8 次世代への呪い
◆ ◇ ◆
――シルエラ魔法学校の地下室。
そこは一時期、ザカイアが身を隠すために使っていた。
ロイスダールとザカイアは、その部屋でよく闇魔法の実験を行っていた。
その頃のルシルは、地下室に通っていた。ザカイアたちが熱心に魔法議論を交わす傍ら、部屋の隅で本を読むのが日課となっていた。
ある時から、ザカイアはネズミの飼育を始めた。番のネズミをケージに入れて、熱心に世話をしていた。ルシルはそのケージの存在が気になったが、なるべく視界に入れないように過ごしていた。
ルシルは動物が好きだった。少しでも関わりを持てば、情が湧いてしまう。ザカイアが彼らを愛玩目的で飼うわけがない。
これは、実験なのだ。
それがわかっていたから、彼らの存在を意識しないように過ごしていた。
ザカイアはネズミたちを可愛がっていた。
「何と小さく、か弱い存在か。それがまた愛らしい」
彼の声を耳にするたびに、ルシルは内心にひりひりとした殺意が湧いてくるのを感じた。
意外だったのは、ザカイアだけでなくロイスダールも、そのネズミに興味を抱いていたことだ。ただ、彼の場合は可愛がるというよりは、実験体としての価値を見出している様子だった。
数日後――。
ルシルが地下室を訪れると、ザカイアが自慢げに声をかけて来た。
「見なさい。生まれたよ。とても可愛い子だ」
ザカイアが示したケージの中。
そこでは赤ちゃんのネズミが数匹、身を寄せ合って眠っていた。
「……そう」
ルシルは無感情に答えて、定位置につくと読書を始める。
その時からルシルの胸には、嫌な予感が押し寄せていた。
そして、その予感は当たった。
更にその数日後。
子ネズミたちは、ケージの中で息絶えていた。彼らの体には呪いの紋章がくっきりと浮かんでいた。
「成功ですね、ザカイア様!」
ロイスダールが歓喜の声を上げる。
一方で、ザカイアは泣きながら子ネズミたちを弔っていた。
「儚い命だった。だからこそ、尊いと言えるのだろう」
慈しむような指先で、ネズミの死体を抱き上げる。
ルシルの胸はずきずきと痛んだ。ネズミたちとは関わりを持たないようにしていた。なるべく見ないように徹底していたが、それでも目の前で小さな命が失われたということが悲しくて、泣きたかった。
しかし、表面上はクールにザカイアたちに視線を向ける。彼らがどんな下種な魔法を使ったのかなんて本当は知りたくもないが、その時のルシルは闇魔法について深く学んでおく必要があった。
だから、2人に尋ねた。
「今度は、どんな呪いを使ったの?」
「ああ、ルシル……。この魔法理論は、とても完成されていて美しいものだよ」
ザカイアは涙を拭いながら、ルシルと向かい合う。
「私は子ネズミの方には手を出していない。私が呪いをかけたのは、親ネズミの方だ」
「どういうこと?」
「この呪いは、次世代に影響を及ぼすのだ」
ルシルは小さく息を飲んだ。
――そんな呪いを作り出して、彼らが何をしようとしているのか。
それを考えて、薄ら寒いものが胸の内に生まれる。
ロイスダールが厳かな声で言った。
「ザカイア様。『例の計画』について、私から提案がございます」
「ふむ……。そうだな。私も考えていることがある」
ザカイアは頷いてから、ルシルと向き合った。我が子に言い聞かせるような、優しげな声で言う。
「今日はもう帰りなさい、ルシル」
穏やかな顔付きだった。しかし、その裏でそれは拒絶を許さない『命令』でもあった。
ルシルは従うしかない。
彼らが何を企んでいるのか――。
後ろ髪を引かれる思いで、ルシルはその日、地下室を後にした。
◆ ◇ ◆
過去の回想を経て、ルシルは暗い目を伏せた。
(親にかけた呪いが、子供に影響を及ぼす……。あの時、ザカイアたちはそんな呪いを完成させていたわ)
そして、その呪いが今まさに、ベラにかけられている。
問題なのは、その呪いを『誰が』ベラにかけたのか、ということだ。呪いを使った術者が誰なのかは精密に隠されていて、ルシルにも判別できなかった。
嫌な想像が、頭の中で暗雲を作り出していく。
(ベラには……私以外に、闇纏いと関わりがあったの……?)
それが誰なのか。
明らかにしなければならない。
「ベラさん、あなたが呪いをかけられたのは、今から13年前です。何か覚えはないですか?」
「13年前……」
ベラはぽつりとくり返してから、下を向いた。苦しそうに唇を噛みしめている。
「私はシルエラ魔法学校の1年生でした。その頃……私には、仲のいい友達がいたの。でも、私は……」
そこで瞳を揺らして、ベラはぎゅっと目をつぶった。カップを包む両手がわずかに震えている。
「……その子のことで、とても後悔していることがあるの。私はその子と関わるべきではなかった……」
私のことだ……、とルシルは内心で呟いた。彼女の言葉がナイフのように鋭く心を抉る。
(後悔しているって……当然よね……。『世紀の悪女』と呼ばれていたルシル・リーヴィスと友達だったなんて……ベラにとっては、忘れたい記憶にちがいないわ……)
ベラがため息をついて、机にひじをついた。そのまま手で顔を覆ってしまう。
重い沈黙が、両者の間を流れた。
「ベラさん……?」
「…………心当たりはある」
震える声でベラは呟いた。
「ある人から、ペンダントをもらいました。でも、その時の記憶はとてもおぞましくて……早く忘れたかったの。本当は捨てたかったけど、それは捨てられなかった。どこに捨てても、気がついたら私の元に戻ってきていて……」
「それは、呪具ですね。呪いをかけるための道具です。それを誰からもらったんですか?」
「ごめんなさい……言えません。そのペンダント、視界に入れるのも怖くて、しまいこんだきりで……。どこにしまったのかは覚えていません……」
ルシルは唇を引き結んで、頷いた。
彼女の肩を叩こうと手を伸ばして――しかし、やはり自分なんかがベラに触れるべきではないと思い直して、その手を下した。
「ベラさん、家の中を調べさせてもらってもいいでしょうか」
「え……?」
「『呪具』を使った呪いの場合、解除方法は簡単です。その呪具を破壊すればいいんです」
「じゃあ、それを見つければ……マリサは助かるんですか?」
「ええ」
(大丈夫よ、ベラ。マリサちゃんのことは、必ず私が助けるから)
本当は友人として、彼女を励ましたかったけれど。
今のルシルには、そうすることができない。
だから、騎士の1人として宣言した。
「黎明騎士団の誇りにかけて――闇纏いの罪は、私が断ちます」