5 マリサの呪い
レナードとの会話に夢中になって、つい闇魔法の知識を語りすぎてしまった。
ジークとベラが呆気にとられた様子で、ルシルを見つめている。
「アンジェリカさん……でしたっけ? ずいぶんと闇魔法に詳しいんですね」
(しまった……!)
ルシルは内心で冷や汗をかきながら、手を振る。
「それは、その……! ……いろいろと勉強したので……」
ベラは純粋に感心した様子で頷いた。こちらは初対面(実際は初対面ではないが)で、依頼人と調査員の関係なので、あまり問題にはならないだろう。
問題は、ジークの方だ。
彼はアンジェリカのことをよく知っている。もし今の言動を怪しまれたら、まずい。
ルシルは胸をドキドキと鳴らしながら、ジークを窺った。
すると、ジークは嬉しそうにほほ笑んでいた。
「アンジェリカは、昔から勉強熱心だったもんな」
なぜかちょっとだけ、どや顔である。
――それはどういう感情なの!?
更に、ジークは手を伸ばしてきて、ぽんぽんとルシルの頭を撫でた。
「え、ちょ……!?」
ルシルが拒否するよりも早く、レナードがジークの手を叩き落とす。
「触るな」
「は? これくらい、俺とアンジェリカの間ではいつもやってたけど?」
(本当に、どういう関係なの……? ジークとアンジェリカ……)
ルシルは目をぱちぱちとさせながら、自分の頭を押さえる。
しかし、助かったと言えば助かった。
アンジェリカの正体は闇纏いだ。それをジークが知っているのか、知らないのかは不明だが、『彼女が勉強家で、闇魔法についても博識だった』という認識に相違はないのだろう。
「は、話を戻しましょう!」
ルシルは強引に話を戻した。
「マリサちゃんにかけられた呪いも、似たような効果だとすれば……呪いを解析することで、誰に魔力を送っているのか。その情報を得ることは可能かもしれないわね」
「なるほど」
レナードが頷いて、
「それで? 君は呪いの解析ができるのか?」
ルシルはわずかに身を引きながら、内心で答えた。
(で……! できるといえば、できますけど……?)
しかし、それには固有呪文の詠唱が必要になる。
『タナト・フェロウ』それを唱えた途端、ベラには正体がバレ、ジークにもアンジェリカでないことがバレて――。
(ちょっとどころじゃなく、大変なことになりそうね……)
その状況を想像して、胃が痛くなった。
「ええっと……私には、ちょっと……」
へにゃりと笑いながら、ルシルは首を傾げた。
レナードはじーっとルシルを見つめている。何かを悟ったような視線だった。
ベラが思いつめた様子で尋ねてくる。
「アンジェリカさん、聞かせてください。この子に呪いをかけたのは、闇纏いということで間違いはないのでしょうか?」
「はい」
「…………そう」
ルシルが答えた途端――彼女の瞳には、強い感情が現れた。
それは憎しみの色だった。
「闇纏いのやり方は、いつも汚いのね。……許せない……この子になんてことを……!」
「ベラさん……」
ベラはハッとして、首を振る。
「……ごめんなさい。闇纏いには、いい思い出がないの。昔、とても嫌なことがあったから」
胸をわしづかみにされたかのような衝撃だった。
ルシルは咄嗟に顔を俯かせた。とてもベラと顔を合わせることができない。
(それって……私のこと……?)
きっと、そうにちがいない。ベラと関わりがあった闇纏いといえば、ルシルしかいないのだ。
まさか自分の存在が――彼女にとって忘れたい過去どころか、心に深い傷を負わせたトラウマになっているのだろうか。そうだとすれば、『ルシル』はもう二度と、ベラの前に姿を現わしてはいけない。
――ベラにも、私の正体は絶対にバレないようにしないと。
そう考えながら、ルシルは自分のコートの裾をきゅっと握りしめた。
ベラは苦しそうに口元を押さえる。
「少し気分が悪くなってしまって……ごめんなさい」
レナードが冷静に言った。
「後はこちらに任せて、休んできては? お嬢さんの様子も見守っておきます」
「そう……。それなら、マリサのことを任せてもいいですか……?」
ベラは本当に気分が悪そうだ。青い顔で頭を抱えながら、部屋を出て行った。
彼女の気配が遠ざかると、レナードが不愛想に言った。
「おい。新人」
ルシルとジークが同時に顔を上げる。
「え?」
「はい?」
レナードは眉を寄せてから、言い直す。
「……今日から配属された方だ」
ジークが不快そうに唇を曲げる。
「つーか、何で俺のこともアンジェリカのことも、名前で呼ばないの? 新人いじめ?」
「必要ないからだ」
「困ってるよ! 今! 今、困ってるんだよ! どっちが呼ばれたか、わかんないし!」
つくづく、ジークはレナードは正反対の男だった。
同じ「怒っている」でも、相手に与える印象が真逆だ。
レナードが怒っている雰囲気を出すと、周囲は凍り付く。しかし、ジークがむっとした顔をしていても、どこかほほ笑ましい。「俺、怒ってます!!」という感じを全面に押し出してくるから、犬がきゃんきゃんと吠えているイメージになるのだろう。
レナードは顔をしかめてから、すさまじく嫌そうに言い直した。
「…………ジーク」
「渋々って感じ? じゃあ、アンジェリカは?」
「彼女は『新人』だ」
ルシルは少し呆れて、内心で苦笑した。
(リオ、頑なに私のことを『アンジェリカ』って呼びたくないのね……)
あくまで『ルシル』として扱ってくれるのは嬉しい。でも、こういう時には困ってしまうので、少しくらい融通を利かせてくれてもいいのに、と思う。
ジークが呆れ果てた様子で、首を振る。
「アンジェリカ……よくこんな人の下で、今まで働いてこられたな」
「あ……あはは……。でも、レナードさんは、とても頼りになるから」
こちらの困惑には構わず、レナードは同じ調子で言う。
「それより、ジーク。ここにいても仕方ない。俺たちは聞きこみに行くぞ」
「アンジェリカは?」
「その子の見張りが必要だろう。置いていく」
レナードが部屋を出て行こうとする。ジークは深いため息をついてから、それに続いた。
「はあ……どうせなら、あんたみたいな冷徹男じゃなくて、アンジェリカと一緒がよかったな……」
そこで、ルシルはレナードの考えに気付いた。
(あ、そっか。ジークを外に連れ出してくれるつもりなのね。リオ、ありがとう)
ルシルが本当は呪いの解析ができることに気付いて、誰にも固有呪文を聞かれないようにしてくれたのだ。
2人の足音が遠ざかっていく。
ルシルはもう一度、マリサの姿をじっくりと眺めた。
(ベラの娘さん……本当に可愛い。もっと近くで見たいけど……)
今は茨のせいで、物理的に近付くことはできない。
そして、心の問題の上でも――自分はこの子に近付くべきではないのだろう。
自分が過去にザカイアの側近をしていたことで、ベラには心の傷を負わせたにちがいない。
だから、マリサとも、ベラとも、今後、個人的な付き合いを持つことは許されないのだ。
(ベラ……ごめんね。この事件を解決したら……私はあなたたちには二度と近づかないから)
そう決意しながら、ルシルは右手をマリサへと向けた。
「マリサちゃん、あなたのことは絶対に助ける。まずはどんな呪いをかけられているのか、見させてもらうわね」
意識を集中させ、指先で魔法陣を描いていく。
そして、ルシルは静かに唱えた。
かつて『死の呪文』と呼ばれ、国中を震え上がらせた――悪女の『呪文』を。
「タナト・フェロウ」
ぼう……と、魔法陣が光を宿す。束の間、幾何学模様は複雑な動きで入れ替わり、その縁はゆっくりと回転していた。
「え……! この呪い……どういうこと?」
ルシルは思わず声に出してしまう。
信じられない結果が出た。
マリサがこの呪いをかけられたのは――今から13年前のことだった。