11 ベラの後悔
「あなた――ルシルなの?」
ベラの言葉に、ルシルは固まった。声が喉に張り付いて、ひりひりとして、何も言えなくなる。
彼女から顔を逸らして、俯いた。とてもベラの顔を見ることができなかった。彼女は今、どんな感情を抱いているのか。もしわずかでも、その目に嫌悪がこめられていたら……自分は立ち直れない。
かすかにベラが唇を動かす気配。その瞬間、空気が緊張を帯びて揺れた。
ベラが何を言うのか――ルシルは、判決を告げられる罪人の気持ちで待った。
だが、その直後。
「…………ん……」
吐息が漏れる。マリサのものだった。
「……まま……?」
ルシルもベラもハッとして、そちらに視線を向けた。ベラの腕の中で、マリサが目を開いていた。
ベラの両目が潤む。彼女は震えながら娘を抱きしめた。
「マリサ……! よかった、マリサ……!!」
その後、レナードとジークも部屋にやって来たので、それ以上、ルシルはベラと話すことができなかった。
◇
ルシルたちは一度、騎士団へと帰還した。事件の概要を隊長に報告して、無事に解決したことを伝える。
事後処理をすべて終えてから、ルシルは退勤した。箒に乗って、住宅街の空を飛んでいく。迷いが残っているせいで、箒の先はふらふらとして、行く先を決められずにいた。
だが、このままうやむやにすることはできない。
――夜9時。
ルシルは覚悟を決めて、カフェ・ローワンの前に降り立った。
ゆっくりと扉を押す。
店内は静寂に包まれていた。窓からは静かな月明かりが差しこみ、店内を照らしている。
奥の席で、ベラが1人腰かけていた。
まだ残るコーヒーの香りに包まれ、ぼんやりと空中を眺めている。
ルシルに気付くと、ベラは顔を上げた。一瞬だけ目が合って、すぐに逸らされる。
「いらっしゃい、アンジェリカさん……ううん……」
ためらうように口をつぐんでから、ベラは言い直した。
「…………ルシル……」
ルシルは拳を握りしめて、彼女の下へと歩み寄った。
「……座っても?」
「ええ……」
彼女の対面に座る勇気はなくて、ルシルは1つ横にずれた。隣のテーブルの椅子を引いて、そこに腰かける。斜め向かいに座った2人は、それぞれ体を相手から逸らしていた。
重苦しい沈黙が満ちる。
すると、2階から軽やかな足音が聞こえて来た。
「ままー! ご本よんでー」
マリサだ。絵本を両手で抱えて、店内にひょっこりと顔を出す。
ルシルと目が合った。すると、彼女はハッとして、恥ずかしそうに壁の後ろに隠れた。
ベラがマリサの下に歩み寄る。彼女の肩をつかんで、隠れた場所から引っ張り出した。
「マリサ。このお姉さんは騎士団の人よ。昼間、マリサのことを助けてくれたの。ちゃんとお礼を言いなさい」
「ん……」
マリサがもじもじとしながら出てくる。ベラの後ろに隠れながら、小さな声で言った。
「……ありがとう」
「――どういたしまして」
その感謝をどんな感情で受け止めたらいいのか、わからない。ルシルはぽつりと呟いた。
「ねえ、マリサ。ママはこのお姉さんとお話があるから。上に行っていてくれる? ご本は後で読もうね」
「えー……。……うん、わかった」
ふてくされた顔でマリサは頷く。ぱたぱたと元気な足音を響かせて、階段を上って行った。
ベラがこちらへと戻って来る。迷うようなそぶりを見せた後で、今度はルシルの対面の席に腰かけた。
ルシルは少しドキリとしたけど、その動揺を呑みこんで、口を開く。
「マリサちゃん、すっかり元気みたいね」
「ええ……あなたのおかげよ」
ベラは顔を上げ、ルシルの目を正面から見つめた。
「あなたはマリサを助けてくれた。娘の命の恩人よ」
「そんな……当たり前のことをしただけよ」
「それに……」
その時、ベラの目尻がぐっと下がった。彼女の瞳が潤んで、涙がにじんでいく。
「あなたは昔、私のことも、ピーちゃんのことも助けてくれた……」
「ベラ……?」
「あなた……本当にルシルなのね……」
ベラはそこで耐え切れなくなったように、顔を両手で覆った。
「私……ずっと後悔していたの……」
ルシルは覚悟を決めて、俯いた。
『後悔していた』というのは、『自分と友達になったこと』にちがいない。ルシルはこれから責められ、恨み言を言われるのだと思った。
しかし、次にベラが口にした言葉は、ルシルの予想とはまったくちがっていた。
「あの時……あなたは私を助けてくれたのに、私はあなたを助けられなかった……! ごめんなさい……」
「え……?」
「ごめんなさい……ルシル……」
ベラの肩が大きく震える。指の隙間からこぼれ落ちる涙は、まるで胸の奥に沈んでいた後悔が、静かに零れ落ちていくようだった。
淡い月明かりが、カフェ・ローワンの店内を照らしている。辺りには時計の針の音さえ響くほどの静寂が満ちていた。
その静けさのなかで、ベラの涙だけが、遠い過去の重さを物語っていた。
「どういうこと……?」
ルシルは困惑しながら尋ねた。
「どうして、ベラが謝るの? 謝らなきゃいけないのは、私の方よ。私はずっとザカイアの側近をしていた……。国中の人から嫌われている『闇纏い』なのよ……」
「ルシル……。平気なふりをするのは、もうやめて……」
心臓が大きく跳ねた。
前にもベラに同じことを言われた覚えがある。胸の奥で閉じていた記憶が扉を開く。13年前のあの日へと……。
「ルシルはザカイアに仕えていたんじゃない。あいつに、無理やり従わされていたんでしょ……?」
「ベラ……」
「私、知っていたの……。だって、あの呪いのペンダントは、ザカイアからもらったのよ」
ルシルは驚きのあまり、固まる。ベラが掌から顔を上げた。涙に濡れた目で、ルシルを射抜く。
「13年前……私はザカイアに会ったの」