9 呪具の結界
ルシルはさっそく捜索にとりかかった。
呪いをかけるために使われた『呪具』。それが必ずどこかにあるはずだ。
「学生時代に使っていた物は、この倉庫の中にあるはずです」
ベラに案内されて、家の裏側へと回る。庭の隅には倉庫が建っていた。
ベラが中を開けて1つずつ、物をとり出していく。ルシルにとっても懐かしい物が出て来た。シルエラ魔法学校の制服、教科書……。
目を細めて、それらを眺める。
ベラが1冊の本を手にとると、思わず声を上げてしまった。
「あ……それ」
『魔導士と使い魔の関係』。
ルシルがベラと友達になったきっかけの本だ。
ベラが不思議そうにこちらを見る。今の姿では思い出話に花を咲かせることもできないので、ルシルは慌てて誤魔化した。
「えっと、私も昔、読んだことがあります。可愛い使い魔たちの写真が載っているのがお気に入りで……」
「……そう」
ベラは唇を引き結んで、俯く。
そして、その本を箱の中へと戻してしまった。まるで、見たくないものに蓋をするかのように。
「ごめんなさい。この本には、つらい思い出があって……」
「ベラさん……」
ベラは立ち上がって、ルシルに背を向ける。
「私は中に戻ってますね。倉庫は好きに調べてもらって構いませんから」
「…………はい」
ルシルは遠ざかっていくベラの背中を静かに見送った。
倉庫に体を向き直すと、箱の蓋を開ける。使い魔の本に視線を落とした。昔のベラの笑顔が思い浮かんで、胸がギュッと苦しくなる。ルシルもそれ以上、見ていられなくなって、急いで蓋を閉じた。
しゃがみこんだ姿勢のまま、膝を抱える。そして、自分の腕に額をくっつけた。
すると、空の上から明るい声がかかった。
「アンジェリカ、ただいま!」
顔を上げると、箒に乗ったジークが手を振っている。
「ジーク」
ジークはゆっくりと降りてくると、アンジェリカの隣に立った。
「1人? レナードさんは?」
「それがさー、聞いてくれよ。近くの公園で聞きこみをしてたんだけど。あの人ってやっぱりすげえんだな」
「あ、もしかして、ファンに見つかった?」
「そう、あっという間に囲まれちゃってさ! レナードは嫌な顔をしてたけど、もう周りの熱気がすげえの。きゃーきゃーわーわーで、大騒ぎだよ」
「あはは……レナードさんは、人気あるもんね」
「それで、俺は1人で帰ってきちゃったってわけ。アンジェリカはここで何してたんだ?」
「それが……」
ルシルはジークに状況を説明した。呪具を探していることを告げると、
「俺も手伝うよ」
「うん、ありがとう」
ジークが倉庫の箱に手を伸ばす。ルシルも別の箱を手にとり、中を調べる。
ベラは学生時代から変わらず、几帳面な性格だった。倉庫には多くの段ボール箱がしまわれていたが、整然と並べられている。それぞれに中身を示すラベルが貼られているのでわかりやすかった。
ルシルは余計なことは考えないようにして、事務的に作業を続けた。
すると、隣から心配そうな視線が注がれた。
「アンジェリカ……平気?」
「え……?」
「何だか、悲しそうな顔してる」
ルシルはハッとして、口元を押さえる。
それからへにゃりと笑った。
「あ、ごめん……何でもない、大丈夫」
「……大丈夫じゃないだろ」
まるで自分の心が痛んでいるかのように――ジークは苦しそうな顔をした。ルシルの両肩に手を乗せ、真剣なまなざしで言う。
「アンジェリカは昔からそうだった。嫌なことがあっても、誰にも頼らないで、1人で吞みこんじゃうんだ。でも……君のそういう姿を見る度に、俺は何とかしてあげたいって思ってた。君の前に立って、痛みも悲しみも代わりに受けてやりたい。君のための――『盾』になれたらって……」
「ジーク……」
ルシルはますます泣きたい気持ちになった。
(ごめんなさい……。あなたはそんなにも『アンジェリカ』のことを考えているのに……私は、本物の『アンジェリカ』じゃない……)
すると、ジークがハッとして、ルシルの肩から手を離す。気恥ずかしそうに頬を引っかいた。
「あ、ごめん。記憶もないのに、いきなりこんなことを言われても、重いよな」
「ううん……。今の言葉を聞いたら、元の『アンジェリカ』も喜ぶと思う」
「そうかな?」
ジークは照れたように、へへ、と笑う。目尻が下がると、ますます彼の無邪気そうな雰囲気は増した。可愛らしい笑顔だ。
「その……記憶のことだけど、無理に思い出そうとしなくてもいいと、俺は思っているよ。どんな君でも、俺は君の味方でいる」
「……ありがとう」
その表情を目にするのがつらくなって、ルシルは彼から視線を逸らす。倉庫へと向き直ると、段ボールを1つ、外へと移した。
すると、ジークが何かに気付いた声を出した。
「なあ、その奥にある缶……何かな?」
「え?」
倉庫の奥には、小さな菓子の缶がある。長いことしまわれていたのか、埃にまみれていた。それだけはラベルが貼られていない。存在ごと、忘れ去られているかのようだった。
ルシルはその缶をとり出した。軽い。動かす時、中身が動いて、かつんと乾いた音を出した。
蓋を開ける。入っていたのは、古びたペンダントだった。触ろうとしてから、ルシルはハッとして、手を引っこめた。
「この気配……! 呪具だわ」
「これが……!?」
ペンダントには触れないようにしながら、ルシルは缶を慎重に移動させる。庭の中心へと持ってきて、地面に置いた。
ジークがやって来て、興味深そうに呪具を眺める。
「マリサちゃんを助けるためには、これを壊せばいいんだろ?」
「うん」
ルシルは缶から後ずさり、距離をとる。
呪具を壊すのは簡単だが、問題は1つ。すぐそばにジークがいることだ。
(ジークの前で、固有呪文を唱えるわけにはいかない……)
アンジェリカの固有呪文は、『カラ・ザティ』。こちらの呪文で魔法を使うこともできるが、魔法の威力は格段に落ちてしまう。
「ジーク……これ、壊せる?」
「アンジェリカの頼みとあれば。どんなことでも!」
ジークは気持ちのいい笑顔を浮かべ、答えた。
そして、腰の剣に手を添える。その途端、彼の纏う雰囲気が変わった。無邪気な顔付きは跡形もなく消え、鋭い目付きとなる。ペンダントを見据える眼差しは、まるで獲物を見つけた猟犬のようだった。
周囲の空気さえ、彼の一挙手を見守っているかのように静まり返り、張り詰めた緊迫感が満ちていく。
次の瞬間、彼は素早く剣を抜き放った。
「エクスト・シェルツ!」
彼の剣が光を帯びる。迅雷のごとき剣撃だった。
しかし、刀身がペンダントに触れた――その瞬間。
ばちん! 大きな反動を受け、刃は逆方向へと弾かれた。
「弾かれた!?」
「結界よ!」
ペンダントから、しゅうしゅうと煙のように闇が立ち上っていく。それは瞬く間にペンダントを包みこんだ。その闇に呑まれるようにして、ペンダントはその場から消え去った。
「嘘だろ……消えちゃった……」
「……防護魔法も、組みこまれていたみたいね」
攻撃を受けたと感知した時、発動する仕組みとなっていたのだろう。しかし、そんな魔法を呪具に組みこむには、高度な技術が必要となる。
ルシルの背筋に冷たいものが走った。
(こんな緻密な呪具……誰が作ったの……? 闇纏いの中でも、そうとうな手練れ……でも、そんな人物は限られていると思うけど……)
ルシルが考えこんでいた、その時。
「ルシルルシル! たいへんだ!」
慌てた声と共に、ココが飛んできた。
「ココちゃん!? どうしたの!?」
「あの子が……マリサが大変なんだ!」
ルシルはハッとして、すぐに駆け出した。