4 かつての旧友(ルシル版)
事件の依頼人――それは、ルシルの学校時代の同級生・ベラだった。
当時はルシルの親友だった。
ルシルにとって魔法学校時代の楽しかった記憶というのは、ほんのわずかな間だけだ。だが、その記憶を振り返れば、いつも自分の隣にはレナードか、ベラがいた。
彼女に会うのは何年ぶりだろうか。ルシルの知っている姿とちがって、すっかり大人の女性に成長していた。
長い黒髪を後ろで1つに束ねている。
切れ長の黒い瞳には、芯の強さと温かさが同居している。
肌は陽に焼けて、ほんのり小麦色だ。ふっくらとした頬と唇は健康的で、彼女の豊かな暮らしぶりを物語っていた。
左手の薬指に指輪を付けていることに、ルシルは気付いた。
(ベラ……結婚してたんだ……)
途端に、彼女が遠い存在に――自分とはまったく異なる世界で、生きてきた女性なんだということを強く認識する。
あれだけ仲がよかったのに……リリアンに意地悪された時も、勇気を出してルシルを庇ってくれていたのに。
ルシルがザカイアと関わるようになってから、ベラと付き合うことはなくなった。たまにベラは何かを言いたそうにルシルを見つめていることもあったが、ルシルは彼女のことを無視していた。
ベラのことを巻きこみたくない、その一心だった。そのうちベラも、ルシルのことを避けるようになった。
その時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。
ルシルが何も言えないでいえると、
「あの……大丈夫ですか?」
ベラが心配そうに、ルシルのことを見つめていた。
(そっか……ベラには、私だってことがわからないわよね)
今のルシルは、前の自分とは見た目がちがう。
それに、世間からは『ルシル・リーヴィスは死んだ』と思われているのだ。
ベラに気付いてもらえないことを少し切なく思ったけど、同時にホッともしていた。『ルシル』として、今さら彼女とどんな顔をして会えばいいのかわからない。
「あ……えっと。とても素敵なお店ですね」
へらりと笑うと、ベラも嬉しそうにほほ笑む。
「主人と私でやっているんです。どうぞ、皆さん座ってください」
案内されて、ルシルたちは奥のテーブル席に座った。
ベラはカウンターの奥へと引っ込むと、お盆にコーヒーを載せて戻って来る。それを配りながら、レナードの方を向いた。
「レナードさん、お久しぶりですね」
レナードは訝しげに眉をひそめている。
「どこかで面識が?」
ルシルは頭を抱えたくなった。
(だから、同級生だってば! どうしていつも覚えてないの、この男……!)
同級生のリリアンにも同じことを言っていたし、学校時代の記憶が抜け落ちているのかと心配になるほどである。
ベラは苦笑しながら答える。
「シルエラ魔法学校で同級生でした。同じ授業を受けたことも何度かあります」
「…………ああ」
ようやく思い出せたようで、レナードは頷いている。
「そういえば、よくルシルと一緒にいたな」
ルシルの名前が出た途端、ベラの雰囲気が変わった。
何かの感情が噴出した様子で、それを隠すように彼女は下を向く。彼女が握りしめたエプロンは、ぐちゃぐちゃにしわを作った。
「ごめんなさい。彼女の話は……。今は思い出したくないの」
ルシルは放心していた。何かに殴られたように頭が真っ白になる。
ベラが俯く直前――その表情が見えた。彼女は顔をしかめていた。ものすごく嫌そうに。
それは拒絶の感情だった。ベラにとって、ルシルのことは思い出すことも嫌な存在なのだ。
(そっか……そうだよね)
世界一有名な悪女。魔王ザカイアの一番の側近。
それがルシル・リーヴィスの世間からの評価だ。
そんな女と一時的にでも友人であったなんて、ベラからすれば人生の汚点でしかないのだろう。
ルシルはカップを両手で包んで、俯いた。
コーヒーの琥珀色の表面に、揺らいだ自分の顔が映った。泣きそうだ。
でも、こんな顔をベラに見られたら怪しまれる。ぐっと唇を引き結んだ。
「改めてまして、カフェ・ローワンを経営している、ベラ・フェルトと申します」
ベラが頭を下げたので、ルシルとジークもそれぞれ自己紹介をした。
「……アンジェリカ・ブラウンです」
「ジーク・ウェルナーです! どうぞよろしく」
それぞれの顔を見渡して、ベラはほほ笑んだ。
彼女にこうして笑いかけてもらえるのは、13年ぶりのことだったので、ルシルは嬉しくもあり、寂しくもあった。
ベラは笑みを消し去ると、神妙な顔付きで話を切り出した。
「今回、騎士団の皆様にお願いしたいことは、私の子供についてなんです」
◇
『実際に見てもらった方が早い』とのことで、ルシルたちはカフェの2階へとやって来ていた。
カフェの2階は、居住スペースとなっていた。
そのうちの1室は子供部屋だ。ベラに案内されて室内に入る。奥のベッドでは女の子が眠っていた。
枕元に黄色いカナリアが寄り添っている。その姿に懐かしさを感じ、またもやルシルの胸がきゅっとなる。
(あ……ピーちゃん)
学生時代のベラのペットだ。
『私、使い魔は絶対に、ピーちゃんにするって決めてるんだ』
あの時からの年数を考えると、寿命はとっくに過ぎているはずなので、あの宣言通り、ベラの使い魔となったのだろう。動物は魔導士の使い魔となることで、魔力を分け与えられて、主人と生涯を共にすることが可能となる。
「ピーちゃん、マリサの様子はどう?」
ベラが声をかけると、ピーちゃんはこちらへと飛んでくる。ベラの肩に乗った。ルシルの使い魔・ココと、互いに興味深そうに視線を向け合った。
「そこで眠っているのが私の娘です。名前はマリサ、歳は5歳です。この子が数日前から目覚めなくなってしまって……」
ルシルは感慨深い気持ちで、マリサを見た。
学生時代の友人が今は立派なお母さんになって、子供を産んでいたなんて――。
マリサは幼児と言っても差し支えなさそうな年齢だ。
つややかな黒髪も、柔らかそうな頬も、ベラによく似ていた。今は固くまぶたを閉じている。だが、起きていれば、ほがらかに笑った顔も母親に似て、とても可愛いことだろう。
レナードが険しい顔で尋ねる。
「例の『幸運の石』か?」
「いえ、あの……ちがうと思います」
遠慮がちに否定したのはベラだった。
「『石』については、騎士団に相談した時、真っ先に聞かれました。でも、この子はそんな石を持ってません。そもそも、1人で公園に行けるような年齢ではありませんし、行ったとしても必ず私が一緒でしたから。そのような物をもらった記憶はありません。それと……ただ、眠っているだけではないんです」
言い淀むように、ベラは俯いてしまう。ルシルは怪訝に思ったものの、それよりもマリサの顔をよく見たくて、ベッドへと近づいた。
その瞬間――。
マリサの掛け布団が突然、持ち上がった。そして、そこから何かが飛び出してくる。
「アンジェリカ……!」
ジークとレナードが素早く反応した。ジークは剣の柄に手を沿えながら前へと出て、レナードはルシルの腕を引いて下がらせる。
ルシルたちの目の前に姿を現したのは、鞭のような形状の物だった。太く長く伸びて、緑色。まばらに棘が生えている。
ルシルは目をぱちくりさせて、それを凝視する。
「茨……?」
「……はい」
暗い顔でベラが頷いた。
「この子に近づこうとすると、こんな風に……。近付くことができるのは、私の使い魔・ピーちゃんだけです」
ルシルたちが後退すると、茨はしゅるしゅると布団の中へと戻っていく。
ピーちゃんがベラの肩から飛び立った。ココもそれを追いかける。2羽の小鳥がマリサの枕元に着地したが、今度は異変が起こらなかった。
「なるほど。使い魔……つまり、動物なら問題はないわけね。だけど、人間は近付くことができないと」
「そうなんです」
「ねえ、ベラ」
学生時代のノリで呼びかけてしまい、ルシルは慌てて言い直した。
「あ、ベラさん。娘さんがこの状態になったのは、いつからですか?」
「5日前からです」
「何か、おかしな予兆はありませんでしたか? 娘さんが見知らぬ人と接する機会があったとか」
「いいえ。ないと思います」
レナードが仏頂面で腕を組みながら、ルシルに声をかける。
「新人。こういう闇魔法に、何か心当たりは?」
「似たような呪いなら、いくつか。でも、こんな風に、茨が侵入を拒むタイプは初めて見るわ」
ルシルは神妙な表情で、レナードと向き合った。
「闇纏いのおばあさんが配っていた『幸運の石』。あれは、何のためにやっていたと思う?」
「子供を眠らせるだけではないのか?」
「それだと、おばあさんに何も得はないでしょ? 呪いを準備するのもいろいろと大変なのよ。世間からは、闇纏いは異常者で、無差別に人を攻撃していると思われているけど、そういう闇纏いはごく一部ね」
闇纏いとして、ザカイアの側近をしていた時の記憶。
あれはルシルにとって、苦痛以外の何物でもない時間だった。あまり思い出したくはないが、こういう状況下ではあの時の記憶がとても役に立つ。
「……あのザカイアだって、自分の享楽のために人を襲ったということはないのよ。彼の思想は狂人的だったし、常識とはかけ離れていたけれど。……でも、彼には彼なりに理屈があったの」
ルシルは暗い瞳を伏せて、語った。
「『幸運の石』にかけられた呪いの名称は、『魔蝕』。その効果は、呪いをかけた相手から魔力を吸収するというものよ」
「では、あの老婆は子供たちから魔力を集めるためにやっていたのか」
「そういうこと」
レナードがいつもルシルの話を真剣に聞いてくれるので、つい熱が入ってしまう。そして、そんな時のルシルは周りが目に入らなくなってしまうのだった。
我に返ると、ジークとベラが呆気にとられた様子で、ルシルを見つめていた。





