3 対立
ジークの手が剣の柄を握りしめる。
そして、その刀身を引き抜いた。
「俺は、アンジェリカを守る盾だ。そのために……お前を排除する」
ジークはルシルを見据えながら、剣を構える。
その仕草は膠着を砕いて、鳴り渡る始まりの鐘。一度響けば、退くことは叶わない――開戦の合図だった。
「いったん冷静になってくれ、ジーク。俺の話を聞いてくれないか」
レナードは目を細めて、ジークを見る。
常に冷徹な彼にしては珍しく、どこか困り切ったような気配が漂っていた。
「俺は……君とは戦いたくない」
「俺もだよ、レナード。だけど……」
その言葉とは裏腹に、ジークの剣先は微動だにしない。
彼の掌には、迷いがまったくないことがわかる。
「俺は悪い奴を倒して、アンジェリカを守らなきゃいけない」
次の瞬間、銀光が閃き、剣が振り下ろされた。
「メリス・ティア!」
レナードは咄嗟に呪文を紡ぎ、防御魔法を展開した。
刃が防御癖に叩きつけられ、鈍い衝撃音が響く。
「待て、ジーク……! 話を……!」
「エクスト・シェルツ!」
ジークの剣が魔法を帯びて、白く輝いた。
その光景を、ルシルはただ呆然と見つめていた。
――動けない。
頭ではわかっているのに、体が言うことをきかない。
振り下ろされる刃の軌跡がゆっくりと見えるのに、指先ひとつ動かせなかった。
脳裏に遊園地での光景が浮かび上がった。自分でもこれは愚かな現実逃避であることはわかっている。しかし、楽しかった思い出が頭をよぎると、ますます体が動けなくなった。
ジークが迷いなくルシルに剣を振るおうとしている。その事実に、心が追いつけなかった。
目の前で煌めく光が、夢か幻のようにかすんで見える。
「くっ……、メリス・ティア!」
レナードの呪文と動きで、引き延ばされていた時間が元に戻る。レナードはルシルを片腕で抱きしめると、箒を出現させた。
そのまま空中へと跳躍する。
「ジーク、やめろ! ルシルを殺しても、アンジェリカは戻ってこない!」
「関係ない。アンジェリカを守ることが、俺の存在意義だ」
「守るって……!? どうやって守るつもりだ!?」
「決まっている。その女を殺して、アンジェリカを守る」
ジークもまた箒を出現させ、すぐさま追いかけてくる。
レナードは箒の後ろにルシルを乗せ、高度を上げた。小屋を抜け、外へと出る。
更に上昇すると、小屋の真上に浮かんだ。
昼間のはずなのに、空は厚い雲が覆っていた。のどかな田舎風景が濃い影に沈んでいる。
間を置かずにジークが正面に飛び出してきた。
「ジークの様子がおかしい……!」
レナードの言葉が、今のルシルの耳には入ってこなかった。
彼の背に額を押しつけ、震える声を漏らす。
「……私のせいだ……」
「ルシル?」
「ジークの怒りはもっともよ……。彼はただ、アンジェリカを守りたかっただけ……それなのに、私のせいでアンジェリカが……」
「馬鹿なことを言うな!」
レナードの声は鋭く、辺りの空に響いた。
「君がアンジェリカを操ったわけでも、命じたわけでもない! 君が責任を感じる必要は、何ひとつないだろう」
「だけど……」
「憎むべきはザカイアとロイスダールだ! 君を復活させるために、アンジェリカに命を捨てさせた。それが正しいことだと彼女に信じこませた。敵を見誤るな!」
ルシルは下を向き、唇を噛みしめる。
曇天の重みが、そのまま心臓にのしかかってくるかのようだった。
それでもレナードの言葉が静かに沁みこみ、顔を上げる。レナードの肩越しから、ジークの姿を捉えた。
その瞬間、レナードの言っていることが即座に理解できた。
ジークの様子が変だ。
瞳は何の色も映しておらず、無機質に濁っている。感情を削ぎ落とした仮面のような無表情だった。
ジークは、怒りや悲しみが素直に顔に出る。
それなのに、こんな表情は彼にふさわしくない。
「君はこのまま、大切な同僚を失ってもいいのか」
「大切な……同僚?」
ルシルは息を呑んで、聞き返した。
「リオ……。あなた、ジークのことをそんな風に思っていたの?」
「君だって、そうだろう? それとも、彼はただの厄介な新人か?」
「ううん……ちがう」
言葉にすると、強い決意が体中に湧いた。今度は力強く、レナードの服の服を握りしめる。
「ごめん、リオ。私、少しだけ弱気になっていたみたい」
レナードが振り返る。
その横顔に、曇り空からわずかに漏れた白い光が差しこんだ。硬い表情の端に、笑みが浮かんだ。
「ああ、まったく君らしくない動揺ぶりだったな」
ルシルの心にはまだ動揺が残っていた。
だけど、それを覆い隠すように、強気な笑みを唇に浮かべる。
「……気になることがあるの」
「何か思いついたのか」
「さっきの地下室よ。ジークはあそこで、何かを思い出していた。彼は前にも、あの地下室に入ったことがあるんだと思うの」
「彼がおかしくなっているのは、それが原因だと?」
「確証はないけど……。でも、ロイスダールがあの地下室で何をしていたのか、それがわかれば……だから、リオ。あの地下室を調べてきて」
「それは構わないが……俺が地下室に行っている間、君はどうする気だ」
「もちろん――」
ルシルは言葉の前に行動で示した。
レナードの箒から勢いよく飛び降りる。
「ここで、彼を引きつけるわ!」
「ルシル!?」
「タナト・フェロウ!」
かつて、世の中を震撼させた『死の呪文』。
その意味にふさわしくないほど、勝ち気に満ちた声でルシルは詠唱した。





