6 初めての友達
ベラの娘――マリサにかけられた呪いの解析をした。すると、奇妙なことが判明した。
マリサが呪いをかけられたのは、今から13年前のことだった。
だが、彼女の年齢は5歳だ。
年数が一致しない。
(どういうこと……? だって、13年前って言ったら……)
ベラもルシルも、シルエラ魔法学校の1年生だ。
――2人がまだ仲のよかった時のこと。
その頃の記憶に思いを馳せて、ルシルは目を伏せた。
自分にとっては、苦しかった学生時代の中で、わずかな楽しかった記憶。宝物のように大切な記憶。
だからこそ、思い返すことが苦しかった。
◆ ◇ ◆
――今から13年前。
入学当初、ルシルは周りの生徒たちから少し浮いていた。他の生徒たちは、学校に入る前から、付き合いのある子同士でグループができていたからだ。
この国では、“魔力”というものは誰もが持つわけではない。魔力を持って生まれる子供は、人口の1割程度だ。
そして、たいていの場合、それは親からの遺伝によるものである。
魔導士の家系に生まれた子供は、親も魔導士――社会的に“エリート”として扱われる立場にいた。
魔法学校に通うのは、そんな名家の子供たちばかりだ。幼い頃より親同士の付き合いが濃密で、子供同士の関係も深かった。
だけど、ルシルはちがっていた。
両親は魔法とは無縁の一般人で、裕福でもなかった。親の伝手を持たないルシルに、入学前からの知り合いがいるわけがない。
それは、ルシルがまだレナードと知り合う前のこと――。
自分が浮いた存在になっていることはわかってはいた。だけど、ルシルはそれよりも魔法について学ぶことが楽しくて仕方なかった。
だから、毎日、授業が終わると図書室にこもって、本を読んでいた。その日、ルシルが借りたのは『魔導士と使い魔の関係』というものだ。
魔法はもちろん、動物が大好きなルシルにとって、使い魔の存在はとても興味深いものだった。
夢中になってページをめくっていると、誰かが机の端を指で叩いた。
ルシルは怪訝に思って、顔を上げる。
すると、黒髪の女の子がルシルを見ていた。
「その……いつも、ここで本を読んでるよね」
同じクラスの……、とルシルは口の中でつぶやく。
確か、名前はベラ。
ベラはルシルの顔を見て、恥ずかしそうに目を逸らす。
「動物……好きなの?」
「うん」
ルシルは頷いて、机の上に本を広げた。鳥の使い魔について紹介されていて、一面が可愛い写真で埋まっている。
「見て。子鳥の使い魔っていいよね。可愛い」
ベラがページを覗きこんで、控えめにほほ笑んだ。
「ほんとだ……可愛いね」
「ね」
2人は顔を見合わせて、笑った。
ベラの両親は魔導士だった。
ランドゥ・シティからは遠く離れた田舎で、獣医魔導士をしているらしい。
ベラも両親のように、獣医魔導士になるのが夢だと語った。
彼女が夢を語る時、動物について語る時、黒い目がきらきらと輝いていた。
その輝きを隣で見ることが、ルシルは好きだった。
◆ ◇ ◆
13年前のベラを思い出して、ルシルは暗い気持ちになった。
(ベラ、獣医になるのが夢だと言っていたけど……)
あの時の瞳の輝きが、今のベラからは失われているのではないか、そんな気持ちになる。
もし彼女の心に影を落としているのが、ルシルの存在だったとしたら……。
(……彼女が今、魔法とは関係のない仕事をしているのは……私のせいなのかな……)
そう考えると、胸をかきむしりたいほど苦しかった。
ルシルはマリサの部屋を後にして、1階のカフェスペースへと降りた。
そこにはベラが1人でいた。椅子に座って、ぼんやりと考え事をしている。
声をかけるのを少しためらってから、ルシルは彼女に近づいた。
「ベラさん。調子はどうですか?」
「ああ……アンジェリカさん」
顔を上げて、うっすらとほほ笑む。その顔はやつれていた。
「すみません……ここのところ、眠れてなくて」
「娘さんのことが心配でしょう? 無理もないです」
「もちろん、マリサのことも心配なんだけど……」
ベラは言い淀んで、口をつぐむ。「何か飲みますか?」と聞かれて、ルシルは頷いた。
カウンターの奥へと引っ込むと、コーヒーカップを手に戻ってくる。コーヒーの芳醇な香りがふわりと漂うと、ぐちゃぐちゃだった心が少しだけ落ち着いた。
ルシルはお礼を言って、ベラの対面に腰かけた。
「アンジェリカさんの使い魔は?」
「ココちゃんはピーちゃんと一緒に、マリサちゃんを見てくれているわ。あの2羽、仲良くなったみたい」
「ふふ……そう」
ベラは口元に手を添えて、くすりと笑う。
何気ない会話だった。
だけど、ルシルにとっては、心臓がじんと震えるほどに嬉しかった。
(私が闇纏いになっていなければ……今でも友人として、こんな風に話せていたかもしれない)
だけど、今となってはそれは叶わない。
ルシルは闇纏いの道を選び、そんな自分のことをきっとベラは嫌悪しているにちがいない。
そもそも、今ベラが笑顔を向けているのは『アンジェリカ』であって、『ルシル』に対してではないのだ。
どうしようもなく胸が苦しくなる。
目の端に涙が浮かんできて、ルシルは慌ててぬぐった。助かったことにベラはこちらを見ていなかった。物思いにふける様子で、窓の外を見つめている。
「こんな普通の仕事をしている私に、使い魔がいること、不思議に思うかもしれないですね。私、シルエラ魔法学校の出身で……魔導士なんです」
知ってるわ、とルシルは心の中だけで呟く。
「でも、今はこうしてカフェの経営をしてる……。せっかく学んだ魔法の知識を生かせない職につくなんて、おかしいですよね」
「そういう人もいますよ」
魔法の素質を持った人は希少だが、皆が皆、その才能を生かした仕事につけるわけではない。
ルシルの言葉に、ベラはわずかに瞳を揺らした。切なそうな視線を下げて、飲みかけのカップを見つめる。
「……私……もう魔法に関わることが怖いんです……。……最近、あの時のことをよく思い出してしまって……」
その瞬間、彼女の表情はくしゃりと歪んだ。何かつらいことを思い出しているような、そんな苦しげな様子だった。
カップを持つ彼女の指先が震えている。
「あの人と関わってしまったばかりに……私は……」
(それって……私のこと……?)
ベラはルシルと仲良くしていたのを後悔しているのかもしれない。そして、13年という長い年月が経った今でも、自分の存在が彼女を苦しめているのだろう。
(ごめんなさい……。ごめんね、ベラ……)
途方もない後悔に、心臓が締め付けられる。ルシルは顔を歪めて、俯いた。
「あの……大丈夫ですか?」
思いがけないほどに優しい声をかけられて、ハッとする。ベラが心配そうにこちらを覗きこんでいた。
「アンジェリカさん……とてもつらそうな顔をしている……」
「あ……」
ルシルはへにゃりと情けない笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい。何でもないの……」
気を落ち着かせるために、コーヒーに口をつける。苦みとほのかな酸味が口の中に広がった。温かい飲み物が体に染み渡ると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「ベラさん、あなたにとっては思い出したくないことかもしれない。でも、マリサちゃんを助けるために、どうしても聞かなければいけないことがあるの」
息をついて、ベラの顔を正面から見つめる。
「マリサちゃんにかけられた呪い……あれは、13年前に発動したものなんです」
「え!? そんなこと……! ありえないわ! だって、あの子はまだ5歳なんですよ!?」
「そう……普通ではありえません。だから、呪いの発端はマリサちゃんじゃない。呪いをかけられたのは、ベラさん――あなたよ」
「え……!?」
大きく目を見張るベラ。
彼女に向かって、ルシルは淡々と告げた。
「あれは、特殊な呪い。かけられた本人には、何の症状も出ない。だけど、その効果は――次の世代。つまり、当事者の子供に現れるの」