8 アンジェリカの策略
翌日。
あれからというもの、何をしていても、騎士団で仕事をこなしていても、ルシルはアンジェリカのことが気にかかっていた。
――私は、アンジェリカの命を犠牲にして、生きている。
その考えが頭から離れない。
――私のために、アンジェリカは死んだ。
もちろん、ルシルが望んだことでも、そうなるように仕向けたわけでもない。しかし、結果としてルシルのために、1人の少女の命が犠牲となった。その事実は変わらない。
その重さに心臓が締め付けられそうになり、ルシルは何度もため息をつく。すると、レナードが労わしげにルシルを見つめた。
あれから、ジークとも距離ができたままだ。
ルシルが敵でないことも、ルシルのせいでアンジェリカの命が失われたわけではないということも、彼は理解している。しかし、心では受け入れることができないのだろう。
アンジェリカと同じ姿をして、心は別人という存在が生きている事実を。
憂鬱な気分のままルシルは仕事をこなした。
レナードがルシルに声をかけてきたのは、退勤後のことだった。レナードの後ろにはジークの姿もある。気まずそうな顔をしているので、彼もまた、レナードに声をかけられたのだろう。
騎士団本部を出て、3人が向かったのはベラの店だった。
ちょうど店を閉めた後で、他の客は誰もいない。
ベラは3人を快く出迎えてくれた。
ルシルたちの間に流れる微妙な空気も感じとっているだろうが、だからこそ、明るく振舞ってくれているようだった。
「お三方が来てくれるの、久しぶりね」
「急にごめんね、ベラ。マリサちゃんは?」
「今は上で寝てるわ」
そう言いながら、ベラはコーヒーを配膳していく。
レナードとルシルは席に着いたが、ジークは離れたところで立ち尽くしていた。
「ジークさん、どうしたの?」
ベラがそう問いかけると、彼は難しそうな表情で首を振った。
「悪いけど……気持ちに整理がつかない。君たちが悪くないことはわかっていても……俺は君たちにどう接したらいいのかわからない……」
レナードはジークに気づかわしそうな視線を向けるが、冷静に言った。
「それなら、そのまま聞いてくれ」
「あら、騎士団の秘密会議? 私は席を外した方がいいかしら?」
「いや、君もいてくれて構わない」
ベラは頷いて、ルシルの隣の席についた。
レナードは簡潔に、昨日何があったのかをベラに説明する。そして、こう続けた。
「その時、地下室で見つけた日誌についてのことだ」
「そういえば、リオ、私について気になることがあるって言ったわね」
「時間がなくて断片的にしか読めなかったが……ザカイアとロイスダールは、ルシルが魔法学校に入学した直後から、君のことを気に入っていたらしいんだ。初めから君を闇纏いとして引き入れるつもりでいた」
「どういうこと……?」
「――やっぱりそうだったのね」
ルシルは眉を顰めるが、ベラは納得したように頷いている。
「ルシルを仲間にするために、あいつらは私とリリアンさんを利用したのよ。手がこみすぎていると思わない?」
「言われてみれば……」
その後に起こったことが衝撃的だったので、ルシルは深く考えていなかった。
しかし、改めて考えればおかしい。
ただの学生に過ぎなかったルシルを、そうまでして闇纏いにしたかった理由とは――。
「日誌では、君のことを『黄昏の子』と呼んでいた。心当たりはあるか」
「いいえ……わからないわ」
その時、どんと鈍い音が響いた。
ジークが苦悩の表情を浮かべながら、壁に拳をぶつけていた。
「だから、何だよ……。その人が特別な存在だったから、アンジェリカが彼女のために死ぬのは仕方なかったってことか?」
ルシルは何も言えなくなって、目を伏せる。ベラが労わしげにこちらを見て、ルシルの手をぎゅっと握った。
レナードは1人だけ、冷静にジークのことを見つめている。
「昨日、ロイスダールが妙なことを言っていただろ。そのことについて、君とも話がしたかった。ジーク、顔を上げてくれ」
ジークはぎゅっと目をつぶり、葛藤している様子を見せる。
やがて、ゆっくりと顔を上げて、レナードの方を見た。
「あの時、あいつは『あなたたちがザカイア様を裏切っていようとは』と言っていた」
「あ……っ」
ルシルは思わず声を上げる。
ルシルを『裏切り者』と言うのは理解できる。
しかし、その対象は複数形で告げられていた。では、ルシル以外には誰のことを差しているのか。
「まず、リオはちがうわね。あなたは初めからザカイアの敵だった」
「ああ。ジークのことだとも考えづらい」
「え? じゃあ、他に誰がいるの?」
「あの場にいたのは、もう1人――君だ」
レナードはじっとルシルの顔を見つめた。ルシルは驚いて、自分を指さす。
ジークがハッとして、声を上げる。
「アンジェリカ……!?」
彼はテーブルまでやって来ると、レナードに詰め寄った。
「どういうことだ!?」
「俺も昨日からそれを考えていた。アンジェリカがルシルの代わりになるということは、ずっと前から決まっていた。だが、それをいつ実行するのか……他の闇纏いは知らなかったんじゃないかという疑惑が出てくる。まず、ロイスダール。あいつは生きていた。それならば、アンジェリカがルシルになる時、その儀式をそばで見守ろうとするんじゃないか? それなのに、ルシルが復活した後も、彼はルシルに接触してこようとしなかった」
「そういえば……儀式が成功したかどうか、確認しないのはおかしいわね」
「次に、ケイリーもそうだ。彼女は騎士団本部の屋上で、『ルシルを蘇らせたのは自分だ』と主張していたな。だが、それはおかしい」
「確かに……? 私が蘇った時、彼女はそばにはいなかったもの。それ以降も1ヶ月もの間、ケイリーは私に接触してこようとしなかった」
「俺はあの時のケイリーの台詞は、君に褒められたくて、嘘をついていたものだと推測した。それなら、つじつまが合うんだ。ケイリーはしばらくの間、君がルシルであることを知らなかった、もしくは勘づいてはいたが、確信が持てなかったんじゃないか?」
ベラが頷いて、同意を示す。
「確かに、それはおかしな話ね。他の闇纏いたちは、ルシルが蘇ったことを知らなかったなんて……。アンジェリカさんが、誰にもそれを知らせていなかったってことにならない?」
「アンジェリカが勝手に、1人でルシルを蘇らせたってことか!? ロイスダールにすら内緒で!?」
「だとすれば、彼女はどういうつもりで私を復活させたの?」
ルシルはあごに手を当てて考えこむ。すると、ベラが言った。
「ねえ。ルシルが目覚めた時、近くに何か、手紙とかは置いてなかったの? もし、私がアンジェリカさんだったとしたら……何らかのメッセージをあなたに向けて、残しておくと思うんだけど」
「何もなかったと思うけど……」
「そんなはずがない」
ジークが断言するような口調で言う。
「アンジェリカは自分の命を犠牲にしてまで、君を蘇らせたんだ。何の考えもなく、そんなことをするとは思えない」
ジークはルシルの目を見て、真摯な口調で告げた。
「お願いがある。アンジェリカの家に……君の家に、入らせてはもらえないか」
その後、3人はベラの店を後にして、ルシルの家へとやって来た。ベラはマリサが上の階で寝ているから、ついてこれないとのことだった。
室内に入ると、ジークは興味深そうに周囲を見渡している。元はアンジェリカの部屋だから、思うところがあるのだろう。
レナードが冷静に言葉を継ぐ。
「君が目覚めた時の状況を整理しよう。君のそばには、『招魂魔法』にまつわるメモが置いてあった。室内に、メモの類はそれだけだったか?」
「ええ」
「他に気になるものは?」
「特別なものは何も……。冷蔵庫に甘いものがたくさん入っているな、とは思ったけど、それくらいで」
それに反応したのはジークだった。
「冷蔵庫? 中を見てもいいかな?」
「どうぞ」
ジークが冷蔵庫を開く。恥ずかしながらルシルは自炊をしないので、大したものは入っていない。ほとんどが飲み物だ。
しかし、ジークは何かに気付いた様子で目を見開く。
彼が冷蔵庫からとり出したのは、瓶だった。
「……琥珀糖だ」
「それ……」
元から中に入っていた食材は、ルシルがほとんど消費した。残ったのはこの琥珀糖だけだ。これだけが長期保存可能な物だったので、そのまま冷蔵庫に置いていた。
「本当を言うとね、私、甘いものがあまり得意じゃなくて……。でも、それはすごく色が綺麗だったから、そのままとっておいたんだけど……」
「アンジェリカの好物だよ」
ふ、とジークは思い出に浸るように、笑う。
そして、瓶を左右に振った。
「でも、冷蔵庫に入れるのはおかしい。琥珀糖は普通、常温保存だ」
「え? そうなの?」
ジークがリビングテーブルに瓶を持ってくる。ひっくり返したり、回したりして、じっくりと観察を始めた。
すると、横で静観していたレナードが声を上げる。
「その瓶……! 底が二重になっているんじゃないか?」
ルシルとジークもハッとして、瓶を横から眺めた。中の琥珀糖は下まで落ちずに、わずかばかりに浮いているようにも見える。
底が厚いのだ。
ジークは瓶をひっくり返す。爪先で底の裏側を引っかくと、かたんと音を立てて外れた。中から現れたのは、小さく折りたたまれたメモ用紙だ。
ジークがそれを広げ、ルシルとレナードは横から覗きこんだ。
『ザカイアとお父様の企みを、あなたなら阻んでくれると信じています。あなたの存在が私にとっての希望でした。親愛なる ルシル・リーヴィス様へ アンジェリカより』
ルシルは息を呑んだ。
「これって……!?」
一方、レナードは冷静に告げる。
「これではっきりとしたな。アンジェリカは、独断で君を蘇らせた。ザカイアの側近としてではなく、ザカイアの敵としての君を」
「ルシルがザカイアの敵であることを、アンジェリカは知っていたというのか……!?」
ルシルはジークからメモを受けとって眺める。
『親愛なる ルシル・リーヴィス様へ』
その文字を見ていると、自分でもよくわからないが、切なくて懐かしいような気持ちになった。
指でアンジェリカの筆跡をゆっくりとなぞる。
アンジェリカ・ブラウン。またの名を、アンジェリカ・ハザリー。
どんなに記憶をひっくり返してみても、彼女は自分の思い出の中には存在しなかった。
第二の生を受けて、蘇るまで……ルシルはこの少女に会ったことはないのだ。
「どうして、私のことを……? 私、アンジェリカとは話したこともないのに……」
こちらに覚えがなくても、アンジェリカは自分に何らかの思いを抱いていたようだ。そのことを考えて、ルシルはふいに悲しくなった。
アンジェリカの死を今ほど痛感したことはない。まるで自分の中の一部が剥がれ落ちてしまったかのような、悲痛な感覚だった。
ルシルはメモから顔を上げて、室内を見渡す。
外はもう暗くなっている。窓越しに闇が見えた。そして、その窓には自分の――アンジェリカの姿も映っている。
(アンジェリカ……あなたは何を考えていたの……?)
彼女の姿に向かって、ルシルは静かに尋ねた。





