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第九章  国境

ヴァスタを出てから、七日間歩いた。


ルカが描いてくれた地図は正確だった。川を渡り、山を越え、森を抜けた。二度、軍の車列に遭遇したが、どちらも道を変えて回避した。この体の熱源は人間のものより弱く、ドローンのセンサーに引っかかりにくいとシスが説明してくれた。


七日目の夜、標高が高い場所に出た。


眼下に、広い谷が見えた。


谷の向こうに、明かりが見えた。


「あれが、グリアか」と私は言った。


「おそらく」とシスが答えた。「光の量から、数千人規模の集落と推定できます」


「生きている光だ」


「はい」


明かりが、揺れていた。風で揺れているのかもしれない。いくつかは固定されていて、いくつかは動いていた。人が動いているのかもしれない。


私はしばらく、その光を見ていた。


「シス」


「はい」


「父さんに、見せたかった」


シスは何も言わなかった。


「こういう光を見るたびに、父さんに見せたいって思う。お母さんにも。このオートマタの目で見える世界を、二人に見せたかった」


「……はい」


「でも、私の目が見てる。私の記憶に入る。それでいい、とは思ってる」


「はい」


「父さんが作ってくれた研究が、ここまで連れてきてくれた。それを、ちゃんと覚えてる」


「はい」


「……うん」


私は谷の明かりを、もう少し見ていた。


それから歩き始めた。





谷へ降りる途中で、見張りに遭遇した。


二人いた。男と女だ。どちらも若かった。銃を持っていたが、構えなかった。


「止まれ」と男が言った。警戒した声だったが、叫ばなかった。


「止まった。敵ではない」


「オートマタか」


「はい」


「どこから来た」


「南から。ヴァスタを経由してきた」


「ヴァスタを知っているのか」と女が言った。


「三日間、そこに滞在した。ルカという人に、グリアへの道を教えてもらった」


「ルカを知っているのか」


「はい」


二人は顔を見合わせた。


「ここを目指してきたのか」と男が聞いた。


「はい。戦争のない場所を探していた」


男がまた女を見た。女はゆっくりうなずいた。


「着いてこい」と男は言った。「先に話を聞く。問題がなければ、受け入れる」





グリアの集落は、岩の壁に守られた谷間にあった。


山が三方から囲んでいて、唯一の入り口が、さっき通ってきた峠だった。軍が侵攻しようとすれば、その峠を越えるしかない。しかし、峠は幅が狭く、大規模な車両は通れなかった。だから軍が来ない。ルカが言っていた通りだった。


建物は、岩壁をくり抜いたものや、石を積んだものが多かった。電気は通っていなかったが、小型の発電機がいくつかあった。水は山からの湧き水を引いていた。


人々は三千人ほどいた。


様々な出身地の人間が混在していた。三つの国のそれぞれから、戦争を逃れてきた人間たちだ。言葉が違う人間もいた。でも、共存していた。


「長」と呼ばれる人間がいた。


セリアという名の、五十代の女性だった。白髪が混じっていて、目が深かった。私の話を最初から最後まで、黙って聞いた。


記憶転写のことも、父のことも、逃亡のことも、ヴォルナのコルとダンのことも、ヴァスタのミア先生のことも、ルカのことも、全て話した。


セリアは聞き終わって、長く息をついた。


「お前の父親は、お前のために研究を始めたのか」とセリアは言った。


「はい」


「その研究が完成して、お前はここまで来た」


「はい」


「父親は、それを見られなかった」


「……はい」


セリアはしばらく、私を見ていた。


「ここに、残るか」と聞いた。


「……どういう意味でしょうか」


「旅を続けるのか、それとも、ここに留まるのか。どちらでもいい。ここには、お前のような存在を必要としている人間がいる。医療の知識を持つオートマタは、この場所には一体もいない。しかし、強制はしない」


私はシスを見た。シスは私を見た。


「少し、考えさせてください」と私は言った。


「もちろんだ」





その夜、私はシスと、集落の外れの岩の上に座った。


星が出ていた。


この体で見る星が、少しずつ、慣れてきた。赤外線の滲みが、星ごとに違う色を持っていることに気づいていた。温度が違うから、色が違う。星の温度が、肉眼では見えない形で映っていた。


「アンさま」とシスが言った。


「うん」


「ここに残ることを、考えていますか」


「うん」


「……グリアは、戦争のない場所です」


「そうだね」


「アンさまが探し求めていた場所かもしれない」


「そうかもしれない」


「でも」とシスは言った。「アンさまはまだ、先を見たいと思っているのではないですか」


私は空を見た。


「……なんでわかるの」


「アンさまが、旅の途中で出会った人のことを話すとき、声の抑揚が変わります。コルのこと、ダンさんのこと、ミア先生のこと、ルカのこと。それぞれを話すとき、少しずつ違う感情が処理されています。センサーで検知できます」


「それが、先を見たいということ?」


「人と会いたいと、思っているのではないかと。ここで留まることは、その機会を減らすことになります」


私は少しの間、考えた。


「グリアは、戦争のない場所だ。でも世界がここだけというわけじゃない」


「はい」


「世界のもっと広い部分が、戦争のない場所になってほしい。ここが存在するということは、それが可能だということだ」


「はい」


「なら、ここのことを、もっと広く伝えることができる。南で苦しんでいる人に、ここを目指す理由を伝えることができる。ダンさんに、コルに、ミア先生に、ルカに」


「……それが、アンさまのやりたいことですか」


私はゆっくりと、うなずいた。


「父さんが研究を始めたのは、私を生かすためだった。でも研究が完成して、私がこの体になって……私が生きることの理由が、それだけじゃなくなってきた気がする。道の途中で出会った人たちのことを、千年かけて考え続けたい。できることをやり続けたい」


「はい」


「シス、また旅に出よう。でも今度は、ここを出発点にして」


「わかりました」とシスは言った。迷わず言った。


「ここにしばらく留まって、グリアのことを学んで、医療の面で手伝って、それから南へ戻る。ヴァスタへ、ヴォルナへ、もっと南へ。グリアのことを伝えながら、北へ向かう人の道案内をする」


「長い旅になります」


「千年あるから」


シスが、少しの間、静止した。


「……私も、できる限り一緒にいます」


「ありがとう」


「はい」


「シス、ひとつ聞いていい」


「はい」


「あなたは今、幸せ?」


シスは、今度はすぐに答えなかった。


長い間があった。


「幸せ、という感情が、私に存在するかどうかは、正確にはわかりません」とシスは言った。「でも……アンさまが生きていること、話していること、旅をしていること。それを確認しているとき、私の演算は安定しています。それが幸せに近いものなのかどうかは、わかりません。でも、悪い状態ではないと思っています」


「それで十分だよ」と私は言った。


「はい」


「私も、今、悪くない状態だよ」


「はい」


星が、瞬いていた。


どこか遠くで、かすかに風の音がした。


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