4 空の覇者
それから3人は様々なことを話しながら、お昼を食べた。
魔法のことや、仕事のこと、日々の暮らしについて。会話は弾んで、ルシルにとって味のしない食事であっても、とても楽しかった。
昼食を食べ終え、ゆったりとした空気が流れる。ジークが目線を上げて、遠くを眺めた。その視線の先には観覧車がある。
ルシルはアンジェリカが観覧車に乗りたがっていたという話を思い出した。そして、それはもう二度と叶わないのだという事実に切なくなった。
(アンジェリカはどんな思いで、私のことを蘇らせたんだろう……)
彼女は闇纏いだった。
他の闇纏いのように、ルシルのことを崇拝していたのだろうか。そうだとすれば、アンジェリカはいつから、ザカイアやルシルのことを妄信するようになったのだろうか。
彼女のことをもっと知りたいと思った。
「ねえ……聞いてもいい?」
「ああ、何?」
ジークは感じのいい笑顔で頷く。
「記憶を失う前の私って……どんな感じだったの?」
レナードの話では、「ジークはアンジェリカが闇纏いであったことを知らないのではないか」とのことだった。
でも、本当にそうなのだろうか。
彼は何も気付かなかったのか――? アンジェリカには、闇纏いとしての片鱗がなかったのだろうか。
ジークは少し困ったように笑った。
アンジェリカ本人から、アンジェリカの過去を聞かれるというのは奇妙なことだろう。
「うーん……君にこんなことを言うのは、気恥ずかしいけど。でも……そうだな。君は一見すると大人しい女性だったし、周りからは変わり者だと誤解されていたけど……本当は、芯が強かった。そばで見ていた俺はわかったよ。すごく正義感の強い人だってこと」
ルシルは面食らって、言葉を失った。
思わず、レナードと顔を見合わせる。
「そうなの?」
「うん。だから、今の君と本質的には、そう変わらないんじゃないかって、俺は思う。前よりはずいぶん明るくなったし、たくさん笑ってくれるようになったとは思うけどさ。そういう表面的なことじゃなくて……。前回のベラさんの事件の時、君は彼女のために親身になっていただろ。そういうところを見て、俺は確信したよ。ああ、やっぱりアンジェリカだなって」
ルシルは何も言えずに俯いた。
ジークの無邪気な笑顔が胸に刺さって、苦しかった。こんなに純粋な目をしている人に、やっぱり真実を告げることなどできない。
アンジェリカが闇纏いであったこと。ザカイアとルシルを崇拝していて、そのために自分の命を投げ出したこと。
「そう……、そうなんだ」
ルシルは引きつりながら頷いた。レナードは神妙な表情で、ジークを見つめている。
その時だった。
「あー!」
近くを歩いていた子供が、突然、悲鳴を上げた。
ルシルたちがそちらに視線を寄せる。子供の手から風船が離れ、高く昇っていくところだった。テーマパークのいたるところで売られている風船で、マスコットキャラクターのポッフィーの形をしている。
「ポッフィー!」
子供は顔をくしゃくしゃにしながら、風船に手を伸ばす。
その時、強い風が吹いて、風船は高く舞い上がった。もう大人でも手の届かない位置だ。
その瞬間、
「わあああああ!」
子供は火が付いたように泣き出す。
ルシルが箒を呼び出そうとするよりも早く、
「エクスト・シェルツ!」
ジークの呪文が響いた。
次の瞬間、ジークは箒にまたがり、空中へと飛び出していた。
あっという間に高度を上げて、風船のそばまで行く。しかし、彼が手を伸ばした直後、強風が吹きつけ、風船は更に流されていく。アトラクションの屋根の近くまで飛ばされた。
「あっ……!」
誰かが声を上げる。風船が飛んだ先には、尖った屋根の先端がある。
風船が割れる……!
誰もがそう思った。
――その直後。
ジークが箒から身を投げ出した。片腕で風船を守るように抱きしめる。
落下しながら、彼は華麗に壁を蹴って反転。空いている手で箒を素早くつかみ、ぶら下がる。
屋根の上に乗っていたハトたちが驚いて、一斉に飛び立っていく。それすらもまるでショーの演出の一環のようだった。
地上では、誰もが彼の姿に釘付けになっていた。
ジークが風船を無事にキャッチした――理解すると同時に、歓声が上がった。
「兄ちゃん、すげー!」
「かっこいい!」
箒にぶら下がったまま、ジークは降りてくる。その途中で、反動をつけて箒の上へとくるりと戻る。辺りの歓声は、より派手なものになった。
「なになに!? 空中ショー!?」
「あの人、顔もかっこいいじゃん!」
ルシルとレナードは呆気にとられて、ジークを見ていた。
熟練の魔導士でも、今の動きは不可能だろう。魔法ではなく、純粋な身体能力による離れ業だった。
「……箒に乗るのが上手いと自慢していたが、想像以上だな」
レナードが感心したように呟く。その隣でルシルもこくりと頷いた。
ジークは箒を子供に近付ける。風船を優しくその手に渡した。
「ほら、もう離すなよ」
「うん! ありがとう、お兄さん」
ジークがルシルたちの下に戻って来ると、ルシルは素直に言った。
「すごいのね。ジーク」
「ありがとう」
ニッと笑って、ジークは箒から飛び降りた。
「そういえばさっき、屋根の上をハトが飛んでただろ。アンジェリカがそばにいなくてよかったよ」
ルシルはハッとした。
そういえば、先日、ジークが言っていた。アンジェリカは鳥が嫌いだったと。
「え、ええ。そうね」
こくこくと頷きながら、内心ではどっと疲れが襲ってきた。
別人になりすますのは、思っていた以上に大変だ。記憶喪失のフリをしていても、その人の好みや気質までは誤魔化せない。
――こんなことを、いつまで続けるつもりなのだろう。
そう考えると、憂鬱な気持ちになる。しかし、先日、ベラと話したことが頭に蘇った。正直に話すのなら、ジークと初対面の時がチャンスだったのだ。だけど、その機会はすでに逸してしまった。
今さら打ち明けたところで、ジークを苦しめるだけだ。すっきりするのは嘘をついていた方だけ。
だから、どんなに苦しくても、やめたいと思っていても、ルシルはこの嘘を貫き通すしかないのだった。
その時、誰かが大きな声を上げた。
「え? ねえ、まさか、あそこにいる人って……」
「うそ!? レナード様!?」
ジークの行動で、注目を集めすぎてしまったようだ。
周囲の視線が一斉にレナードに向く。
すると、レナードは嫌そうにキャップのつばを下ろして、顔を隠した。
「……いったん、別行動だ」
そう言い置いて、2人の下から立ち去った。そんな彼の背を、大勢の人が追いかけていく。国の英雄を一目でいいから見ようと、皆、目を輝かせていた。
ルシルとジークは唖然として、その様子を見送った。
「レナードも大変ね……」
「あー……何か悪いことしちゃったな」
ジークはバツが悪そうに、頬を引っかいていた。
◇
その後、ルシルとジークは観覧車のところへと向かった。
今日、遊園地へと来たのは、観覧車に乗るためである。そのため、そこで待っていればレナードとも合流できるのではないかと思っていたが……。
「レナード、おっそいなあ」
「そうね……うまくファンたちを、まけなかったのかしら」
そのまましばらく待っても、レナードは来ない。ジークが退屈そうに体を大きく伸ばした。
「……なあ、先に乗ろうぜ」
「え? でも……」
「いいから」
彼はこちらを見て、悪戯っぽく笑う。そして、ルシルの腕を引いて、強引に乗り口へと歩き出した。
「ちょ、ちょっと、ジーク……!」
「レナードと合流できたら、また3人で乗ったらいいだろ?」
屈託のない様子に、ルシルは内心で呆れた。そうこうしているうちに、ルシルたちの番になってしまい、スタッフが案内を始める。
仕方なく、ルシルはジークと一緒にゴンドラに乗りこんだ。
彼は目を輝かせて、窓の外を眺めている。
「おお、どんどん登っていく! すごいな!」
「……あなた、さっきは箒でもっと高いところまで飛んでたじゃない」
「箒に乗るのと、こういうのに乗るのじゃ、気分がちがうよ。箒は自分でコントロールできるけど、これはちがうしさ」
「まあ、そうね。ジークも観覧車に乗るの、初めてなの?」
「うん。アンジェリカといつか、こうして乗りたいって思ってたよ」
ジークは座席に深く腰掛けると、周囲の景色を静かに見つめた。
ゆっくりと動き出したゴンドラが、高度を上げていく。夜になるとイルミネーションで周囲が照らされるが、今はまだその時刻ではない。そのため、観覧車に並ぶ客は少なく、ゴンドラの中は空席が目立った。
「俺さ、ずっと魔法ではアンジェリカに敵わなくて……。魔法学校の成績もいまいちで、落ちこぼれすれすれだったよ」
ジークは窓の外から目を離さず、ぽつりと呟いた。遠い日を手繰り寄せるように、その声は懐かしげだった。
「本当はアンジェリカと一緒に騎士になりたくて、入隊試験も受けたんだ。けど、俺だけ落ちちゃって……。夏にまた、欠員募集していたから今度こそ! って応募したんだ。だから、騎士団に入れるとわかった時、すごく嬉しかったよ。これでまた、アンジェリカのそばにいれるって」
高度が上がったことで、遠くに騎士団の本部が見えた。
ジークはこちらを向いて、柔らかな笑みを浮かべる。
「魔法の実力では、君に及ばないかもしれない。それでも俺は、君のことを悪い奴から守ってあげたいって思った」
「悪い奴……?」
「アンジェリカを傷つけるものから」
言葉にこめられた熱が伝わってくる。
ジークの声音は真剣で、まるで誓いを立てるかのように。
「俺は……君の盾になりたかったんだ」





