
街の外れ、崩れた教会の跡地だった。壁の一部だけが残っていて、石積みが月明かりの中に白く浮かんでいた。
ダンは石の上に腰かけていた。
「座れ」とダンは言った。
「はい」
私は隣の石に腰かけた。
しばらく、ふたりとも黙っていた。
「お前に、礼を言いたかった」とダンは言った。
「何に対してですか」
「コルのことだ」
「私は、連れていっただけです」
「それだけじゃない」ダンは夜空を見上げた。「あの子は、俺が熱を出す前から、壊れかけていた」
「壊れかけていた」
「表情がなかった。飯を食っても、水を飲んでも、何も言わなかった。夜中に目を覚ますと、暗がりでじっとしていた。何も考えていないような顔で、ただ、じっとしていた」
私は黙って聞いていた。
「俺には、どうしてやればいいかわからなかった。飯は食わせた。水は飲ませた。危ない場所に連れていかなかった。でもそれだけだった。心の中のことは、わからなかった」
「……ダンさんも、精一杯だったはずです」
「精一杯と、十分かどうかは別だ」ダンは石を見た。「お前がコルを連れていって、ヴァスタに着いた頃から、コルの通信の声が変わった。最初の通信は短かったが、二度目の通信では、地図の話をしてきた。ミア先生に習ったと言って、嬉しそうだった」
「そうでしたね」
「その声を聞いて、俺は初めて、あの子が子供の声を出しているとわかった」ダンは少しの間、口を閉じた。「それがお前のおかげだと、俺は思っている」
「でも、コルをヴァスタで守ってきたのはダンさんです」
「俺は、守るだけだった。お前は、コルに先を見せてやった。行く場所があると教えた。それは俺にはできなかったことだ」
私は何も言えなかった。
「礼を言いたかった。それだけだ」
ダンは立ち上がった。
「春になったら、ヴァスタに行く。コルに会う」
「コルが待っています」
「……お前は、また旅に出るのか」
「はい。まだ南に、行っていない場所がある」
「戦争のない国を探しているのだったな」
「グリアが、そのひとつです。でも、もっとあるかもしれない。もっと多くの人に知らせたい」
ダンはうなずいた。
「気をつけろ」と言った。
「はい」
「シスも、お前を守れよ」
後ろに立っていたシスが、静かに頭を下げた。
「はい。必ず」
ダンは夜空を見た。
星が出ていた。
「お前の父親は、賢い人間だったんだな」とダンは言った。「娘に、千年の時間を作ってやったんだ」
私は星を見た。
「……そうかもしれません」
「うらやましい」とダンは言った。それから少し笑った。「俺には、そんな才能はない。でも、コルを生かしておくことはできた。それで、いい」
「十分です」と私は言った。「十分すぎる」
ダンは何も言わなかった。
ただ、また夜空を見ていた。
◇
ヴォルナを出る朝、街の人間が全員見送りに出た。
二十三人が、朝の光の中に立っていた。
「また来い」とダンは言った。
「春が終わったら、ヴァスタで」と私は言った。「コルと一緒に、ダンさんが来るのを待ちます」
「待たなくていい。お前は旅をしろ」
「少しくらい待ちます」
ダンは少し笑った。
「行け」
私は歩き出した。
シスが隣を歩いた。
しばらく歩いてから振り返ると、ダンがまだそこに立っていた。大きな体が、朝の光の中に立っていた。
私は手を振った。
ダンが手を振った。
それから、ダンは街の方へ振り返った。
まだここにいる。
その背中が、そう言っていた。




