第2話 釣りと料理と、7万円
エタフロでは、基本的にみんなプレイヤーネームで呼び合う。
現実の名前を出す意味はないし、聞くこともほとんどない。
俺のプレイヤーネームはイクト。
本名をそのまま入れただけだ。
最初に深く考えなかったせいで、今さら変えるのも面倒になって、そのまま使っている。
彼女のプレイヤーネームはマモリ。
現実でも、俺のお嫁さんだ。
街の中央広場は、今日も人が多かった。
噴水の水音と、行き交うプレイヤーの声が混じっている。
露店の呼び込みが聞こえて、鍛冶場のほうからは金属を叩く音が響いてきた。
広場の一角では、誰かが即席の露店を開いていて、
その横で別の誰かが楽器を鳴らしていた。
戦闘用の重装備の集団と、完全に私服みたいな格好のプレイヤーが、
同じ空間を普通に行き交っている。
「ねえ、これからなにするのー?」
隣を歩きながら、マモリが言う。
手を後ろに組んで、特に目的もなさそうな歩き方だ。
「ひまだからついていくー」
「生活スローライフ、たまにしよーっと」
「いや」
俺は歩きながら返す。
「そう言いながらさ」
「なに?」
「“たまに”って言ってるけど、昨日もついてきたじゃん」
一拍。
「……細かいわねー」
あっさり流された。
悪びれる様子もない。
「だって楽じゃん」
「一人で黙々とやるよりさ」
噴水の縁を避けながら進む。
広場の向こうには、街の外へ続く門が見えている。
「それで、なにするの?」
マモリが覗き込んでくる。
「釣りか、採取か」
「どっちかにしようかなって思ってる」
言い終わる前に、返事が飛んできた。
「釣りがいい!」
即答だった。
「即決だな」
「だって、たまにはのんびりしたい日でしょ?」
「毎日わりとのんびりしてるけど」
「それとこれは別なの」
よく分からない理屈だ。
「じゃあ、釣りに行くか」
「やった」
マモリは軽く手を叩いて、街の外を指さす。
「川のほうだよね?」
「そう」
「この前、ちょっと奥行ったとこ、景色よかったよ」
街を抜けると、視界が一気に開ける。
石畳が途切れて、草道に変わる。
遠くで水の流れる音が聞こえてきた。
「エタフロってさ」
歩きながら、マモリが言う。
「こういう移動の時間も、ちゃんと楽しいよね」
「分かる」
道の脇には、採取できそうな草や鉱石がいくつも見えていて、
ちょっと手を伸ばせば寄り道できそうだった。
走らなくてもいい。
戦わなくてもいい。
ただ歩いて、景色を見て、次にやることを決める。
川が見えてくる。
水面がきらっと光って、魚影が時々跳ねる。
「ここにしよっか」
「いいな」
釣り竿を取り出して、並んで腰を下ろす。
「ねえ」
「なに」
「今日も、たぶん何も起きないよね」
マモリはそう言って、少し笑った。
「それでいいんじゃない?」
「うん、それがいい」
糸を垂らす。
水の音と、風の音だけが残る。
エタフロは、こういう時間をちゃんと許してくれる。
何もしなくても、ただ一緒にいるだけでも。
「ねえ、釣れたらなに作る?」
「考えてなかった」
「じゃあ、釣れてから考えよ」
川辺は静かだった。
水面に糸を垂らすと、小さな波紋が広がる。
「……あ、きた」
マモリが竿を引く。
ぱちゃっと音を立てて、銀色の魚が跳ねた。
「よし、一匹」
「いいサイズだね」
魚はそのままアイテムボックスにしまわれる。
俺も同じように竿を引いて、二匹目を確保した。
「今日は結構釣れるね」
「この辺、当たりだと思う」
少し離れたところでは、誰かが水に入って素材を拾っていて、
さらに奥では、焚き火を囲んで料理しているグループも見えた。
「同じ場所なのに、みんなやってること違うの、好き」
「それがエタフロの良さだよな」
しばらく並んで釣っていると、ボックスの中が少しずつ埋まっていく。
「ねえ」
マモリが竿を置いて言った。
「これ、魚料理にしない?」
「料理?」
「うん。バフつくやつ」
「最近、結構売れてるよ」
「そうなの?」
「じゃあ、料理にしようかなー」
「……イクトはさ」
マモリがちらっとこっちを見る。
「ほんとマーケットの調査とかしないわよね」
「だって」
俺は糸を垂らし直しながら言う。
「その時間あったら、こうやって釣りしてたほうが稼げるし」
「正論だけど」
「効率考えるのも、結構楽しいのよ?」
「それはそう」
また一匹釣れる。
気づくと、俺のボックスのほうが少し多い。
「ねえ」
「なに」
「魚料理さ」
「私の魚の分でも作ってよ」
「いいけど」
「イクトが作ると、品質いいでしょ」
「それ、一緒に食べようよ」
「……うん」
「いいよ」
少し間を置いてから、マモリがむっとした声を出す。
「さっきからさ」
「そっちばっかり、いい品質の魚ばっか釣れてない?」
「そう?」
俺自身は、これが普通だと思っていた。
「ずるいんだけど」
竿を引き上げながら、疑うようにこっちを見る。
「なんか、スキルツリー」
「ほんとは隠してるんじゃないの?」
「レアなスキル取ってたりとか」
「ちがう」
俺は笑って否定する。
「むしろ逆」
「逆?」
「スキル取るの、間違えた」
マモリが目を瞬かせる。
「ほんとは魔法使いやりたくてさ」
「でも、魔力量取らないで」
「魔力純度と魔力錬成を、最初にマックスまで取っちゃった」
「……それ、だいぶやってない?」
「そのとき、攻略wikiもよく分かんなくて」
「まあ、いいかって」
「いや、よくないでしょ」
「で、課金してスキルリセットすればいいじゃんって言われるんだけど」
竿を置いて、肩をすくめる。
「それが嫌で」
「じゃあ、生活職しかやれないかーってなって」
「それで今に至る、と」
「そう」
マモリは少し笑ってから、首を振った。
「イクトらしいわね」
「そう?」
「そう」
川の流れが、静かに音を立てる。
水面に光が揺れて、次の魚影が見えた。
「じゃあさ」
マモリが竿を構え直す。
「もうちょっと釣ってから戻ろ」
「了解」
並んで糸を垂らす。
戦わなくても、効率を競わなくても、
この世界には、ちゃんと楽しい時間がある。
エタフロは、そういうところがいい。
次はどんな魚が来るだろうか。
そんなことを考えながら、俺は竿を見つめていた。
川辺で、マモリはずっと竿と格闘していた。
「なんでこいつ、全然つれないのよ!」
水面を叩くように竿を振る。
糸がぴんと張って、嫌な音がした。
「それ以上引くと、糸切れるぞ」
「え、ほんと?」
「ほんと」
「もう……!」
それでも引く。
引いて、止めて、また引く。
「魚と戦ってるみたいなんだけど」
「釣りってそういうものだから」
数秒、数十秒。
マモリは真剣そのものだった。
「……きた!」
次の瞬間、竿が大きくしなった。
「うそ、重っ……!」
「落ち着け、無理するな」
「わかってるって!」
水面が揺れて、何かが引き上げられる。
跳ねたのは、魚じゃなかった。
「……え?」
透明な瓶。
中には、虹色に揺れる液体。
一拍、沈黙。
「え」
「え、なにこれ」
マモリが瓶を掴んで、目を見開く。
「……エリクサー?」
万能薬。
ゲーム内でもほとんど見かけない、超レアアイテムだ。
「え、やった」
「ちょ、待って」
「え、え、え、ちょっと待って」
落ち着きがなくなる。
「私、これ」
「初めて手に取ったんだけど!」
即座にマーケットを開く。
「……え」
「ちょっと」
指を止めて、もう一度見る。
「7万円」
「エリクサー、今」
「7万円よ!」
顔を上げる。
「RMTに出品するわ!」
操作は早かった。
数秒後、通知が鳴る。
《出品アイテムが売却されました》
「……売れた」
そして次の瞬間。
「やばい」
「7万」
しばらく、ずっとそれを言っている。
「7万円……」
「何に使おうかしら」
「釣り人になろうかしら」
「釣り専用装備買おうかな」
「落ち着け」
「だって7万よ?」
テンションは下がらなかった。
「今日はもう帰ろ!」
「いいな」
街までの道を、やたら軽い足取りで戻る。
調理台の前に並ぶ。
さっき釣った川魚を取り出す。
「焼くだけ?」
「焼くだけ」
火にかけると、じゅっと音が立つ。
脂が落ちて、香ばしい匂いが広がる。
塩と胡椒を振る。
「……いい匂い」
出来上がった魚を、二人で手に取る。
「いただきます」
口に入れた瞬間、熱と旨味が広がる。
身はふっくらしていて、皮はぱりっとしている。
塩の加減がちょうどいい。
「……なにこれ」
マモリが目を丸くする。
「おいしすぎない?」
「普通に焼いただけだけど」
「嘘」
噛むたびに、魚の旨味がはっきり分かる。
さすがフルダイブ型MMORPG、味までしっかりある。
「やっぱりさ」
「イクトに作ってもらった料理」
「品質いいよね」
残りを分けて、マーケットに出す。
「ほら、もう売れた」
「ほんと早い」
マモリが笑う。
「このまま二人でやっていけばさ」
「お金には困らなさそうだよね」
冗談めかした声。
でも、どこか本気にも聞こえた。
「エリクサーも出たし」
「今日は大当たりの日だわ」
少しして、マモリが一歩下がる。
「今日はありがと」
そう言って、いつものみたいに軽く触れてくる。
近づいてきて、軽く。
ほっぺに、ちゅっと。
「……じゃ、またね!」
頬を赤らめて、手を振る。
「おやすみ、イクト」
「先に上がるね」
そう言ってログアウトしていく。
川で釣って、料理して、売って。
たまたまレアが出て、少し騒いで。
それだけの一日。
でも、悪くない。
エタフロは、こういう日をちゃんと用意してくれる。
俺は空になった調理台を片付けて、
次は何をしようか考えながら、街を歩き出した。




