5 疑惑
「俺は……君の盾になりたかったんだ」
純粋な告白だった。彼の真剣さが伝わって、胸が熱くなる。
その思いがあまりにも綺麗で、見とれてしまう。
しかし、胸の奥では別の感情がうずいた。
――この席に自分が座っていていいのか。目の前の笑顔をまっすぐ向けられる資格があるのだろうか……。
ルシルは目を伏せた。
「ジーク……」
すると、ジークは明るい声で、はは、と笑った。
自分の真剣さが、気恥ずかしくなった様子だった。
「まあ、騎士団の入団試験に一度おっこちたような奴が、なに言ってるんだって感じだけどさ」
彼の顔を見返すことができなくて、ルシルは自分の膝を見つめる。
その時、
「なあ、アンジェリカ、見ろよ!」
ルシルは顔を上げて、窓の外を見る。
ゴンドラの周囲を、眩い光が囲っていた。小さな光の玉が、まるで生き物のように軌跡を描きながら回転している。そして、次々と何かの形を作っていった。
ペガサス、星、花――様々な形の光が、鮮やかに周囲を飾り付ける。
ペガサスの光は、軽やかに空中を駆けた。ペガサスが通った跡には星屑が散って、ミルキーウェイのような道を作っていく。
「あ……もう夕方……? この時間からイルミネーションが始まるのね」
ルシルはぽつりと呟いた。
空から見下ろしていた時も綺麗だと思っていたけれど、間近で見るイルミネーションは圧巻だった。次々と光が生まれ、楽しそうに踊って、あちこちを跳ねまわる。
気まずい空気も感情も、消し飛んでいた。ルシルはただ、目の前の光景に見とれた。
「すごい……」
「な! すごいよなあ」
ルシルの言葉に、ジークが楽しそうに同意する。2人の視線は、窓の外でくり広げられるショーに釘付けになった。
光が竜の形を作って、口から光を吐き出した。それが派手に辺り一帯を照らしていく。
鉄線でくつろいでいたハトたちが驚いて、一斉に飛び立った。
――ばさばさばさ!
ゴンドラの上をハトの群れが過ぎ去ったことで、大きな羽ばたき音が響いた。しかし、音が聞こえただけで、ハトの影は屋根に遮られて、ゴンドラの中からは見えなかった。
そのため、ルシルはそのことに気付かなかった。
彼女はイルミネーションの輝きに目を奪われていた。
「あ、ねえ、見て! あそこ今、流れ星が……」
ルシルは身を乗り出して、窓の外を指さす。
ジークの方を振り返ってみれば……。
ジークは外を見ていなかった。
目を見開いて、ただじっとルシルの顔を見つめていた。
「え……ジーク? どうしたの?」
「え……っ」
ルシルが声をかけると、彼はハッとする。そして、とりつくろうように笑顔を浮かべた。
「あ……い、いや……何でもないよ」
彼は答える。
いつも通りの明るい笑顔だった。
「……そう?」
ルシルは頷いて、もう一度、窓の外へと視線を向けた。
◆
だから――ルシルは気付かなかった。
ジークの視線が自分へと向けられていることに。彼は窓の外のショーには、いっさい興味をなくした様子で、ただじっとルシルの姿を見つめていた。
◆ ◇ ◆
ジークがアンジェリカに出会ったのは、6歳の時だった。
彼は『グレイヴンの谷』という辺鄙な農村で育った。都会の喧騒から切り離された静かな場所だ。
周囲を丘に囲まれ、谷底には麦畑と牧草地が広がっている。石造りの家はまばらに点在していて、近所の家に行くのにも数分はかかった。
村のそばには小高い山があり、その上にぽつんと古家が建っていた。長年空き家となっているそこは、雨風にさらされて、すっかりさびれていた。
ある春の日のこと。その家に誰かが引っ越してきた。トラックが崖上に止まっているのを見て、ジークは物珍しさに近寄った。
背の高い男が、トラックから荷物を下ろしている。金髪を1つに束ね、メガネをかけた相貌は、知的な学者風だった。他の村人とは雰囲気が異なるので、『都会の人かもしれない』と、ジークは内心でドキドキしていた。
じっと観察していると、男がこちらに気付き、にこやかに手を挙げた。
「やあ、こんにちは。このあたりの子かな?」
優しい声だった。ジークは姿勢を正し、「はい。こんにちは!」と元気に挨拶する。すると男は目尻を下げて、更に優しそうな顔をした。
「アンジェリカと同い年くらいだね。おいで、アンジェリカ」
彼が呼びかけると、トラックの助手席が開いた。
そこから現れたのは、同じ年頃の少女だった。肩にかからないくらいの黒髪は、ウェーブがかっている。長いまつ毛の奥の瞳は、綺麗な瑠璃色だ。しかし、暗い影がかかっているかのように、何の感情も読みとれなかった。
「はじめまして! ジーク・ウェルナーです」
ジークがぺこりと頭を下げると、少女は表情を変えずにこちらを見た。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……アンジェリカ」
囁くような、小さな声だった。
それからというもの、ジークは彼女を遊びに誘うようになった。
村を案内して、牧場で飼っている牛や馬を紹介する。穴場の花畑へと連れて行く。近くの川では魚の取り方を教えた。
しかし、何をしても、アンジェリカの反応は薄かった。たまに口を開いても、小さな声でぼそぼそと喋る。
ジーク以外の村の子供は、やがてアンジェリカに近寄らなくなった。『薄気味悪い』と言ったり、『都会の子だから気取っている!』と悪口を吐くようになっていた。
だけど、ジークはなぜか、彼女のことを放っておくことができなかった。だから、それからもしつこく彼女を遊びに誘った。
ある日、アンジェリカと一緒に丘の上を歩いていた時のことだった。草むらから鳥の群れが一斉に飛び立った。
――ばさばさばさ!
ジークは足を止め、見上げた。
青空をバックにして、無数の鳥が飛んでいる。太陽を浴びて、羽がきらめているように見えた。
「わあ、すごいな!」
思わず声を上げたが、隣を見るとアンジェリカの様子がおかしい。彼女は耳をふさぎ、小さく縮こまっていた。
「……やめて……。ひどいこと、しないで……」
震える声に、ジークは目を瞬かせた。
それは、誰に向けた言葉なのかわからない。
ただ、彼女の怯えように胸がざわつく。
「アンジェリカ……?」
どうしていいのか分からず、彼はその場で立ち尽くした。
やがて、アンジェリカの呼吸は落ち着いて、耳をふさいでいた手も下ろされる。彼女はその場にすっと立ち上がった。その表情から怯えはなくなり、いつもの無表情だ。
「あの音……嫌いなの」
ぼそりと告げた声は、恐怖も怒りも感じられず、平淡だった。
ジークは戸惑う。今、一瞬だけ、アンジェリカの素の心に触れることができた気がした。しかし、それはすばやく閉ざされてしまった。
「なんで?」
問いかけても、アンジェリカは答えない。風が通り過ぎていく。鳥の羽音とアンジェリカの怯えた声だけが耳に残った。
ジークには、わからなかった。彼女が何を恐れているのか……。
ただ、小さく縮こまって、何かに怯える姿が目に焼き付いた。
まるで、彼女がどこか狭い世界に閉じこめられているかのように、ジークには思えた。
◆ ◇ ◆
(ああ、そうだ……アンジェリカは鳥を怖がっていた)
幼い頃の――出会ったばかりのアンジェリカを、ジークは思い出す。
一度、自分の内に生まれた違和感は、途端に大きく膨れ上がった。
思い返してみれば……最近の彼女は、やはりおかしい。
――アンジェリカが、使い魔に鳥を選んだことだって。
でも、アンジェリカが怖がるのは『鳥の姿』じゃない。
『音』だった。
だから、ココを見た時、ジークは納得した。
ココの体は小さいし、空を飛んでも羽ばたき音が響かない。この使い魔であれば、アンジェリカも怖がることはないのだろうと。
観覧車が1周して、ゴンドラは地上へと戻る。
アンジェリカが先に降りていく。その後ろ姿を見つめながら、ジークは静かに考えていた。
ゴンドラの中にいても、外の音は大きく響いた。無数の鳥の羽ばたき音。ジークですら、『少しうるさいな』と思ったほどだった。
しかし、アンジェリカは気にした様子もなかった。彼女はイルミネーションに夢中になっていた。
(彼女は……いったい誰だ……?)





