表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/50

1 お昼のお弁当戦争


 重い沈黙が、部屋の空気を締めつけていく。

 相対する2人の間には、張り詰めた緊張が漂っていた。


 男の目がじっとこちらを射抜く。その無言の威圧は、刃物のように鋭かった。

 ルシルは前世――闇纏い(ノクターナル)として生きていた頃に、学んだことを思い出す。


『敵と相対している時は、目を逸らした方が負け』


 眼力には自信がある。

 ……もっとも、それは前世の姿での話だ。

 今のルシルは小柄で細身、童顔気味のせいで、どれだけ睨みを利かせても迫力に欠ける。こうして目に力をこめて相手を睨みつけても、背伸びした子供が粋がっているようにしか見えなかった。


 だけど、目は逸らさない。睨み返す。その意志だけは前世と変わらず、自分の中にある。

 無言のまま、互いに視線をぶつけ合う。

 両者共に言葉にはしないが、この場に妥協の余地がないことは、すでに理解していた。


 ルシルは慎重に口を開く。


「リオ……お願い」

「断る」


 なるべく低姿勢で頼んだのに、レナードの返事はにべもなかった。


 ――よろしい、ならば戦争ね。


 内心で闘志を燃やしながら、ルシルは拳を握る。


「あなたは私の立場、わかってくれているのよね」

「理解している」

「ジークに私の正体がバレるわけにはいかない」

「ああ」

「だったら、もうやめなきゃ」


 こんなことを告げるのは、ルシルだってつらい。

 しかし――もうこうするしか、道はないのだ。

 ルシルは断腸の思いで、目の端に涙を浮かべた。


「あなたの手作り弁当をこれ以上、受けとるわけにはいかないの!」


 レナードは冷静にルシルを見つめている。そして、鞄から、すっ……と弁当箱をとり出した。


「ピリ辛なチリ風味ソーセージ。マスタードが効いたポテトサラダ。ジンジャーで香ばしく味付けしたロースト野菜も入ってる」

「ああ……っ」

「バターロールのパン付きだ。ソーセージやポテサラを挟んで、食べることもできる」

「ううう……っ」


 ルシルの目が潤む。すぐに手を伸ばしたが、レナードはひょいと弁当を上げてしまう。

 届かない。

 ぴょんぴょん跳ねても、届かない。


「どうして、今日に限ってそんな美味しそうなメニューを……! ううん、今日だけじゃなくて、いつも美味しいけど!」

「いらないのか?」


 ――どうする?


 まるで、挑むようにお弁当箱を、ルシルの目の前に戻す。


 ――ごくり。


 喉が鳴る。

 もうその反応で、敗北を喫していた。


 ルシルは弁当を受けとると、呪文を唱えた。


「……仕方ないわね。タナト・フェロウ(※意味:苦しんで死ね)」


 レナードは温かな眼差しでこちらを眺めている。

 ルシルは頬をわずかに赤くして、そっぽを向いた。


「保存魔法よ。これは、夕飯に食べるわ」

「結局、受けとるんだな」

「勘違いしないでほしいんだけど、食べ物に罪はないんだから。残したらもったいないってだけよ」


 ココが呆れたようにため息をつく。


「食いしん坊な闇魔女」

「食いしん坊な使い魔に言われたくないわ」


 今回は敗北したが、主張を変えるつもりはない。ルシルはお弁当をそそくさと自分の鞄にしまって、賄賂の証拠を即座に隠滅。

 腰に手を当てると、偉そうな態度を維持したまま、びしっと指を差した。


「いい? アンジェリカは、甘党だったのよ」

「君とは正反対だな」

「そう……そうなの。困ったことに。ジークの前でこんな辛い物だらけのお弁当を食べてたら、一発で見抜かれるわ」

「だから、俺の弁当を拒否していたのか」

「えっと……それもあるけど……」


 気恥ずかしさに、目を逸らす。

 横髪を指でくるくるといじりながら、小さな声で言った。


「……変に思われるでしょ……。ただの同僚に、手作りのお弁当を渡す人はいない。普通……そういうのは、特別な関係同士がやるものだし……」


 レナードが一歩、こちらに近付いてくる。真っすぐな目がルシルを射抜いた。


「俺と君は、特別な関係だろう?」

「り……リオ……」


 空気が変わった。

 甘やかな気配が2人の間に満ちていく。

 距離が近い。視線も熱い。鼓動が、胸の奥で跳ねた。


 ルシルが息を詰めた、次の瞬間。


「アンジェリカー! ……と、ついでにレナード」


 空気をぶち壊す、明るい声が響いた。

 会議室の扉が無頓着に開けられる。そこから顔を覗かせたのは、ジークだった。


「お昼休みだ、一緒に食べに行かないか?」


 ルシルとレナードの反応は素早かった。

 伊達に、稀代の悪女、悪を討ちとった英雄をしていない。扉が開く寸前に、音もなく互いに距離をとって、何でもない風を装っている。


「い……行くわ」


 ルシルは済ました顔で頷く。

 一方、レナードは嫌そうに眉を顰める。


「なぜ俺が君と?」

「へぇ、あんたは来ないのか。じゃあ、アンジェリカ、2人で行こうか」


 ジークがルシルの肩を叩こうとしたのを、レナードは素早く手で弾いた。


「俺も行く」

「行かないって言ってたじゃん!」

「言ってない。行くぞ」




 どこに行こうと示し合わせたわけではないが、3人が箒を飛ばす先は同じだった。

 住宅街の中にひっそりと佇む、『カフェ・ローワン』。

 ドアベルを鳴らして、扉を開ける。給仕中だったベラが元気に振り返った。


「あら、お三方、いらっしゃい!」


 ルシルはへへと笑う。最近はすっかり、この店の常連になっていた。

 ベラと顔を合わせるたびに、勝手に頬がにやけてしまう。


「ベラさん。また来ちゃいました」

「いつでもどうぞ。あなたたちは、娘の恩人だもの」


 ベラも、ふふ、と笑いながら、店の奥へと案内してくれた。店内の隅にある席が、ルシルたちの定位置だった。仕切りがついているので、周囲からは見えづらくなっている。

 ジークが気さくに片手を上げて、ベラに挨拶をした。


「ベラさんのコーヒーも、ここの料理も絶品ですから! 俺もすっかり気に入りましたよ」

「あら、ありがとう」


 ベラはルシルたちの注文を聞いてから、去っていく。

 料理が来るのを待っていると、ジークがレナードに話し始める。


「そういえば、さっきはありがとな。書類整理、手伝ってくれて。すげー助かった」

「俺は手を貸していない。やり方を教えただけだ」

「それが助かったんだって! あんなに細かく説明してくれると思わなかったよ」

「細かく……? 普通だろう」

「教え方、わかりやすかったよ。ミスしやすい個所とかも、事前に教えてくれたし」


 ジークはにこにこしながら、ルシルと顔を合わせる。


「冷酷大王かと思ったけど、意外と面倒見がいいよな」

「そうね。不愛想魔王だけど」


 その点は同意しかないので、ルシルは頷いた。

 レナードが嫌そうに言う。


「大王とか、魔王とか、妙なあだ名をつけるな」

「ふふっ」

「あはは」


 そこで、飲み物を持ってやって来たベラが、会話に加わる。


「ジークさん、知ってる? レナードさんって、昔はこうじゃなかったんですよ」

「え、そうなの!?」

「いつもにこやかで、親切で。特に好きな女の子の前では、雰囲気がすごく柔らかくなるから、わかりやすかったわ」

「……ベラ」

「べ、ベラ……っ」


 レナードは咎めるような声で、ルシルは焦った声で、同時に彼女の名を呼んだ。

 ベラは素知らぬ顔で笑っている。

 一方、ジークは衝撃を受けたようにのけぞっていた。


「ええー!? レナードの好きな子って!? 誰!? どんな子!?」

「そうねえ。例えるなら、こう……悪い感じの女の子だったかしら」

「悪女系がタイプ!? 意外すぎる!!」


 レナードが顔をしかめて、口を開く。


「その話はやめてくれ」

「いいじゃん! もっと聞きたい」

「次に君に仕事のことを聞かれても、教えない」

「ひっど!? それは公私混同だろ!?」


 ジークが大げさに騒ぐので、ルシルとベラはぷっと吹き出した。


(なんだかんだで、リオとジークって仲良さそうよね……)


 ルシルにとっても、それは意外な点であった。

 おそらく、レナードからすれば、自分と対等に接してくれる人というのは貴重なのだろう。8年前の出来事によって、レナードは「巨悪を討ち滅ぼした英雄」として有名になった。


 誰もがレナードを特別扱いするようになったが、それ故に対等に話せる相手がいなくなった。

 しかし、ジークは誰に対しても壁を作らず、気さくに接する。レナードのことも、ただの同僚のように扱う。そういう人物は、騎士団の中でも希少だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(10/3金)1巻発売します!
html>
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ